第9話-1 Day-6.事務所

Day-6.事務所


 憎らしいほど、星空が綺麗だ。オリオン座の一等星、リゲルはマンションの屋上で空を眺めていた。近くに炎が小さくなった魂があるから行ってくれとシリウスから指示を受け、杉山誠也という青年の元へ向かってから二時間。結果的に彼を回収することはなかったのだけど、まさかさんざん説教した相手が未来の自分の父親になるなんて思わなかった。

「ええー、生まれる前から反抗期だよー!」

気まぐれな天使は、大きな独り言をこぼす。満期になったことは嬉しいけど、なんか、もっとあったでしょとぶつぶつ口の中で文句をくり返した。任務の報告に戻らねばならないのだが、なんだか足が重い。


「はぁ、帰るかな。」

 盛大にため息をついて、リゲルが立ち上がる。ふと、見上げた目線の先に冬の大三角があった。

「……プロキオンとも、お別れかあ。」

明るい金髪の青年を思い出す。満期になったと言ったら、喜んでくれるだろうか。きっと、花が綻ぶような笑顔を見せてくれるに違いない。欲を言えば、少しさみしがってくれたら嬉しいのだけど。

 同期の彼と共に、転生を目指して任務に励んだ三年間。その間に胸の奥に芽生えた小さな想いは、このまましまっておこう。彼も新しい人生を歩むために努力しているのだから。

 冷たい冬の夜の空気を吸い込み、星空を駆け上がった。


 オリオン座をめがけ、夜空を踊りながら階段を登るように進んでいく。星座の手前に透けて見えるドアをくぐれば天界だ。この扉を開ける瞬間を、リゲルはとても気に入っていた。

 美しい彫刻が刻まれた、真っ白な廊下がリゲルを迎える。ここに帰ってくるとホッとする。元気よくただいまの挨拶をして星の事務所に向かおうとした時、廊下の向こうに見知った人影を見つけた。リゲルがまだ星になったばかりの頃、魂の回収任務について悩んだことがある。それをじっくり諭し、いのちの巡りを止めないための誇り高き仕事なのだと教えてくれた優しい教官だった。

「あっ、先生こんにちは!」

 先生、と呼ばれた人物はリゲルの姿を見つけると眩しそうに目を細めた。リゲルと同じ星座に属する一等星、ベテルギウスだ。

「やあ、今日は嬉しそうだね。」

「はい!実は私、満期になったんです。」


 そうか、と微笑んだ先生に釣られてニッコリする。先生は喜んでくれると思った。

「それは良かった。よく励んだね。」

「ありがとうございます。やっと新しい人生が送れます。」

「いい顔だ。君は、強くなった。」

心地の良い低音が、耳をくすぐる。この声を聞くと落ち着く。天界に来た頃、不安でしょうがなかった自分をじんわりと励まし続けてくれた声だ。でも、なんだか様子が違う気がする。

「先生は、どうされたんですか?」

「どう、とは?」

質問に質問で返されてしまう。いつもは綺麗だと思う色素の薄い瞳が、今日は少し怖い。

「なんだか、悲しそう……。」

「そうかな。実は私も少し良いことがあってね。」


 ふわり、遠くを見たベテルギウスが問う。

「リゲル。君には、たいせつにしたいものはあるかい?」

「大切にしたいもの……」

 先生は、何かを守りたいのだ。そう思った。きっと、彼にとってとても大切なものを。

「ああ、自分の命をかけても守りたいものはあるか?」

頭の中に、こいぬ座の笑顔が浮かぶ。でも命をかけてと言われると、わからない。もし、自分が彼のために命を投げ出したら、プロキオンはきっと怒るだろう。だから、大切にしたいけどしたくない。

「……まだ、わかりません。私の人生は短かったので。」

たった十九年と三年の人生では、この問いに答えを出すには早すぎる。そんな気がしていた。

「では、これから見つかるといいな。」

新しい人生で、そんなに大切なものを見つけることができるだろうか。不安と、期待が入り混じる。でもきっと、この三年があったから大丈夫だという確信もあった。

「はい、見つけたいです。」

 リゲルの答えを聞いたベテルギウスは、納得したように頷いた。

「いい返事だ。シリウスに報告に行くんだろう。引き止めて悪かったね。」

「いえ、ありがとうございます。お疲れ様です!」

現世に繋がる扉に向かう背中を見送る。


「___を……頼むよ」


すれ違いざま、小さな声で呟いた祈りは届かなかった。

 リゲルが聞き返しても答えはなく、労いの言葉が返ってきただけだった。現世に繋がる扉が開く。冬の夜の冷たい空気が流れ込んだ。天界からみる地上は、まるで夜空のようだ。今、生きている人たちが作り出す温かく力強い灯り。その中に吸い込まれるように、ベテルギウスは降りて行った。扉が閉まり、静寂が戻る。

「先生、どうしたんだろう……。」

夜の風が、ひんやりとリゲルの足元に残った。

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