第11話 Day0.裁判

 ステンドグラスから射し込む、色とりどりの光が真っ白な星を七色に染めている。証言台の中央では、オリオン座の一等星、ベテルギウスの告解が終わろうとしていた。自身の魂をいのちの蝋燭に変え、金村マリアの蝋に移植する。世界のルールに大きく背いたその、奇跡ともいえる罪を彼は冒したのだ。

 裁判官を務めるおおいぬ座のシリウスは、後悔と自責の念に押し潰されそうだった。


「……なぜ、あんなことを。」

唸るように、おおいぬ座が問う。

「君にも迷惑をかけた。すまなかった。」

「僕のことはどうでもいい!あなただ。あなたのことだ!なぜ」

咆哮にも似た叫びが、星の裁判所にこだました。


「シリウス、すまない。」

抑えた声での呟きは、謝罪ではなく懺悔であることにシリウスは気づいていた。

「なぜ、金村マリアに執着してしまったのですか……」

涙を堪えることができなかった。堰を切ったように溢れる感情が追いつかない。

「……私にも、わからないんだ。」

そう言葉を置いて、ベテルギウスは生前の思い出を語った。

 それは、シリウスには知りようもない遠い昔の出来事。しかし、彼の中には今でも色鮮やかに焼き付いているのだと理解するには十分だった。光を見つめる瞳には、きっとこの世界とは別の、でもあまりに美しい光景が広がっているのだろう。

 もう、手は届かない。

 

 オリオン座のベテルギウスは、深く息を吸い込んだ。残りが少ない。

「先生。」

声のした方へ視線をやると、リゲルと目があった。大きな瞳が涙でいっぱいになっている。金村マリアのもとへ向かう前、天界で最後に会ったのがこの少女だった。


「先生のたいせつにしたいものって、なんですか?」

この世界で、何度も繰り返されてきた質問。問われたのは、何年ぶりだろうか。カノープスの顔がよぎった。

「星は、現世に未練のある魂が天に従属したものを指す。そうだね。」

はい、とリゲルが頷く。彼女はこれから新しい人生を迎える。あの美しい世界を歩んでいく。マリアとともに。

「私はね、未練というのは“たいせつなもの”なのかもしれないと思っているんだ。師匠の受け売りだがね。」

「それが、あの子だったんですか?」

「……巻き込んでしまって、すまなかったね。」

 温かい雨、新緑の匂い、陽光。あの時の光景が頭に浮かぶ。ここですべてを話すには、あまりに時間が足りな過ぎる。もとより、自分の心の内を言葉にするのは得意ではなかった。だから、日誌に記録しておくことにしたのだ。フォーマルハウトは嫌がるだろうが、きっとシリウスに届けてくれる。軽薄そうに見えるが、素直で、実はとても真面目な最も信頼のおける部下に。 


 先生、とリゲルが呼ぶ。そう呼ばれる資格がないのはもう無いのだとわかっていても、そちらへ向いてしまうのは自惚れだろうか。願わくば、転生したあとの彼女が幸せでありますように。

「ここで何かをしても、何かが変わるわけではないことはわかっていました。それでも、止められなかった。」

「それによって自分が落ちると知っていながら、ですか?」

真っ直ぐに向かってくるシリウスの言葉にも、頷くことしかできない。“星”としての生は、彼に託していこう。自分に残った道の一つとして。


***


 ベテルギウスの輪郭と光の境界が曖昧になってくる。手を触れたら、消えてしまいそうだ。なす術はない。そう頭ではわかっていても、抗えないものが世の中にはあるのだ。

「……後悔は、していないのですか?」

「ああ、していない。」

「本当に?」

「ああ。」

それは諦めでも放棄でもなく、ただすべてを受け入れたが故の返答だった。諦観した様子の彼は、むしろ幸せを噛み締めているように見える。その目は、何を見ているのだろう。その手は、どこへ伸ばされるのだろう。シリウスの知らない横顔がそこにはあった。


 裁判官は、深く首を垂れた。そろそろ覚悟を決めなければならない。

「……あなたは、天則“星の項”すべてに重大な違反を犯しました。これによるあなたへの処分は“天落”。その魂は消え、いずれ地上からも見えなくなるでしょう。」


――オリオン座のベテルギウスが消える。


「地上で私の光が確認できなくなるのは六百四十年後です。何も問題ありません。」


――ずっと輝き続けていた星が、消えてしまう。

 わかりました、と絞り出した声は悔しさで掠れていた。ぼろぼろ涙が溢れる。嗚咽を堪えるのに必死だった。


 背中を丸めて泣き崩れるおおいぬ座の青年を、光の中からベテルギウスが見つめる。

「シリウス、なんて顔をしているんだ。」


はっと顔を上げると、いつもの先生がいた。厳格で、誇り高くそして優しいあの人が。

「背筋を伸ばしなさい。」

彼のその言葉に、何度も救われたことを覚えている。ぐっと姿勢を正し、ジャケットの襟を整える。先生が、満足そうに頷いた。

「そうだ、それでいい。君はおおいぬ座のシリウス。全天で最も明るい星なのだから。」

トパーズの瞳が柔らかく細められ、哀愁を宿す。

「いろいろと、すまなかったね。」

「あなたが望んだことです。僕に止める権利はない。」

その声も、姿も、マントに染み付いた匂いも、全てが憧れだった。

「ありがとう。」

そう言った彼は、少し安心した顔をしていた。目線が逸れる。彼が光の中に戻ってしまう。その前に……

「先生、」

どうしたのかというように、動きが止まった。


「星が落ちると、地上には流れ星が現れると言います。……今夜はきっと、流星群が降るでしょう。あなたと、あなたの魂を受け継ぐ金村マリアへの、餞別です。」

精一杯の手向の言葉。彼のいのちは燃え続ける。金村マリアの蝋燭として。


 緩やかに首肯したベテルギウスが、襟を正し、白光の元に直立する。その姿は、冬の朝焼けによく映える白い椿のようだった。凛として、透明で、微かな憂いを含んで。「この世界は美しい」と語り続けた人だった。

 

――最後の審判が下される。


「オリオンα、五十八番。半規則型変光星ベテルギウス。天則に背いた罪により、天落の刑に処す。」


小さく微笑んだ男は、胸に当てた手を静かに宙空へ伸ばした。

「ありがとう、優しい者たちに祝福を。」


 彩光が、質量を増した。星の輪郭が溶け、天に還っていく。眩しいほどの白に色硝子の七色が揺らめく証言台は、まるで聖域だった。光の中、糸が切れたようにベテルギウスが傾く。思わず、シリウスが駆け出した。ふわりと倒れ込んだ体が床に触れる寸前、それは無数の光へと姿を変えた。

 伸ばした手は、届かなかった。きらきらと星の残骸が空間に漂う。掬っても掬っても、欠片は手の中には残らない。シリウスの白い手袋には、金色だけが焼き付いた。


 おおいぬ座の慟哭が響く。裁判所には、あたり一面に星の残光が煌めいていた。


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