第8話 獣王

 佑吾たちが獣王国――正確にはその王都レオニール――に到着した頃、その大通りを一台の馬車が進んでいた。

 その馬車は、一般の市民が使うような素朴なものではなかった。

 至る所に豪奢な装飾が施されており、見た目からは分からないが犯罪者の襲撃に備えて防御の魔法まで埋め込まれていた。

 しかし、何よりも目を引くのは、その扉に獣王国の国旗の紋章――獅子の横顔を象った紋章――と同じものが刻まれていることだろう。

 それが意味するところは、この馬車は獣王国の王家が所有する馬車だということだ。


 その馬車の中では、二人の獣人の男が向かい合って座っていた。

 一人は、青色の短めの髪にナイフのような鋭い目つきをした、剣呑な雰囲気を漂わせている虎人とらびとだった。

 青い髪の隙間からは猫のような耳がピンと立っており、その鋭い目つきと相まって、まるで獣がそのまま人の形になったかのような男だった。

 男は兵士が身につけるような軍服に身を包み、腰には革の剣帯が身につけられていた。その剣帯に提げるべき剣は、座るときに邪魔なため椅子へと立てかけられていた。


 もう一人の獣人は、金色の長い髪を無造作に流した眉目秀麗な男だった。

 男は獅子人ししびとと呼ばれる獣人で、金の髪の隙間から丸っこい獣耳がのぞいていた。

 獅子人ししびとは多くの獣人種がいるこの獣王国の中でも、王家に連なる者しか存在しない珍しい種族であり、今はこの男以外の獅子人ししびとは居ない。

 すなわち、この男こそ獣王国を治める獣王その人であった。


 「ガレル様、此度こたびの使者との会談、誠にお疲れ様でございました」


 青髪の虎人とらびとが、向かいに座る獣王――ガレルにそう労りの言葉をかけた。

 ガレルは腕を組んで、面倒くさそうにため息を吐いた。


 「まさか隣国のリートベルタでも、あのカルトどもが事件を起こすとはな……」

 「正神教団の連中ですね……我が国では目立った事件は起こされていませんが、彼らの存在自体は確認されています」

 「全く頭が痛いな……レオルド、奴らへの警戒度を上げろ。我が国でリートベルタのような事件が起こされてはかなわん」


 ガレルが青髪の虎人とらびと――自分の右腕たるレオルドにそう命令した。


 「はっ。しかし今回のリートベルタの事件は、事前に聞いていたものよりも規模が大きかったようですね」

 「ああ、街一つが滅びそうだったとは聞いていたが、それが商業都市であるヴィーデとは思いもよらなんだ」


 小さな街や村であれば、大規模な盗賊団または魔物の群れに襲われた時に滅んでしまうことが稀にある。

 しかし、ヴィーデはリートベルタ公国最大の交易都市だ。

 都市の規模はここ王都レオニールにも引けを取らず、人口だけ見れば負けてさえいる。

 そんな都市が滅びかけたというのだから、事件の規模は推して知るべしと言えた。


 「しかし、公国も運が良かったですね。まさか通りすがりの旅人が事件を終息させてくれるとは」

 「はっ、最初そう聞いたときは何の冗談かと思ったがな」


 ガレルは、愉快だと言わんばかりにそう吐き捨てた。

 一通り話が一段落すると、従者のレオルドが何かを言いたそうにしているが、言いづらいのかガレルへと視線で訴えて、ガレルから話を振ってほしそうにしていた。

 しかし、ガレルはそれに努めて気づかない振りをしていた。レオルドが話したい内容に予想がつき、かつ聞きたくない内容だからだ。

 レオルドはガレルが自分のことをわざと無視している事を悟ると、意を決して自分から話し始めた。


 「……ガレル様、公国で起きた事件がここ王都でも起きないとは限りません」

 「そうだな、それで? お前は何が言いたい」


 レオルドの次の言葉が分かっているガレルは、うざったそうに先の言葉を促した。


 「……できれば早く王妃を娶り、世継ぎを作っていだたければと」

 「またその話か……」


 予想が的中したガレルは、うんざりしたような表情を浮かべた。

 うんざりしている理由は、レオルドのこの話がガレルが数年前に王位を継いでから繰り返しされているからだ。




 ガレルは、自身の結婚に難色を示していた。

 その理由は二つある。

 一つ目は、結婚を目的に自分の周りに集まる女性に辟易としているからだ。

 ガレルは幼少の頃から、女の子に人気があった。

 王子という立場に加えて、整った容姿を持ち、文武ともに大人顔負けの能力を有していたからだ。

 しかし、当のガレルはというと、自分と積極的に仲良くなろうとしてくる女の子たちの事を毛嫌いしていた。

 それは女の子たちが、自分の王子という立場や能力、外見に惹かれているだけであって、自分の内面など一瞥もしていないことを、幼いながらに理解していたからだ。

 ただ、それだけで済んでいたのなら、まだ仕方の無いことだと諦めて向き合うこともできた。

 そうできなかったのは、女の子たちがガレルに見初められようと互いに蹴落とし合う陰湿な争いを始めてしまったからだ。ガレルの前でわざと恥をかかせたり、大勢で一人をいじめたり、子どものすることとは思えないほど、それは醜い争いだった。

 そんな争いを目にしたガレルは、女性への不信感を募らせていき、自分に好意を持って近づいてくる女性に対して嫌悪感を持つようになってしまった。 


 二つ目の理由は、ガレルの生い立ち故生まれた結婚への忌避感だ。

 前王、すなわちガレルの父親には八人の妻がいた。

 獣王国では、一夫多妻または一妻多夫が認められているため、別に法律に違反しているわけではない。

 しかし問題だったのは、その妻たちの間に王位を継ぐことのできる男の子が三人も産まれてしまったことだった。その三人の母親たちは、自分の子どもを王位に就かせようと争い始めた。

 母親同士の争いは、陰湿ながらも小さなものだった。

 互いの王子の悪評を広めることから始まり、相手が何か失敗をすれば、それをことさらにあげつらうなど、言葉による攻撃だけで済んでいた。

 しかし王子たちが成長していくと、今度は王子ごとに派閥ができあがっていき、母親同士の小さな争いから、王宮の貴族たちを巻き込んだ大きな派閥争いへと発展してしまった。


 いつ終わるかも分からない王位争いは、ガレル以外の二人の王子の死によって幕を閉じた。

 一人の王子が毒殺され、もう一人の王子がその犯人だったためだ。

 ガレルが毒殺の証拠を掴み、犯人の王子を糾弾したことで、その王子は王族殺しの罪で死刑となった。

 結果、王位を継ぐことのできる者がガレルしか居なくなり、そのままガレルが獣王となった。

 しかし、この王位争いの経験から、ガレルは世継ぎを作ることに過度な不安を覚えるようになってしまった。


 幼い頃から積み上げられた女性への不信感と前王が一夫多妻だったために始まった血なまぐさい王位争いの経験、その二つが合わさったせいで、ガレルは結婚に積極的になれないでいた。

 しかしそれと同時に、ガレル自身は世継ぎを作ることの大切さもちゃんと理解していた。

 だからこそ、ずっとそのジレンマに苦しんでいるのだが。

 それに何より、そんな苦い経験があったからこそガレルは、愛のある結婚をしたいと夢想していた。自分の内面を見て好きになってくれた女性と愛し合い、子を成して幸せな生活を送る――そんなごくありふれた夢を持っていた。

 しかし、王という立場にいる以上、その夢が叶うことが無いこともガレルは知っていた。


 レオルドの「世継ぎを作ってほしい」という言葉から、結婚への忌避感を思い出してしまったガレルは、ため息を一つ吐いてぼんやりと中空を見つめた。

 レオルドに何と言葉を返したものかと考えていると、突如馬車の外から女性の悲鳴が聞こえた。


 「馬車を止めよ。何事だ」


 ガレルの言葉に従い、走っていた馬車が停止する。そして、レオルドが椅子に立てかけていた剣を持ちながら、窓の外を見た。


 「どうやら、旅行者がひったくりに襲われているようです」

 「ここ最近、市井を騒がせている奴らか?」

 「恐らくそうでしょう。ひったくりは豹人ひょうびとの二人組のようです」


 獣王国では最近、旅行者や行商を狙ったひったくりや強奪の事件が頻発していた。

 それらはどうやら集団で行われているようで、しかも犯人は皆逃げ足が速く、兵士たちの追跡はことごとく振り切られていた。

 犯人たちのアジトを捜索もしているが、定期的に移動しているのかめぼしい成果は得られておらず、捜査は難航していた。


 「これはチャンスかもしれんな……奴らを捕らえて尋問すれば、一味をまるごと捕らえられるかもしれん。レオルド、お前なら逃げ足の速い奴らにも追いつけるな? 今すぐ奴らを捕らえよ」

 「捕らえるのは可能ですが、御身の護衛を離れるわけには……」

 「構わぬ。自分の身くらい自分で守れる。それよりも市民の安全が最優先――」


 言葉を続けようとしたガレルの視界を、白い何かが横切った。

 ガレルがそれを目で追うと、それは尋常ではない速度でひったくりの二人組を追いかける、真っ白な髪をした犬人の少女だった。

 その少女の雪のように美しい髪が風にあおられてなびく様に、獣王は一瞬目を奪われた。

 そうしているうちに、犬人の少女がひったくりの二人組に追いついた。

 何やら揉めているらしく、やがて二人組が懐からナイフを取り出して、少女へと襲いかかった。


 「危ないっ!?」


 ガレルの口から、思わず少女を案ずる声が漏れた。

 しかし、ガレルの心配は杞憂に終わった。

 ひったくりの二人組がナイフを振り下ろすよりも早く、少女の放った蹴りが二本のナイフをへし折り、そのまま少女が二人組を吹っ飛ばしたからだ。

 その少女は、ひったくりから荷物を取り返すと、近くにいた老夫婦の元へと小走りで近寄っていった。恐らく、その老夫婦がひったくりの被害者だったのだろう。

 少女が荷物を渡し、老夫婦がお礼を言うと、犬人の少女は満開の花のような笑顔を浮かべた。


 「ッ!?」


 ――ガレルがその笑顔を見たとき、全身に感じたことのない衝撃が駆け巡った。


 ガレルは驚き、右手で胸を押さえる。

 全身がまるで雷魔法に打たれたかのように震え、心臓は一昼夜鍛錬に励んだときのようにドクドクと早鐘を打っている。

 何より、あの犬人の少女から目が離せない。

 ガレルは呼吸することさえ忘れて、少女の笑顔にただただ見入っていた。

 一体自分の身に何が起きたのか、ガレルにはそれが分からなかった。


 「……ガレル様、いかがなされましたか?」


 ガレルの様子を不審に思ったのか、レオルドがそう問いかけた。

 レオルドの言葉で呼吸をすることを思い出し、ガレルはぜえぜえと息切れしながらレオルドに助けを求めた。


 「レオルドよ、我の体がおかしい! 何か呪いの類いを受けたやもしれぬ!」

 「なっ!? 一体どんな症状が!?」


 ガレルは今自分の身に起きている症状を、事細かにレオルドへと伝えた。

 ガレルの話を聞いていく内に、レオルドの表情から焦りが消えて、徐々にポカンとした間の抜けた表情へと変わっていった。


 「一体我の身に何が起きたというのだ……今もあの少女から目が離せん! レオルドよ、何か心当たりは無いか!?」


 顔に焦りを浮かべて必死に尋ねるガレルに対して、レオルドは先ほどよりも言いづらそうに言葉を紡いだ。


 「…………恐れ多くも申し上げます。……恐らくですがガレル様は、あそこにいる犬人の少女を見初められたのではないかと存じます……」

 「…………はっ?」


 最も信頼を置く従者の言葉が理解できず、ガレルは彼にしては珍しく間の抜けた返答で問い返した。


 「市井の言葉で言うのであれば、いわゆる『一目惚れ』というものかと……」


 レオルドが言いにくそうにしながらも何とか言い終えると、ガレルは唖然とした表情を浮かべ、馬車の中には何とも言えない静寂が訪れた。

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