第20話 苦悩
ロングソードが体を斬り裂く感触。
炎が皮膚を焼き焦がす臭い。
命が失われていく瞳。
自分への怨嗟の声
地面に血を流して倒れる大男。
それを為した血まみれの自分の両手を見たところで、佑吾は飛び起きた。
時刻は真夜中、アフタル村の佑吾の自宅だった。
飛び起きた佑吾の呼吸は激しく乱れ、かいた冷や汗で服はびしょびしょだった。寝苦しくて蹴飛ばしたのか、掛け布団が布団の隅で落ちそうになっている。
「またか……」
佑吾はポツリとつぶやいた。
そう、またなのだ。
帝都での事件から一週間、佑吾は毎日この悪夢に苛まれていた。
盗賊団の頭目のガンズを──人を自分の手で殺してしまったという事実への恐怖と罪悪感に、ずっと囚われていた。
戦闘が終わってすぐは、無我夢中だったせいもあってそこまで考えられなかった。ただ、エルミナたちが無事で良かったと、そう思っていた。
しかし、事件が終わって落ち着くにつれて、佑吾は自分が人を殺してしまった事を少しずつ認識し始めた。
一度そう認識してしまったら、もうダメだった。
人を殺したという事実が自分の中でどんどん重石のようにのしかかり、精神を圧迫していった。
大切な家族に触れる自分の両手が、血に塗れているような気さえした。
初めてこの悪夢を見た日は、血に塗れた自分を受け入れられず、ひどく嘔吐した。
ガンズは犯罪者で、自分を殺そうとしていた。
自分の身を守るためには、仕方が無かった。
もしあの場で殺していなかったら、エルミナたちが奴隷として他国に売られてしまう、それを防ぐにはああするしかなかった。
どれだけ理由をつけて正当化しようとしても、人殺しへの本能的な忌避感から、佑吾は自分で自分を許すことができなくなっていた。
「うっ……」
胃から酸っぱいものがこみ上げ、胸焼けもあって激しい吐き気を感じる。
佑吾はベッドから静かに出ると、水を飲むために台所へと向かった。
「ふぅ」
テーブルに座って、水をコップ一杯飲んで一息つく。
ひとまず、吐き気は少し落ち着いた。
汗もたくさんかいて気持ち悪かったが、さすがにこんな夜中に風呂に入るわけにはいかない。濡らした布で拭くだけにしておこう。
そう考えていると、不意に声をかけられた。
「……佑吾?」
呼ばれた声に佑吾が振り向くと、寝巻き姿のサチが台所へとやってきた。
「何してんの? こんな夜中に」
「……ちょっと目が冴えちゃってな。喉も渇いたから水を飲みに来たんだ」
「あっそ」
サチは素っ気なく答えると、佑吾の向かいに座って頬杖をついた。
「それで? あんた、あたしたちに何隠してんの?」
突然の言葉に、佑吾は核心を突かれたようにぎくりとした。
「…………何のことだ?」
「しらばっくれないで。あんたの様子がここ最近おかしいことくらい、見てれば分かるわ」
サチが確信しているかのような目つきで、佑吾を見据えた。
どうやら隠せていなかったようだ、佑吾は観念した。
佑吾は、人殺しの罪悪感に苦悩していることを、誰にも打ち明けていなかった。家族に──特にエルミナには気づかれないように最大限気をつけ、努めて明るく振る舞うようにしていた。
助けた時みたいに、「自分のせいで、みんなが傷ついてしまった」とエルミナ自身を責めて欲しく無かったからだ。
「……気づいたのは、サチだけか?」
「いいえ、ライル、それに多分コハルも気づいてたわよ。エルミナは、気づいてないと思うわ」
良かった。
一番気づかれたくないエルミナには、バレなかったみたいだ。
ただ──
「ライルさんはともかく、コハルにまでバレてるとはなぁ……」
「あの子は確かに能天気でポヤンとしてるけど、誰かが落ち込んでたり悲しんでたりするのには敏感なのよ」
それを聞いて、佑吾は前の世界でのことを思い出す。
自分が仕事で失敗して落ち込んでいる時、コハルは静かにすり寄ってきてくれて、ずっと自分の側にいてくれた。
慰めてくれようとしたのか、ペロペロと顔を舐めてきた。
それが何だかくすぐったくて、気づけば落ち込んだ気分はどこかへと行ってしまった。
あの温かさには、何度も助けられたものだ。
「あの子、私に言ってたわよ。『佑吾が悲しそうだけど、なんて声をかけたらいいか分かんない』って、自分の代わりに佑吾の悩みを聞いてくれって」
「……そうだったのか」
「それじゃ、あんたが何を悩んでんのか、話してくれる?」
コハルにまで心配をかけてしまっているのなら、さっさと打ち明けて少しでも楽になった方がいいのかもしれない。
そう考えて佑吾は、サチにポツポツと話し始めた。
ガンズを殺してしまったあの光景を何度も夢に見ていること、人を殺してしまった罪悪感に苦悩していることを包み隠さず全て話した。
最初はたどたどしく話していたが、話が進むにつれて口調は早くなり、溢れ出すように言葉が出た。
その理由に、佑吾は話していくうちに気づいた。
佑吾は、誰かに話を聞いて欲しかったのだ。
これ以上、一人で罪悪感を抱えることに耐えられなかったのだ。
「……俺は人を殺してしまった事が、怖くてたまらない。ガンズを殺した時の光景が、人を斬った感触がいつまでたっても手に残っているんだ……」
「……………………」
サチは一言も話さずに、黙って佑吾の話を全部聞いていた。
その心遣いが、今の佑吾にはとても優しく感じた。
「あんたの悩みは分かったわ。同族を殺したことに、罪悪感を感じているのね?」
「……そうだ」
「それなら、ごめんなさい。私には、その感覚が分からないわ」
「どういうことだ?」
「あたしは、前の世界にいた頃、あんたに拾われるまでは一人で生きてきた。家族や仲間なんて居なくて、縄張りやご飯のためにいつも同族と争っていたわ」
昔の記憶を語るサチの顔は、とても苦しそうだった。
「そして、人間にひどく嫌われたわ」
吐き捨てるように放たれたその言葉に、佑吾はひどく驚いた。
そんな佑吾に構わずに、サチは言葉を続けた。
「見た目が真っ黒だから不吉だ。なんて言われて、乱暴に追い払われたり、石を投げられたり、本当に散々だったわ」
確かに、黒猫は不吉の象徴なんて馬鹿げた迷信は、佑吾だって耳にしたことはある。
ただ、それを真に受けて猫にひどいことをする人が居ることが、佑吾には信じられなかった。
「だから、あたしにとってあたし以外のやつはみんな敵。あたしが生きるためだったら、他の奴がどうなろうと知ったこっちゃないわ」
そう言ったサチの瞳には、強い決意の色が見て取れた。
自分以外は全てが敵で、その敵に臆さず戦う決意だ。
ただ、その決意は悲しい決意だと、佑吾は思った。
誰にも頼らず、みんなを敵だと思って一人で生きていくなんて、あまりに寂しすぎる。
「でもね、あんたに会って変わったわ」
フッと、サチは柔らかく微笑んだ。
「あんたはあたしのことを、うざいくらい大切にしてくれたわ。それにコハルもね。警戒するあたしのことを、少しも気にしないで優しくしてくれたわ。最初は、何でこんなに優しくしてくれるんだろうって怖かった。でも、それがだんだん嬉しくなった。私はここにいていいんだって、そう思えたから」
それは、初めて聞いたサチの思いだった。
サチが、自分たちのことをそんな風に思ってくれていたなんて。
「今のあたしにとって、あんたとコハル、それにエルミナのことが自分の命と同じくらい大事。あたしの大切な家族だから、それを脅かすやつがいるなら、私はどんな敵だろうと容赦しないわ」
そう言って、サチは真っ直ぐに佑吾を見据えた。
とても強い目だった。
佑吾には、それがとても眩しく思えた。
「……強いんだな、サチは」
「何言ってんの、あたしから見ればあんたの方が強いわよ」
「え?」
「あんたは罪の意識から逃げずに、ちゃんと向き合って受け止めようとしてるじゃない。本当に弱い人間なら、向き合わずにとっくに逃げてるはずよ」
サチが、テーブルに置かれた佑吾の手に、自分の手を重ねた。
「あんたはこの手で、あたしたちを守ってくれたのよ。ありがとう。あたしの大事な人たちと、あたしの事を守ってくれて」
サチは、いつものツンとした態度ではなく、とても穏やかに笑っていた。
その目は、優しかった。
「あんたが一人で苦しんでるなら、あたしとコハルも一緒に罪を背負うわ。あんたを支えてあげる。だからこれからも、あたしたちと一緒に生きていきましょう」
「…………!!」
佑吾の目から、涙が一筋こぼれた。
サチの言葉が、すぅっと胸に染み渡る。
自分は一人じゃないんだと、一緒に苦しみを分かち合ってくれる家族がいるんだと、それが罪悪感に苛まれる佑吾の心を安心させてくれた。
そういえば、涙を流したのはいつぶりだろう。
一度流れてしまったら、もう止めることはできなかった。
「…………ありがとう、サチ」
「全く、大の男が泣いてんじゃないわよ。でもまぁ、今日くらいは見なかったことにしてあげるわ」
サチが見守る前で、佑吾は感情の赴くままに泣き続けた。
その日以降、佑吾が悪夢を見ることはなかった。
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