第6話 Day 0. 裁判
ぎり、と噛み締めた奥歯が鈍痛を訴える。生前から、何かを堪える時に歯を噛みしめる癖があった。奥歯が砕けるからやめろと、よく兄に叱られていたのを思い出す。口の中が苦い。星になってからの七年間は再発しなかったこの癖が、ここ数日で酷くなっているのを感じた。しかし、顎の骨が音を立てるほどの力を使わなければ、この怒りも焦燥も、哀しみも封じ込めることができなかった。
証言台では、オリオン座のベテルギウスが淡々と罪の告白を続けている。なぜ、そんなにも曇りのない表情をしていられるのか。金村マリアとは、何者なのか。自分はなぜ、敬愛する師を裁かねばならないのか。シリウスの頭の中は重苦しい疑問が延々と渦を巻いている。なすすべもなく罪人の告解を聞き続けていたシリウスの耳に「彗星」という言葉が飛び込んできた。
彗星。星が天の規則を犯す時、迎えに来るものだと聞いたことがあった。
「本当に、彗星に会ったのですか?」
証言を止められたベテルギウスの眉が、ぴくりと上がる。
「ええ、確かにあれは彗星と名乗りました。」
まっすぐに光を捉えていた彼の視線が、一瞬揺らいだように見えた。一縷の望みをかけて、問いかける。
「……まさか、彗星に取り込まれたのではありませんか?」
「いえ、あれと出会ったことが私の行動に影響を与えたのではありません。」
揺らいでなど、いなかった。オリオン座の一等星は、粛としてそこに在り続けるだけだった。
「彗星は、星を監視するものだと言っていました。」
その一言は、北の空に所属する星達にとっては衝撃だった。彗星が監視者かどうかは、この際関係ない。このベテルギウスが“監視の対象になる”ということ自体が問題なのだ。事実、シリウスには理解し難かった。そんなことは天地がひっくり返ろうとも起きるとは思っていなかった。
シリウスの脳裏に、北天の星たちで囲んだにぎやかな食卓が、遠い昔のことのように思い出される。そういえば、プロキオンが持ってきてくれたレモンはどうしたのだったか。キッチンに置いたまま乾いてしまったかもしれない。
そんな、どうでも良いような出来事が、今は堪らなく懐かしくてやりきれない。裁判と関係のないことだからと、頭の隅に追いやるほど鮮やかに蘇ってくる幸せな時間が、シリウスを追い詰めていった。それは、彼にとってかけがえのない「たいせつなもの」だったのだ。
光の向こう側に、リゲルの顔が見える。彼女もまた、衝撃を飲みこむことができなかったのだろう。大きな目は見開かれ、スカートの裾を握る手が震えている。それほど、北の空にとって彼の存在は大きかった。
しかし、オリオン座のベテルギウスは天の規則に反した。金村マリアの魂を回収しなかったことはまぎれもない事実だった。そして、それは自分の意志で行ったのだと、優しい童話を紡ぐような声で彼は罪を語る。リゲルの頬に、涙が伝った。ここにいる誰もがベテルギウスがもう、こちら側で無いことを知っている。それほど、その横顔は清々しかった。
凛として、透明で、かすか憂いを含んで。冬の朝焼けによく映える、白い椿のようだった。光の中にいるオリオン座の一等星の輪郭が、ふんわりと霞がかかったようにぼやける。
終わりが、近い。
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