第2話 エルミナの力

 ──失敗した。


 佑吾は、森の中を全力で走っていた。

 この世界に来てすぐの頃であれば、森に入れば絶対に迷っていた佑吾だったが、ライルの手伝いで森に入るようになってからは、まるで見知った街のように移動することが出来るようになっていた。

 その能力を駆使して、佑吾は今、森の出口を目指して最短ルートを全力で走っていた。

 その理由は、走っている佑吾の後ろから聞こえる、ハッハッという犬のような息づかいと地を駆ける複数の足音にあった。


「クソッ!!」


 佑吾は悪態をつくとともに、走る足に更に力を込めた。

 それと同時に、佑吾を追いかけていた生物が草むらから飛び出した。

 それは、焦げ茶色の体毛をした狼──地狼ラウンドウォルフと呼ばれる魔物だった。

 この魔物の特徴は、必ず群れで行動することで、厄介なのは群れの一体に攻撃を仕掛けると、その場にいる群れ全体が反撃してくるところだ。

 佑吾は今、地狼ラウンドウォルフのこの習性によって、危機的状況に追い詰められていた。


  ◇


 事の発端は、いつもの森の巡回中に、佑吾が三匹の地狼ラウンドウォルフを見つけたところから始まる。

 黒猪ダグボアを一人で討伐できるようになった佑吾は、正直油断していた。

 今の自分なら、この森に生息する魔物はどんな相手でも倒せるんじゃないか。そんな仕事に慣れたビギナーにありがちな慢心をしていた。

 その慢心の結果、佑吾は普段なら避ける一人での地狼ラウンドウォルフの討伐に動いた。


「三匹か……二匹は弓で仕留めて、残った一匹は剣でいけるか」


 頭の中で動きを入念にシミュレーションし、そして行動に移した。

 弦を引きしぼり、一本目の矢を放つ。

 放たれた矢は佑吾の狙い通り、一番近い場所にいた地狼ラウンドウォルフの頭部を貫き、血を吹きながら倒れた。

 その音に残りの二匹が反応し、その内の二匹が敵である佑吾を見つけると、その凶暴さを示すかのように、吠えながら佑吾の方へと走り出した。

 佑吾は慌てず次の矢をつがえて、駆け出してきた一匹に向けて再び矢を放った。それもまた頭部を貫き、地狼ラウンドウォルフを地に沈めた。

 そして佑吾は残りの一匹へと目を向けながら、右手を腰に付けた剣へと伸ばした。


「……何だ?」


 しかし、残りの一匹の方を見た佑吾は首を傾げた。

 残りの一匹は、仲間が二匹殺されたにもかかわらず、佑吾へと近づいて来ず、最初の位置から動いてなかった。

 想定と違った地狼ラウンドウォルフの行動に疑問を覚えていると、残りの一匹が顔を空へと向けた。


「ウォォォオオオオオン!!!!」


 甲高い遠吠えが、森中に響いた。

 すると、遠吠えをした地狼ラウンドウォルフの後ろの草木を分けながら、新たな地狼ラウンドウォルフが三匹現れた。


「なっ!?」


 そして佑吾が行動するよりも早く、計四匹の地狼ラウンドウォルフが佑吾へと、怒気を孕んだ声を上げながら駆けてきた。


(これはやばい!)


 咄嗟に命の危険を感じた佑吾は、持っていた弓と荷物をその場に捨てて、後ろを向いて全力で逃げ出した。


  ◇


 ──そして、現在の状況に至る。

 まさか、群れが分かれて行動していたとは。佑吾は自分の軽率さを呪った。

 しかも、最初に佑吾を追いかけ始めた四匹以外の足音も聞こえる。今では一体何匹に追われているのか、佑吾には把握できなかった。


「もうすぐ村だ……!」


 必死に地狼ラウンドウォルフの追跡から逃げ続け、ようやくアフタル村の近くへと着いた。佑吾は出口が近付いたのを感じて、ほっと安堵した。

 その気の緩みが、再び佑吾に危険をもたらした。

 佑吾の右側の草むらから音が鳴り、地狼ラウンドウォルフが一匹飛びかかってきたのだ。

 気づかない内に、回り込まれていたようだ。


「グルゥア!!」

「ぐっ!?」


 飛びかかられた佑吾は体勢を崩して、地狼ラウンドウォルフとともに倒れこんだ。

 飛びかかってきた地狼ラウンドウォルフはそのまま佑吾へと馬乗りになり、大口を開けて佑吾の左肩へとガブリと噛み付いた。


「ぎぃあ!?」


 左肩に、体験したことがない激痛が襲う。

 地狼ラウンドウォルフの牙が、メリメリと佑吾の左肩へと食い込んでいく。

 さらに追いついたもう一匹が、今度は佑吾の右足の脛に噛み付いた。


「がぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 佑吾は右手で腰から解体用の短剣を抜き、自分の上にいる地狼ラウンドウォルフの首に突き立てて切り裂いた。

 短剣が突き刺さって血を吹く地狼ラウンドウォルフを、激痛に耐えながらどけて体を起こす。そして、右足に噛みついているもう一匹も、左足で蹴り上げて撃退した。


「ぐぅぅ…… <初級治癒キュアル>」


 どくどくと血が流れる右足に治癒魔法をかけ、佑吾は何とか立ち上がる。

 そして、再び地狼ラウンドウォルフから逃げるために駆け出した。

 しかし、<初級治癒キュアル>を一回かけただけでは、右足は完全に治りきらなかった。

 走るたびに、痛みが佑吾を苦しめた。

 その結果、もう少しで森を出られるというところで、佑吾は再び地狼ラウンドウォルフの追撃を受けた。背後から飛びかかられて、その場にうつ伏せに転んでしまった。

 背中に飛び乗った地狼ラウンドウォルフが、佑吾の首筋に牙を立てる。

 そして、追いついてきた他の地狼ラウンドウォルフたちも、次々に佑吾の体に牙を立てていった。

 首に、体に、腕に、足に、地狼ラウンドウォルフの牙が突き立てられた。


「ぐぁ、やめ、ぎ、あああああ!?!?」


 次々と襲いかかる激痛に、佑吾は正気を失いそうになる。

 もうダメだ、そう思った時、倒れている佑吾に疾風のように駆け付ける影があった。

 その影は、佑吾へと群がる地狼ラウンドウォルフに強烈な蹴りを叩き込んだ。

 蹴り飛ばされた地狼ラウンドウォルフたちに、追い討ちを掛けるように火の魔法と数本の矢が降り注ぎ、次々に地狼ラウンドウォルフたちの命を奪っていった。


「佑吾!? 大丈夫!?」


 地狼ラウンドウォルフを蹴飛ばした影が、しゃがみ込んで佑吾に声を掛ける。

 その影の正体は、コハルだった。

 コハルは悲痛な面持ちで、佑吾の体に触れた。

 遅れてやってきたサチと弓を持った村人たちが、佑吾の姿を見て絶句する。

 全身の至る所から出血して真っ赤に染まっており、血まみれで倒れ伏す佑吾の状況は、素人目にも分かるくらい絶望的なものだった。


「早く村から薬を持ってきて!! コハル、あんたはライルさんを呼んで来て!!」


 動揺からいち早く持ち直したサチが、他の皆へと指示を飛ばす。

 指示を受けた者が、慌てて動き出す。


「……みんな慌ててどうしたの?」


 後ろから聞こえた幼い声に、皆が振り返る。

 そこには、野草の入った木のザルを抱えたエルミナが立っていた。

 たまたま、村の入り口付近で野草を集めていたのだろう。

 エルミナは視線を動かすと、血まみれで倒れている人を見つけてしまった。

 それが父親と慕っている佑吾であると理解すると、見る見るその顔が青ざめていった。


「お父……さん?」


 エルミナは持っていたザルを落として、バタバタと佑吾の元へ走り寄った。


「お父さん、お父さん!? いや、お父さん、死んじゃダメ!! やだ、やだぁ、死なないで!!」

「…………」


 エルミナは半狂乱になりながら、血が流れないように佑吾の傷口を両手で必死に押さえた。しかし、エルミナの努力も虚しく、血は止めどなく流れ続けた。


「お願い止まって!! 止まってよぉ!!」


 エルミナの悲痛な叫びが、森の中に響き渡った。

 そこにいる人々が痛ましそうに、エルミナから目を逸らした。

 誰もが佑吾の生存を諦めかけた時、エルミナの叫びに応えるかのように、傷口を押さえる両手から、突如としてまばゆい黄金色の光が溢れ出した。


「何、これ……」


 呆然とするエルミナ。

 周りにいるサチや村人も、突然の事態に戸惑っていた。

 やがて、エルミナの手から溢れた光が、佑吾の全身を包み照らす。

 そして一際強く発光すると、黄金色の光は徐々に萎んで消えていった。


「う……」

「お父さん!」

「佑吾!」


 光が収まると、ろくに体も動かせなかったはずの佑吾が、身じろぎ、顔を上げた。その顔は、先ほどまでと打って変わって生気に満ちていた。


「エル……ミナ? それにサチも……」

「佑吾動かないで! あんたひどい怪我……を……?」


 佑吾の体を支えようとしたサチが、佑吾の体の様子に疑問を覚える。

 そして確かめるように、佑吾の体のあちこちを触っていく。


「怪我が、治ってる……?」


 サチが、信じられないように呟く。

 サチの言葉を聞いて、佑吾も体を起こした。

 ポンポン、と自分で体のあちこちを叩いてみる。

 多少筋肉がこわばったようなぎこちなさは感じたが、さっきまであった激痛は嘘のように無くなっていた。


「本当だ……傷が治ってる。でも何で……」


 触って確認したところ、服は血に濡れているものの、その下にあった地狼ラウンドウォルフの噛み跡は、確かに全て塞がっているようだった。


「お父さんっ!」

「うわっ!?」


 佑吾がからの状態を確かめていると、エルミナが佑吾の胸へと飛び込んできた。その顔を胸にうずめて、ぐすぐすと泣いていた。


「良かったぁ……お父さん、元気になって良かったぁ……」

「エルミナ……ごめん、心配かけたね」


 エルミナの頭に手を置いて、あやすようにそっと撫でる。


「ったく、何やってんのよ……本当にもう」


 サチが、ぷいとそっぽを向く。

 心なしか、その目には涙が溜まっているようだった。


「サチもごめん、本当に心配をかけた」

「ふん、別に心配なんかしてないわよ」


 それがサチの照れ隠しだと分かる佑吾は、嬉しそうに笑った。

 その後、村に戻っていたコハルたちが駆けつけて、サチと同じように佑吾の回復に驚いていた。

 特にコハルは安心したのか、エルミナと同じように佑吾に抱きついてきた。

 ただその勢いがエルミナよりも凄まじかったため、エルミナのように抱きとめる事が出来ず、佑吾はそのまま後ろにすっ転んでしまった。

 それを見たサチたちは吹き出し、佑吾もなんだか可笑しくなってしまって笑い声をあげた。

 森の中に、村のみんなの温かな笑い声が少しの間響いた。

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