第4章 獣王国ガルガンシア

第1話 旅の幸先は悪し

 「佑吾、そっちお願い!」

 「分かった、任せろ!」

 

 佑吾がサチの掛け声に従って、少し離れた所にいる巨大なカマキリのような魔物──鎌斬蟲シクルセントに向かっていった。

 

 「キシャアアア!」

 「ぐっ……おわっ⁉︎」

 「佑吾⁉︎」


 鎌斬蟲シクルセントが佑吾に鎌状の前足を振り下ろす。

 その重い一撃を、佑吾はフレイアルソードで受け止めた。

 佑吾は押し切られまいと足を踏ん張って耐えていたのだが、雨で地面がぬかるんでいるせいで、ズルリと足を滑らせてしまった。

 体勢を崩した佑吾に、鎌斬蟲シクルセントがもう一方の前足で追撃をかける。


 「キアァァァ!」

 「させん! <剛体ごうたい>!」

 「ギァ⁉︎」

 「大丈夫か、佑吾!」

 「はい! ライルさん、助かりました!」

 

 鎌斬蟲シクルセントの追撃が佑吾を襲う直前、ライルがその間に割って入り、大剣<ディヴァイダー>で鎌斬蟲シクルセントの前足を斬り飛ばした。

 鎌斬蟲シクルセントがライルの攻撃でよろめき、後退する。

 その隙に佑吾は体勢を立て直し、鎌斬蟲シクルセントへと駆け出した。

 

 「はぁぁぁ!」

 「ギァ⁉︎ ア……アァァ…………」


 鎌斬蟲シクルセントに一気に接近した佑吾は、<風刃ふうじん斬り>で鎌斬蟲シクルセントの胴体を斬り裂いた。

 傷口から透明な体液を撒き散らしながら、鎌斬蟲シクルセントは断末魔と共に倒れた。


 「コハル、そっちは⁉︎」

 「ハァハァ……うん、こっちも何とか倒したよ」

 「エルミナ、あんたは大丈夫? 怪我してない?」

 「うん、大丈夫だよ、サチお姉ちゃ──くちゅん!」

 「ああ、フード外れてるじゃない。しっかりかぶらないと風邪引くわよ。……しっかし本当よく降るわね、雨」


 エルミナにフードをかぶせながら、サチが空を見上げる。

 サチの視線の先には、どんよりと浮かぶ灰色の雲が空いっぱいに広がっており、雨が絶え間なく降り続けていた。





 ──リートベルタ公国を発った佑吾たちは、次の目的地である獣王国ガルガンシアを目指して、両国の間にそびえる山脈へと足を運んだ。

 山脈での移動は街道を歩くのとは違って体力を消耗すると覚悟していた佑吾たちだったが、山脈には整備された山道があり、茂みをかき分けて進んだりしなくていい分、思いのほか楽に移動することができた。

 しかし、思いも寄らぬものが佑吾たちの道中を苦しめた。

 それは雨だ。

 山脈に入って少ししてから雨が降り始め、そして現在に至るまで雨が止む事なくずっと降り続けているのだ。

 雨は、旅をする上で非常に厄介な自然現象だ。

 まず、雨は体温を奪う。

 雨具を身につけていても、雨に打たれ続ければ徐々に体温が奪われ、体力を失ってしまう。

 次に、雨は地面をぬからせる。

 ぬかるんだ地面は、滑る上に踏ん張りが効かない。

 故に、移動するにも戦闘するにも常に足元に気を配らなければならないため、精神的にも肉体的にも疲弊してしまう。

 最も辛かったのは、火が使えなくなる点だ。

 火は料理、動物避け、暖を取るなど、多くの面で旅に欠かせないものだ。

 火が使えなくなるだけで、旅の快適さは一気に下がる。

 佑吾たちはこの数日間、その辛さを身をもって体験していた。

 幸いなのは、佑吾たちがヴィーデの市長モルドから旅に役立つ魔道具を貰っていたことだ。

 特殊な素材で作られたテントのおかげで、雨に悩まされることなく睡眠をとることができ、魔石コンロのおかげで火が使えない雨の中でも温かい料理を食べることができた。

 しかしそうは言っても、やはり連日止むことなく降り続ける雨のせいで、佑吾たち──特に体力が少ないサチとエルミナは、目に見えて疲労が溜まっているようだった。


 「いい加減、どこか落ち着けるところで休みたいわね……」

 「ああ、サチに同感だ……」


 ポツリとこぼされたサチの愚痴に、佑吾が答える。

 止む気配を一向に見せない雨の中、佑吾たちは山道を歩き続けていた。

 サチの愚痴は続いていく。


 「しかも雨で魔物の足音が聞こえないせいで、魔物の接近に気づけないし」

 「そうだよね……匂いも雨で消えてるから、私も魔物が近づいて来るの分かんないし……」


 今度は、コハルがサチの愚痴に答えた。

 普段は耳の良いサチか鼻のきくコハルが、魔物の接近にいち早く気づいて教えてくれるため、索敵に困った事はない。

 しかし、この長く降り続ける雨のせいで2人の索敵が機能しなくなっていた。

 これも、佑吾たちが疲弊する原因になっていた。


 「……ん? ライルさん、立ち止まってどうしたんですか?」

 「お前さんら、あれを見てくれ」

 「あれって……吊り橋?」


 先頭を歩いていたライルがいつの間にか立ち止まっており、前方を指さした。

 ライルが指さした先にあったのは、切り立った崖にかかる長い吊り橋だった。

 佑吾たちが吊り橋へと近づくと、入り口付近に石の看板が建てられていた。

 そこに彫られた文字を、佑吾が読み上げる。


 「なになに……『定員 2名まで』?」

 「となると……どの順番で渡るか考えんといかんな」

 「ねえライル、本当にこんなとこ渡んの……?」


 崖下を覗き込んでいたサチが、ライルに尋ねる。

 崖下では川が流れており、連日の雨で水量が増したのだろう──ゴウゴウと音を立て凄まじい勢いで濁流が流れていた。

 もし、足を滑らせたりして川に落ちてしまったら──そう考えて、不安になってしまうのも仕方がないだろう。


 「渡りたくない気持ちは分かるが、他に向こう側へ渡る手段は無いからな」

 「はぁ……そうよね……」

 「それでライルさん、順番はどうしますか?」

 「そうだな……まずは俺が1人で渡ろう。この中だと俺が1番重いからな、1人で渡る方が安全だろう。ついでに橋の強度も確かめておく。俺が渡り終えたら、次は……コハル、エルミナを連れて渡ってくれるか?」

 「うん、まっかせて!」

 「うう……ちょっと怖いけど頑張る!」

 「てことは、あたしと佑吾が最後?」

 「ああ。渡るのを待っている間に、待っている側が魔物に襲われるかもしれんからな。さっきの鎌斬蟲シクルセントが出てきたら、剣を持たないコハルだときついから、佑吾に最後まで残ってほしい」

 「なるほど、分かりましたライルさん」


 そうして話し合いの結果、ライル、コハルとエルミナ、佑吾とサチの順番で吊り橋を渡ることになった。

 初めにライルが慎重に渡り始めた。

 たまに立ち止まって、足で橋板の強度を確認したり、橋を吊り下げているロープに異常が無いかを手で確認したりしながら渡り、ライルは無事に向こう岸まで渡った。

 ライルから渡っても大丈夫だと合図が来たので、次はコハルとエルミナが渡り始めた。

 エルミナが渡る直前まで怖がっていたため、コハルがエルミナをおぶって渡ることになった。エルミナは、コハルが渡り終わるまでずっと目をぎゅっとつぶって、ひしっとコハルに力強く抱きついていた。

 そして、2人がもうすぐ渡り終えるというところで──事件が起きた。


 「佑吾っ、後ろ!」

 「っ魔物⁉︎」

 「キュウゥゥゥッ……」


 コハルとエルミナが渡り終えるの待っていた佑吾とサチの背後の茂みから、3本の尾を持つ紺色の毛並みの狐の魔物──蒼雨狐ネイヴクスと呼ばれる魔物が現れた。


 「見た事ない魔物……サチ、気をつけろ」

 「言われなくても分かってるわよっ……」

 「キュウゥゥゥ‼︎」

 「なっ⁉︎」


 佑吾たちを視認した蒼雨狐ネイヴクスは、威嚇するように唸り声を上げる。

 すると、蒼雨狐ネイヴクスの周りに降っている雨の水滴が集まりだし、半月状の水の刃が形成された。水の刃は次々に生み出されていき、その全部が佑吾たちに向けて一斉に射出された。


 「サチ、危ない! <魔盾マギルド>!」


 佑吾はとっさにサチの前に立ち、魔法の盾を生み出した。

 蒼雨狐ネイヴクスが放った水の刃が、次々に魔法の盾に直撃していく。


 「ぐっ、ぐぅぅ……」


 魔法の盾にヒビが入っていく。

 佑吾は魔力を込め続けて、何とか蒼雨狐ネイヴクスの攻撃に耐えていた。

 やがて最後の一撃を何とか受け切ると、佑吾の後ろにいたサチが蒼雨狐ネイヴクスに向けて魔法を放った。


 「<豪炎砲ディア・フレイア>!」

 「ッギャウ⁉︎」


 蒼雨狐ネイヴクスの顔面に、直径2mほどの火炎の球体が直撃した。

 しかし──


 「キュルルル……!」

 「くそ、雨のせいで威力が落ちてる……」


 ──降り続く雨のせいで、サチの火の魔法は威力が落ちていた。

 蒼雨狐ネイヴクスの毛皮が雨で濡れていることもあって、ダメージはほとんど与えられず、多少その紺色の毛が焦げた程度だった。

 自分がやるしかない。

 しかし、佑吾のその決意を挫く光景が目に飛び込んできた。


 「新手っ⁉︎」


 佑吾たちの目の前にいる蒼雨狐ネイヴクスの後ろから、新たに2匹の蒼雨狐ネイヴクスが姿を現した。


 「ちょっと……いくら何でもこれは……」

 「ああ、まずいな……」

 

 ドシュ‼︎

 佑吾たちがどうするべきか迷っていると、自分達と3体の蒼雨狐ネイヴクスの間に、凄まじい勢いで矢が突き立った。

 その矢に、佑吾たちは見覚えがあった。

 突然の攻撃に蒼雨狐ネイヴクスたちは驚いて後ろへと跳び、佑吾たちと距離が開いた。


 「佑吾、サチ! 俺が何とか足止めする、早く橋を渡れ!」

 「ライルさん!」


 矢を放ったのはライルだった。

 ライルが持つ翠風の魔弓に込められた風魔法により、雨の中でも矢は鋭い速さを持って放てるようだった。


 「サチ、行くぞ!」

 「ええ!」


 蒼雨狐ネイヴクスがライルの矢で後ろに退がった隙に、佑吾とサチは吊り橋へと駆け込んだ。

 標的が逃げた蒼雨狐ネイヴクスたちは、怒りの声を上げながら佑吾たちを追走し始めた。

 しかし、ライルがそれを許さない。

 ライルの翠風の魔弓から放たれる矢が、蒼雨狐ネイヴクスの1匹を貫いた。

 ギャウと悲鳴を上げて、1匹の蒼雨狐ネイヴクスが倒れる。

 残りの2匹は、倒れた仲間などまるで意に介さずに佑吾たちを追走し続けた。

 ライルは続けて、残りの2匹に狙いを定めて矢を放とうとした。

 しかし──


 「ぐっ、しまった⁉︎」


 ──弓の弦が雨で濡れているせいで指が滑り、狙いがずれて矢は明後日の方向に飛んで行ってしまった。


 「っ危ない! 佑吾、避けてーーー‼︎」


 コハルの必死な叫びを聞いて、佑吾は後ろを振り向いた。

 眼前には、こちらに向かって飛びかかってくる蒼雨狐ネイヴクスがいた。


 「くっ⁉︎」


 佑吾は、反射的に左腕にくくりつけたライトシールドを突き出した。

 蒼雨狐ネイヴクスは、そのライトシールドに牙を立てる。


 「くそっ、はな……れろぉ!」

 「キャウン!」


 佑吾はブンブンと左腕を振り回して、ライトシールドにかじりついた蒼雨狐ネイヴクスを弾き飛ばした。弾き飛ばされた蒼雨狐ネイヴクスは、橋板を転がってそのまま吊り橋から落ちていった。

 しかしホッと安堵したのも束の間、佑吾がもう1匹の蒼雨狐ネイヴクスに視線と向けると、その周りには多数の水の刃が浮かんでいた。


 「まず……⁉︎」


 今にも水の刃が放たれんとするその刹那、ライルが放った矢が蒼雨狐ネイヴクスの左目を貫いた。


 「ギャッ⁉︎」

 「ふぅ……間に合ったか」

 「は、はぁ〜〜助かった〜〜」


 危機的状況から抜け出した安堵から、佑吾は胸を撫で下ろした。

 しかし、佑吾はまだ危機的状況にいた。ライルの矢で左目を貫かれた蒼雨狐ネイヴクスには、まだ息があったからだ。

 蒼雨狐ネイヴクスは残る右目に憎悪を灯らせながら佑吾を睨みつけた。

 そして、最期の足掻きとばかりに佑吾に目がけて水の刃を1つ撃ち出した。


 「お父さん、危ない‼︎」

 「えっ?」


 蒼雨狐ネイヴクスの動きにいち早く気づいたエルミナの悲痛な叫びに、佑吾は顔を上げた。

 目に入ったのは、自分の首元を目がけて飛来する水の刃。


 (これは避けられ──)

 「何、ボーっとしてんのよ!」

 「──うわっ⁉︎」


 佑吾は一緒に吊り橋を渡っていたサチから肩を掴まれて、思い切り後ろに引っ張られた。吊り橋の上で、2人一緒にそのまま倒れてしまった。

 佑吾が倒れる刹那、狙いを失った水の刃は佑吾の目の前を通り過ぎていった。

 しかし、佑吾の不運はまだ続いていた。

 狙いを失った水の刃が吊り橋を支えるロープへと直撃し、ロープを切断してしまったのだ。

 支えを片方失ってしまった吊り橋が、ガクンと大きく傾く。


 「え、ちょ……嘘でしょっ⁉︎」

 「う、うわああああああ⁉︎」


 急に傾いた吊り橋から佑吾とサチは滑り落ち、2人はそのまま濁流で荒れ狂う川へと落ちていった。

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