第7話-1 Day-6.病院

 魂の回収任務に就くのは、いつ以来だろうか。

 半年前、シリウスを蝋燭の管理者に任命するまでの十年間は、管理棟で魂の炎と共に過ごしていた。管理者は、魂の回収任務に就かないのが通例である。蝋燭の数は膨大だ。その一つ一つを確認し、炎が消えそうになったものには「星」を送る。たくさんの命が生まれ、消えていく。その中のいくつかは「星」になる。いくつもの蝋燭を見守り、新しい命の誕生をポラリスと共に喜んだ。マントに染みついた、柔らかな甘い匂いが彼の「星」としての人生を語っていた。


 自身の仕事が“魂の回収”である、と初めて聞いた若い星たちは、その行為に抵抗がある様子を見せる。聞きようによっては、寿命を迎えさせているということと同義であると解釈できるからだ。

 しかし、「星」がいなければこの世界の魂は正しく循環することができない。魂は巡る。他の物質と同じように。それがこの世界のルールだった。そして、そのルールを壊さないようにするのが「星」の大きな役目なのだ。

 オリオン座のベテルギウスは若い星たちを指導する時に、よくこの話を聞かせていた。魂を正しく導くこと。巡りを止めないこと。それが「星」の仕事なのだと、時に厳しく、時には穏やかに語るその姿は、多くの星たちの憧れとなった。


 およそ十年振りに魂の回収依頼書を手にしたとき、不思議な感覚があったのを覚えている。書類を渡しに来たシリウスは、ポラリスからの勅命なのだと首をかしげていた。北の空の統括とはいえ、管理者では無いのだから回収任務に就くのはおかしい事ではないだろう、と諭せば、「なんか、嫌な予感がするんですよね……」と腕を組む。南の空から“忠犬”と称されるほど自分に忠義を尽くすこの部下に、ベテルギウスは信頼を置いていた。だからこそ、蝋燭の管理者を任せることにしたのだ。

 納得のいかない様子でううん、と唸る白ぶち眼鏡の青年をたしなめたのは二日前のこと。今となっては、彼の予感は正しかったのだと思える。すまない、と口の中で呟いて金村マリアの病室へと足を進めた。


***


 薄暗いデスクの明かりに、MRIを透かす。脳の輪切り写真の中に、大きな黒い影が存在を主張していた。もう時間がない。大上悟は焦っていた。彼の担当する金村マリアの病状は、悟が思っていたよりも進んでいた。

 明日、脳腫瘍を取り出す手術が予定されているが、彼女の小さな命が長時間に及ぶ手術に耐えられる保証もない。このMRI写真を見た執刀医は、手術を取りやめてしまうかもしれない。その可能性すらあった。もっと早く手術の予定を抑えられていれば、と後悔しても時はすでに遅い。ギリ、と奥歯を噛みしめる。そういえば弟も同じ癖があった。歯が砕けるからやめろ、と注意したのは自分だった。血は争えないなと口の中で呟いて、大きなため息を吐きながら頭を抱え、机に突っ伏す。為すすべもなく、再度目線をデスクの光に向けると、開け放したドアの向こうに、真っ白な影が揺らめくのが見えた。


 こんな時間に、誰か残っているのだろうか。今日の当直は、自分だけだったはずだ。見回りの看護師だろうか。それにしては、足音が聞こえなかった。首を傾げながら廊下に出てみても、非常灯の緑色の光がぼんやりと人気のない待合室を闇に浮かび上がらせるだけで誰もいない。微かに甘い匂いがしたような気がしたのだけれど、確認する間も無く消えてしまった。

「……気のせいか。」

ポツリと漏らした声が思ったよりも響いて、悟はビクリと肩を震わせた。昼間、担当している少女から聞いた話が頭をよぎる。


『……先生、私天使に会ったかもしれない』

 金村マリアは、今までに見たことがないような、多幸感に包まれた顔でそう語った。どういうことかと聞けば、とても幸せな夢を見ていたのだと言う。それ以上は、何をどう聞いても話してはもらえなかった。ただ、天使に会ったと繰り返すだけ。脳の腫瘍が引き起こす幻だろうか。

 手術をすれば、そんな幻覚は起きなくなるよと声をかけると、盲目の少女は少し悲しそうな顔をして、ピアノの音の中に埋れていった。


 まさか、今視界をかすめたのはマリアが会ったと話していた天使なのではないか。

 他の医師に聞かれたら、苦笑されてしまいそうな考えに行き着いてしまい、悟はもう一度大きなため息をついた。疲れているのかもしれない。思えば、睡眠時間が三時間を下回る生活が続いていた。目頭を揉みながら、当直室に戻る。少し仮眠をしよう。夜は長い。

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