8: TOMOS ALPINO

「なにこれ、可愛いな」


 仕事終わりの帰り道。

 武田たけだ唯花ゆいかは、小さな花屋さんの店頭に置かれた、小柄な乗り物を見て呟いた。


「えーと、なんて読むんだろ。と……も……す……トモス、かな?」


 スカイブルーの車体は細く、バイクのようにも、自転車のようにも見える。


「これって、バイクだよね……あれ? ペダルが付いてる……自転車なのかな?」


 そう、その乗り物の、足を乗せるステップの有るべき場所には自転車と同じようなペダルが付いていたのだ。


「でも、ナンバーも付いてるし……」


 車体後部には白いナンバープレートが付いているので、ただの自転車では無さそうだ。唯花が首を傾げていると、花屋さんの従業員らしき女性が声を掛けて来た。


「いらっしゃいませ。何かご入用ですか?」

「あ、いえすみません! お花が綺麗なのでちょっと見ていたんですけど……」


 さすがに、花屋さんの店頭で花そっちのけでバイクらしきものを見ていたとは言えず、唯花は咄嗟に誤魔化す。


「そうですか、ありがとうございます。気に入ったお花が有りましたら、お声を掛けて下さいね」


 女性は微笑みながらそう言うと、お店の中へと戻って行った。


「うーん……」


 唯花はしばらく唸っていたが、とりあえずスマホでバイクらしきものの写真を撮ってから、店頭に置いてあるお買い得品の花束を一つ購入して家路に着いた。



「志乃ーただいまー。ねー、これ何だか解る?」


 30分ほど電車に揺られ、大田区鎌田の自宅マンションに着いた唯花は、ルームシェアしている親友の天田あまだ志乃しのに花束を渡しつつスマホの画面を開いて、バイクらしき乗り物の写真を見せた。


「おかえり、唯花。花を買って来るなんて珍しいね……って、なにこれ? トモスじゃない。これがどうかしたの?」


 天田志乃は唯花の元彼の友人であり、中々複雑な経緯を辿って親友となった。

 だが、二人の間には元彼を巡ってのイザコザ的なものは無く、むしろ元彼が浮気をして唯花が泣いていた時に志乃が元彼を一喝し、二人して元彼と縁を切ってから意気投合し、ルームシェアをするほどの仲となっている。


 小柄な体格で小動物や可愛い服、輸入小物などが大好きな唯花と、対照的に女性としては比較的大柄な体格でアニメや漫画などのサブカルチャーに傾倒している志乃では有るが、何とも絶妙な凸凹コンビ的に気が合って、この賃貸マンションで同居を始めて既に3年が経っていた。

 京急線梅屋敷駅からほど近い2LDKのマンションは、築年数が経っている事も有り家賃10万円とかなりお安く、二人で一部屋ずつ使って暮らすには充分であるのだ。


「今日ね、会社の近くのお花屋さんに置いてあってね、なんかすっごく可愛いなーって思って」


 唯花は自室に入り、ドアを開けたまま着替えをしつつ説明した。


「なるほどね。これはモペッドと言うバイクの一種だよ。日本でいう所の原付ってやつだけど、海外……ヨーロッパの一部の国では、14歳くらいから免許なしでこれに乗れてた時代が有ったんだよね。今は免許が要るみたいだけど」


 志乃はそれに応え、自分の知識を伝える。志乃は大学時代にイタリアへ留学しており、その時に足としてモト・ベカンの古いモペッドに乗っていた経験を持っているのだ。


「へー、免許無しで乗れたんだ。外国は良いねぇ」

「まあ、パワーは無いしペダルで漕げるのが前提だから、本当に街乗り程度の実用性しかないけどね。逆に言えば、街乗りに使う程度なら充分な性能を持っているともいえるけど」


 ただ、欧州では例外も有れどエンジンを停めてペダルを漕げば自転車と同じ扱いになるのだが、日本で使うには原付バイクとして使うしかないから、免許やナンバー、保険などを考慮するとどうしても国産原付の経済性と利便性に軍配が上がってしまう。

 また、代理店による少数輸入車の為に現地よりも価格が高くなり、価格面での優位性も少なくなりがちである。


「そっかー。でも、お洒落で可愛いよねー」


 志乃の、多少ネガティブな要素を含んだ説明を聞いた後でも、唯花のトモスに対する興味は薄れないらしい。

 このパターンだと手に入れる可能性が高いな、とこれまでの付き合いから予測した志乃は、ノートパソコンでトモスを販売する都内のバイク店のホームページを表示して、着替えを終えてリビングに出て来た唯花に見せた。


「ほら、これが日本の代理店のページだよ。トモスってのは元々スロバキアの会社で、生産はオランダでしてるみたいだね。唯花が見たの以外にも、色々と種類があるよ」

「わあ! ありがとう!」


 唯花は嬉しそうにノートパソコンを受け取ると、テーブルの上に置いて閲覧を始める。志乃はそんな唯花を微笑みながら見ると、冷蔵庫から作っておいたアメリカン・クラブハウス・サンドイッチとオレンジジュースを取り出してテーブルに置いた。


「わ! 志乃のクラブハウスサンド! 嬉しいー!」


 食事の担当は朝食が唯花、夕食が志乃である。

 これは、二人の勤務状況から自然と分担が決まったもので、職場が近く自転車で通え、ほぼ毎日17時定時上がりが出来る志乃が夕食、職場が東京駅付近で帰りが19時を越える事が多い唯花が早起きをして朝食を作っているのだ。ちなみに、片付けの担当はその逆で、朝食後の片づけは志乃、夕食後の片付けは唯花が担当である。


 唯花はサンドイッチをもくもくと食べつつトモスの情報収集を行う。


「結構いろんな種類があるんだねー……あ、これすごく可愛いしカッコいい!」

「え? どれどれ……へえ、オフロード・バイクっぽいスタイルだね」


 少し興奮気味に唯花が指差したのは、トモスの中でも異端と言える一台。

 それは『アルピノ』と言う名を持つ、オフロード・バイクをフューチャーしたモデルだった。



 トモス・アルピノ――



 モペッドは数あれど、オフロード・バイク的なエッセンスを取り入れられたモデルは他には無い。

 厳密に言えば、50㏄のオフロードバイクそのものに無理矢理ペダルを装備させてモペッドと言い張るモデルは存在したのだが、本当の意味でのモペッドにオフロード的要素を加えたモデルはアルピノだけだ。


 ちなみに、『アルピノ』と言う名はアルプスの山々をイメージしている、らしい。


 その性能はトモスの基本モデルであるクラシック等とほとんど変わらず、サスペンションもほぼ同一なので本格的なオフロード走行を楽しめるようなものでは無いが、外観的にはピーナッツ形状の別体式ガソリンタンクやアップフェンダー、フォークブーツなどが奢られて、オフロード・バイク的な雰囲気は満点である。


 また、トモスのモデル全般に言えるのだが、多くの人がその外観からまったりとした自転車に毛が生えた程度の走りを想像する事が多い。

 しかし、トモスは日本では絶滅した2ストローク・エンジンと2速オートマチック・トランスミッションを持ち、イメージよりもずっと元気に駆け回る事が可能で、最高速も時速60キロは出せる。

 それこそ、現在の規制で雁字搦めにされた国産ブランドの50㏄4ストロークスクーターには負けない走りが余裕で出来るのだ。

 また、このエンジンは2ストロークとはいえ小排気量で有る事と独自のエミッション・コントロールにより、ユーロ4に適合させているのは少々驚きである。


 2019年現在、国内で流通しているアルピノは新車も含め丸型ヘッドライトのモデルだが、本場である欧州では角型ヘッドライトにチェンジされている点も興味深い。

 日本人的感覚では、角型よりも丸型の方が可愛らしい、愛嬌があると言うイメージが強いと判断されたため、日本向けモデルは丸型のまま生産されているようだ。

 とは言っても、日本ではあまり見ないモペッドの中でも更に異端な存在であるアルピノであるから、日常でその姿を見る事はほとんどないと言える。


 余談だが、作者の知人の変態バイク乗り(時々ゲスト・キャラとして作品に登場する)はこのアルピノで1年掛けてヨーロッパ周遊を行った事が有り、各地の田舎をのんびり廻るのには最高だったと供述している。

 ただ、間違えてアウトバーンに乗ってしまった時には生きた心地がしなかったようだが。

 もっともこれは飲み会などの時の彼の持ちネタの一つであり、本当にアルピノでアウトバーンに乗ったかどうかの真意は不明である……

 



「いいなーこれ。でも高いんだろーなー……って、アルピノ19万円切ってる! 意外と安いんだね」

「まあ、造りは単純だしね。でも、ホント意外に安いね」


 二人はサンドイッチを摘まみつつ輸入代理店のホームページを見て盛り上がる。

 その店の主な商材であるイタリアン・スクーターの代名詞であるヴェスパはかなり良いお値段を付けているのだが、トモスの各モデルは20万円前後の値付けであり、現在の国産ブランドのスクーターと比較しても割安感を感じるほどだ。実際の機能性能や構造を鑑みれば一概にそうとは言えないが……


 ともあれ、中でもアルピノは何故か価格が安く税抜で18万8千円とラインアップ中でも下から2番目の価格設定だ(2019年11月現在)。


 ちなみにお断りしておくが、作者は販売店の廻し者でも無いしステルス・マーケット業者でも無い。もちろんアフィリエイトによる収入を得ようとしているワケでもないのでそこのところご理解頂きたい。



「もぐもぐ。うーん……この値段なら買えるかなあ……普通免許は有るから、原付なら乗れるし……」


 唯花がサンドイッチを頬張りつつ唸る。

 あまり大きくない会社のOLとはいえ、ワーキング・プアとまではいかない収入がある唯花の貯金は一応3桁を越えている。前回のボーナスも手付かずで残してあるし、多少の出費は問題ない。


「良いんじゃない? 私も久しぶりにバイク乗りたくなってきたな。私的には、アルピノよりもやっぱクラシックの水色が好みかな」


 都内に居住するようになってからはバイクに縁がなかった志乃も乗り気になって来たようだ。志乃はマンション至近の会社に勤務する派遣のSEだが、それほどブラックという訳ではなく給料自体もそこそこはもらっている。貯金自体は2桁後半だが、トモスを買うくらいの余裕はある。


「まあ、とりあえず今度の週末にお店に見に行ってみようか。って言うか、北千束にも支店があるじゃない。ここなら大田駅から東急ですぐだし、試乗車も有るみたい。やっぱバイクは乗ってみないと解らないでしょ」


 オレンジジュースを飲み干した志乃がそう提案すると。


「そうだね! 行こう行こう!」


 唯花が嬉しそうに同意する。

 その後二人はしばらくの間ネットの海を漂いつつ、アルピノに合うヘルメットはどんなだの、せっかくだからジャケットもお揃いにしようだのと楽しげに語り合うのだった。


 そして週末。


 二人の姿は大田区内の環状7号線沿いに有る、トモス日本総代理店洗足支店にあった。


「わー! アルピノやっぱかわいい~!」


 唯花は、店頭に引きだされたイエロー・カラーのアルピノを見て歓声を上げた。

 

「思ったよりしっかりした造りだね」


 志乃も、かつて乗っていたモト・ベカンの古いモペッドと比して、カッチリと造られている印象を受けて感心する。


「今、試乗車はクラシックしかないんですが、乗った感じはほとんど変わらないので大丈夫ですよ。準備は出来ましたので、宜しければどうぞ」


 楽しそうにアルピノを見る二人に向かい、試乗車のクラシックを用意していたスタッフが声を掛ける。


「はーい! ありがとうございまーす!」

「あ、どうもです」


 唯花と志乃は既に試乗受付を終えていたので、喜び勇んで水色の試乗用クラシックに跨った。

 ヘルメットやグローブは、ここに来る前に既にお気に入りのモノを見つけて購入済みである。

 二人ともバブル・シールドを装備したスモール・ジェットで、唯花のものには黄色の、志乃のものには水色のラインが入っており、クマのキャラクターがあしらわれているお揃いのものだ。

 もしもトモスを買わなければ無駄になってしまうのだが、部屋のインテリアにしても良いか、と二人は考えたのだった。


 一通りの説明を受けていた二人は、ペダルを逆回ししてエンジンを掛ける。

 と、呆気なくアイドルを始めたエンジンは、少しだけ白い煙を吐き出しながら2ストロークらしい乾いたサウンドを奏で始めた。


「今日はエンジン暖まってるからすぐに掛かりますが、アサイチで掛ける時とかはさっき説明したチョークを使います」


 スタッフの説明にふむふむと頷く唯花。志乃はモトベカンで経験済みである。

 ちなみにエンジンを掛けるためのカギは無く、ハンドルロック用のものが有るだけだ。

 つまり、いつでもだれでもエンジンを掛けることは出来てしまうのだ。

                        

「では、行ってきまーす!」

「お気をつけて」


 スタッフに見送られつつ、2人はクラシックで環7を南に向かって走り出す。

 アクセルを開けて行くと、多少のショックを伴いつつミッションが2速へとチェンジした。


「わあ、結構速い!」

「ホント、意外に加速良いね」


 実際、僅かな馬力しかもたないトモスではあるが、その軽量さと元気な2ストローク・エンジンにより生み出される走りは中々のものだ。

 それまで、バイクにほとんど乗った事の無い唯花や、留学時代に中古のモペッドに乗っていた程度の経験しかない志乃にとっては、ほぼ新車と言える試乗車のクラシックの走りは、充分以上に刺激的で楽しい。


 土曜の午前中とあって、環7も平日のそれよりも少ない交通量であり、また最左車線の端をトコトコと走る限りはそれほど怖くは無い。

 が、モペッドで走って楽しい道では無い事も確かなので、先導する志乃は早々に環7を降り、洗足池公園や東京工業大学付近の路地へと道を代えた。


 のんびりとしたペースで走る路地や公園近くの道は穏やかで、何とも言えない満足感が2人の心を満たす。

 また、バブル・シールド越しに流れてゆく都会まちの景色は、それまでに見たことのあるそれとは違った色を見せ、2人の胸は高鳴った。


 30分ほど走り回った2人は、洗足池の南岸にクラシックを停め、自動販売機でジュースを買ってベンチに腰掛けた。


「はー、ちょっと疲れたけどすごく楽しい!」


 普段はあまり飲まないコーラを飲んでぷはー! と息を吐いた唯花が興奮気味に感想を述べる。


「うん、私もちょっと緊張したけど楽しかった。これなら、普段の買い物とか休日の散歩とか楽しめそうだね」


 志乃もミルクティーを一口飲み、唯花に追従する。


「休日のお散歩! 良いねー! ふるさとの浜辺公園とか行ってみたい!」

「もうちょっと足伸ばして、京浜島とかの海沿いの公園に行くのも良いね」

「いいねいいね!!」


 ここまで乗って来た2台のクラシックを眺めつつ、きゃいきゃいと騒ぐ二人。

 道行く人々の中にも、水色の変わり種バイクに目を奪われる人がいる。


「うん、決めた! 私トモス買っちゃう!!」

「そうだね、私も買おうかな。とりあえず、お店戻って商談しようよ」

「商談って、なんか大人っぽい響きだね~」

「私たち充分大人でしょ……」


 2人は楽しげにヘルメット被りグローブをはめ、クラシックに跨る。


「では、行きましょー!」


 そしてエンジンを掛け、元気な2ストサウンドを奏でつつ走り出す。

 その直後、一方通行路を間違えて侵入してしまい、黒バイのおまわりさんに掴まってしまうのだった。


「とりあえず、原付の教本買って良く読もうか」

「ふええ……罰金痛いよう……」


 意気消沈して店に戻った2人があまりにも哀れに思えたのか、商談において罰金分が値引きされたのはお店の心意気というものだろう。


 そして一週間後、無事に納車されたイエローのアルピノとスカイブルーのクラシックが、2人のマンションの駐輪場にちんまりと納まった。


「ねー志乃ちゃん、週末はトモスでどっか行こうよ!」

「そうだね、晴れそうだしちょっと足伸ばしてお台場まで行ってみようか」

「良いねー! でも、東京タワーにも行ってみたい!」

「ついでに廻ればいいじゃない。トモスなら、あっという間だよ」

「一方通行には気を付けなきゃだけどね!」


 水曜の夜、夕食を食べながら楽しそうに週末ショートトリップを計画する2人。


 2人の生活に、トモスと言うカラーが加わった。


 それはとても豊かな、そして楽しげなツートン・カラーであった。







fin.




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