番外編1 コハル日和

 正神教団との戦いが終わった後、コハルたちは戦いの傷を癒すため、数日間ヴィーデの宿屋でゆっくりと休日を過ごしていた。

 そんな休日のある日、コハルは一人でヴィーデの街に出かけていた。


「ふんふふーん、ふふーん♪」


 コハルは楽しげにスキップしながら、街を歩いていた。

 時折、街の人が何事かとコハルの方を振り返るが、コハルはそんな視線を意にも介さず楽しそうにスキップを続けた。

 コハルがこんなにも上機嫌なのには理由がある。 

 それは今朝、サチからお小遣い──大銀貨一枚分の銀貨、青銅貨、黄銅貨が入った袋を渡されたからだ。大銀貨一枚は、一般人の基準から考えるとポンと渡すお小遣いにしては破格の額だ。

 コハルはお小遣いの入った袋を貰うやいなやそれを握りしめ、美味しいものをたくさん食べるために、街に買い食いに出かけたのであった。

 そして、現在に至る。


「何を食べよっかな〜♪」


 コハルが、ウキウキと街の露店を眺めていく。

 瑞々しい果物、美味しそうな湯気を立たせるスープ、パチパチと油の弾ける串焼き肉、他にもアフタル村では見た事のない料理の数々が、露店で売られていた。


「くんくん……う〜ん、どれも美味しそうな匂いで迷っちゃう〜」


 コハルは鼻を鳴らし、真っ白な尻尾をブンブンと振りながら、どの料理を食べるか迷っていた。そしてしばらく悩んだ後、ついに決断を下したようだった。


「よし……全部買っちゃおう!」


 露店で売られている食べ物の値段は、大体が青銅貨数枚ほどの値段だ。

 それに対して、コハルが貰ったお小遣いは大銀貨一枚分。青銅貨に換算すれば百枚分だ。

 つまり、コハルには片っ端から食べ物を買うだけの余裕があるのだ。

 コハルはありったけの食べ物を買うと、コハルの両手は食べ物が入ったたくさんの紙袋で埋まってしまった。コハルは幸せそうな笑顔を浮かべて紙袋を抱えたまま、木陰にあるベンチへと座った。

 そして紙袋の中から、まだ湯気の立つ串焼き肉を取り出すと、豪快にかぶりついた。


「あむっ。う〜ん、おいっしい〜〜!!」


 甘辛いタレで味付けされた肉は程よい弾力で、一口噛めば肉汁が溢れ出し、タレと絡み合ってクセになる美味しさだ。

 その美味しさを表すかのように、コハルの白い尻尾がブンブンと機嫌よく振られていた。


「つ・ぎ・は〜これ! ハプッ。ん〜これもおいしい〜!」


 コハルは紙袋から桃色の果実を取り出すと、一口かじりついた。

 口の中にほんのりと甘い果汁が溢れ出し、シャキシャキとした果肉が何とも心地よい。爽やかな風味が口の中を巡り、先ほどの串焼き肉の油っこさを洗い流してくれる。


「つ・ぎ・は〜……ん?」


 コハルが次の食べ物を紙袋から取り出そうとすると、二人の子ども──男の子と女の子──が目に入った。二人はコハルが持っている食べ物の袋を凝視して、口から少しだけ涎が垂れていた。

 コハルはう〜んと少し悩んだ後、紙袋から串焼き肉を二本取り出した。


「食べる?」

「え! いいの……?」

「うん! 一緒に食べよう!」


 コハルが笑顔で答えると、男の子と女の子はおずおずとコハルから串焼き肉を受け取り、恐る恐る口に運んだ。


「っ!」

「おいしいっ!」

「でしょ〜。ああっ、慌てて食べなくても大丈夫だよ!」


 子どもたちが目を輝かせて、串焼き肉を食べていく。

 美味しさに感動した子どもたちが、たくさん口にかきこもうとするので、コハルは子どもたちを落ち着かせて、ゆっくり食べさせてあげた。

 子どもたちは口の周りをタレまみれにしながら、美味しそうに串焼き肉を頬張っていった。


「ふふっ、じゃあ次は──」

「よぉ嬢ちゃん、ずいぶんと羽振りがいいんだな。俺たちにも分けてくれよ」


 コハルが次の食べ物を子どもたちにあげようとすると、見知らぬ男たちがどこからかぞろぞろと現れ、コハルへと話しかけてきた。

 男たちは見るからに柄の悪そうな見た目と服装をしており、全員ニヤニヤと品のない笑みを浮かべていた。

 しかしコハルは、男たちのそんな見た目を気にしていないのか、にこやかに男たちの会話に答えた。


「あなたたちも、お腹空いてるの?」

「ああ、そうなんだよ。だから、俺たちにも恵んじゃくれねえか」

「うん、いいよ! はいどーぞ!」


 そう言ってコハルは、食べ物が入った紙袋を1つ、男たちの前に差し出した。

 しかし、男たちはそれを見て不快げに舌打ちをすると、コハルが差し出した紙袋を手ではたき落とした。

 叩かれた紙袋はあっけなく地面に落ちて破れ、中から食べ物がごろりと地面に転がり、土にまみれてしまった。


「あっ!? 何するの!」

「食いもんじゃねえ! 金よこせって言ってんだよ! おめえが金がたんまり入った袋持ってんのは知ってんだよ!」


 どうやら食べ物を買うときに、お金の入った袋を見られたらしい。男たちの目当ては、コハルのお小遣いの入った袋だったようだ。


「やだ! これは私のお小遣いだもん!」

「うるせえ! いいからよこしやがれ!」


 男たちが怒声を発しながら、コハルへと一歩詰め寄る。

 その時、男たちの一人が子どもたちにぶつかった。そして、子どもが持っていた串焼き肉が男のズボンに当たり、ズボンがタレで汚れてしまった。


「あっ、このクソガキ! 俺のズボン汚しやがって!」

「あ、あ……ごめんなさ──」

「クソが!」


 ズボンの汚れた男が右足を振りかぶり、怯える子どもたちを蹴飛ばそうとした。子どもたちは「ひっ!?」と悲鳴を上げて、自らの身を守るように頭を抱えてしゃがみ込む。

 男の足が子どもたちに迫り、蹴られる直前──コハルが間に割って入り、男の蹴りを受け止めた。


「子どもになんてことするの!」

「なっ、うるせえ! お前も痛い目見てえか!」


 蹴りを受け止められた男は足を引くと、今度はコハルに殴りかかろうとした。

 しかし、魔物との戦闘経験を積んできたコハルから見れば、男の拳は避けるのが容易なほど遅かった。

 コハルは男の拳をたやすく避けると、カウンターとばかりに男の顎に氣力を込めずに掌底を叩き込んだ。氣力を込めなかったのは、込めて攻撃すれば男が大怪我してしまうと直感で感じたからだ。


「がぺっ!?」


 コハルの掌底を受けた男は、奇妙な悲鳴を上げた後、そのまま昏倒した。


「こ、この野郎……お前ら、やっちまえ!」


 男たちが、一斉にコハルへと襲いかかる。

 しかし、男たちが何人いようと正神教団との激闘をくぐり抜けて強くなったコハルの敵ではなかった。

 男たちは、一人、また一人とコハルの一撃で次々に沈められていった。


「ひ、ひぃぃぃ!? に、逃げろぉ!?」


 コハルに仲間があっけなく倒され、残った数人の男たちは、慌ててその場から逃げ出した。コハルは逃げる男たちを追いかけることはせず、子どもたちの方へと駆け寄った。


「二人とも大丈夫? 怪我とかしてない?」

「う、うん、大丈夫だよ。お姉ちゃん、すっごく強いんだね!」

「お姉ちゃん、かっこよかった!」

「えへへ、ありがとう。二人が無事でよかったよ〜」


 コハルが両手で、子どもたちの頭をそれぞれ撫でるとくすぐったそうに笑った。


「一体、何の騒ぎだ!」

「ほえ?」


 子どもたちと新しく食べ物を買いに行こうとした矢先に、通りの向こうから街を警備する兵士たちが現れた。

 どうやら、先ほどのコハルの乱闘騒ぎを聞きつけて、兵士たちが駆けつけたようだった。


「そこの白い髪の少女、君はこの騒動の当事者だな? 話が聞きたい。詰所まで同行してもらう」

「えっ?」


  ◇ 


「全く、いきなり兵士が呼びに来た時はびっくりしたぞ……」

「うう、ごめん佑吾……」


 兵士たちの詰所の前で、コハルは佑吾に怒られて犬耳をぺたりと倒してしょんぼりとうなだれていた。いつも元気にブンブン振っている尻尾も、心なしかしょんぼりと下がっている。

 コハルが詰所に連れられてからしばらくして、佑吾がコハルを迎えに来たのだ。どうやら、兵士たちの中に佑吾とコハルのことを知っている人がいて、佑吾を呼びに行ってくれたらしいのだ。

 そして、佑吾が説明が上手ではないコハルから事情を聞き出して、兵士たちがそれを元に調査したところ、コハルは正当防衛で無実だと判明した。

 そして夕方ごろになってようやく、コハルが事情聴取から解放されたところなのだ。


「でも、コハルに怪我が無くて安心した。それに、子どもたちを守るためだったんだよな。えらいぞ、コハル」

「えへへ……!」


 佑吾に頭を撫でられて、コハルが嬉しそうに顔を綻ばせる。

 コハルは、佑吾に頭を撫でられるのが昔から好きだった。優しく微笑みながら、温かな手で佑吾が自分の頭を撫でてくれるのが、たまらなく好きな時間だった。


「犬人のお姉ちゃん!」


 コハルが佑吾に頭を撫でられるのを満喫していると、さっき一緒にいた子どもたち二人が駆け寄ってきた。子どもたちの後ろには、母親らしき女性が立っていた。その母親は、コハルと佑吾の元に来るとペコリと頭を下げた。


「子どもたちがご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありません」

「えっ? ううん、全然迷惑なんかじゃなかったよ!」


 コハルが朗らかにそう言うと、母親は少し面食らった後、ホッとしたように微笑んだ。


「ありがとうございます。ほら、あなたたちもお姉ちゃんにありがとうしなさい」

「うん! 犬人のお姉ちゃん、ありがとう!」

「ありがとう!」

「うん! また、一緒においしいご飯食べようね!」


 コハルが、屈んで子どもたちと目線を合わせる。そして、さっき佑吾が自分にそうしてくれたように子どもたちの頭をワシワシと撫でた。


「「バイバイ!」」

「バイバーイ!」


 母親に連れられて、子どもたちはコハルに手を振りながら帰っていった。コハルも、子どもたちが見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。


「……あの子たちと一緒に食べた物は美味しかったか?」

「うん! あっ──」


 クゥ〜キュルル。

 コハルのお腹から、可愛らしい空腹の音が響いた。


「えへへ、お腹すいちゃった」

「プッ……アハハ! それなら、帰りに何か買って食べるか。サチには内緒だぞ?」

「うん!」


 佑吾が人差し指を唇に当て、「しーっ」というジェスチャーをする。

 コハルはというと、大好きな佑吾と一緒にご飯を食べれるのが嬉しくて、両目を輝かせ、尻尾も左右にブンブンと揺れていた。


「何か、食べたいのあるか?」

「えっとね、えっとね──」


 コハルが思いつく限り、美味しかった食べ物を佑吾に教えていく。佑吾は、そんなコハルの話を楽しげに聞いていた。

 楽しげに話しながら歩く二人を、夕日が優しく包んでいた。

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