第7話 入国

 佑吾たちがレイナス村に滞在を始めてから4ヶ月後、レイルナートの山脈の雨期は過ぎ去り、空を重く覆っていた雲は消え、山間から暖かな日差しが流れ込んでいた。

 そして雨期が終わりを告げたということは、すなわち佑吾たちがレイナス村を出発することを意味していた。

 イルダムたちとの修行を終えて旅支度を整えた佑吾たちは、今日レイナス村を立つのだ。


 「イルダムさん、ウリカさん、エルードさん、オレリアさん。何から何まで面倒を見てくれて、本当にありがとうございました」

 「かっかっか、ええんじゃええんじゃ。儂らも楽しかったからのう」

 「皆さんがいて賑やかだったのが、寂しくなりますねぇ」

 「……達者でな」

 「ふふ、もし良かったら、またこの村に来てね~。うんとおもてなしをするわ~」

 「はい、この旅が終わったら必ずまた来ます!」


 そうして別れを惜しみながら、佑吾たちはレイナス村を立った。そして、目的地である獣王国ガルガンシアを目指して、山を下り始めた。

 山を下る道中は、すこぶる快適だった。雨が降らないというだけで、これほど楽なのかと驚くほどだった。

 途中で魔物が襲ってくることもあったが、4ヶ月前に山脈に入ったときに苦戦したのが嘘だったかのように、みんなあっさりと魔物を倒した。

 雨が降らなくなったお陰で戦いやすくなったことだけが原因ではない。

 みんながレイナス村での修行で成長したからだ。

 不安な要素が全て解消され、安全に移動できるようになった佑吾たちは、特に急ぐ理由もなかったので、慢心することなく二日ほどかけて安全に下山した。

 佑吾たちが山脈を下りきり、麓の木々の合間を抜けると、広大な景色が佑吾たちを出迎えてくれた。

 真っ青な青空、カラカラに乾いた風、そして何より佑吾の視界に飛び込んできたのは、オレンジ色の絵の具で真っ平らに塗ったような水平線まで続く砂漠だった。


 「これはすごい……」

 「すごいすごい! たくさん追いかけっこができそう!」

 「ふわぁ……砂がいっぱい、歩くの大変かなぁ?」

 「イルダムが言ってたけど、山脈よりこっち側は雨があんまり降らないそうよ。だからこんなに砂漠が広がっているのね」


 四者四様の感想が発せられる。

 その様子に、ライルが苦笑しながら声をかける。


 「お前さんら。感動するのは良いが、まずは手近な町まで行くぞ。砂漠を移動するには、それなりに装備を整える必要があるからな」


 はーい、とコハルとエルミナが返事をし、佑吾たちは麓にある宿場町へと向かった。

 宿場町に着くと、佑吾たちは砂漠の移動に備えて色々な道具を調達した。

 日よけ・砂よけ用のフード付きのマント、大量の水などを購入し、さらにその水を運搬するための動物――大駱駝ラキャムルというラクダのような魔物を家畜化したものらしい――を借りた。大駱駝ラキャムルは、この砂漠を移動するには必須とのことだ。

 ちなみに借りた大駱駝ラキャムルは、獣王国にある本店で返却すれば良いらしい。

 道具をそろえた後、佑吾たちは宿場町で一泊し、獣王国を目指して砂漠の移動を始めた。




 人生で初めて砂漠を歩いた佑吾の感想は、暑い、そして熱い、だった。

 息を吸えば熱された空気が喉を干上がらせ、一歩踏み出せば熱い砂が靴ごしに足の裏を焼き、頭の上では太陽がギラギラと照りつけ、佑吾を焼き焦がそうとしているかのようだった。

 中でもこの移動で一番辛そうにしていたのが、子どもであるエルミナだった。そのため、エルミナは早いうちから大駱駝ラキャムルの背に乗せられた。

 日中を必死に移動し、日が暮れて夜になると、今度は先ほどまでのうだるような暑さが嘘のように寒くなった。

 日中、ライルに「夜は冷えるから早めにテントを立てるぞ」と言われた時は、みんな信じていなかったが、夜になると毛皮のコートが無いと風邪を引きそうになるほど寒くなった。ライルがあらかじめ人数分用意してくれていて、本当に助かった。

 女子たちは三人で固まって寝床に入り、中でもエルミナはコハルの暖かそうなふわふわの尻尾を抱き枕にして眠っていた。佑吾は正直羨ましいと思ったが、さすがに女子のテントで眠る訳にはいかず、毛皮のコートで我慢した。

 そうして寒さに耐えながら一夜を明かすと、佑吾たちは再び砂漠の移動を再開した。

 そんな一日を四日ほど繰り返したある日、砂漠を歩きながらサチがぽつりと言葉をこぼした。

 

 「……ぜぇ……はぁ……ねぇライル……獣王国はまだなの……?」


 暑さでうなだれながら、サチが気怠そうにそう言った。

 サチの疲れを表すかのように、彼女の猫耳と尻尾も力なくだらりと垂れ下がっていた。


 「もう少しで見えてくるはずだ……そら、きついなら水分補給をしておけ」


 ライルはそう返答すると、牽引している大駱駝ラキャムルに積んだ荷物から革袋を取り出して、サチへ放り投げた。

 サチはのろのろと手を上げてそれを受け取ると、中の水を飲んだ。


 「うぅ……ぬるい……そしてまずい……」


 そう文句を言いながらも、サチは革袋の水を半分ほど飲んだ。

 そして残りをコハルに渡すと、コハルも同じようにそれを飲んだ。やはり水がまずかったのか、コハルは文句こそ口に出さなかったが、「う~」と顔をしかめて水のまずさに耐えていた。


 「お父さんも水飲む?」

 「ああ、もらおうかな。取ってくれるか」

 「うん、はいお父さん」


 エルミナが大駱駝ラキャムルの荷物から革袋を取り出し、佑吾に手渡した。

 佑吾も革袋の水を口に含む。


 「うっ……やっぱり、まずいな……」


 佑吾も先の二人と同じように顔をしかめた。

 革袋の臭いが水に移っており、さらにぬるいせいでその風味が強まっている気がする。

 だが砂漠を歩いていて、水を飲まないわけにはいかない。佑吾は我慢して水を飲み下した。

 エルミナも自分の分の革袋を取り出して水を飲み、「うぇぇ……」と舌を出して涙目になっていた。

 そうやって暑さに耐えながら一生懸命に歩いていると、ライルがみんなに声をかけた。


 「お前さんら、ほら見えてきたぞ。あれが獣王国だ」


 その声に反応して、みんなが顔を上げた。

 すると、佑吾の視線の先に真っ白な石造りの城壁が見えた。

 城壁の周りにはここから見ても大きいと分かるほど巨大なオアシスがあり、その周りにはヤシのような背の高い植物が乱立していた。

 さらに城壁の奥には、宮殿のような大きな建物が見えた。

 目的地が見えると現金なもので、ライル以外のみんなの歩くペースが速くなった。

 特にサチは一刻も早く休みたいのか、暑さでだれていたのが嘘のように機敏な動きになり、「何してんの、早く行くわよ!」とみんなを急かした。あまりの変わり身の早さに、みんな苦笑を浮かべていた。

 そして四日半ほどかかった砂漠の旅はようやく終わり、佑吾たちは獣王国ガルガンシアへと到着した。

 入国の手続きを行い、城門をくぐると砂を含んだ乾いた風が佑吾たちを出迎えた。

 砂に目が入らないように、佑吾は反射的に腕で目をかばった。

 そして風が止んできたのでうっすらと目を開けていくと、佑吾の目に獣王国の町並みが映った。

 視線の先には、城壁と同じような真っ白な石や砂でできた建物がずらりと並んでいた。

 城門のすぐ先は大通りになっており、並んでいる建物は全て商店なのか、ずいぶんと賑わっていた。

 だが、何より佑吾の目を引いたのは建物や町の様子では無く、そこを行き交う人々だった。


 「わぁ~コハルお姉ちゃんとサチお姉ちゃんみたいな人たちがいっぱいいる!」


 エルミナの言葉通り、町を歩いていたのは様々な獣人だった。

 犬人いぬびと猫人ねこびと虎人とらびと熊人くまびと――佑吾が名前だけ聞いたことのある様々な種族の獣人たちが、そこにいた。

 すれ違う人々が、自分やライルを物珍しそうに見ていくのを佑吾は感じた。ここでは人間の方が珍しいのだ。

 ライルから獣王国では獣人が多く、人間は少ないと聞いていたが、実際に目にするとやはり面食らうというか、おとぎ話の不思議の国に迷い込んだ気分だ、と佑吾は思った。


 「お前さんら、感動するのは分かるが城門前で立ち止まっちゃ他の人の邪魔になるぞ」

 「あっ……と、すみません」


 自分の後ろからゆっくりと近づいてきた大駱駝ラキャムルに、佑吾は道を譲った。

 大駱駝ラキャムルにまたがっている商人風の猫人の男が、ぺこりと頭を下げて大通りへと進んでいった。


 「さっ、まずは借りたこいつを返しに行くぞ」


 ライルが借りていた大駱駝ラキャムルの背をぽんと叩いて大通りへと歩き、佑吾たちもそれに続いた。




 つつがなく大駱駝ラキャムルを返却した佑吾たちは、今日泊まる宿へと向かっていた。大駱駝ラキャムルを返却した店の店主が、旅人たちに評判の良い宿を教えてくれたのだ。 大通りを歩いていると、突然コハルがすんすんと鼻を鳴らし出した。


 「コハル、どうしたんだ?」

 「何か良い匂いがする!」


 そう言われて、佑吾も同じように匂いを嗅ぐと、かすかだが香ばしいタレのような匂いがした。

 匂いはどうやら、大通りの先からするようだった。

 コハルが匂いに釣られるように進んでいったので、佑吾たちもその後を追って歩くと、どうやら匂いの発生源は屋台が提供している食事のようだった。


 「らっしゃい、らっしゃい! 出来たての砂漠牛ディザートカヴの串焼きだよ! そこの旅人さんたち、一本どうだい!」


 屋台の店主が、元気よく佑吾たちに声をかけた。

 店主の手元にある網焼きの上には、タレのかかった肉が火に炙られ、ジュウジュウパチパチと油の跳ねる音が響いており、何とも食欲をそそられた。

 事実コハルはもう既にその肉から目が離せなくなっており、口からはよだれが垂れ、白い尻尾は興奮気味にバタバタと振られていた。

 さらに、とどめとばかりにコハルのお腹からグゥゥ~と盛大な音が鳴った。


 「……ライルさん」

 「……宿に行く前に飯にするか」


 佑吾の苦笑交じりの問いかけに、ライルもまた苦笑を交えて答えた。




 佑吾たちが串焼き肉を買うと、屋台の店主が親切にも獣王国について色々と教えてくれた。

 何でも獣王国は最近国王が代替わりし、今は若き国王が政治を執っているらしい。


 「新しい国王様は素晴らしいお人でなぁ。獣王国の未来は安泰ってもんよ、ガハハ!」

 「へぇ、国民から愛されてるんですね」

 「おうよ! 後は番い様が見つかれば完璧なんだがなぁ」

 「つがい様?」

 「奥さんのことよ、エルミナ」


 エルミナの質問に、サチが答えた。

 ちなみにコハルはと言うと、はぐはぐと串焼き肉を夢中で頬張っていた。


 「そうだ店主、この辺で旅人向けの道具や武器を扱っている店を知らないか?」


 ライルが質問すると、店主は快く店の場所を教えてくれた。

 教え終わった後、店主は何か思い出したのか「あっ!」と声を上げた。


 「そうそう旅人さん、店に向かう時はなるべく気をつけろよ。ここ最近、旅人を狙ったひったくりの被害が増えてんだ」

 「ひったくり、ですか?」

 「ああ、そうだ。商人や旅行者が狙われて荷物を根こそぎ剥ぎ取られんだ。旅人さんたちも気をつけな。まあ旅人さんみたいに武装してりゃ、狙われるようなことも無いだろうがな!」


 店主が豪快に笑いながら、そう言った。

 

 「色々教えてくれて、ありがとうございました。それじゃあ俺たちはこれで――」

 「誰かぁー! ひったくりよー!!」


 佑吾たちが店を離れようとした直後、女性の悲鳴が聞こえた。

 佑吾が声のした方に視線を向けると、豹人ひょうびとの若い男二人が旅行者と思われる老夫婦の荷物を掴み、奪い取ろうとしていた。


 「やめてくれ、何でこんな……」

 「うるせえ! とっとと離せクソジジイ!」

 「ぐぁっ!?」


 老夫婦は荷物を取られまいと必死に抵抗していたが、男たちに蹴り飛ばされ、あえなく荷物は奪われてしまった。

 二人の豹人ひょうびとは、足早にそこから去ろうとした。


 「お前ら、待――」


 佑吾が慌てて二人を追いかけようとすると、佑吾の横を突風が駆け抜けていった。

 突風の正体は、コハルだった。

 氣術で脚力を強化して、一気に駆け出したのだ。

 逃げる豹人ひょうびとの二人組の逃げ足は速いが、コハルはグングンと距離を詰めていき、またたく間に男たちを追い越して通せんぼをするように両手を広げた。

 男たちは突然現れたコハルに面くらい、慌てて急ブレーキをかけて止まる。


 「何だてめぇ!?」

 「人の物を盗っちゃダメなんだよ!」

 「うるせぇ!! そこをどきやがれ!!」


 男たちがコハルに怒鳴るが、コハルは頑として動かなかった。

 コハルが動かないと分かると、男たちは舌打ちをして懐からナイフを取り出した。


 「おじいさんたちの荷物を返して!」

 「うるせえ、このアマ! 邪魔すんじゃねえ!」


 男たちが同時にナイフで斬りかかる。

 しかし、ナイフがコハルに届くことは無かった。

 ビュンと風斬り音が聞こえて、男たちのナイフが根元からへし折れたからだ。折れた刃が地面に落ちて、カランカランと無機質な音を立てた。


 「…………はっ?」


 男たちは何が起きたのか分からず、マヌケな声を上げた。

 ナイフを折ったのは、コハルの蹴りだ。

 コハルは蹴り上げた足をすぐに引き戻して、男たちに接近した。唖然としていた男たちは当然反応することができず、コハルは男たちの腹に掌底を叩き込んだ。

 男たちは何が起きたのか分からないまま、気を失った。

 ひったくり犯を気絶させたコハルは、彼らが奪った荷物を取り返して、老夫婦の元へと戻った。


 「はい、おじいさん。荷物取り返してきたよ!」

 「おお……儂らの荷物、ありがとうお嬢ちゃん。皆さんも怪我の治療をしてくれて、何とお礼を言えば……」

 「いえ、気にしないでください。当然のことをしたまでですから」


 感謝を述べる老夫婦に、佑吾はそう答えた。

 ひったくり達はコハルに任せれば大丈夫と判断した佑吾は、ひったくり達に蹴られて怪我をした老夫婦の治療をしていたのだ。


 「犬人いぬびとのお嬢ちゃん、荷物を取り返してくれて本当にありがとう。この中には孫への大切なお土産が入っとったんじゃ。本当に、本当に助かった……!」

 「えへへ、どういたしまして! お孫さん、喜んでくれるといいね!!」


 感謝を述べる老夫婦に、コハルは満面の笑みで答えた。

 ひったくりから荷物を取り返し、一件落着――そんなコハルを、ひったくり犯とは違う二人の獣人が見ていた。

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