第26話 戦いの終結

「勝った…………?」


 アレニウスの体が消滅していくのを確認して、誰とはなしにポツリと呟いた。


「やった、やった!! あいつを倒せたよ!!」

「お父さん!!」


 歓喜と安堵を声ににじませながら、コハルとエルミナが佑吾に駆け寄って飛びつく。背中から二人に抱きつかれた佑吾は、「うわっ!?」と素っ頓狂な声を上げて、うつ伏せに倒れた。


「ご、ごめんなさいお父さん」

「はは、大丈夫だよエルミナ」

「ったく、気を抜きすぎよ、ほらコハル、いい加減離れなさい」


 コハルとエルミナの後ろから、サチがため息混じりに近づいてくる。すぐに離れたエルミナと違って、いまだに自分の頭を佑吾の背中にグリグリと嬉しそうに押し付けているコハルの首根っこを、掴んで引き剥がした。

 その姿は首根っこを掴まれてプラーンとなっている動物の猫を彷彿とさせて、なんだか微笑ましかった。


「なんとか一件落着だな、佑吾」


 ライルがうつ伏せで倒れている佑吾に、手を差し伸べる。その手を取って、佑吾は疲れた体を立たせた。


「……みんなが無事で、本当に良かったです」

「ああ、本当に」

「佑吾殿、ライル殿!!」


 二人の元に、アーノルドが駆け足で近づいて来た。

 その顔には、隠しきれない喜びが見て取れた。


「よくぞ、よくぞあの者を倒し、ヴィーデの危機を救ってくれた!! このお礼は後程必ず!!」

「いや、自分たちは別に——」

「我々は回復後、急ぎ街に戻って正神教団の残党を掃討する。佑吾殿たちは、ここで待っていてくれ」

「いや、俺は戻ろう。まだ戦えるし、いざとなれば住民の避難や戦闘の支援でもサポートできる。佑吾はどうする?」

「俺も行けます。みんなは?」

「私も行けるよ!!」

「私も大丈夫だよ」

「はぁ、乗りかかった船だしね、最後まで付き合うわよ」


 ライルが協力を申し出て、佑吾たち皆もそれに賛成した。

 コハルは「はいはーい」と元気な子どものように手を挙げ、エルミナがその側で優しげに微笑む。サチは片手を腰に当てて、仕方なさそうにそう呟いた。


「皆さん……ご協力感謝する!!」

「アーノルド司令官、動ける兵士全員の回復が完了しました!!」

「よし、すぐにヴィーデに戻るぞ!!」


 部下を引き連れたアーノルドとともに、佑吾たちはヴィーデへと戻って行った。




 ヴィーデでは、未だ兵士たちと正神教団の信徒たちの間で、戦闘が繰り広げられていた。アーノルドは街に着くや否や、拡声の魔道具を使って、街全体に言葉を発した。


「ヴィーデを守る兵士諸君!! 敵の首魁は倒れ、奴らの目論見は打ち砕かれた!! 我々の勝利だ!! 残すはこの街に残る残党のみ、総員掃討戦を開始せよ!!」


 アーノルドの言葉が終わると、街全体から歓喜の雄叫びが響き渡った。

 対照的に、正神教団の信徒たちには動揺が広がっていき、勢いを失っていった。

 狙い通りに事が進んだアーノルドは、ニヤリとイタズラが成功した子どものように笑みを浮かべた。

 正神教団側のトップであるアレニウスを倒したことを、わざと敵味方両方に伝えることで、味方の士気は向上させて敵である正神教団の士気は減退させたのだ。

 一度傾けた流れは、簡単には戻らない。

 士気高揚となったお陰で優勢となったヴィーデの兵士たちは、一気呵成に正神教団の鎮圧を始めた。

 佑吾たちも、その後に続くようにヴィーデの兵士に加勢した。

 正神教団の信徒たちも反撃に出るが、既に統制は取れておらず、慌てふためきながら敗走を始めた。ある者は兵士に討ち取られ、またある者は武器を捨てて投降した。

 生き残った正神教団の者たちを全て捕縛し終え、ヴィーデでの戦いはここに終結した。


  ◇


 ヴィーデでの戦いが終結して数日後。

 ヴィーデの遥か北に位置する龍王国、そこに最も近い人間が治める国——オーヴァレスタ王国、その国で最も大きい教会堂の地下に作られた聖堂、そこに百人近い神官たちが神の言葉を待つように静かに跪いていた。

 なぜ地上に構える聖堂ではなく、地下の聖堂に集まっているのか。

 その理由は、地上にある聖堂は国教が定める神を信奉するために作られた物だが、それはカモフラージュであり、彼ら神官が真に信仰を捧げる神を国に悟られないようにするためだ。


 この教会堂の地下、こここそが正神教団の本部だった。

 

 神官たちが、聖堂に飾られた石像——彼らが信仰を捧げる邪神龍グレイスネイアを模した像——に熱心に祈りを捧げていると、その石像の前に、胸に龍の顔の紋章を象った真っ黒で豪奢な修道服を着た優しげな顔つきの男が立った。


「皆さん、ご機嫌よう」


 男は、優しげな見た目に見合った穏やかな声で話し始めた。


「今日は皆さんに、悲しい知らせがあります。我らが同胞、神官アレニウスが重大な任務の中でその命を落としてしまいました」


 男の言葉を聞くと、聖堂にいた神官たちの間に動揺が広がっていく。

 その様子を一瞥して、男は悲しみに耐えるような表情を浮かべ、声を震わせながら言葉を続けた。


「我らが偉大な神——グレイスネイア様の復活のための任務を遂行していたところ、愚かな人間どもの妨害に遭って殺害されたのです……」


 アレニウスの死の原因を知った神官たちが、次々に怒りの声を上げていく。

 聖堂の雰囲気が徐々にヒートアップしていく中で、男がスッと手を挙げた。それだけの動作で、怒りの声を上げていた神官たちが水をかけられたように、静かになった。


「神官アレニウスが亡くなったことは、非常に胸が潰れる思いです……。しかし、彼は我々に希望を遺した!」


 男は両手を広げ、一度言葉を切って、神官たちの意識を自分の次の言葉へと集中させた。


「彼は死の直前、私の元へ魔法で言葉を届けました——『聖女を発見した』と!」


 その言葉に、神官たちは「おお……!!」と歓喜のこもった息を漏らした。


「神官アレニウスは聖女を保護しようとしたものの、聖女を拐かした罪人の凶刃に倒れてしまった。しかし、敬虔な神官であった彼の魂は神の御許へと召され、祝福を受けるでしょう。そして彼の遺志を託された我々が、罪人に拐かされた聖女様をお救いし、必ずグレイスネイア様を復活させるのです!!」


 そう男が高らかに宣言すると、聖堂に荘厳な空気が流れ、そこにいた全ての神官が恭しく頭を垂れた。

 その光景に男は満足そうな笑みを浮かべた。


  ◇


 正神教団本部の上に建てられた教会堂の最奥、そこにある自らの執務室に先ほどの優しげな顔つきの男——正神教団の教主が、椅子に座り、一人静かにワインを嗜んでいた。


「……惜しい人材を亡くしました。彼は非常に扱いやすくて、便利だったんですがねぇ」


 手に持った美しい装飾の入ったワイングラスを揺らし、揺れるワインを見つめながら、教主は残念そうに呟いた。しかし、声の調子とは裏腹に、彼はにやりと口角を上げた。

 教主はアレニウスという男について思い出す。

 小国の政治家だった彼は、不正や犯罪を許さない正義を愛した男だった。

 しかし彼の正義は、あまりに杓子定規に過ぎていた。

 アレニウスがいた国の政治は、確かに腐敗し、不正や犯罪が横行していた。だがその中には、国を、民を思って行われた不正も一部あったのだ。

 貧民を救済する政策をいち早く施行するために賄賂を渡したり、法など関係無いと言わんばかりに不正を行う、悪徳政治家の仲間の振りをして不正の証拠を集めたりなど、一刻も早く国を良くするために最小限の不正を行いながら、奮闘する政治家たちも、確かにその国にいたのだ。

 しかし、アレニウスの目には、その奮闘する政治家たちもただの悪としか映らなかった。国のためを思って最小限に法を犯した政治家たちも、他の悪徳政治家同様、等しく断罪した。

 その結果、国政の改革は遅れに遅れて、民の苦しみは続いていったのだが、アレニウスは自分が正しい行いをしたと信じ切っていた。

 そのことを知った教主は、アレニウスの本質を理解した。

 アレニウスの正義は、自己主義的なものだ。

 国や民の事など関係ない、正義を奮って悪を裁く己の姿に陶酔していただけの、歪んだ正義だった。

 やがて、濡れ衣を着せられて牢に囚われたアレニウスの元を、教主は訪れた。彼の正義を理解している風を装い、言葉巧みに彼を正神教団に勧誘した。そして、少しずつアレニウスの正義観を正神教団のためのものへとすり替えていき、教主にとって都合の良い手駒へと仕立て上げた。

 そんな長い時間をかけて作り上げた手駒を失ったことは、確かに惜しい。

 しかし、それに見合うだけの働きを彼はしてくれた。


「まさか鍵となる聖女を見つけるとは……、ククッ、彼には感謝しなくてはいけませんね」


 教主はほくそ笑むと、揺らしていたワイングラスを傾けて、静かにワインを舌の上で転がし、その風味を楽しんだ。

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