第8話-2 Day-6.管理棟

 回収任務の書類を、首を傾げながら彼に渡したのは、つい先日のこと。北の空の統括としての責を負いつつ、メッセンジャーの仕事も嫌な顔ひとつせずに受け取って出かけていくその背を、尊敬の念を持って送り出したのを鮮明に覚えている。

 入口で静かにこちらを見る師匠の視線に何かいつもと変わった様子を感じて、シリウスははたと慌てだした。


「ああっ、まさか抜き打ちですか?!ちょっと待っててください、いま事務所片付けますから!あ、ちゃんと仕事はしてますよ。休憩してたわけじゃないですよ、今の電話はリゲルが…」

ああっとりあえず失礼します!と頭を思い切りよく下げ、去っていこうとする蝋燭棟の管理者を、やんわりとベテルギウスが止める。

「こちらこそ急にすまない。どうだ、仕事の方は。」

敬愛する師から労いに、と渡された飲み物を受け取りシリウスが破顔した。ほっと肩の力が抜ける。

「ありがとうございます。やっと慣れてきたところです。」

 任務の指導を受けている時も、たまにこうやって飲み物を差し入れてくれた。生前もきっと、部下思いの優しい上司だったのだろう。ブラックコーヒーのほろ苦い香りが口の中に広がった。

「もう半年か。」

「ええ、まさか僕が先生から蝋燭の管理を引き継ぐなんて思っていなかったから、毎日緊張してますよ。」

 その話を初めて聞いたときも、先生のようにはできませんと一旦断ったのを思い出す。自分は今、彼のあとをちゃんと継げているだろうか。

「いや、君はよくやっているよ。新人の頃が嘘のようだ。」

「あれは若気の至りというか無鉄砲というか……!」


 シリウスは、星になったばかりの頃、彼に助けられたことがある。初任務の際、気持ちが先走って行動し、本質を見失いかけた。それを受け止め、導いてくれたのが担当教官であったベテルギウスだった。

「彼女は、元気にしているのかね?」

シリウスが、蝋燭棟の方向を見つめる。蝋燭の管理者である証の白い手袋、その上から左手の薬指を触り、懐かしそうに目細めると柔らかい笑みを浮かべた。かつて、彼の未練だった彼女を思い出しているのだろう。

「たぶん。炎が元気に燃えてますから。幸せに、なっているんだと思います。」

「そうか。」

目線を戻したおおいぬ座の青年は、はい、と照れくさそうに返事をするとその眼鏡を大切そうにかけ直した。

 彼が掛けている白ぶちの眼鏡には、度が入っていない。件の任務の最後にベテルギウスからもらったもので、それ以来、忠義の印として身につけているのだ。

「あの時、先生に止めてもらえなかったら僕は落ちていました。本当に感謝しています。ありがとうございました。」

 

 背筋を伸ばして頭を下げた部下を見て、ベテルギウスは満足そうに頷いた。彼ならもう、大丈夫だ。

「私は、私の。君は君のなすべきことをしたまでだ。礼など。」

「でも、僕は先生に出会えてよかったって思ってますんで。」

「君は、どこまでも素直だな。」

その実直さは、星になった頃と変わらない。星辿期を越えても天に残ることを選択した彼を、蝋燭棟の管理者に抜擢した理由もこれだった。

「あまり深く考えてないだけですよ。」

「謙遜することはない。やはり、君に任せてよかった。」

シリウスの顔が少し緊張したあと、綻んだ。彼の屈託のない笑顔と自分への圧倒的な信用に、本来の目的を忘れそうになる。にこにこと話す部下の姿に、他愛もない日常がこのままずっと続くのではないかと錯覚してしまう。

 自分は、それを壊しに来たというのに。

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