第3話
ガチャガチャとランドセルの中の教科書や文房具が鳳龍の足取りに合わせて音を立てた。彼女の目の前で大きな三つ編みにされた黒髪が弾んでいた。莉乃は負ぶさってみて、驚いた。自分より小さな体の彼の背中は、なんという筋肉質なのだろうと。チャイナ服越しにでも分かる。自分の友達とは全く違う人種であると感じた。力強い足取り、走るというより飛ぶように前へ進んでいく。まるで彼女の体重など感じていないように軽々と進み、天狗にでも拐われたようだ。
「さ、道路に出たよ。莉乃ちゃん家、どっち?」
ようやく莉乃にも見える薄暗さの中に立った。鳳龍は後ろを振り返りながら、屈託なくにっこり笑った。莉乃は彼の顔を見て、意外だった。意外なほど幼く見えた。自分と同じくらいの年頃のように見えた。その笑顔をまじまじと見つめるだけだった。
「莉乃ちゃん?」
「あ、え、えと。こっち」
太陽が沈んだ西の方向を指差した。
「こっちだね。しっかりつかまっていてね。」
鳳龍はあまり体を上下させないように静かに歩き始めた。夕闇が背後から追いかけて来る気がした。空気がひんやりし始めた。
「莉乃ちゃんはこの辺に住んでるんだよね?」
「うん…」
「ここはいいところだね。空気も美味しいし、何より緑が多い」
屈託なくにっこり笑って言った。
「フェイロン君の住んでるところはそうじゃないの?」
「ここに比べればね。街の中だし」
「そうなんだ」
「僕は香港生まれなんだけど、向こうは熱帯の自然だから日本みたいな森林は少ないんだ。僕はこっちの方が好きだし」
「香港?が、外国だよね?」
小さな島というくらいしか彼女には分からなかった。
「うん。昔はイギリス領だったけど、今は中国の一部」
「え?じゃ、外国の人なの?」
毎回定番の問いに吹き出した。思わず大きな声で笑ってしまった。確かに黒髪だから外見は日本人にしか見えない。その笑い声を聞いて、莉乃も笑いが移ってしまった。ほんの少し笑顔が戻った。
「日本語じゃない言葉を喋って欲しそうだね?どっちがいい?広東語?英語?」
「えー、よくテレビで見かける外国の人みたいに変な喋り方じゃないし、日本語が上手だからそのまま日本語で話してよ」
「もちろん!」
にぃっと鳳龍が彼女の顔を見て笑った。その笑顔があまりにも素敵に見えて、顔を赤らめてしまった。
「ありがとう…」
「何が?」
「手当てしてくれたのに、お礼も言ってなかった」
「泣いてたから驚いたんだよ。手当っていっても大したことしてないしさ。平気平気」
鳳龍の歩くスピードは全く落ちず、彼女をおぶっていることすら忘れてしまいそうな速さだった。
「手ぬぐい、ごめんね。破らせちゃった」
「使うためにあるんだから気にしなくていいよ。こうして莉乃ちゃんとお話しできたし、楽しいよ」
(どうして泣いてたかとか、怪我してたかとか、聞かないんだ)
莉乃は不思議に思った。なぜ彼はこんなにも見ず知らずの自分に優しいのだろうと。
泣いていたことには理由があった。明確に話くない理由があったのだ。それを追及しない彼は不思議な存在でしかなかった。
「あ、そこを左に折れて。すぐそこ」
道路沿いに2、3軒軒を連ねている場所が見えた。各家々には軽自動車が2台ずつ止められていた。家の後ろにはさっきまでいた小高い山が黒く影のようになっていた。陽はとうに沈み、薄暗い外灯に照らされて外壁と家から漏れる暖かい明かりが非常に対照的だった。
「ここだね」
「ありがとう。ここからは自分で歩ける」
「うん。よかった。じゃ、ここで」
鳳龍は背中から彼女をゆっくり降ろし、気をつけて路面に立たせた。バランスを崩さないように、片手で彼女の体を支えた。勝手口のほうから誰かが出てきた。その誰かは道路に立っている彼女に気がついた。
「あら、莉乃、帰ったの?」
「お母さん」
莉乃は母親の姿を見たものの動けなかった。娘を見たあと、側に佇む少年の姿に気がついた。ちょっと首を傾げながら、声をかけた。
「隣の子はどなた?」
「あのね、」
莉乃が説明しようとした矢先、鳳龍が先に声をかけた。
「こんばんは。莉乃ちゃんのお母さんですか?僕は鳳龍といいます。山形までお使いに行く途中で、莉乃さんが怪我をして動けなかったようなので、送ってきました。一応、血止めはしましたが、みてあげてください。手ぬぐいは処分していただいて構いません。では、これで。失礼します」
彼は礼儀正しく挨拶し、状況を説明しながら、莉乃の背中を押した。ゆっくりと歩き出せたので足の怪我はそれほどでもないようだ。その様子を見て、彼は少し安心した。彼女は母親に肩を抱かれた。
鳳龍はぺこっと一礼するときびすを返して歩き出そうとした。
莉乃はまるで「行かせないで」とでも言うように母親の顔を見上げながら腕を引っ張った。
「あ、ぼく、ちょっと待ちなさい!」
「はい?」
「もう陽が落ちてしまって暗いわ。今晩、泊まる所は決まっているの?この辺は街灯も少ないし。もし、急いでいなければ、夕ごはんをご馳走したいんだけれど」
「いえ、そこまで気を遣わないでください」
彼は苦笑いをした。
「フェイくん、私からもお願い。もう少し、ここにいて」
莉乃は再び彼に近づいてくると、不安そうに両手で彼の腕にすがりついた。
「お願い…」
あまりにも真剣な眼差しで見られたものだから、返答に困ってしまった。
「では、お言葉に甘えてもいいですか?」
その答えを聞いて莉乃の顔はぱあっと明るくなった。鳳龍は莉乃と母親に導かれるまま家の中に消えた。
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