番外編2 夕暮れにサチあれかし
「〜〜♪」
昼下がりのヴィーデの通り、サチは鼻歌を歌いながら歩いていた。
今日のサチの目的は、街中にある本屋だ。
サチは普段は魔導書ばかりを読んでいるが、普通の物語を読むのも好きでよく買い集めていた。ヴィーデは商業が盛んな交易都市だから、きっと面白い本がいっぱいあるに違いない。そう考えると、本屋へと向かう足取りが一段軽くなるようだった。
「〜〜♪ みゃっ⁉︎」
サチがご機嫌に歩いていると、何者かに突然尻尾をぎゅっと掴まれた。
尻尾はサチにとってすごく敏感な部分だ。
こんな風に乱暴に掴まれると、ゾワゾワとした何とも気持ちの悪い悪寒が背筋に走るので、サチは誰かに尻尾を触られるのを極端に嫌っていた。
「誰よ一体⁉︎ 魔法でぶっ飛ば──って、子ども?」
サチが怒りながら振り返ると、サチの尻尾を握っていたのは涙を目に浮かべた小さい女の子だった。
「何あんた、お母さんは?」
「………………」
「もしかして、迷子?」
「………………うん」
「そう、それなら詰所の方に行きなさい。あっちの方にあるから。じゃあね」
詰所がある方を指さして教えると、サチは女の子に背を向けて再び本屋に向かおうとした。しかし、そうはさせないとばかりに女の子は再びサチの尻尾をむんずと握り直した。
「ふわぁっ⁉︎ あんたいい加減に──」
「……お母さん、さがして」
「はぁ⁉︎ 何であたしが……」
「……………………(じーっ)」
「うっ、そんな目で見たって……」
女の子が、涙目でサチを見つめ続ける。
やがて、小さな女の子の無言の圧力にサチは負けてしまった。
「ああもう、分かったわよ! 探せばいいんでしょ、探せば!」
何だかんだで面倒見のいいサチであった。
とりあえずサチは、女の子から母親の外見の特徴を聞くことにした。
しかし、幼い女の子から得られる情報はひどく断片的で、あまり当てにはならなそうだった。
ただ唯一有力な情報だったのが、どうやら女の子は市場で母親とはぐれたようだった。
そうと決まれば話は早い。
サチは女の子を連れて市場の方へと向かった。
思ったよりも早く、母親が見つかるかもしれない──サチのその淡い期待は、市場に着いた途端に儚くも打ち砕かれてしまった。
「何これ……人多すぎでしょ……」
「…………お姉ちゃん、だいじょうぶ? あたま、痛いの?」
「……大丈夫よ、気にしないで」
額に手をついて下を向いていたサチは、ため息を吐きながら顔を上げた。
サチの視線の先には、市場で買い物をする大量の人混みがあった。
この人混みの中から女の子の母親を探す。その作業の大変さを考えると、頭を抱えたくなるというものだ。
「はー、うだうだ考えてもしょうがないか。ほら、あんたの母親探しに行くわよ」
「うん」
サチははぐれないようにしっかりと女の子と手を繋ぎ、人混みの中へと進んでいった。
女の子を母親を探すために、2人は市場の中を探し歩いていった。
探し歩く途中、市場にある店の店主や客に、この女の子を知らないか、子どもを探している母親を見ていないかを聞いて回ったが、求めた情報は得られなかった。
その後もしばらくの間、市場の中を歩き回って探したが、女の子の母親は一向に見つかりそうになかった。
どうしたもんかとサチが頭を悩ませていると、女の子と手を繋いでいる方の腕が急にズンと重くなった。何事かと思って女の子の方を見ると、女の子が急にしゃがみ込んだせいだった。
どうやら、歩き疲れてしまったようだ。
母親を探すためとはいえ、確かに結構歩かせてしまった。そう思ったサチは、女の子を背負い、どこか休める場所へと向かった。
しばらく探し歩いていると、市場から離れた場所に噴水のある広場のようなものを見つけた。おあつらえ向きに空いているベンチもある。
サチはそのベンチへと向かい、背負った女の子を優しく座らせてあげた。
「ほら、これでも飲みなさい」
「……ありがとう」
サチは女の子を座らせた後、広場にあった出店で適当な果実水を買って、それが入った木のコップを女の子に手渡してあげた。
女の子は両手でそれを受け取ると、静かに果実水を飲み始めた。
はぁ、とため息をついたサチが空を見上げると、日が徐々に沈み始め、夕暮れが辺りを赤く染め始めていた。
その光景を見て、サチは少しだけ顔をしかめた。
サチは夕暮れがあまり好きではなかった。
夕暮れ時のあの不思議なもの静けさと、真っ暗な夜を連れてくることを知らせるあの真っ赤な光がなんとなく嫌いだった。
まるで自分を孤独な世界に閉じ込めているようで。
前にいた世界で、佑吾と出会う前の──1人だった時のことを思い出しそうになりかけたところで、サチはブンブンと頭を振ってその感傷を頭から追い出した。
今はそんなことを考えている場合ではない、女の子の母親を探さなければ。サチは思考を切り替えた。
このまま夜になって暗くなってしまったら、女の子の母親を見つけるのはさらに難しくなるだろう。そうならないためにも、早く母親を見つけないといけないのだが──
「──はぁ〜見つかる気がしないのよね……やっぱり詰所に行って兵士に頼った方が──って、何っ、どうしたの⁉︎」
サチがどうしたものかと悩んでいると、果実水を飲んでいた女の子がハラハラと泣き始めた。
「わたし、もうお母さんに、会えないのかな……」
「だ、大丈夫よ、絶対会えるから! あ〜もう泣かないでよ」
突然のことに、サチがわたわたと慌てふためく。
周りを歩いて行く人たちが、何事かとチラチラとこちらを伺っている。
早く何とか泣き止ませないと、そう考えたサチはおもむろに腰に付けているワンドを抜いた。
「ほ、ほら、これ見なさい!」
そう言って、サチはワンドの先に小さな火の玉をポッと灯らせた。
そしてその火の玉を、少女の前でくるくると踊るように操って見せた。
「わぁ、きれい!」
女の子の顔が明るくなったのを見たサチは、内心でよしっとガッツポーズをするとともに、続けて火を操って見せた。
今度は炎をリボンのように線状に出して、それをくるくると螺旋状に回す。
そして炎のリボンの動きに合わせて、サチ自身もステップを刻み出す。
魔法の練習中、佑吾やコハルたちに見つからないように、こっそり魔法を使った踊りを楽しんでいたのが、こんなところで役に立つとは。
女の子の反応に気分を良くしたサチは、くるくると炎をのリボンと共に踊り続けた。炎のリボンをまるで生きているかのように操り、女の子の視線を釘付けにしていく。
夕焼けが広場を赤く照らす中、それに負けないほど真っ赤な炎を操ってサチは舞い続けた。
そしてフィニッシュに、サチはワンドを上空へ放り投げた。
女の子が驚きに目を見開き、放り投げられたワンドを視線で追う。
くるくると回転しながら落ちてくる、炎のリボン付きのワンドを、サチは危なげなくキャッチした。そしてそのまま優雅にターンを決めて炎のリボンを消し、ビシッとワンドを突きつけて、少女に微笑んで見せた。
「わぁ〜〜〜〜‼︎ お姉ちゃんすごい! すごくきれいだった!」
女の子は感極まったのか、目をキラキラと輝かせながら、サチへと抱きついてきた。その目に、もう涙がないことを確認したサチはホッと一息ついた。
そんな2人を、歓声と拍手が包んだ。
何事だとびっくりして周りを見渡すと、その発生源は通りを歩いていた人々だった。サチの踊りに目を惹かれ、いつの間にか観客になっていた者たちだ。
「
「もっと見せてくれ!」
「すごく綺麗だったわ!」
街の人たちが次々に、サチの踊りを褒め称える。
「うぇ……えっ……?」
突然の歓声に混乱していたサチも、徐々に状況を理解し始める。
女の子を泣き止ませるのに必死だったとは言え、自分がこんな衆人環視の中でノリノリで踊っていたという事実を。
恥ずかしさでサチの顔が真っ赤になっていく中、通りの人混みの中から、女性が駆け足でこちらまで来た。
「ライラ!」
「お母さん!」
サチに抱きついていた女の子──ライラは、自分の名を呼んだ女性の元へと駆け寄り、ひしっとお互いに抱き合った。
どうやら、この女性がサチがずっと探していた女の子の母親らしい。
「すみません、うちの子がご迷惑をおかけしたみたいで……」
「い、いえ、無事見つかって良かったです」
「ほら、ライラもお姉ちゃんにありがとうしなさい」
「うん! お姉ちゃん、ありがとう!」
女の子は最初に会った頃の沈んだ表情が嘘だったかのように、満面の笑みを浮かべた。
「まったく……もう迷子になるんじゃないわよ」
「うん! お姉ちゃん、バイバーイ!」
女の子はサチへと手を振りながら、母親に連れられて通りの向こうへと去っていった。
「はぁ、疲れたぁ……本屋巡りはもう無理ね。今日もう帰──」
「サチ!」
「きゃっ! ゆ、佑吾?」
背後から声をかけられて振り返ると、そこにはどこか興奮したような様子の佑吾が立っていた。
「あんたもここに来てたの? それに何でそんなに興奮し──」
「さっきの踊り、すごく綺麗だった! 何というか、幻想的で……とにかく綺麗だった!」
「はっ、踊りって……あ、あんた見てたの⁉︎」
サチの顔が、みるみる真っ赤になっていく。
そして、はたと気づいて周りを見渡せば、広場にたむろしていた街の人たちも佑吾の言葉に賛同するように、囃し立てていた。
女の子の母親が見つかった衝撃で忘れていた羞恥心が、ふつふつとサチの中で吹き返し始めた。
「わ、忘れなさい、さっき見たの、全部! 絶対に忘れなさい!」
「え、何で? すごく綺麗で可愛かったのに!」
「〜〜っ、何でもよ! 分かった⁉︎」
「そうだ、エルミナとコハルの2人にも見せよう! きっと2人とも喜んでくれるよ!」
「絶対に嫌! つーか、人の話聞きなさいよ!」
夕焼けに負けないほど、恥ずかしさで真っ赤な顔になって怒るサチ。
もう二度と人前で踊ったりするもんか! と、サチは心の中でそう固く誓った。
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