第21話 アレニウス・ジャスティ

 正神教団に入る前、アレニウス・ジャスティはとある小国の政治家だった。

 アレニウスは不正や犯罪を良しとせず、清く正しく自らの職務に励んでいた。

 しかし、彼の努力を嘲笑うかのように、その小国の政治は腐敗しきっていた。

 重税、横領、収賄、改ざん、偽証、ありとあらゆる政治犯罪が横行していた。

 その中でアレニウスはただ一人、国と国民のためを思って、日々身を粉にして働いた。

 そんなアレニウスの正義は、後ろ暗い所のある他の政治家たちにとって、きっと厄介極まりないものであったのだろう。

 アレニウスは、彼らが仕組んだ罠に嵌められてしまった。謂れのない罪を着せられてしまったのだ。

 当然、アレニウスは身の潔白を訴えた。しかし、既に政治家たちによって入念に手を回されており、その冤罪を覆すことはできなかった。

 アレニウスは政治家としての身分を剥奪され、投獄された。

 アレニウスは牢の中で一人、世界を呪った。

 なぜ正しく生き、国のために正義を尽くしてきた自分が報われない。

 必死に尽くした国民には卑劣な犯罪者と罵られ、自分を貶めた悪辣な政治家どもは今ものうのうと悪逆の限りを尽くし、甘い蜜を吸い続けている。

 そんな不平等な世界を、呪わずにはいられなかった。




 そんな中、アレニウスに転機が訪れる。

 彼が牢の中でうずくまり、世界への呪詛を吐き続ける日々を送っていると、牢の前に見知らぬ男が現れた。

 男は牢の看守ではなく、胸に龍の顔の紋章を象った真っ黒で豪奢な修道服を着た僧のような男だった。男はこんな寂れた暗い牢獄には似つかわしくない、優しげな笑顔を浮かべていた。

 呆然と焦点の合わない目で見つめるアレニウスに対して、修道服の男は、ポツリと、小さいけれどはっきりとした声で話しかけた。


「あなたの行いは、正しいものでした」

「え……あ、ああああぁぁぁぁ…………」


 その言葉を聞くと、アレニウスは虚ろになっていた目を見開き、修道服の男を見つめて涙を流した。男の言葉がすっと胸の中に染み入り、全身を優しく温めてくれているようだった。

 それは、アレニウスが最も欲していた言葉だった。

 自分の行いを、誰でも良いから肯定して欲しかったのだ。

 そんなアレニウスの様子を見て、修道服の男は満足げに頷きながら言葉を続けた。


「間違っているのは、悪が蔓延るおぞましいこの世界の方です。故に──正さねばならない。正しく正義を理解する者たちによって世界を再生し、公平で平等な世界を作るのです」


 アレニウスは修道服の男の言葉を、魅入られたように静かに聴いていた。

 まるで、天啓を授かる敬虔な信徒のように。


「どうでしょう。我々と共に正しく平等な素晴らしい世界を作り上げませんか?」


 鉄格子越しに差し出された修道服の男の手を、アレニウスは躊躇わずに取った。




 その出会いからアレニウスは正神教団の信徒となり、教団の活動に己の全てを捧げた。

 正神教団の目的は、封じられた神グレイスネイアを復活させ、その神によって世界を正しく統治することであると、アレニウスは自分を救ってくれた修道服の男——のちに知ったがこの正神教団の教主であった——に、そう教えられた。

 教主曰く、グレイスネイアは歴史書では世界に凄惨な破滅をもたらしたとあるが、それは改竄された歴史とのことだ。

 正しくは、グレイスネイアは悪を滅ぼそうとしたがそれに敗れ、邪神という汚名を着せられて封印されてしまったのだそうだ。

 故に正しき神を失った今の世界には、邪な人間たちによる悪行が蔓延っているのだそうだ。


「何と……何と痛ましい…………」


 アレニウスは、その神と自身の境遇を重ね合わせた。

 自分の正義を肯定し、さらに救ってくれた教主様のように、今度は私がグレイスネイア様を復活させ、この不平等な世界を正すのだ!

 そう決意したアレニウスは、正神教団に心酔し、教団の活動に邁進した。

 グレイスネイアの復活には、膨大な数の人間の魂が必要となる。

 そのためアレニウスは、世界を汚す悪人どもを粛清しながら、その魂をグレイスネイアへと捧げていった。

 教団の活動に邁進するほど、アレニウスの行いは教主や他の信徒によって褒め称えられ、アレニウスは自身の正義が認められる充足感に酔いしれていった。


 その結果、アレニウスの正義は少しずつ歪んでいった。


 アレニウスにとっての悪人の定義は、最初は犯罪を犯した者たちだった。

 しかし、次第にその定義は歪み始め、教団の行いを邪魔したり否定する者、自分の正義を冒涜する者、最終的には罪の有無に関わらず、アレニウスが不平等を生み出していると思った者が、彼にとっての悪人になった。

 やがて教団の幹部にまで上り詰めたアレニウスに、一つの指令が下った。

 ヴィーデという街を滅ぼせ、と。

 ヴィーデは世界で最も人と物資が集まる「商業の街」と言われている場所だった。しかし商業が盛んであるが故に、世界で最も貧富の差が生まれる街でもあった。

 ヴィーデの街を見たアレニウスの瞳には、そこは不平等が蔓延るおぞましき悪徳の街に映った。

 だからこそ、アレニウスはヴィーデの民を全て殺すと決意した。

 世界から大きな不平等の根源を一つ無くし、愚かな悪人どもを救済してその魂を捧げる──そうすることで、偉大な神グレイスネイアへ自らの正義と信仰を示そうとしたのだ。

 アレニウス自身の命を賭してでも。

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