第3話 Day 0.裁判

 羊皮紙を持つ手が震える。自分が言葉を発したら、もう後戻りはできない。裁判を執り仕切る任を負ったおおいぬ座のシリウスは、覚悟を決められずにいた。証言台の中央に立つかつての師は、厳かに佇み、少しの動揺も見せていない。その、全てを受け入れた姿が、どのような足掻きも受け入れられないのだということをシリウスに突きつけていた。チラリと視線がこちらに向く。早く始めなさい、という声が聞こえたような気がした。目を瞑り、自分を落ち着かせるために息を吐いた。


「オリオンα五十八番、半規則型変光星ベテルギウス。罪状に目を通してください。間違いは、ありませんか?」

空気を震わせ、音を届ける。どうか、間違いがあってくれと願いながら。

「ありません。」

ゆっくりと瞬きをしながら、ベテルギウスが答える。まっすぐに放たれた彼の言葉を聞き、シリウスはぐっと奥歯を噛み締めた。そうでなければすぐにでも、涙が溢れてしまいそうだった。

「あなたは、これらすべての行動が天則に触れると知っていましたか」

肯定の返事が聞こえる。知らないはずはない。彼は北の空の統括を行っていたのだから。南天のカノープスに次いで、天界に長く従事する経験豊かな星。誰よりも厳格で誇り高く、この世界を愛していた優しい星。そのベテルギウスが断罪されることになるとは、誰が予想しただろうか。やり場のない気持ちをぶつけるように、何度も質問を繰り返す。

「この場に私情は禁物ですよ。」

証言台から向けられた部下を諌める声は、普段と変わらず驚くほど静かで、それが一層シリウスの焦燥を煽った。

「あなたのような方が、なぜ。」

「私は、罪人です。」

本人から明示された“罪”という言葉に、シリウスの言葉が詰まる。向かい側に、リゲルの心配そうな顔が見えた。ステンドグラスの光の中、ベテルギウスが言葉を紡ぐ。

「私は天の規則を破り、大罪を侵した。それで十分ではありませんか。」

ふと、視線がこちらに向く。不思議な色を湛えた瞳と目が合った。


「君は、君の成すべきことをするといい。」


 膝から崩れてしまいそうだった。七年前、その言葉で迎えてもらったことをシリウスは覚えている。あの時、この世界で彼と共にあろうと決めた時と同じ言葉を、この場で聞くのはあまりにも辛かった。

「……そう教えてくれたのは貴方でしたね。」

やっとの思いで口に出来たのは、それだけだった。ベテルギウスの視線がシリウスから外れ、光の中に戻る。

「昔のことです。始めてください。」

眼鏡のレンズの向こうにいるかつての師匠は、すでに遠い世界に行ってしまったように見えた。もう彼は、こちらを向くこともないだろう。

 

 粘つく喉をこじ開け、審議の開催を宣言する。裁判所の高い天井に、シリウスの堅い声が響いた。次いで、星が遵守しなければならない天の規則『星の項』を読み上げる。


星は天に従属する

星は魂を運搬する

星は過干渉しない

星は天命に背かない

星は蝋燭に触れない


皮肉なほど美しい星たちの群唱が、礼拝に捧げる聖歌のように空間に満ちていく。最後の条文をベテルギウスが発語しなかったことに気づいた者はごく少数だった。


「五十八番。なぜ貴方がここに招かれることになったのか、経緯を説明してください。」


 険しい表情の裁判官に促され、オリオン座の五十八番ベテルギウスは軽く頷いて一歩前へ進み出た。そして、ゆっくりと語り始めた。それは、大切なものをそっと打ち明けるような、静かで優しい言葉だった。

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