第6話
もうどのくらい時間が経ったのか、莉乃にはわからなかった。
鳳龍は一度も反撃をせず、3人の攻撃を受け続け、地面に転がったままだった。
「おい。もうそのへんにしとけ」
これ以上はヤバいとでも思ったのか肩で息をしながら五分刈りの男児が言った。その言葉に残りの2人も手を止めた。今の彼らにはさっきほどの元気はなかった。殴れば殴るほど、蹴れば蹴るほど自分たちの中に違和感が広がっていくのがわかった。明かに自分たちの方が優勢であるはずなのに、何とも言えない不安のようなものが心に芽生えていった。それを打ち消すように拳を振るっても、逆にその思いは大きくなる一方だった。いつも自分たちが相手にしている同級生とコイツは違う。これだけ3人に暴力を振るわれても声ひとつあげず、同じ姿勢のままでいる。
(なんなんだ、コイツ?何を考えている?)
鳳龍はずっと何かを待っているようだった。
何か。自分たちが根を上げるのを待っているような。そんな違和感。
額から流れる汗を手で拭うと、「けっ」と横に唾を吐き捨てた。
「これに懲りて、もう莉乃になんか近づくんじゃねえぞ」
ランドセルと拾い上げるとお決まりの捨て台詞を言うとその場を後にした。
3人の男児はへたり込んで泣きじゃくっている莉乃の横をわざと通って、神社の参道を出口の方へ向かった。
「じゃあ、また、明日学校でな」
「休むんじゃねえぞ」
「誰にも言いつけるなよ。分かってるよ、なっ!」
「きゃっ!あっ」
最後の1人が通り抜ける瞬間に勢いをつけて莉乃を片足で踏みつけた。ランドセルを背負っていたので、背後というよりは二の腕の辺りを斜めに蹴りつけるような形だ。莉乃は顔を覆ったまま地面に倒れ込むしかなかった。怖さが先に立って、顔は上げられなかった。砂が口や鼻の中に入り、埃と血のにおいと味がした。両肘が石畳に擦り下ろされた。痛みより怖さと悔しさが先に立って、涙しか流れなかった。その場に突っ伏すしかできなかった。その様子に満足したのか、ニヤニヤ笑って楽しそうにスキップしながらその場を去っていった。
辺りには静寂が戻った。鳥の囀る声が聞こえてきた。風に揺れる葉擦れの音も。人の気配が無くなったのが分かると莉乃は堰を切ったように声を上げて泣き始めた。
鳳龍もようやく自分の腕の縛を解き、くの字になっていた体を大の字にして空を仰いだ。きれいに抜けるような青空だった。
(さぁてっ…と)
目を閉じて、深く深く長い呼吸を何度か繰り返した。その呼吸をしている間に気を巡らせ、自分の体の状態を確認した。
(深手はない。まあ、こんなもんだろう)
再び両目を開けると両手を真っ直ぐ伸ばし、足の反動でバック転する様にくるりと起き上がった。そして、何事もなかったように莉乃の方へと近づいていった。
莉乃はずっと地面に突っ伏したまま泣きじゃくっていた。鳳龍は膝をつくと、莉乃の肩に手を置いて声を掛けた。
「莉乃ちゃん、」
「いやああ!」
莉乃はあの3人だと思ったらしく、鳳龍の手を力一杯払い除けた。
「莉乃ちゃん!大丈夫!僕だよ。
「やだあぁぁぁ!」
恐怖のために思考が混乱している。一種のパニック状態に陥っていた。彼は軽く彼女の左頬を叩いた。そして彼女の両肩にもう一度手を置いて、自分の顔を近づけた。
「莉乃ちゃん‼︎しっかり!もうあいつらはいないから!僕だよ、わかる?」
「…? フェイ…くん?」
「うん。そうだよ。よくここから動かなかったね。偉かったよ」
彼女の顔つきがようやく変わった。あの3人ではないと認識したようだった。鳳龍の顔を見るとまた涙が溢れてきた。白く土で汚れてしわしわになってしまった黒いチャイナ服、きれいに束ねられてたはずの三つ編みも乱れ、殴られ続けた顔も、
「ごめんさなさい!私の…私のせいでフェイくんが!」
莉乃は思わず彼に抱きついてしまった。自分のせいで彼がこんな目に遭った。遭うはずのない目に遭ったのだと、そう思った。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」
謝り続ける彼女を鳳龍は両手でふわっと包み込んだ。
「大丈夫だって言っただろう。へっちゃら、へっちゃら!こんなのやられたうちに入らないって。冗談じゃなくね」
「……」
彼は莉乃を包み込んでいた手を解き、彼女の顔を見た。両目を真っ赤に腫らしてしゃくり上げて泣き続けている。彼にとっては小学生に殴られるなど、痛くも痒くもない。それほどやわな鍛え方はしていないのだが、そんなシーンを見たことのない彼女にはショックであったろう。それは推し量れた。早く『なんでもないのだ』ということを知らせたかった。
「あー、せっかく昨日、莉乃ちゃんのお母さんにきれいに洗ってもらった服を汚しちゃった」
鳳龍は立ち上がると、少し離れてチャイナ服を手ではたき始めた。どこを叩いても真っ白な埃が空に舞った。申し訳ない顔をして、腰帯をギュッと締め直した。
「あんなに…あんなに物凄い音がするくらい殴られて、蹴られて…」
彼女の涙を止めたくて、彼は、とびっきりの笑顔を彼女に見せた。あまりにもいい顔で笑ったので、一瞬彼女は泣くのを忘れたようだった。それが分かったのか、鳳龍は手を使わないバック転を何度かして見せた。
「だから、やられたうちに入らないって。あいつらのパンチもキックも一発も僕には入ってないんだよ。微妙に打点をズラして受けてたし、僕には鋼鉄の鎧があるからね!今頃、足とか手とか痛めてなきゃいいけど」
最後の1回をして見せて、両手を拳にして体に引き寄せ、足を前後に開き、腰を落として呼吸を整えた。
「受けてた?」
「修行中の身とはいえ、これでも一応、武人だからね。もちろん、一般の人には本気にならないさ。それに、」
(それに、本気になってたら、あの子ら殺しちゃうし…)
彼は最後の言葉を莉乃の前では飲み込んだ。
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