第7話-3 Day-6.病院


 迂闊だった。彼女がピアノを弾くということは、報告書に書いてあったはずだ。今の返答で、父親でないことがわかってしまっただろうか。

「やだ、また忘れちゃったの?」


金村マリアの父親は、どうやら自分と同じで少々忘れっぽいようだ。すまない、と謝罪を述べるといつものことだわ、と返される。くるくると表情を変えるその様子が、やはり十五年前に亡くした彼女たちを思い起こさせた。

「わたし、きらきら星変奏曲をひいたでしょ?」

ああ、そうだったねと同意をしながら彼女の持つCDに目を落とす。一緒に聞いてほしいと言ったのは、この曲のことだったか。父親との思い出が詰まっているのかもしれない。


「パパ、その曲君みたいだねって」

「そんなこと言ったかな」

「言ったのよ。くるくる曲調が変わって、にぎやかな君にそっくりだって」

きっと、目が見えていたときはその指が子犬のように元気に跳ね回ったのだろう。一度、聞いてみたかった。

 十歳の少女が持つ素直な純粋さの中に見え隠れする妻の面影が、まるで十五年前に時が戻ったかのように錯覚させていた。ふわふわと幸せそうに笑う少女に、たまらない愛おしさを感じてしまう。


 他愛もない会話が続く。この奇妙で、温かくも儚い関係はいつまで続けていられるのだろうか。ふと、マリアの表情が曇る。

「私、またピアノが弾けるようになるかなあ。」

「なるとも。明日の手術が成功すれば、また見えるようになるんだろう?」

 本当は、その前に花を摘み取るはずだった。今話していることは、本来であればあり得ない出来事なのだ。その自覚はあれど、もう後戻りすることはできなかった。

「…明日手術受けられるのかな?」

「どうしたんだ?」

「わたし、もうすぐ死んじゃうんじゃないかって」


 金村マリアは、歳の割に聡い。彼女は、自分の命が尽きているということに薄っすらと気がついている可能性さえあった。死を意識すれば、蝋が尽きた後、微かに残っている灯火でさえも消えてしまう。

 彼女の意識を逸らすために、いつのまにかベッドの脇に滑り落ちていたCDを拾い上げ、声をかける。あと、少しだけ。もう少しだけ。星としての意識と、愛しい思い出の間で揺れながら、彼女に背を向けた。

 神よ、なぜ貴女はこんな事をするのでしょうか。


 ベテルギウスがベッドから立ち上がった瞬間、バサリと音がして、小さな体が倒れ込んだ。別れは突然やってくる。その光景は、満が天に召されたときと全く同じで、記憶と魂が一瞬にして十五年前に遡った。

 マリアと呼ぶと、か細い声で所在を求められる。縋るように伸ばされた手を握り、彼女を永遠の微睡の中から救い出すようにただ、何度も名前を呼んだ。

「ねえ、わたしやっぱり、しんじゃうのかな……」


 ぷつり、星の意識が途切れた。そういった感覚があった。


「マリア、少しだけ待っていてくれ」

 小さく頷いた少女を、ベッドに横たえ、ベテルギウスが踵を返す。もう、迷いはなかった。

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