第2話 落ちた先で

 ドボン!


 「ぶはっ⁉︎」


 川へと落ちた佑吾は、急いで水面から顔を出して息を目一杯に吸い込んだ。

 何とか顔を出し続けようとするが、降り続けた雨による増水で川の流れは早く、さらに身につけた装備や荷物が邪魔で上手く泳げなかった。

 佑吾は慌てて、左腕に括り付けたライトシールドを外し、さらに腰に下げているカバンとフレイアルソードも外した。

 外された装備と荷物は、たちどころに濁流の中へと消えていった。

 本当はマジックメイルも外したかったが、カッチリと身につけた鎧を流されながら脱ぐのは難しかったため早々に諦めた。幸いマジックメイルは軽量化の魔法で軽かったため、その重さで沈むことはなかった。


 「ガボッ……ゆ、ご、たす……け…………」

 「サチっ!」


 声のした方を見るとサチが溺れていた。

 サチは元の世界では猫だったため、今の獣人の体での泳ぎ方が分からないのだ。


 「サチ、今行く!」


 佑吾は、すぐにサチの方へ泳いで向かった。

 流れの早い濁流に邪魔されながらも佑吾は必死で泳ぎ、何とかサチの元までたどり着いた。


 「サチ、大丈夫か⁉︎」

 「ゲホッ、ゴホッ!」


 溺れかけているサチを抱きかかえると、むせ返って水を吐きながらも佑吾の腕にしがみついた。

 佑吾は泳げないサチを抱えて何とか浮かび続けようとするが、体にまとわりつく衣服や川の濁流に動きを邪魔されて思うように動けない。


 「ぐっ……ごぼっ……」


 次第に2人の体は沈んでいき、口の中に泥水が入っていき、上手く呼吸ができない。酸欠で頭がガンガンと痛み始める。

 そんな佑吾の視界に、自分に必死にしがみつくサチの姿が目に入った。


 ──もし、1人だったなら。


 (っ⁉︎ 何バカな事を考えているんだ俺はっ‼︎)

 

 酸欠で朦朧とする頭に浮かんでしまった最低な考えを、佑吾は振り払った。

 そして絶対に見捨てないと誓うように、サチの体を強く抱き寄せた。


 (2人で絶対に助かるんだ!)


 しかし、そんな佑吾の必死な誓いごと濁流は2人を呑み込んでいった。




 ────どれくらいの時間が過ぎただろうか。


 「………………ガホッ、ケホッ⁉︎ …………ここは?」


 荒れ狂う濁流の中でもがき続けた佑吾は、目を覚ますと砂利が多い川のほとりでうつ伏せに倒れていた。

 全身は鉛のように重たく、指一つ動かすことすら億劫なほどだった。

 

 (………………サチは?)


 朦朧とした頭に、さっきまでの記憶が徐々に戻っていく。

 自分と一緒に流された大切な家族のことを思い出し、何とか首だけを動かして周囲を見回した。

 すると、佑吾から見て右の方の少し離れたところに、サチがこちらを向いて横向きに倒れていた。

 ここからだと、サチが無事なのかどうかも分からない。

 サチの容態を確認するために佑吾は立ちあがろうとした。

 しかし溺れて消耗しきった体は重たく、腕を動かそうとしても亀のように緩慢な動きしかできなかった。


 (サチを……助けないと…………)


 それでも佑吾は必死に体を動かした。

 芋虫のように這って進み、何とかサチの元へと向かった。

 そんな時、サチの容態が心配で焦燥と不安に駆られる佑吾の耳に、誰かが砂利を踏み締めるような音が響いた。

 音の方に緩慢な動きで首を回すと、ザッ、ザッとこちらへと近づいてくる足が見えた。

 人だ。

 助けてもらえるかもしれない。

 佑吾は体を何とか動かして、その近付いてきた足に無我夢中でしがみついた。

 しがみつかれた人物が驚いている雰囲気が伝わってくる。

 しかし、佑吾にそんなことに全く気を払う余裕はなく、ただひたすらにその人物に懇願した。


 「お願い……ゴホッ、します…………助けて、ください……ゴホッ、ゴホッせめて、あの子……だけでも」


 必死に言葉を出そうとすると、喉の奥から川の中で飲み込んでしまった水が口の中から溢れた。

 それでも佑吾は、必死にその人物に助けを求めた。

 うわ言のように助けを乞う言葉を繰り返しながら、やがて佑吾はそのまま意識を失った。




 最初に感じたのは、果てしない疲労だった。

 自分の体が泥のように溶けてしまったのではないかと錯覚してしまうほどに、体が倦怠感に包まれていた。

 そんな中、意識だけが少しずつふわりと浮き上がっていくかのように、佑吾は目を覚ました。


 「………………んっ……ここは?」


 ゆっくりと開けた目に飛び込んだのは、見知らぬ天井だった。

 しばらくの間、ぼんやりと天井を眺めていると、徐々に意識がはっきりし出して自分の身に起きたことを思い出した。


 「……そうだ。俺は川に落ちて……サチは?」


 体を起こして、部屋をぐるりと見回す。

 部屋にはベッドが2つと小さな丸テーブル1つと椅子が2脚あるだけで、まるで宿屋の一室のようだった。

 佑吾が状況把握に努めていると、目の前の木の扉がキィと開いた。

 入ってきたのは、水の入った桶とタオルを持ったサチだった。


 「サチ! 無事だったんだな!」

 「えっ……佑吾?」


 佑吾が呼びかけると、サチが驚いたように顔を上げて手に持っていた桶を床に落とした。桶がひっくり返り、中の水が派手に飛び散る。

 

 「お、おい、サチどうし──」

 「あんた熱は⁉︎ 体に変なところは無い⁉︎」


 サチは急に佑吾に詰め寄り、おでこや体のあちこちをペタペタ触りながら問い詰めてきた。


 「うぇっ⁉︎ な、無いと思うけど……」

 「本当? 良かった……」


 サチが胸に手を当て、ホッとしたように息を吐いた。


 「大きな音がしたから何かと思えば、目を覚ましたようですのう」


 佑吾がサチの態度に困惑していると聞き慣れない声が響いた。

 声の方に目を向けると、開きっぱなしの扉の所に老婆が立っていた。

 老婆の白髪の中に、黒い狼の耳がぴょこんと見える。どうやら彼女は、狼人おおかみびとのようだった。


 「ウリカさん。ごめんなさい……あたしが桶を落としちゃって」

 「大丈夫ですよ。今拭くものを持ってきますから」


 そう言って狼人おおかみびとの老婆──ウリカはそそと部屋を出ていった。


 「サチ、今の人は?」

 「彼女はウリカさん。川に落ちたあたしたちの面倒を見てくれている人よ」

 「そうだったのか……お礼を言わないと」


 佑吾が無理にベッドから出ようとすると、サチが慌ててそれを押しとどめた。


 「ちょっと! 無理しちゃダメよ、あんた熱がひどくてここ3日間ずっと寝てたんだから」

 「3日⁉︎ そんなに寝てたのか……」


 そんなにも自分が意識を失っていたことに驚く佑吾。

 すると、眠っていた時間を意識してしまったせいか、佑吾のお腹からぐぅ〜と音が鳴った。

 その音を聞いて、佑吾は自分がひどく空腹であることをようやく自覚した。

 体が重かったのは、溺れたせいだけではなく単純に空腹だったのも原因だったようだ。

 コンコン、とノックの音が響く。

 佑吾の代わりにサチが「どうぞ」と答えると、黒い狼の耳を持つ仏頂面の大男と両手にお盆を抱えた兎耳の女性──大男とは対照的に柔らかな微笑を浮かべている──が入ってきた。


 「お義母さんから目が覚めたって聞いたから料理を持ってきたのだけれど、食べられるかしら〜?」

 「あ、はい。大丈夫です。ええと……」

 「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね〜。私はオレリア、隣で黙っている強面のおじさんが私の旦那のエルードよ〜」


 兎人うさぎびとの女性──オレリアがそう言うと、狼人おおかみびとの大男──エルードがぺこっと軽く頭を下げた。


 「エルードさんが川の近くで倒れているあたしたちを見つけて、ここまで運んでくれたのよ」


 サチの言葉で、佑吾は自分が川辺で誰かに助けを求めたことを思い出した。

 サチの言葉通りなら、自分が必死に助けを求めた人物がエルードという事になる。そう考えた佑吾は、慌てて頭を下げて礼を述べた。


 「エルードさん、俺たちを助けてくれて本当にありがとうございました」

 「…………気にするな」


 一言そう言うと、エルードは再び押し黙った。

 場に沈黙が流れる。

 何か怒らせるようなことをしてしまったのかと佑吾が内心焦っていると、オレリアが安心させるようにこちらに微笑みかけて言った。


 「ごめんなさい、この人口下手なの〜。お礼を言われて照れているだけだから気にしないでね〜。さ、これを食べて〜。今は胃の中が空っぽだろうから、ゆっくりよく噛んで食べてね〜」


 オレリアが佑吾の元に料理の乗ったお盆を持っていく。

 お盆には乗っていたのは、小さく切られた野菜がたくさん入ったシチューとまだ湯気の立つ温かいお茶だった。


 「ありがとうございます。いただきます」


 佑吾が木の匙を手にとる。

 木の匙は軽いはずなのに、持つ右手がプルプルと震える。

 佑吾は今更ながらに、自分がこんなにも消耗するような危険な状態にあったことを自覚した。

 助かって、本当によかった。

 そう思いながら、佑吾はこぼさないようにゆっくりとシチューを口に運ぶ。

 口の中が優しい風味で満たされる。

 佑吾は心の底からホッとしたように息を吐いた。

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