VS油男

「何だ…あれ…!!」


 ウォイドの体から噴き出す液体に、燈は目を丸くする。


油泉オイル・ショック!!」


 彼から放出された大量の液体は、瞬く間に床を伝い燈達の元まで侵食する。


「うぉっ…滑る!!…これ…油か?」


 靴裏にその液体が付着した燈は、突然摩擦が無くなったかと錯覚するように足をおぼつかせた。


 ていうか、この感覚…前も味わった気が……!! そうだ……、あの時…!!


 そうして思い浮かんだのは披露会の日だ。舞台に上がり、ダンスを披露しようとした矢先、何故か足を滑らせたのを燈は思い出した。


「俺を滑らせたのは、アンタか…!!」

「ふぉっふぉっふぉ!! 気付いたか!! そうじゃ、あの時貴様を滑らせ小娘に付いていた護衛を二人を舞台へと上がらせた!! そして、家族の命を餌にあの男に自爆まがいの凶行に走らせ、カグの意識を逸らさせた!! そこを殺すつもりじゃった!! あの忌々しい女に邪魔されてしまったがのぅ!! じゃが今あの女はいない!! 目障りなのはカグと闇魔法の小僧だけじゃ!!」


 その言葉に、今まで沈黙していた二人の領主が口を開く。


「舐められたものだな! 最早お前はこの国全土の脅威、ここで死ね!!」

「同感だ!!」


 ユスとムヒューは腰の剣を抜いた。


「ふん…何の力も無い癖に、領主などと言う地位に就く不届き者共が…貴様らはサーラよりも質が悪いわ…いいじゃろう…まずは貴様らを先に処してやる」


 二人を睨み付けたウォイドは目にも留まらぬスピードを発揮した。


「させない!!」


 バアルは先程のようにウォイドを拘束しようとするが、彼が魔法を発動する前に、ウォイドはユスとムヒューの目の前にまで到達した。


「こ、これは…!?」

「う、そだろ?」


 自分達とのウォイドの距離が一瞬にして数センチまで縮んだ事に二人は驚愕する。


「油によって摩擦を無くし、滑る。それに加え身体強化の膂力を合わせれば…誰にも儂の速度に敵わない!! はぁ!!」


 両腕から放たれた拳、それらは的確にユスとムヒューの心臓を突いた。


「が、はぁ…!!」

「ば、か……なぁ…!!」

「消えろ、権力に胡坐をかいているだけの塵芥ちりあくた共が」


 胸から背中へと貫通した腕を、勢いよくウォイドは引き抜く。


「サ、サーラ様!! あの二人を早く!!」


 燈はそう言ってサーラの肩を揺するが、その本人は小さく息を漏らすだけである。


「次はお前らじゃ……その娘を渡してもらうぞ」


 振り返り、凶悪な笑みを浮かべるウォイドに対し、燈達は身構えた。


「体制を整えろアカシ! 来るぞ!!」

「っ!!」

「火魔法:火炎射ファイア・ブレス!!!」


 口から火を吐くウォイド、その火は床に広がる油に引火し、火力を増して燃え移る。

 油性魔法と火魔法、二つの魔法の性質を最大限に利用した攻撃だ。


「そ、そうだ…!」


 あの魔法! どの属性魔法にも見えない!! なら、きっとあの時みたいに!!


「打ち消せる…!!」


 そう言って燈は床に広がる油に触れた。しかし、その油が消滅する事も、油特有の性質が消滅する事も無かった。


「な、何で…!!」


 どうなってる…!? あの魔法はアカやアオと戦った時と同じような力じゃないのか!?


 アンチートが発動しない事に、燈は目を見開く。


「飛べアカシ、バアル!!」

「くっ!!」

「はい!!」


 カグの言葉に従うように、燈とバアルは魔法で身体能力を向上させるとその場から跳躍し襲い掛かる火の波を回避した。


『ギャアアアアアアア!!!!』


 だが先程のカグとの戦闘によって倒れていたり、疲弊していた者、回避の判断が遅れた者はそのことごとくが火に飲まれ、阿鼻叫喚の声を上げる。


「くっそ……!!」


 彼らの悲鳴と、火の中でうごめくそれらの影が、燈の心を苦しめる。


「ふぉっふぉふぉふぉ!! お前の事はテノラから聞いておる!! じゃが残念ながら儂のこの力はサーラのような類のものではない!! これは水の上位特性じゃ!!」

「水の、上位特性…」


 油とは液体、油性魔法とは水魔法を進化させた系譜の一つ。そして燈はチート能力しか消すことが出来ない。チートではないそれを消す事は出来ない。 

 ウォイドが放った言葉に、燈は全ての合点がいった。


「アカシ、バアル…サーラを頼む」

「お、兄……ちゃん…私、は……」


 カグは虚ろな目をするサーラを燈に引き渡そうとする。 

 しかし、燈はそれを断った。


「サーラ様はお前が守れ」

「いや…俺は」

「おい!!」

「っ!?」


 語調が弱弱しくなるカグの肩を掴み燈は言う。


「お前には必中の弓矢がある。俺とバアル君がお前が矢を放つまでの時間を稼ぐ。それが一番勝てる確率が高い戦法だろ」

「そ、それは……」


 燈の言う通りだった。罪悪感から逃れるように、一番楽な道をカグは無意識に選択していた。ウォイドと相打ちになって「死ぬ」という選択を。


「生きて、ちゃんとサーラ様と話せ。それが…お前がすべき事だろ」

「-----……」

「…え?」


 カグが返した言葉に、思わず燈は声を漏らした。


「とにかく…今は、ウォイドを倒して…サーラ様を守る事が先決だ」

「……あぁ」


 思いつめた表情のまま、カグは燈の策に乗る事を了承する。


「何をこそこそ話しとる!! 死ねぇ!!」

「サーラ様は殺させない!!」


 勢いよく地面を蹴り、加速する燈とウォイドは激突する。


「ふん…! 若いだけあって、力はまぁまぁあるのぅ。まぁ…それも並の防人程度じゃが!!」

「くぅぅぅぅぅ!!!」


 互いは右手を左手で、左手を右手で、掴み合い…握力を以て手を握り締め合う。


「それに、さっきのを見て儂に近付くとは…己の愚行に悔いるが良いぞ!!」

「うぅ……!!!」


 ウォイドの手の平から大量の油が発生し、燈は力が上手く入らなくなった。更に、気付けば油は彼の足元を侵食している。


「おぉ……!?」


 先程同様に、燈は摩擦の無くなった床に立たされる。当然足に上手く力が入らなくなりそれは現在の体の態勢や腕に籠めている力の圧倒的な減少に貢献した。


「バアル君!!」

「はい!! 影這シャドウ・チェイン!!」


 燈の呼び声に応えるように、バアルはウォイドを拘束し彼が腕に籠めている力を無理やりに収めさせる。


「ふん!! 無駄じゃ!! 儂が火魔法を使えば…!!」

「脅しなんて効かねぇよ!! この状況じゃあアンタ、火魔法は使えないだろ!!」

「何を根拠に…!!」

「出来ないさ…!! 火だるまになった俺が、アンタに接触すれば…アンタも丸焦げだ!! 口から火を出したのは…そこ以外から出したら、体に付着している大量の油に引火するからだろ…!!」


 見る見る内に、ウォイドの額に青筋が浮かび上がる。


「…たった、数十年そこらのしか生きていない人間の若造がぁ!!!!」

「図星、みたいだな!!」


 燈の推測は当たっていた。

 例えばエリスが拳に火を纏っていたのは、あれが自身で発生させた魔法による火だったため問題は無かった。だが油によって引火する火は、ウォイドが自身で発生させた火ではない。よって彼自身ダメージを負うのだ。

 よって、体が接触し合っているこの状況では、ウォイドは余計に火魔法を使う事が出来ない。


「だから何じゃ!! 儂が有利な事には……!!」


 ブチブチブチ、再びバアルの影這が音を立てて破られようとしている。


「な、何て…力!!」


 必死で影の強度を上げようとするが、それすらも超越する程にウォイドの筋肉の血管が浮かび上がり、彼の腕と脚はそれぞれ一回り程大きくなった。


 なんて身体強化だよ……!!


 歴戦の戦いの中で、極めていった…老兵と揶揄されてもなお、健在の身体と身体強化による肉体の強化に燈は顔をしかめる。


「変わりない!!」


 完全に影の拘束を解いたウォイドは全体重を掛けるように燈に対し前傾姿勢を取った。


「っも!!!」

  

 身体強化で人並み外れた膂力に加え、体格差による暴力。燈は背をあらぬ方向に曲げる事を余儀なくされ、まるでしゃちほこのように体を反らす。


「まだか!!! カグ!!」

「よく持ち堪えた…!!」


 既にカグは弓を引き、万全の態勢を期していた。


蒼穹之弓ウィンリシェイド!!」


 カグは必中の矢を放つ。外れるという概念が無い、その技を。


「それでぇ…儂を殺せると、思っとるのかカグゥ!!」

「なっ…!?」

「どう、なってんだ……!!」


 矢は、確かにウォイドに命中した。背中から、ウォイドの心臓を貫くように、当てた……つもりだった。

 しかし、それは叶わず、矢はウォイドの皮膚に触れた瞬間、まるで避けるように皮膚上を通過しあらぬ方向へと突き刺さった。


「油は、摩擦を減少させる…!! 儂の摩擦はほぼゼロじゃ!! どんな攻撃も…通らん!!」

「そんなの……アリかよ!?」

「ふぉっふぉふぉふぉふぉふぉ!! 油の量を調整して、貴様の腕をこうして掴み続ける事も出来る!! じゃから言ったじゃろう!! 依然有利なのは、儂じゃと!! そしてこれから倒れ、死ぬのはお前じゃ小僧!!!」

「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 ギリギリと、再度力が籠められ…燈は堪らず断末魔を上げる。 


「っ!?」


 アレは…!!


 だが痛みの中、燈は見た。それは、勝利への…確かな活路。ここまでの戦いが見出した、確かな道筋を。


 本当だ…これを、利用すれば…勝てる!! だけど、その前に…一旦ウォイドから離れないと…!!


「らあぁ!!!」


 頭を突き出し、燈はウォイドの顔面に頭突きをかました。


「っとぅ!?」


 頭突きが直撃したウォイドは堪らず声を漏らす。それを聞いた燈は続けて頭突きをしようとするが、それはウォイドが手を離し、距離を取った事で不発に終わった。


「ふん! 儂の頭部から油が出ていない事を見て頭突きをするとは、悪くない判断じゃが…それももう終わりじゃ…!!」


 そう言った矢先、ウォイドの頭部からすかさず油が噴出される。


「これでもう頭への攻撃も通らん! 残念じゃのう!! カグ、貴様も最初から頭を狙っていれば儂を殺せたやも知れんのに…」

「…くっ」


 奴がここまで強かったとは……このままじゃあサーラを殺されるのも時間の問題だ…。


「そろそろ終わらせるとするかのう!!」


 ウォイドは床にまき散らした油を滑りながら凄まじい速度でサーラへと向かって行く。


「させるか!!」


 彼の移動する軌道上に立ち塞がった燈はそのまま再度ウォイドと組み合うつもりであったが


「もうお前に構うつもりなど毛頭無いわ!!」


 彼はすさまじい鋭角な軌道を描き、燈の横を通り過ぎた。


「なっ…!?」

「油性魔法を使いこなしている儂にとって、油の上を自在に滑るなど容易い事よ!!」


 小娘は今、混乱状態で力を使えない…!! 幾ら儂が強者とは言えあの力を使われればこちらはじり貧…さっさと勝負をつけなければ!!


「蒼穹之弓!!!」


 本日三度目、必中の矢をカグは放つ。今度はウォイドの顔面へと目掛けて。


「無駄と言ったじゃろうが!!!」


 だが彼は避ける素振りすら見せない。

 その言葉を裏付けるように、鼻先へと当たった矢は、そのまま滑るように頬を掠め再び空を切り、床へと落ちた。

 そしてカグは、ウォイドの攻撃射程へと入ってしまう。


油無撃フリクション・ブロー!!!」


 油を纏った拳がカグめがけて放たれる。


「っ…!!!」


 ウォイドの腕を掴もうとするカグだが、腕に摩擦がほぼ無いためそれは叶わず滑らかに彼の拳はカグに向かって突き進む。

 止める事は不可能。彼の攻撃を、カグは受け入れるしかなった。


「……ふん」

「ぐ…ごほぉぁ……!!」


 自分の体が貫かれた事で、カグは吐血する。


「咄嗟に体をずらし、儂の拳の命中する箇所をもずらしたか…。決死の策じゃが、良い判断じゃのう」


 心臓を狙っていたウォイドだが、貫いたのはカグの右肺だった。


「うぅ……!!」

「じゃが…!! このまま儂の腕で、お前の肉体を切り裂いてしまえば、問題なぁい!!」


 握り拳を開き手刀の形にしたウォイドはそのまま一思いにカグの肉体を内部から破壊しようとするが


「させない!!!」

「…邪魔じゃ…体皮の摩擦を無くした儂にも干渉するその闇魔法、やはり忌々しいのぅ」


 絶対に、この拘束は緩めない!! カグさんを…死なせない!!!


 バアルは手に力を籠めて、影這の強度を極限まで高めていく。


「さっきので無駄だという事が分からんかったのか!! 儂の膂力りょりょくを以てすれば!! お前の拘束など容易く解けるという事を!!!」

「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「っ!? まだこんな力を…!!」


 ウォイドに巻き付く彼の影が、無理やりに彼の腕をカグの体から引き抜く。


「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」


 そして、燈は足を滑らせながらウォイドの元へと走って来た。


「懲りずにまだ来るか…!! いい加減無駄じゃと分からんのか!!!」

「知るかよ!! らぁ!!」


 身体強化によって燈は跳躍する。跳躍した床には、ヒビが入っていた。


 足を絡め取られないように空中を経て儂に接近する事を選んだか…。


「じゃがどうした所で儂に貴様の攻撃は通らん!!!」

「くらえ……!!!」


 もし、ここでウォイドを戦闘不能に出来なきゃその時点で俺達の負けだ……!!!


 全力、燈は自分の残りの魔力を全て右腕の強化に使用する。

 重力に従うように、彼はウォイドの元へと下降していった。

 

 奴は油断している!! 俺の攻撃が通らないと…!! だから、絶対にここで終わらせろ!!


「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」


 雄叫びを上げ、上空から燈は拳をウォイドめがけて放つ。


「効かんと言っ……ごほぉぉぉぉぉぉ!!!!」 

「あああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 何故じゃ!! 何故コイツの拳が儂に効いている!?


「倒れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」


 最期の力と声を振り絞るようにして、ウォイドの顎に直撃させた拳を振り抜いた。


「がはぁ……!!!???」


 渾身の一撃にウォイドは堪らず吹き飛ばされた。


「う…ぅ……あぁ?」


 床へと仰向けて倒れた彼は、一体に何が起きたのか分からず立ち上がろうとするが


「ち、力…が」


 足に力が入らず立ち上がる事が出来ない。


「顎に拳を入れると…脳が揺さぶられて立てない…って本当なんだな……」

「お、お前ぇ……!!!」


 息を切らしながら歩いて来る燈をウォイドは首だけを動かし、下から睨み付けた。


 ありがとう…マキ、助かった。


 その知識を自分に教えてくれた最愛の人に、燈は心で感謝を述べる。


 飛び散った血が、油の水面に滴り落ち、波紋が作られた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る