目覚める記憶 その3

「あれ、母さん。父さんは?」


 サーラと共に帰宅したカグは何時もならこの時間帯には帰宅している父が不在な事に疑問の声を漏らす。


「あ、あぁ…お父さんね。少し遠方に用事があって、今集落を出てるの」

「そうなんだ。何の用事なんだろう」

「お、お母さん…」

「な、何かしらサーラ?」


 カグが父の用事について考えていると、サーラは恐る恐る母親を見る。


「っ…何でもない」


 しかし彼女は何か聞くでもなく、そう言って兄の腕にしがみついた。


「え…どうしたサーラ?」

「……ううん」

「何が「ううん」なんだよ」


 まるで何処か怯えるように体を震わせる妹の真意を、この時兄であるカグは見抜く事が出来なかった。


----------------


 三日後の昼間、家の外…というよりかは集落そのものがざわついているかのような音がカグの耳に届く。


「父さん、帰って来たのかな…?」


 そう呟く彼だったが、それにしては外が騒がし過ぎるために些か父親ではないと疑う気持ちもあった。

 だがその音は徐々にカグの家に接近していく。

 そして、その音の詳細を耳で判断できるほどにまで近づいた。

 複数人が歩く音、ガチャガチャと何やら重苦しい金属音…なぜかその音は、カグの不安を掻き立てる。

 理由は分からないが、とにかくカグは刻一刻と近づくソレに、無意識に冷や汗を流した。


 無音、音が止む。それもカグの家の前で。

 コンコン…と、家の扉を叩く音がする。やはり父親が帰って来たのだ。

 そう思ったカグは扉を開ける。


「ただいま、カグ」

「お帰り父さん」


 そう言って彼は帰宅した父を迎え入れようとした。しかし、その背後にいる人物達が視界に入った瞬間、カグの表情から血の気が引くのが分かる。

 そこにいたのは、王族の兵士三人だった。


「え…えっと、その人たちは…?」


 一拍置いて、カグは恐る恐る父親を見た。


「あぁ…子のエルフの方たちは俺が呼んだんだ」

「な、何で…?」

「…それは、中で話そうか」


 何時ものように優しい口調で、父親は言いながら、家内へと三人の兵士を連れて入って来た。

 家の床が鎧を着た騎士の重さに呼応するようにぎしぎしと音を立てる。その音が、まるでこべりつくような死神の足音に、カグは聞こえてならなかった。


------------------


 父親は、カグ…そしてサーラと母親を呼び、いつも食卓を囲んでいる机でカグ達一家と兵士は向かい合うように座った。


「兵士様。この子が、サーラです」

「…なるほど。この子が…」


 三人の中でも恐らくリーダー的な存在の兵士がまじまじとサーラを見る。


「と、父さん…どういう事だよ?」

「いいから、黙って俺の言う通りにしていなさい」


 突っかかるように言うカグを無理やり言葉で治めるようにして父親は言葉を続ける。


「まずは実際に見せてもらわねば、何も分からんな」

「そうでしょうね。では…」


 父親は立ち上がると、キッチンの方へと足を運んだ。

 数秒で戻って来た彼は、その手に包丁を持っていた。

 元の席へと座り直す父親、彼は片手に包丁を持ったまま、もう片方の手で隣に座っていたカグの腕を掴んだ。


「え、と…父さん?」


 あまりにも唐突な事態に恐怖よりも先行してカグは疑問の声を漏らす。

 そしてその包丁を振り上げた父親は


「っ!!」

「……あ?」


 カグの左手を切断した。


 ……?


 理解出来なかった。自分の父親が何をしたのか、自分が何をされたのか。カグには全く理解できなかった。

 だが、理解出来ずとも、それを分からせるように痛みが到来した。脳が痛みを伝達し、自分が何をされたのか、自分がどうなったのか…分からされた。


「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!??????」


 突然来た大量の痛みの信号にカグの脳はパンクし、手首を抑えたまま床に倒れのたうち回った。

 左手が左手首から切断された彼は切断面から大量の血を流し、床には血の水面が形成される。


「お兄ちゃん!!!」


 それを見たサーラはすぐさま兄に駆け寄り、力を発動させた。たちまち無くなったはずの左手が再生され、当然出血も収まった。


「ふー…ふぅ…ふぅ……!!!」

 

 ろうそくの灯を消す時のような息遣いでカグは息を整える。

 一部始終を見ていた兵士たちはその光景に息を呑んでいた。


「これは、すごい…!!」


 歓喜に打ち震えるようにリーダー格の兵士は目を輝かせる。


 何だ…何だよこれ……!? 何で父さんが俺を…!!


 癒えたはずの手には未だ痛みの幻覚、幻肢痛が手首を締め付けた。


「父さん…どういう事だよ……!!!」


 当然、カグはそう叫ばずにはいられない。睨み付けるように、彼は自分の父親を見る。


「ごめんねカグ。だけど、これで大丈夫だ。もう安心だよ」

「な、何が……何が安心なんだよ!!!」

「サーラを、この方達に引き取ってもらうんだ」

「……は?」


 訳が分からない。何故父が自分の娘を兵士に引き渡そうとしているのか。

 必死に頭を回すカグだが、痛みで脳が混乱しており、正常な思考が保てない。


「お、お父さん…?」

「サーラ、俺はもう…君の父親じゃない」

「え…」

「そうよ。あなたはここを出て行くの」

「な、何で…」


 何時ものような優しい口調、だが発しているの内容は到底その口調で言って良いものではない。


「ふ、ふざけんなよ…!! 父さん、母さん!! 自分達が何を言ってるのか、分かってんのか!!」


 激昂するカグ、未だ痛みは消えないが、それでもここは怒る場面である事は、即座に理解出来た。

 

「分かっているよカグ。でもね、これは仕方の無い事なんだ」

「何が仕方が無いんだよ!!」

「だって、サーラは異分子だ」

「い、異分子…?」

「あぁ…駄目だよ。俺達ニシビの住民はただ、平穏に生きていきたいんだ。駄目なんだよ。カグも分かるだろ…? サーラの力がどれだけ異質なのか。きっと、これから災いが起きる。その前に、芽は摘まないといけない」

「それが…自分の、娘に対する言葉かよ!!!」


 父親の発言は到底容認できるものでは無かった。カグの怒りは加速する。

 そして過ぎた怒りは、一周周って彼を冷静にさせた。

 彼は気付く、サーラが感じていた不安の正体…ニシビの住民から向けられた視線、その瞳の裏に、化け物を見るような侮蔑があった事を。

 サーラが治した住民も、その噂を耳にした住民も、そして自らの家族までもが…気付けばサーラを白い目で見ていた。


「…っ」


 何だよ…何で…アンタらが、サーラをそんな目で見てんだよ…。

 おかしいだろ…お前らはサーラの家族だぞ。父親と、母親だぞ…?

 なのに何で、自分の娘を、そんな目で見れるんだよ……!!


 集落とは、閉鎖的なものである。内部での結束は強いが、それが非常に質が悪い。

 外部からの干渉はほぼ許さず、そして内部で発症した異分子には全力で排斥するような行動を取る。

 怖いのだ、自分達の理解の及ばないものが。ましてはソレは戦争の火種になりかねないもの、彼らは何としても排除したい…。自分達の平穏を守るために。

 一度方向性が決まれば、後はその強い結束が、実を結ぶ。

 サーラの追放、それはニシビの総意だった。


「さぁサーラ、行くんだ」

「っイヤ!! 放して!!」


 サーラの父は、彼女の華奢な体を掴んで無理やり兵士に引き渡そうとする。


「おとなしくしなさいサーラ! 手を掛けさせないの!」

「何で!! お父さん、お母さん!! 私は…!!」


 優しかった父と母は、もういなかった。そこにいたのは、不要なものを排除しようと邁進まいしんする、醜い獣たちだった。

 

 気持ち悪い…。


 サーラを拘束する自分の両親を茫然と眺めながら、カグは思う。

 最早彼は、一ミリたりとも両親に愛情を抱けなかった。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


 彼は自覚する。自分は今、子が親に向けて良い目をしていないと。


「…あぁ…ぁ…ぅ」


 侮蔑、嘲弄、軽蔑、それらがカグの心を支配する。そしてそれらは、ある感情を想起させた。


「……」


 机の上にある、先程カグの手を切り落とした包丁を素早く手に取った彼はそのまま父親に飛び掛かる。

 涙を流す妹、それを無視し力づくで彼女を掴む両親。

 その光景を、彼は睨み付ける。


「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」


 殺意、それが想起された感情。

 その感情に従うままに、彼は包丁の柄を万力の力で握りしめ、自分の父親の頭に突き刺した。


「…あ、え……?」


 自分の頭に何が起こったのか分からぬ父親は、間抜けな声を上げながら頭に刺さった包丁を触る。

 ひびの入った柄に触れ、プルプルと首を動かし、彼は息子を見た。


「……死ね」


 息子から発された冷徹な声音を聞いた彼は、頭から大量の血を吹き出し、サーラの体を掠めるようにして床へと倒れた。


「カ、カグ…な、何を…!!」

「アンタもだ…」


 父親の頭から包丁を勢いよく引き抜いたカグはまるでゴミを見るような目で、容赦なく母親の喉元を切り裂いた。


「ぁぁ…!! っぁぅ……!!」


 喉を切られた事で上手く発声出来ない母親は自分の首を触りながら、倒れ伏した。


「……」


 何、コレ…?


 兄が両親を殺す光景を、間近で見ていたサーラはただただ唖然とする。


「うぅ…!!!」


 頭が、痛い…!!!


 自分を愛してくれていたと思っていた両親は、いとも容易く自分を切り捨てようとした。


「うぇ…ぉぇ!!」


 大好きな兄が、その両親に包丁を刺した。


 わ、私が…私が…治さなきゃ…。


 まだ、まだ間に合う。後コンマ数秒の内に力を使えば、父親も母親も健在になる。しかし、その時彼女の脳裏に、ある疑問が生じた。


 治したら、お母さんと…お父さんは、私をどうするの…?


 自分を産んでくれた、愛してくれたこの二人は…また自分を愛してくれるだろうか。


 その疑念、そこには確かな願望が含まれていた。


 治さなきゃ。

 見殺しだ。

 治して、助けて、また家族みんなで。

 殺して、死なせて、こんな人達を生かす理由は無い。


 相反する二つの激情が、サーラの中で衝突する。


「うぅぅぅぅ……ああああぁぁぁぁぁ…ああああああああああ!!!!!!!」


 助けたい、見殺したい。


 瞬間、サーラの頭痛は激しさを増し、視界がぼやけ始めた。


「サ、サーラ…」


 聴覚も鈍感になる中、微かに聞こえる…兄の呼び声。それはとても弱弱しく、そして今にも死んでしまいそうな声だった。


 せめて目だけでも、そう思い必死で目を兄に向けるサーラ。そこには包丁を持ち、血だらけの姿で立つ兄の姿があった。


 イヤだ…。もう、何も……考えたくない。何も知りたくない、何も分かりたくない。


 自分に言い聞かせるように、サーラは頭を抱えた。


 きっと、夢だ。


 最終的に、彼女が至ったのは紛れも無い現実逃避だ。

 大好きな家族が自分を捨てようとするわけが無い。

 大好きな兄が家族を殺すわけが無い。

 全てが幻で、虚で、何もかもが嘘まみれ。


「はは……ははは…ははははははははは!!!!」


 そう思うと、彼女は笑いが止まらなかった。

 その小さな体に受け入れるには、あまりにも重すぎる現実…。しかし、幾ら笑っても奥底では理解してしまっていた。これが現実であると。

 サーラの中で、何かが割れる音がする。まるで何かひび割れるような、そんな音が。

 笑えば笑う程、その音は大きくなり、そして…


 彼女の中で、確かに何かが決壊した。


「……」


 魂が抜けたように、サーラは力無く倒れる。


「はぁ…ま、その力を得るのにしては…エルフ二人など、安いものだな」


 そう言いながら、数秒間沈黙を貫いていたリーダー格のエルフは二人の部下に目配せをする。


「待て…よ!!」

「どけガキ。その子を渡してもらうぞ」


 事態は何も変わっていなかった。カグの両親が死のうが結局、サーラが連れて行かれるという現実に変化は無い。

 ならば目の前の兵士三人を殺せるか、それも無理な話だ。先程は油断に加え、相手は一般人。だが今度の相手は日々戦争に身を投じる兵士、そしてカグが両親を殺した事でかなり警戒している。

 カグが三人を殺すのは不可能だった。


「……お願いします。俺も、連れて行って下さい……!!」


 ならば、と…カグが取った行動、それは土下座だった。

 血まみれの床に額を擦り、必死な声で懇願した。

 サーラを連れて行かれないようにするのは不可能、かと言ってそれをただ容認する事も出来ない。そうして放たれた、カグの苦渋の決断だ。


「何を馬鹿な事を言っている。必要なのはお前の妹だけだ。お前は必要ない」

「そこを何とか……!! 何でもします!! 妹を一人にさせる訳にはいかない!! だから…!!」

「しつこいぞ!!」


 エルフの部下はそう言ってカグに手を上げようとする。


「やめろ」


 だが、それを制止したのはリーダーのエルフだった。


「ウォイドさん。ですが、コイツは…」

「妹を思う気持ち、良い兄弟愛じゃ。それに、一人になったその娘が何をするか分かったものではない。制御する者が必要なのは確かじゃ」


 もっともらしい言葉を並べるウォイドと呼ばれたエルフに部下の二人は顔を見合わせる。


「分かりました。ウォイドさんが言うのであれば」


 そう言って、カグもニシビの集落から連れて行かれる運びとなった。



---------------



「……うぅん」

「サ、サーラ!! おいサーラ!! 大丈夫か!!」


 場所はニシビから離れた西の森と北の森の前線付近の設営基地、王族の軍事部隊と北の森での戦争のために用意されたものだ。

 しかし実際の所、この戦争は大して重要では無く、王族側の兵の投入も、ウォイドのような引退すれすれの老兵を派遣する始末だった。

 だがあまり有用性を感じられない戦争、かつ老兵のため戦力としてもあまり見込めないウォイドだったからこそ、辺境の集落に住むエルフの要請に応える事が出来たのだった。


「こ、ここは…?」


 起き上がりながらサーラはきょろきょろと周りを見渡す。


「あ、あぁ。ここはニシビじゃない。けど安心してくれ! 俺が付いてる、俺がお前を守る…!!」


 畳みかけるように、カグは言った。頭にちらつく両親の死に顔を振り切るように。

 サーラは起きたばかりの虚ろな眼で、カグを…自分の兄を見た。そしてこう言った。


「…あなた、誰?」

「……え?」


 サーラの質問の意味が、カグには分からなかった。


「だ、誰って…俺だよ…お前の…!!」

「お前…の?」


 首を傾げるサーラ、本当に目の前の男が自分の兄である事が分からないようだ。

 カグは理解した。

 自分の妹が、ショックで記憶を失ってしまった。もしくは、記憶を奥底に追いやり何もかも思い出せなくなってしまった事に。


 ならば、言わねばならない。お前はとてつもない力を持っている。そして俺はお前の兄であると。


「っ…」


 口を開く。しかし言葉が出てこない。

 理由は簡単だった。説明するには全てを話さなければならない。カグが両親を殺した事、両親がサーラを切り捨てようとした事。それが集落の総意であった事。

 それら全てを、悉く喋らなければならない。

 その事実を、口にして…サーラは幸せか。そんな疑問が、カグの頭を侵食する。


「あ、あの…?」

「え…あ、あぁ…ごめん」


 硬直していたカグを不思議そうにサーラは見詰める。

 記憶を失っても、変わらない…無垢で愛らしい、妹の顔。それが彼に、誓わせた。

 もう二度と、この顔を…曇らせるものかと。


「……いや、申し訳ありません」

「…?、どうしたんですか…急に?」


 そうだ。俺がする事は、サーラを守る事だ。そのためなら、兄なんて立場…捨ててやる。


 この時、一人の少年は…最愛の妹の兄である事を放棄した。代わりに、主君いもうとに仕えるべき従者あにとして、第二の人生を歩む事を心に決めた。


「あなたの名前は、サーラ…です」

「サーラ…」


 自分の名前を、サーラは呟く。


「そして、私の名前は…カグ。貴方に忠誠を誓った…忠実なる臣下でございます」


 カグは地面に膝をつき、頭を垂れる。


 側近として、俺は…お前を守る。


 ごく普通に生まれた兄と、不思議な力を持って生まれた妹。

 これが、巡り巡り絡まり絡まれ…こじれにこじれた兄弟の物語だ。

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