10:HONDA SUPERCUB C50 上

「う~ん……」


 長野県狛ケ根市の天竜川東岸。赤石山脈に抱かれた山村に住む中学1年生、宇賀神うがじんげんは、近所の自動車修理工場兼解体屋の敷地内にて、既に1時間以上唸り声を上げていた。

 厳の目の前には3台のモーターサイクルが鎮座している。


 1台は、ホンダ・ベンリィCD50。

 頑丈かつシンプルなTボーン・フレームに大容量ガソリンタンクを持ち、スタイルを気にしなければスポーツ・バイクと同じ乗り方が出来るビジネスモデルだ。

 エンジンはかの名車、スーパー・カブとほぼ共通だが、ミッションが遠心クラッチ3速ロータリーからハンドクラッチ4速リターンに変更されており、カブよりもある意味スポーティな性格となっている。


 もう1台は、スズキ・バーディーFR50。

 スズキ版スーパー・カブとでも言うべきモデルで、同時代の『行灯カブ』と同じくフロント・カバーにポジション・ランプを持つ通称「行灯バーディー」である。4ストロークのカブと違い、こちらはケースリードバルブ式の2ストロークエンジンを持ち、力強いトルクとフケ上がりの良さが自慢である。


 そして、最後の1台は、泣く子も黙る世界の名車、スーパー・カブ号。

 それも、初代C100から大幅なチェンジを経て、OHVからOHCへとエンジンが大転換された直後のモデルであるC50。

 その突き出た大き目なフロントウインカー・レンズの形状から、『おっぱいカブ』という、恐らく日本のバイク史上もっとも直接的かつセクシー(?)な愛称を持つモデルである。


 厳の手に握られているのは5000円札。

 ここ三か月の小遣いを貯めた、大事な軍資金である。

 目の間に有る3台は、厳の全財産と等しく、どれも1台5000円。

 厳は人生初の愛車を選ぶため、1時間以上も悩み、唸り続けているのだ。


「坊主、そろそろ決まったか?」

「う~ん……」


 厳は中学に入ったばかりの1年生、まだ誕生日を迎えていないので12歳である。

 もちろん、免許は取れないし公道でバイクに乗ることは出来ない。

 だが、時は1980年代の初頭であり、この田舎には舗装されていない私道や私有地が山ほどあるし、天竜川の河川敷も目の前だ。

 厳の家も、その背にこんもりとした山をいくつか持っており、その山に造られた切り出し場の広大な空き地や、未舗装の私林道であれば走っても咎められることはないのである。


 厳は小学生のころからバイクが好きで、父親や親戚の所有するスーパー・カブやヤマハ・メイト、スズキ・バーディーなどを私有地内で乗り回して来た。

 そして、中学生となった今、自分専用のバイクを手に入れようと、普段から入り浸っていたこの店にやって来たのだった。


「う~ん……よし、決めた!!」

「お、どれにするんだ?」


 面白そうに眺めていた店主に向かい、厳は元気よく5000円札を差し出す。


「やっぱ、カブにする! このおっぱいカブちょうだい!!」

「あいよ。ちょっと待ってろ、販売証作ってやっから」


 店主は厳から5000円札を受け取ると、事務所へと引っ込んでいく。

 

「へへへ……」


 厳は、自分のものとなったおっぱいカブに跨ると、キック一発。

 プルルン! と元気な音を立て、苦も無くエンジンが目覚める。


「へへへ、俺の、俺だけのバイクを手に入れたんだ!」


 厳は、店主が販売証明書を片手に戻ってくるまで、ポコポコと長閑なエンジン音を奏でるカブの上でニヤけ続けたのだった。




 そして、厳がおっぱいカブを手に入れてから三年の時が流れ。


「よっしゃ、合格!」


 16歳になった厳は、誕生日当日に狛ヶ根警察所で原付免許試験を受け、見事合格した。

 周りには数人、厳と同じ狛ケ根市立赤稲高校生徒の姿があり、そのうち半分程度が合格し、残りは残念ながらまた次回受験ということになったようだ。


「厳は受かったのか」


 と、厳と同級生の一人である田中が悔しそうに聞いて来たので。


「ああ、なんとかな」


 と、落ちたらしい田中に配慮して、はしゃがず騒がず静かに答える厳である。


「そっかー、俺は落ちちまったよ」


 残念そうにいう田中に、厳は受験直前まで読んでいた練習問題のテキストを差し出す。


「これ、やるよ。俺はコイツを3回通しでやったら一発合格だったぜ」

「え? 良いのか?」

「ああ、俺にはもう必要ないしな。次の試験までに何度かやり込めば絶対合格するだろ」

「サンキュ! じゃあ、帰ろうぜ! ジュースでもおごるよ」


 新品で買えば1000円はする問題集をタダでもらえて、田中の気分も持ち直したようだ。

 厳は田中と連れ立って警察署を出ると、自転車に乗って天竜川へ向かう坂を駆け下るのだった。



 そして、原付免許を手に入れた厳とカブの本当の意味での蜜月が始まった。

 中学時代も乗り回してはいたものの、やはり無免許で私有地や川原をちょろちょろ走るのとは公道を堂々と走るのでは自由度も解放感も何もかもが違う。


 買い物にも、遊びにも、どこに行くにも厳はカブに乗った。

 田舎の高校生アルバイト定番であった新聞配達は、店までは自分のカブに乗って行ったが、配達そのものは店でに借りたヤマハ・ニュースメイトで行った。

 ただ、通学だけは様々なリスクが高過ぎるのでカブを使うことは無かったが。


 もちろん、メンテンナンスもすべて自分でこなす。


 オイル交換、パンク修理、タイヤ・チューブ交換、チェーン交換……


 厳の整備技術の基礎は、すべてカブに学んだ。


 エンジン関係では、まずはキャブレターのオーバー・ホールから始め。

 恐る恐る外したシリンダーとピストン。

 カム・チェーンを外すのにものすごく功労しつつも、なんとかシリンダ・ヘッドを外してピストンの頭が見えた時の感動は凄かった。

 シリンダ・ヘッドの燃焼室とピストン・ヘッドを模型屋で買った400~1500番のペーパーで磨き、最後にピカールで鏡面仕上げにし、ピストン・リングを一度折りつつもなんとか組み上げ、一発で掛かった時の感動。

 バイク雑誌の通販で、名古屋のモンキー工場から取り寄せたビッグキャブを取り付け、散々苦労してセッティングを出した時の喜び。


 ボア・アップの誘惑に負け、バイト代2か月分をつぎ込んで買ったキットを組み込み、走り出した時のパワーに全能感を覚え。

 だが2000キロも走らないうちにブローさせてしまい、泣く泣く解体屋で調達した部品で50㏄に戻した時の悔しさに教訓を得て。


 厳のスキルは、高校生の趣味レベルを超えて上がって行った。


 そして、カブの修理中に自分のバイクに乗れない事が我慢出来なくなったのに併せ、最新の水冷50㏄スポーツを駆るバイク仲間連中にカブで着いていくのは厳しくなったこともあり、厳は二台目の愛車をいつもの解体屋にて15000円で手に入れた。


 そのバイクの名は、ホンダ・MB-5。


 スーパー・ゼロハンの走りであるこのバイクは、ホンダ初の2ストローク・スポーツバイクとして登場し、その前衛的なスタイリングと圧倒的な速さに当時の原付少年たちは度肝を抜かれ、爆発的な人気を得た。

 1980年代に入ると多少時代遅れにはなったがその性能は健在で、最新水冷スポーツとも互角に走る事が出来た名車であった。

 厳も、MB-5を駆ってRZ50を筆頭にAR50、MBX50そしてRG50Γなど、最新2ストスポーツに乗る友人たちと夜な夜な峠を攻めに行ったりするようになったのである。


 そのうち、オフ・ロードをもっと快適に、速く走りたくなった厳は続けてもう一台、バイクを増やす。


 そのバイクの名は、カワサキ・AE50。


 やはりいつもの解体屋にて20000円で購入したのだが、バイク仲間たちに見せた時の反応は、


「なんだこれ」

「初めて見た」

「AR50のオフ版? そう言えばカタログやバイク雑誌で見た覚えが……」

「カワサキか……」


 という、なんとも微妙なものであった。 

 しかし、AR50とほぼ共通の7.2馬力を誇る強心臓、そして何より当時の原付オフローターの中ではピカイチの出来だったリアの『ユニ・トラック』サスペンションにより、平地や下り坂のオフロードでは原付とは思えない活発な走りを見せたこのバイクで、厳はオフロード・ライディングの腕を鍛えまくった。


 こうして、厳の青春はカブを皮切りにほぼバイク関連で占められたのである。


 そして、高校2年の夏休み。

 厳は夢だった北海道ツーリングを決行する事を決意し、準備を春休みから開始する。

 バイク雑誌の北海道ツーリング特集を参考に、旅の道程をある程度決めるのに一か月。


 フェリーにて上陸した後、基本は逆時計回りの海に近い側を走るルートで稚内まで北上し、そこから同じく逆時計回りに網走・知床北岸を走り、出来たばかりの知床横断道路を超えて南岸へと至る。その後、ライダーの聖地開陽台や摩周湖・屈斜路湖などの観光名所を経由して釧路湿原……

 大まかなルートを決めると、あとは高度の柔軟性を持たせつつ臨機応変に対応することとした。

 フェリーは最も近い港である直江津港から小樽への物に決め、学校に遅刻しつつも二か月前の電話予約開始直後に無事ゲット。

 荷物の選別も行い、登山を趣味とする母方の叔父からテントやコッヘルなどのキャンプ道具のお下がりを貰って費用圧縮のためにも基本はキャンプ泊とし。


 あとは、使用するバイクに合わせたスペア・パーツや工具を決めるだけになったのだが……


 ここで問題になったのは、どのバイクを使うか、である。


 厳の愛車は3台。


 MB-5は優れたスプリンターであったが、いかんせん燃費の悪さに加えてオイル補給の手間もあり、また低いハンドルに前過ぎるステップというポジションのちぐはぐさにより長距離は疲れてしまう。

 おまけに、ハンドルがトップブリッヂ造り付けのセパレート風なので、アップハンドルに交換するのも簡単では無かった。

 というわけで、MB-5は真っ先に脱落。


 次に、AE50であるが。

 オフローダーと言う事で、当時はまだ未舗装路も多かった北海道を走るのにはうってつけで、アップライトなポジションは疲れにくく景色も良く見える。

 頑丈なリアキャリアも標準装備しているので、長いシートと相まって荷物も安定してたっぷりと積める。

 良い事だらけのこのバイクを、厳は一度は北海道行きのパートナーとして決め掛けた。だが……


 とにかく、カワサキの店が少なすぎて、万が一の故障時に対応出来るか非常に不安が残った。よしんばカワサキの店に持ち込めたとしても、当時のカワサキのサービス体制では部品の在庫や取り寄せにも不安があり、正直信用が出来ないのも事実。

 実際、軽い抱き着きを起こした際にピストン・リングを注文したら、厳の手元に来るまでに2か月を要したという事もあり。


 さんざん悩んだ末に、AE50も脱落。

 最終的に残ったのは……


「やっぱ、お前だよな」


 MBやAEに乗ることも多くなったとはいえ、燃費の良さや積載性の高さ、何よりも心和む乗り易さから一番出番の多いカブに、厳は白羽の矢を立てたのだった。

 日本中、どんな田舎の自転車屋でも修理を受けてくれるバイクなどカブ以外には考えられない。

 タイヤやチューブも必ず在庫しているだろうし、スペアパーツだって余程の物以外は手に入る。

 唯一、ガソリンタンク容量の小ささが気になるが、抜群の燃費の良さに加えて農家には必ず有るガソリン携行缶の小型のものを持っていけば何の問題もないし、それを積める余裕の積載性もある。そして、何より。


「カブが壊れる訳がない」


 という絶大なる信頼性。それも、普段から己の手でまめにメンテナンスを行っているのだから猶更だ。

 パンク修理キットやカブに合わせた携行工具も揃えて準備万端。

 最大の敵であった一学期末試験も何とか赤点なしで乗り越えた厳は、無事に迎えた夏休み初日の早朝。


「じゃあ、行ってくる!」


 心配そうな顔の母親に笑顔で宣言し、大荷物を積んだカブに跨り北海道へと旅立った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Anthem Of MotorCycles. 羽沢 将吾 @Showgo_Hazawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ