虚無での邂逅

「……え?」


 燈は目を覚ました。


「こ、ここは…?そ、そうだ俺は……!?」


 慌てて体を起こした彼は自身の腕で隈なく己の体を触り尽くす。


「ど、どこにも怪我が…無い。体の感覚も……ある」


 だが、彼にはどこか違和感があった。確かに体の感覚はあるが何とも言えぬ浮遊感のようなものを感じていた。まるで自分の体が自分のものでは無くなったかのような気がする程に。


「一体、どうなってるんだよ…!?」


 慌てて燈は周囲を見渡す。そして、改めて自分の現在居る場所と状況、その異常性を認識した。

 燈の周囲には何も無かった。あまりにも、何も無かった。

 自分の足が付いている地面、と言っていいのか分からないそこはあまりにも白く、少しでも気を抜くと吸い込まれてしまいそうだった。

 そして、白いのは床だけではない。

 燈が今存在する空間、その全体が白かった。

 あまりにも白く、あまりにも何も無い。上下左右の概念すら通じないのではないかとすら思える場所ででどうすればいいのか。燈は必死に頭を動かした。


 落ち着け……まず、状況整理だ。あの時、俺は……何だどうなったんだ!?意味が分からない…!!


 しかし幾ら考えた所でおとぎ話のようなこの展開に付いていける訳も無く彼の思考は停滞の一途を辿る。


 そんな時である。


「目覚めましたか」


 何処からか、そんな声がした。


「…っ!?だ、誰だ!!」


 再び燈は周囲を見る。声のする方へ顔を向けようにも、全方位から声がするため

発信源の特定が不可能だったからだ。


「見えるようにしよう。ここだよ」


 謎の声がそう言った次の瞬間、黒い人影が燈の前に現れた。


「あ、あんたは・・・?」


 背丈は燈と同じくらい。姿形は相手が大きなローブにフードを被っているため顔も何も分からない。


「僕の名前は………だ」


「え…?」


 聞こえなかったのではない。ただ聞いても名前が理解出来なかったのだ。


「あぁそうか。人間にはこの発音は理解出来ないな。そうだな…お前に分かるような名前にするならば、ヒトリ。とでも呼んでくれ」


 ヒトリと名乗った人物は言いながら燈に近付いた。


「お、おい…!?」


 燈は顔が触れそうな距離まで接近したヒトリから思わず後ずさる。


「すまないね。僕は君達ヒトの判別が難しい。だからこうして触ったり、真近で見ないと分からないんだ」


 ヒトリはローブから出した手を伸ばし、燈の頬や口元に触れる。


「ん、あれ…?おかしいな。何か、違う…?」


 言ってヒトリは被っていたフードを脱ぎ自身の顔を見せた。


「え、ちょ、ちょっと待てよ…!?」


 その顔を見た燈は驚かずにはいられなかった。何故ならその顔は彼が慣れ親しん

だ顔そのものだったからだ。


「マ、マキ……!!な、何でお前が…!!」


 燈は自ら手を伸ばし彼女の肩を掴んだ。


「マ、キ?誰だいそれは。そんな情報は知らないんだけど」


「し、知らないって…。何言ってんだよ。どっからどう見てもお前はマキだ!な、なぁどうしちゃったんだよ!!お、俺の事忘れちゃったのか!?」


 マキ(?)の肩を揺らす燈、そこには彼女に認知してもらいたいという必死さが

見て取れた。


「ん……どうやら、僕は間違えてしまったらしい」


 そう言うと、彼女は燈を突き放した。


「な、なぁお前何してるんだよ。駅で待ち合わせする予定だっただろ?それなのにお前も…俺も、何でこんなよく分からないところに」

「待て」

「っ…!?」


 ヒトリがそう発した瞬間、燈はただの一言も言葉を出せなくなった。それどころ

か体を動かす事も出来なくなる。


「落ち着け。今から順を追って君に分かるよう説明する。だから、取り乱すのはやめてくれ。醜くて見ていられない。それが承諾出来るのなら解除する。いいかい?いいなら首を縦に振ってくれ」


 ヒトリの言葉を聞いた燈は多少落ち着きを取り戻した。そして今の現状の理解を

薦めるために承諾に乗り首を縦に振った。


「よし。じゃあ話していくよ。まず君が僕の事をマキとか言っているが、僕はマキじゃない。僕は『管理者』、神様もどきみたいなものだ。実体は無いが多面的で流動的な存在でね。僕を見た目はその人間が最も執着、未練のある人物に見える。見た目がその人物に依存される、という言い方の方が適切かな」


 つまり、俺のマキに対する思いが強いからこいつの見た目がマキに見えるって事か。

 燈は目に見える光景の理由を理解した。


「次は場所の説明かな。まぁ場所と言っていいのか分からないけど。ここは『虚無の空間』、管理者によって決められた人間が来る所だ」


「決められた…人間?」


「そう。元の世界で自分の存在意義を見出せない者を一人選び偶然を装って殺す。たまに自分から死んでくれる人も居る。そして、その人間にチート能力を与えて異世界へと転移させる」


 殺す…チート…異世界……?何を言ってるんだこいつは?


 聞きなれない単語の羅列に燈は疑問符を浮かべた。


「その中でも今回の転移者は特例でね。ある使命を持って異世界に転移させるつもりだったんだ」

「使命…?」

「簡単に言えばチートの回収。異世界に散らばってしまたチート能力を全て回収する。それが今回の転移者に課せられた使命…そのための人間をここに呼んだはずなんだが……君は違うみたいだね」

「ま、待てよ。俺が死んだ?何言ってるんだよ俺はこうして…」

「しっかり自分を知覚しなよ」

「は・・・!?」


 次の瞬間、燈は自身の体の変異に気が付いた。体が薄透明になっていたのだ。


「君は今、魂だけの状態だ。君が今感覚として感じているものは魂の感覚、そしてその魂と結びついていた肉体の残滓を感じているに過ぎない」


 そんな……て、ことは……俺は…?

 い、いや嘘だ…。そんな事……ある訳ない…。

 ある訳、ある訳、ある訳……無いよな?

 い、いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。


「あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 目が覚めてから恐らく数分が経ってようやく燈は自覚した。

 いや、本当は分かっていたのだ。無意識に考えようとしなかっただけなのだ。

 自分があの時死んだという事を受け入れたくなかったのだ。


「取り乱すなって言ったと思うんだけど」


「これが取り乱さずにいられるかよ…!!!死んだって…そんな、俺には行かなきゃいけないところがあるんだ!!!それを…それをお前はぁ……!!!!」


 憎しみ、怒り、悲しみ、それらのどの言葉でも納めるには足りない感情。深く黒い負の感情が燈の心に沸き立った。

 対してヒトリは顎に手を当て何かを思案し、やがて何か思いついたような表情をする。


「えーっと、そうか。ごめんね、か。こう言えばよかったんだ。何分人間の感情の機微なんかがもう分からなくてね。君が何に怒っているのか、どんな不幸を嘆いているのか、理解出来ないんだ。そうだね。人間だったら取り乱すのか、そうかそうか」

「謝って…済むと思ってんのかよ!!!」


 言い方の問題もあるが、当然燈の感情は収まらい。収まる訳がない。


「ダメか。仮にも管理者である僕が人に頭を下げているんだから、許してほしかったな」

「……っ!!」


 ヒトリのその言葉で、遂に燈の中で何か線が切れる音がした。

 幸いまださっきのように体に動けないような制限を掛けられてはいない。彼は駆け出し彼女に掴み掛かる。顔が自分の最愛の人だろうが何だろうが、関係ない。どうしても殴らなければ気が済まなかった。


「無駄だよ。君は今魂だ、実体は無い。だから君から僕に触る事は出来ない。肉体や魂の概念を超越している僕と違ってね」

「てめぇ…!!」

「でもそんなに怒られるのも癪だな。僕は間違いなく君ではない、選定した人間を殺すはずだったんだよ。それがなんの因果か君がここに来た。何か外部的な要因が生じたとしか考えられない」

「そんな事…!!どうでもいい!!!還せ、俺を元の世界に還せぇぇ…!!!!!」


 激昂、かつてない怒号を燈は飛ばした。


「…んー、そうだね。確かにこの事態は確かに僕的にも良くない状況だ。でももう後が無い…そこでなんだけど、ここはひとつ僕の提案に乗ってくれないか?」

「提案だと…?ふざけるな、お前の提案なんかに乗ってたまるかよ!!」


 燈はすぐに断る。今までのヒトリの言葉や態度を見れば当然の判断だ。


「もし、僕の言う通りにしたら元の世界へ生き返らせる。そう言ったら?」

「っ!?」


 ヒトリの発言に燈は目を見開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る