3-2 故郷

「それでもなお、神が彼らを救うだろう。その大いなる愛でもって。」

「お前は神を持ち出すのか。ならばここで今苦痛に喘ぐ人々はどうなる。その死が来たるまで救いはないのか。この世に救いはないのか。お前たちは地上の子ではないのか。暴力の風が吹きすさぶ時、お前達はじっと耐えるしかないのか。」

 巨人は腕を振りかぶり、空を叩いた。強風が巻き起こり、立ち並ぶ建物を吹き飛ばす。空に舞った建物はバラバラに砕け、破片となった。Cはその破片の中に、人が混じっているのを見た。その四肢はもげ、その表情には苦悶が広がっている。

「見よこの苦渋を。ここが地獄である。一人取り残された者達に与えられる苦痛である。この世に彼らに与えられる救いはないのだ。」

 Cは絶望の奈落を垣間見た。いと暗き地の底。

巨人達が囚われていたあの場所を。救いが永遠に訪れぬあの地獄を。救いはここにはない。この現世には。我らの苦痛は永遠なのか。人の世に、神は降り得ぬ。永劫の困難、永久なる暗黒。遣わされたのは破壊の使者。兵士達が命を賭して守らんとした世は果たしてこの地獄なのか。否、決して信じてはならぬ。救いを我らの元に。我ら人の世に残されねばならぬ。神が我が前にかくの如き不条理を示したるはその大いなる愛故に。救いの道は愛の道。いかな嵐が吹き荒れようと神の愛は永遠にして不滅。我らはその道を信じねばならぬ。

 Cの眼前に再び愛の国が横たわった。それは紛れもない過去の存在。あの母の抱擁。恋人達との抱擁。おお、見よ、愛だ、愛なのだ。愛が我らを救うのだ。愛は春を運び、存在の海に肯定の環を架ける、ああ美しき春の日、我が存在が肯定され、幸福の海へと漕ぎ出すあの栄光の日々。神の道を辿る我が人生は苦渋に溢れながらも地獄への道を迂回する。さあ、愛と共に登れ、夢の水底、幸福の天上へと。かの国では、喝采と共に人々が並び立つ。歓喜と受容、理解と成功の渦。過去の知覚、過去の光、人を人ならしめる経験の束。救いは過去からやって来た。しかしそれでもなお、救いは過去からやって来たのだ。

「おお巨人よ、強靭なる破壊者よ。過去である。人を人たらしめるは過去である。我ら人間達の本質は過去である。連綿と紡がれてきた過去。過去は営々と繋がれ我らを救うのだ。蓋し、愛は過去と共にありて、悠久の彼方、地平線の先へと広がれり。わが愛の言葉を聴け、不滅の過去、不滅の愛の前に立って汝らはあまりに弱い。歩みを止め、人々を救い給え。」

「過去過去過去、何故お前はそう過去に拘るのだ。それは夢でしかない。過去にもまた不条理が潜んでいる。過去はお前も癒しもすれば傷付けもしよう。過去は存在しない。存在するのは、見よ、この不条理なる今である。誤るな。この現在の存在を観よ。」

 甘き香りが消え去り、Cは額に風を感じた。それは巨人が腕を振るいし証。家屋は再び吹き飛ばされ、幾つもの木片が宙を舞った。

 Cがその木片の中に、自らの姿を映した写真が混じっているのを認めた。写真に写りし己の姿はまごうことなく直立せる姿。輝かしき過去。過ぎ去りし過去。写真は吹き飛ばされた自らの生家と共に、彼方へと過ぎ去り、そして見えなくなった。

 過去は消えゆくのか。Cの生家は跡形もなくなっていた。巨人の背後をCが振り返ると、そこにはただ瓦礫の道があるのみ。Cが暮らしてきた思い出の町は廃墟とも言えぬ、塵芥と成り果てていた。

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