目覚める記憶 その2

 その後、兄は集落の近くの茂みにいた小動物のヌイーパを射た。

 急所は避け、足を射抜く。

 ヌイーパは小動物相応の痛みから発せられる鳴き声を上げ、逃げ出そうとするが足に刺さった矢のせいで走るどころか上手く歩く事すら出来ない。

 そんなヌイーパの元へ近寄った兄矢を引き抜くと、傍にいるサーラに言った。


「サーラ、この傷…治せるか?」

「えっ…な、何で私が…? 私魔法使えないよ…?」


 サーラ本人の言う通り、彼女は魔法を兄以上に使えない。そもそも魔法を使おうとした経験すら存在しないのだ。


「さっき俺が魔獣に襲われた時にやったやつ、あれをやってくれればいいから」

「そ、そんな事言われても…あの時は、必死で…よく分からなくて…」


 指をもじもじさせながらサーラは下を向く。


「で、でも…お兄ちゃんが言うなら…頑張る…」


 やがて顔を上げた彼女はその場にしゃがむとヌイーパに手をかざした。


「あ、あれ…?」


 そして次の瞬間、サーラは声を漏らした。

 彼女の手が再び、輝きを灯したのだ。


「な、何で…?」


 サーラ自身訳が分からなかった。まるで、生まれた時からしている呼吸のように滑らかに、しなやかに、それを実行する事が出来たのである。

 先程とは違い、可愛らしい鳴き声を発しながら、足の負傷が何事も無かったかのように消え去ったヌイーパは森の奥へと逃げて行った。


「す、すげぇ…」


 それを見て、兄は確信した。

 先程の自分の致命的な負傷を治したのも、間違いなく自分の妹である事を。

 その力を見た兄、彼はそれが回復魔法とは一線を画した「何か」だと心の中で確信する。

 妹の力が人智を超越したものであると…子供ながらに彼は理解したのだ。



----------------



「父さん、母さん!」

「カグ!? 一体どうしたんだその血は!!」

「大丈夫なの!? 一体何が…!!」

 

 妹を連れ集落へ戻り、急いで家へと戻った兄の血だらけの姿に両親は目を丸くした。

 カグと呼ばれた兄はそんな事気にも留めずに何があったのか、興奮した様子で話し始める。

 彼は全てを話した。

 自分が魔獣によって死にかけた事、それをサーラの力によって助けられた事。その顛末を。

 自分の妹が凄まじい力を秘めている事がとても誇らしかったカグは嬉々として口を動かす。

 まだ子供だった彼にとって、サーラの力は興味を惹かれる対象そのものだったのだ。

 当然、両親は信じなかった。


「ほら! サーラも言ってやれよ!」


 そう言ってカグはサーラの腕を小突く。


「う、うん…あのね。お父さん、お母さん。私、お兄ちゃんの傷を治せたの。それに、野生のヌイーパの傷も」

「うーん、それはサーラが回復魔法が使えるようになったって事かい?」

「違うって父さん! 俺は本当に死にかけたんだ! 腹を食いちぎられて! だけどそれをサーラが治したんだよ!」

「そんな事が出来る回復魔法なんて聞いた事も見た事も無いなぁ」

「サーラのは回復魔法じゃないんだって! そんなの目じゃない、何かすごいモンなんだよ!」


 身振り手振りで力説するカグだが二人の両親は信じていない様子だった。

 しかし両親はカグの血まみれの姿、普段は見せないような興奮した様子で彼が息巻いている事から…一先ずその言葉を保留と言う形で受け入れる事にした。

 渋々とした両親の態度に納得がいかなかったカグは何とか両親に証明したかった。妹の力を目の前で見せつけて、自分の力でないにも関わらず自慢したい衝動に駆られる。

 どうしたものか…そう考えたカグはすぐに証明する方法を思いついた。


 で、でも…どうなんだろう…サーラの力はアレに効くのか…?


 カグが思いついた証明方法、それには一つの懸念点があった。


 ま、まぁやってみれば分かるか! それに、駄目だったらまたヌイーパでも捕まえて目の前で治してみせればいいんだ!


「でも…何はともあれ、二人が無事で良かったよ」

「そうね…」

「うぉ…!?」

「お父さん、お母さん?」


 頭を回していたカグとどうすればいいか分からずその場で立ちすくんでいたサーラを二人の両親は優しく抱き締める。


「とりあず、ご飯食べましょ? 二人共、お腹空いたでしょ?」

「う、うん…あ」


 諭されるように言う母親の言葉に、カグは思い出した。

 自分が今日の夕飯の食材を獲り逃した事を。


「ご、ごめん…俺」

「いいのよ。二人が無事なら。それに木の実と野菜だけでも美味しい料理は十分作れるわ」


 今日起きた出来事が頭の中を埋め尽くし、本来の目的を忘れていたカグの罪悪感を母親は優しく癒した。


------------------ 


 翌日、カグ達の父親は二人を連れてある一軒家に向かっていた。

 集落の端に家を構える老婆がいる。名をワンダ、カグやサーラが物心つく前に彼らの世話を良く手伝ってくれたとても心優しいエルフである。

 彼ら以外にも、ニシビで彼女に助けられたエルフは数多くいる。そのため彼女はとても慕われていた。

 しかし現在は病に侵され家から出る事どころか、その足で立つ事すらも困難な状況になっていた。

 そんなワンダを見かねて、ニシビの住民は日替わりで彼女の看病を行っている。そして今日はカグの一家の番なのである。


「ばあちゃん」

「ん…おやおやカグ、よく来たねぇ」

「身体は大丈夫?」


 ワンダを心配そうに見つめるサーラを彼女は優しく撫でた。


「ふふ…まぁ、あまり大丈夫…とは言えないけどねぇ。今サーラちゃんの顔見たら、ちょっと良くなったよ…」

「ほ、ホント…!?」

「あぁ、本当さ」


 そう言って笑うワンダ、しかしそれは彼女を悲しませないための嘘であるとカグも父親も当然見抜いていた。


「今日は俺達が手伝います。何か不便があれば、何でも言って下さい」

「ありがとねぇ…」

「そ、その前にさ。父さん」

「ん、何だいカグ」

「ちょっと試したい事があるんだ…サーラ」

「う、うん!」


 視線を送られたサーラは意気込むようにワンダを見た。


「お、おばあちゃん! 私、もしかしたらおばあちゃんを治してあげられるかもしれないの!」

「…ふふ、だったら嬉しいねぇ」


 変わらぬ穏やかな口調でワンダは言う。


「分かった! やってみるね!」

「え…?」

 

 驚きの表情を浮かべるワンダを横目に、サーラはベットの中に手を入れ、ワンダの肌に触れた。


「えい!」


 そう言ってサーラが力を籠めると、彼女の手が輝き出す。その光はワンダの掛け毛布の上からでも視認できるほどに鮮やかな光だった。


「な、何だ…これは?」


 あまりに異質な光景に父親も目を丸くする。一体何が起きているのか、理解が及ばなかった。


「…はい!」


 やがて放たれた光は消え、サーラはやり遂げたと言わんばかりの表情でワンダから手を離した。


「ど、どうだったサーラ?」

「うん! 多分治せたと思う! おばあちゃん、体動かしてみて!」

「ど、どういう事だい…?」


 急かすように体を起こさせようとするサーラ、だが当然そんな事を彼女の父親が許すわけが無い。


「お、おいサーラ。ワンダさんにそんな乱暴を…!」


 そう言って止めようとする彼だったが、次に視界に入った光景に、その手は硬直した。


「……ど、どうなってるんだい?」


 ワンダは自分の力で、それも軽快な様子で体を起こしたのだ。

 彼女は感じていた。自分の体内の不快感、浸食されていた感覚が綺麗さっぱりと消え去っている事に。

 とても体が軽く、まるで自分の若い頃を錯覚するかのような…非現実的な事態に陥っていた。


「サ、サーラちゃん。これは…」


 実に数年ぶりに、ワンダは自分の力でベッドから抜け出し、自分の力で立ち上がる。


「や、やったー! おばあちゃん治った!!」

「ほら見ただろ父さん!! サーラの力はすごいんだって!!」

「こ、こんな……事が…」


 ワンダの快復ぶりにその場で小躍りするような子供二人、彼らの父親は茫然と立ち尽くした。

 だが、こうしてサーラの力を証明する事が叶ったのである。


-----------------


 その後も、サーラは集落で病気を患っているエルフや、怪我をしているエルフを治し続けた。

 そして、その間でサーラの力についていくつか分かった事がある。

 一つ目は、力を使うと体内の魔力を消費する事。

 二つ目は、死んでいなければ病気あろうと怪我であろうと、それらの程度がどれだけ酷くとも完治させられる事。

 三つ目は、彼女は死んでいる者を蘇生は出来ない事。

 四つ目は、自分の治療は出来ない事。

 数日で判明したそれらの事実はサーラ自身デメリットは多少あれど、彼女の力が圧倒的である事に変わりは無かった。

 集落のエルフのために、サーラは力を使った。皆を笑顔にしたい、その一心で。

 カグはそんな妹が誇らしかった。 


「お兄ちゃん」

「どしたサーラ?」


 並んで集落内を歩く兄妹。サーラはカグを見た。


「何か…最近みんなの様子、変じゃない?」

「変って…何がだよ」

「な、何ていうか…避けられてるような…」

「そんな訳ないだろ。何で避けられるんだよ。お前がどんだけ皆を助けてると思ってるんだよ」 

「で、でも…」


 不安そうに言葉を重ねるサーラ、それに被せるようにカグは言った。


「お前に感謝するエルフはいても、お前に白い目を向ける奴なんていないよ。それに、そんな奴がいたら…おれがぶっ飛ばしてやる」


 サーラを励ますように笑うカグ。その笑顔に彼女は少し緊迫の意図がほぐれるのを感じる。


「ありがとう。お兄ちゃん」


 精一杯の笑みを作り、サーラは兄に応えた。


 そうだ、俺の妹が避けられてるなんて…そんな事、ある訳ない。


 自分に言い聞かせるように自分の心内にカグは言葉を響かせる。

 

 俺の妹は凄いんだ。俺の妹がどれだけの力を秘めているか…それは集落の皆も知ってるはずだ。

 

 カグは自分の妹を何処までも自慢したかった。優越感、そして常識から外れたケタ外れの力に心酔していた。

 だから気付かなかった。


 住民の家の窓から、隠れるように訝し気に彼らを覗き込む、その視線に。

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