第5-4話 ライルの修行 前編

 ライルはエルードとともに、村から少し外れた開けた場所に来ていた。

 2人の手には無骨な木剣が握られていた。何でもこの木剣は、エルードが村の若者に剣を教える時に使っているものらしい。

 そもそも何故こんな所に2人で来ているのかと言うと、イルダムからエルードが相当の剣の使い手だと聞いたライルが手合わせを願ったからだった。


 「……ここら辺でいいだろう」


 模擬戦をするのに十分な広さの場所に着いたエルードがボソリとそう呟いた。

 そしてくるりと振り返ってライルと向かい合い、静かに木剣を構えた。

 それに応えるように、ライルも木剣を構えた。

 無言で睨み合う2人。

 最初に動いたのは、ライルだった。


 「──ふっ!」


 鋭い踏み込みとともに、ライルは木剣を上段から振り下ろした。

 ゴウッという風切り音を伴うライルの一撃をエルードは体をひねってかわし、お返しとばかりにその場でくるりと回転しながら、逆袈裟の一撃を放った。

 そのエルードの一撃を、ライルは素早く戻した木剣で受け切る。

 2人の視線が交差し、同時に口の端に笑みを浮かべる。

 それを合図に、2人は激しく木剣を打ち合い始めた。

 相手の攻撃を受けたかと思えば即座に鋭く斬り返し、反撃を受けそうになれば即座に木剣を引き戻して防御する。

 当たれば骨折しかねないような攻撃をお互いに繰り出し、お互いにそれを無傷で受け切る。

 目まぐるしく攻防が入れ代わり、激しい剣戟が続いた。


 (イルダム殿は彼は独学で剣を学んだと言っていたが……独学でこの強さとは凄まじいな……)


 剣戟の中、ライルはエルードの強さに舌を巻いていた。

 エルードから放たれる一撃は速く、それでいて重い。

 今のところエルードの攻撃を全て受け切っているライルだが、実際のところは木剣を打ち付けられた時の衝撃で両腕に少しずつ疲労を溜めてしまっていた。

 少しずつその疲労によってライルの剣の冴えが鈍っていき、遂にライルの木剣がエルードの木剣によって両手から弾き飛ばされてしまった。

 空中へと弾き飛ばされたライルの木剣が、その背後でカランと音を立てて地面へと落ちた。


 「……私の負けだな。強いな、エルード殿」

 「……いや、のあなたが相手だったなら、勝ったのはあなただったろう」


 含みを持ったエルードの言い方に、ライルの眉がピクリと反応する。

 ライルは、無言でエルードを見つめ返した。


 「……安心しろ。人の過去を詮索するつもりは無い」


 エルードはそう言いながら、自分が弾き飛ばしたライルの木剣を拾いに行った。

 そのエルードの影で、ライルはエルードの言葉に安心したのか、彼に見えないようにホッと一息をついた。


 「それで? 俺には一体どんな稽古を付けてくれるんだ?」

 「………………少し待っていてくれ」


 ホッとしたのを誤魔化すようにライルがそう尋ねると、エルードはしばらく思案した後にそう言い残してどこかへと歩いていった。

 1人ポツンと取り残されたライルは、エルードの言う通り大人しく待つことにした。

 しばらくしてから、エルードは両手に木剣ではなく鞘に収まった両手剣を1つずつ持って戻ってきた。

 そしてエルードはその内の1本を、ライルに放り投げて渡した。

 投げられた両手剣を、ライルは危なげなく受け取る。

 ライルが両手剣を鞘から抜くと、刃引きされた刀身が姿を表す。それを見つめてからライルは重々しく尋ねた。


 「…………これは?」

 「……見ての通り刃引きした剣だ。こちらの方がより実戦感がある。あなたにはこちらの方が良いだろう。こっちの方がより早くあなたの戦闘の勘を取り戻せるはずだ」


 エルードはそう言って、鞘から剣を抜いた。


 「エルード殿を怪我させるわけには……」


 ライルが躊躇いがちにそう言った。

 木剣と刃引きされた剣では、怪我の度合いがまるで変わる。

 木剣なら打ち身程度で済むが、刃引きされた剣の場合は骨折する危険性が格段に増すのだ。

 ライルはそのことを不安視しているのだった。

 しかし、不安に思うライルに対して、エルードはフッと口を歪めて笑った。


 「……俺よりも自分の心配をした方がいい。本気でやるから大怪我しないように気を付けろ。まあ、大抵の怪我ならオレリアが治せるがな」


 そう言って、エルードは剣を構えた。

 本気でやる、という言葉に嘘はなく、エルードの構えには隙が一切無かった。

 さらに、その全身からは肌を打つような剣気が迸っていた。

 その姿にライルは、「確かに、エルード殿の言う通りだな」と内心で苦笑した。

 今の自分には、目の前のエルードに一撃を入れられるビジョンがまるで見えなかったからだ。


 「それなら、遠慮なく胸を借りるとしよう」

 「……ああ、遠慮なく来い。そして願わくば、全盛期を取り戻したあなたと戦ってみたい。父上や母上以外の強者とはあまり会えんからな」


 そう言ってエルードはニヤリと笑った。

 ライル達と会ってから初めて浮かべた笑顔だが、それはあまりに好戦的すぎるものだった。


 (……物静かな外見をしているが、根は武人だな)


 エルードをそう評価したライルだったが、自分も知らず知らずの内に同じような笑みを浮かべていた。

 それは、自分の血が滾るような昂揚感を肉体が感じていたからだった。


 (……フッ、人のことを言えた義理じゃないか)


 両者ともに笑みを浮かべながら睨み合い、そして同時に駆け出して剣を交えた。

 それから日が暮れるまで、2人の激しい剣戟の音が響き続けた。




 「痛っつつ……年を考えずに無茶しすぎたな……」


 日が沈み、エルードとの特訓が終わった後、ライルは痛む体を押さえながらオレリアの診療所を訪れていた。

 エルードとの特訓は苛烈を極め、ライルの体の節々が悲鳴を上げていた。

 そのためイルダムの家に戻る前に、オレリアに治療してもらいに来たのだ。

 ライルが診療所に入ってオレリアの治療を受けると、オレリアがすぐに傷を治療してくれて、体の痛みは嘘のように消えた。エルードの言う通り、オレリアの治癒魔法の腕は確かなもののようだ。


 「すまない、助かった。オレリア殿」

 「いいえ、気になさらないで〜」


 ライルはオレリアにお礼を言うと、診療所を出た。

 すると、前方からこちらの方へ向かう人影が見えた。日が落ちて暗くなっていたため目を凝らしてその人影を見ると、その人影は──佑吾だった。

 佑吾も特訓で負傷したのか、右腕を左手で押さえながらこちらへと歩いてきた。


 「あ、ライルさん。ライルさんも怪我の治療に?」

 「ああ、お前さんもか? 佑吾」

 「はい、ウリカさんに氣術の訓練でこっぴどくやられてしまって……コハルと2人がかりだったのに、一緒に吹っ飛ばされたました」


 あはは、と照れ隠しに笑いながら、佑吾は頭をかいた。

 ライルが見るに、佑吾の顔には訓練の疲れが見えた。しかし、それ以外に佑吾の表情に陰りがあるのをライルは見逃さなかった。


 「……佑吾。治療が終わったら、少し話さないか?」

 「え? はい、良いですよ」


 疑問符を顔に浮かべながらも、佑吾はライルの申し出を了承した。

 そうしてライルは、佑吾と一緒に診療所へと再び入った。

 戻ってきたライルにオレリアが驚いていたが、ライルが事情を説明すると、オレリアは空いている部屋を使っていいと快く言ってくれた。

 ライルがその空いている部屋で待っていると、治療を終えた佑吾が入ってきた。

 それに少し遅れて、お盆を持ったオレリアが入ってきて、ライル達に薬草茶を振舞ってくれた。オレリアは「私はお片付けしてるから、ゆっくりお話して良いわよ〜」と言い残して、部屋を出ていった。

 ライルはゆっくりと薬草茶を一口飲み、佑吾に話を切り出した。


 「佑吾、お前さん何か悩みでもあるのか?」

 「んっ⁉︎ ゲホッ⁉︎」


 ライルがそう問うと、同じように薬草茶を飲んでいた佑吾は、驚いたのかむせて咳き込んだ。


 「おいおい大丈夫か?」

 「ゴホッゴホッ……何で、そう思うんですか?」

 「いや、何となくお前さんの顔を見てそう思ったんだが……その反応を見るに間違っていなかったようだな」

 「…………隠してたつもりだったんですけど、ライルさんにはかないませんね……」

 そう言って、佑吾は話し始めた。

 「…………最近、自分が変わってしまったような気がして怖いんです」

 「変わった? どんな風に?」

 「人を傷つけることに……昔ほど抵抗を感じなくなっています」

 「………………」

 「帝都でエルミナが攫われた事があったじゃないですか。あの時、俺はみんなを守るためとは言え、盗賊を殺してしまったことをひどく後悔していました。しばらく悪夢にうなされるくらいには」


 そう言って佑吾は、組み合わせた両手をギュッと強く握り込んだ。

 ライルはただ黙って、佑吾の話を聞き続けた。


 「それなのに……俺はこの前の正神教団のアレニウスとの戦いの後からずっと、アレニウスを殺したことを気にしていないことに気づいたんです。そうしたら……途端に怖くなったんです。俺が人を傷つける事を何とも思わないようになってしまったんじゃないかって」


 震える声でそう言った佑吾は、顔を両手で覆った。

 まるで自分の汚い部分を見られたくないようにするかのように。


 「もし、これからの旅でまた人と戦うことがあった時……俺はだんだん人殺しを何とも思わない鬼畜に成り果てるんじゃないか、そう思うと怖くて……」


 悩みを打ち明けた佑吾は、顔を覆ったままうなだれてしまった。

 そんな佑吾に対して、ライルは重々しく口を開いた。


 「…………佑吾。お前さんの言う通り、一度人を殺めてしまった人間は次第に人を傷つけることに抵抗を感じなくなってしまう。『人を殺した』という経験そのものが、人殺しの忌避感を薄めるんだ。1人殺すも2人殺すも一緒だ、と言わんばかりにな」


 ライルは苦々しい顔をしながら、そう言った。

 その表情はまるで、過去にライル自身が本当にその言葉を言った事があり、今はそれを後悔しているかのようだった。

 佑吾はと言うと、ライルの言葉にひどくショックを受けていた。

 『1人殺すも2人殺すも一緒だ』

 この言葉が、佑吾の頭の中で反芻する。

 そんなの──まるで殺人鬼じゃないか。

 それなのに佑吾は、自分はそんな事を一度も思ったことはないと否定できない自分が何より恐ろしかった。


 「佑吾の言う通り、人を傷つけ、殺すことに慣れていってしまったら、そいつはいずれ心を失った化け物に成り果てるだろう。それこそお前が倒したアレニウスのようにな」

 「あいつみたいな……⁉︎ ライルさん、どうすれば、どうすれば心を失わずに──化け物にならずにすみますか⁉︎」


 アレニウスのような醜悪な人殺しになってしまった自分を想像した佑吾は、すがるようにライルにそう問うた。

 そんな佑吾に対して、ライルは重々しく言葉を発した。


 「…………忘れないことだ」

 「忘れない……? 何をですか?」

 「何故、何のために、誰の命を奪ったかをだ。佑吾、お前さんはあの戦いの時、何故アレニウスの命を奪った?」

 「……………………みんなを、大切な家族を守りたかったからです。あの時の俺には、そうすることしかできませんでしたから……」


 佑吾が思い出すようにしながら、そう言った。

 すると、ライルは優しげな笑みを浮かべた。


 「その思いを、お前さんにとって何が大切なのかを決して忘れるな。そして、そのために奪った命のことも決して忘れるな。そうすれば、外道に堕ちることは無い」


 諭すようにそう言ったライルの言葉には、どこか実感のようなものが込められているように佑吾は感じた。


 「俺にとって大切なもの…………ライルさん、ありがとうございます。少しだけ……分かったような気がします」


 顔を覆っていた両手を外して、佑吾は顔を上げた。

 そしてぎこちないながらも、ライルに笑いかけた。その顔を見るに、先ほどまで佑吾を苛んでいた恐怖は薄れたようだった。

 その様子を見て、ライルは安心したようにフッと笑みを浮かべた。


 「ずいぶん話し込んでしまったな。そろそろ戻るとするか」

 「ああ、すいませんライルさん。付き合わせてしまって……」

 「気にするな。若者の相談を聞くのは年長者の務めだからな。オレリア殿には俺からお礼を言っておくから、佑吾は先に戻っていいぞ」

 「分かりました。相談に乗ってくれてありがとうございました。それじゃ俺はこれで」


 そう言って、佑吾は部屋を後にした。

 1人になったライルは、佑吾が出ていった扉をじっと見て、誰に言うでもなくポツリと言葉をこぼした。


 「お前さんは大丈夫だよ佑吾。かつての俺のような心を失った化け物にはならんさ……」


 ライルは、湯呑みに残っていた薬草茶をグッと飲み干した。

 薬草茶は既に冷めきっていて、苦味がライルの舌に残った。

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