5: BMW R1150GS-ADVENTURE

「……なんだ、これ」


 俺の目は、パソコンの画面に釘付けだった。

 そこに映し出されるのは、一台の巨大なモーター・サイクル。


 そのモーター・サイクルには、俺が夢見ていた全ての機能ものが詰まっていた。


「凄ぇ……ははは、なんだこれ凄ぇ!!」


 俺は、呆れた妻に諭されるまで、延々と動画をリピートしていた。





 いつかは、BMWに乗るだろう――


 そんな予感は、限定解除をして大型バイクに乗るようになってからずっとしていた。だが、それはまだかなり先で、早くとも40代になってからであり。


 そして、乗るなら恐らくGSゲレンデ・シュポルトだろう――


 俺は漠然と、そんな事を考えていた。


 なぜ、GSなのか。


 それは、高校時代に四国・剣山スーパー林道で出逢ったライダーが切っ掛けだった。

 俺は原付免許を取得したのち、ホンダ・CB50JX-1に続いてホンダ・MTX50Rを手に入れ、泊まり掛けの林道ロング・ツーリングに嵌っていた。

 高校2年のゴールデン・ウィーク。当時はまだ全線がダートであった天竜スーパー林道を走破した俺は、夏休みに日本でも最長クラスの未舗装路である剣山スーパー林道を目指したのだ。


 往復1500キロ、それまでの人生において最長距離のツーリング。


 自宅のある長野県南部から片道500キロを走り、フェリーで四国入りした俺は徳島で一泊し、翌日の朝8時頃に剣山スーパー林道へ突入した。全長70キロ近くに及ぶロングダートは走り応えたっぷりで、また眺望も素晴らしい場所が有り、俺は夢中で走った。だが、ちょうど中間辺りのガレている場所で転倒し、体とバイクにかなりのダメージを負ってしまった。


 なんとかMTXを引き起こし、道の隅に引き摺っていった俺は。手持ちの工具では歪んだフォークとハンドルをどうすることも出来ず、途方に暮れていた。

 当時は携帯電話など存在せず、民家など周辺100キロ以内に有るかどうか。

 道の隅にへたり込んだ俺は、ひたすら誰かが通るのを待つしかなかった。


 そこへ、デカい耕運機のような排気音と共に現れたのは、それまで見たことも無いバカデカいオフロード・バイク。

 白いタンクに蒼いライン、朱いシートが鮮やかに映える車体後部には黒くてゴツいケースが装備されていて。

 なによりも目を引くのは、左右に飛び出した、これまたデカいシリンダー。

 

「やあ、大丈夫かい?」


 ゴーグルを外しながら、俺に声を掛けてくれるそのライダーが乗っていた巨大なオフロード・バイクは、BMW・R80G/Sであった。

 ベテラン・ライダーであった彼は、手早く俺の手当てとMTXの処置をしてくれ、更に先導までしてくれて、俺はなんとか林道を走り切る事が出来た。

 林道走破後、彼が良く使うと言うキャンプ場に案内してもらって設営を終え、MTXのハンドルをキャンプ場の管理人から借りた鉄パイプで曲げ直し、多少の違和感は残るものの走行には支障がないように修復をしてくれた彼は、


「ロングに出る時は、日本車の車載工具だけじゃダメだよ。10ミリから19ミリくらいの、自分のバイクのアクスルやフォークに対応したメガネレンチと大き目のモンキー・レンチくらいはもっていた方が良い。あと、針金とガムテープもね」


 そう言いながら手持ちの工具を見せてくれた。シート下のボックスに整然と納まったそれらは、なんとバイクに最初から付いている車載工具がほとんどだと言う。


「BMWには、最初からホイールを外せるくらいの工具は付いて来るんだ。後はちょっとだけ買い足せば問題ない。まあ、15ミリだとか18ミリだとか、日本じゃ使わない様なサイズが多いけどね」


 作業を終えて近場の温泉に入りつつ、彼は笑った。


 風呂から出た後、地元のスーパーで買い出しした俺たちはキャンプ場に戻り。

 星が振るような夜空の下で彼は様々なことを語ってくれた。

 バイクのこと、メカのこと、酒のこと、仕事のこと、女のこと。


 そして、旅のこと――


「長い旅をするなら、どこでも走れるオフ車がいい。それもBMWなら、Gゲレンデ/Sシュポルトなら最高の旅が出来るんだ」


 東京在住の彼は、四万十の栗焼酎『ダバダ火振ひぶり』に酔いつつそんなことを語ってくれた。

 その傍らには、プロペラと蒼い空、白い雲を模した特徴的なエムブレムを持つ巨大なオフロード・マシンが有り。

 若かった俺には、そんながとても大きく、眩しく見えた。


 その時から俺は、BMW-GSというバイクに強い憧れを抱いたのだと思う。

 だが、その憧れは、あっという間に過ぎて行く日々の生活と、次々に生み出される国産最新高性能のマシンたちの前に、いつしか心の奥底へと沈んで行った。


 そう、それから10年の月日が経ち、北海道を旅して、友人に憶い出させられるまで。




 北海道。


 それは、ライダーなら誰しも一度は憧れる北の大地。

 原野を貫く、水平線まで伸びる直線道路。

 霧に覆われる神秘の湖。

 ラベンダーとパッチワークの丘。

 最果てを強く感じさせる東端の港町。

 日本最北端の地。

 岬の先まで行くには道なき道を歩くか船に乗るしかない、ヒグマの楽園の半島。

 幻想的な枯れたトドワラが佇む、左右を海に挟まれた細長い半島。

 古くから咎人を収監していた監獄。

 各地に残る、アイヌコタン。

 雲海を眼下に納める峠。

 地球が丸く見える展望台。


 1週間や2週間では、とても味わい切れないライダーの聖地である。


 俺も当然、北の大地に恋い焦がれ。

 そして、ついに北へと向かった。


 一度目は、仕事を辞めて日本一周した時の事。

 スタートは北海道、と決めていた。

 今は亡き東日本フェリー、直江津~岩内航路にて初上陸したのだ。

 そして7月から9月までの丸3ヶ月、北海道を想うさま駆け巡った。

 相棒は、ほぼ10年所有し続けていたGSX1100SZカタナ


 ライダーハウスとキャンプを中心に置き、少し疲れたらユースホステルか民宿と言うパターンで、北海道中を駆け抜けた。

 現地で仲良くなったライダーと一緒に走る事も間々有り、時には、宿や駅、観光名所なんかで仲良くなった女の子を乗せて走った。


 そんな、最高の旅では有ったが、とにかくラフロードで苦労させられた。


 北海道の名所に行く際は、辿り着く直前のラスト数キロ~10数キロが未舗装路という事が珍しく無く、ただでさえ荷物満載のオンロード・バイクでは不安定だというのに、加えてカタナの前屈ポジションではまさに地獄だった。


 また、荷物の管理にも気を使わされた。とあるキャンプ場では、無精して荷物を全て降ろさずにいたら、その時には不要と判断してバイクに残したキャンプ道具の一部を盗まれた事も有った。


 その時『次はオフロードバイクで、最小限の荷物を厳選して身軽に来よう』と考えた。


 日本一周から無事帰還してから2年後、2度目の北海道ツーリングの機会を得た俺は、そのために入手していたスズキ・ジェベル250XCで渡道した。

 期間は2週間だったが、前回泣く泣く諦めた川を渡って辿りつく温泉にも行けたし、格段に行動範囲が広がったのは確かだった。

 荷物の削減のためにキャンプは諦め、宿泊はライダーハウスとユースホステルのみとしたおかげで随分と身軽になれ、一部が廃道に近くなっていた道東スーパー林道も全線走れたし、カタナでは諦めた道北スーパー林道も走り、頂上のレーダー基地まで登り切った。

 だが、当時暮らしていた東海地方から青森までの高速道往復はかなりの疲労を齎されたし、北海道では尻の傷みとの闘いだった。 

 

 その旅の後、俺は理想のツーリング・バイクとはどのようなモノなのか?

 他人の意見はどうでも良い。俺にとって、理想のバイクは何だろうか、という事を考え始めた。


 導き出された結論は。


 ポジションが楽で、尻が痛くならず、高速走行が得意で、ラフロードも走れて、荷物をたくさん、それも雨に濡らさずに盗難もされにくく積めて、荷物の重さに左右されない操縦性と安定性を持ち、航続距離が長く、悪天候に強く、そして楽しく走れるバイク。


 と、そんな贅沢なバイク有るワケねーよな、と言う話をバイク仲間としていた時。


「あるぞ」


 一人の仲間が、あっけらかんと答えた。

 彼が示したのは、当時最新モデルだったBMW・R1100GS。


 俺はその時、ゲレンデ・シュポルトへの憧れを、想いを取り戻した。

 だが、R1100GSからは、あの時のR80G/Sから強く感じた土の匂いは希薄な気もして、少し迷ってしまった。


 しかし、それでもR1100GSに興味を惹かれた俺は実車を見てみようと最寄のBMWディーラーを訪れたのだが、そこの店長の居丈高な態度にムカついてカタログももらわずに帰って来てしまった。


 その直後にR1150GSがデビューし、粗削りな印象が有った1100に比べ遥かに洗練されたスタイリングと、オフロード性能を強化したことを全面に押し出したプロモーションによって1100の比ではなく強く興味を惹かれた。


 だが、その当時入手したばかりのスズキ・GSX1300Rハヤブサを手放すほどとは思えず、また最寄ディーラーの悪印象が拭いきれずに、実車を見に行く事もしなかった。そのまま、二年ほどが過ぎ、20世紀から21世紀へと時代が変わってから少し経った頃の秋。


 その情報は、当時ヨーロッパをツーリングしていた友人――先述の、R1100GSの事を教えてくれたバイク仲間から伝えられた。

 そして、俺は急いでBMW Mottrad AG……つまりドイツ本国のBMWモトラッドのホームページにアクセスする。

 

 なぜ、BMWジャパンのHPではないかと言うと、その時点ではまだジャパンのHPにはアップされていなかったからだ――


 その、トップページに表示されていたPVプロモーションビデオ――


 ネイティヴアメリカン・ミュージシャンであるビル・ミラーの名曲、『ゴースト・ダンス』リミックスヴァージョンのもの寂しげな、それでいて力強い旋律。

 その旅心を揺さぶる調べに載せ、南米・ボリビアの砂漠のような荒野が映し出され。

 標高3500メートルから5000メートルという過酷な高地。その、道とも言えない様な筋に沿って巻き上がる砂埃の中に。

 こちらに向かって来る、異形の二つ目を持つ巨大なモーターサイクルの姿が現れる。

 最初にその姿がハッキリと示されるのは、現地の雑貨屋件ガソリン屋(スタンド、ではない)の女性が薄汚れたポリタンクと漏斗により給油する場面だ。

 小柄であるが、間違いなく成人である女性の背丈をはるかに超える高さにあるスクリーン。車体後部には、車体と同じ銀色に鈍く輝くアルミ製パニア・ケースが装着されている。

 そして、女性によりガソリンが注がれるホワイト・アルミニウムに塗られた巨大な30リッター入りスチール製タンクには、あの時、剣山で見たものと同じ、プロペラ・蒼天・白雲を納めたBMWエムブレムと『GS』の文字。


 その巨大なモーター・サイクルは荒野を、線路の上を、川を、蒸気が噴き出す火山地帯を走り抜け、立ち寄った町の子供たちに群がられ、ガレた岩場の坂で石ころを蹴飛ばし、やがてエメラルドグリーンの湖面を持つラグーナ・ベルデや赤い湖ラグーナ・コロラダ、ロック・ツリーやウユニ塩湖に至る。


 泥や砂埃で汚れ切った車体をバックにして『R1150GS ADVENTURE』と示された後、ブラック・アウトした画面に鈍い効果音と共に現れる『Freude am Fahrenかけぬけるよろこび』――


 俺の中の、何かが震えだすのを感じた。

 そのPVを見た瞬間から、俺はその巨大なモーター・サイクルに心を奪われてしまったのだった。


 当時はまだまだ動画のダウン・ロードに対する敷居は低く、自分のパソコンに保存したそのPVをいったい何度再生しただろうか。


 もはや、何か作業をする際にもBGVとして流しっぱなしにするのが癖になってしまっていた。


 もちろん、PCの壁紙はロック・ツリーをバックにしたアドベンチャーの画像だ。


 他のバイクなぞ、全く目に入らない。

 それまで満足して乗っていたハヤブサすら陳腐に思えてしまい、値落ちする前にと早々に手放してしまった。

 しかし、R1150GSの新車価格――177万円を考慮すれば、アドベンチャーのそれはさらに高くなるだろうし、絶対欲しい純正オプションのアルミ・パニアケースなどを加えれば、乗り出し価格は恐らく200万円を軽く超えて、下手をすれば230万円に達するはず。

 となるとハヤブサの売却額だけではその半分にもならない。だが結婚したばかりの身であり、バイクの為に130万円のローンを組むのも気が引ける……


 そして俺は悩み抜いた末、一生乗ろうと思っていた1100カタナすらも手放す決心をした。

 俺はそれほどまでに、R1150GSアドベンチャーに心を奪われてしまったのだ。


 カタナは、信頼できる店を通して完璧なメンテナンスを施してから、以前から欲しがっていた知人に譲渡した。

 もののついでとばかりに、2度目の北海道ツアーに使用したジェベル250XCもその店を通して他の知人に売却し。

 手元に残ったバイクは、売っても大した金にならないポンコツのスズキ・SX200Rと通勤買い物用のリード90、妻の所有するヤマハ・マジェスティのみ。


 そうして俺は250万円と言う充分な購入資金を調達した上で。

 俺のあまりの惚れっぷりに少々嫉妬すらしていた妻を拝み倒し、R1150GSアドベンチャーの購入許可を得たのだった。

 

 準備は万端。あとは、日本での発売を待つだけだ。

 俺は、少年の様にときめきながら、その時を待っていた。

 


 その翌年の6月。


 とうとう、R1150GSアドベンチャーが日本で発売された。

 毎日のようにBMW japanのHPをチェックしていた俺は、まだ展示車すら入荷していないディーラーに駆け込み、現金で買うから即発注してくれと依頼した。


 車両本体価格は、思ったよりも安く抑えられての186万円。とはいえ、当時のBMWモーターサイクルの中ではK1200RS/LT、R1150RTに続く高価格帯のモデルとなった。

 それよりも、オプションで設定されたアルミパニアケースの価格は、取り付けブラケット等や工賃込みでおよそ30万円!

 更に、標準で着いて来るかと思ったドライヴィング・ライトも別売りで5万円、グリップヒーターキットも5万円、登録などの諸費用で5万円……


 結局追加で約50万円が必要となり、乗り出し価格はおよそ240万円となったのだ。

 だが、先述の通り辛うじて調達しておいた軍資金は足り、また現金持って駆け付けた俺の勢いに押されたのか、ディーラーの対応も悪くは無かった。

 ただ、


『こんなデカくてハードコアかつ高価なモーターサイクルを発売と同時に買おうなんて、そんな奇特な奴はそうはいないだろう』


 という俺の目論みは外れ、ディーラー店長が言うには注文が殺到していて入荷台数が圧倒的に不足していると。このディーラーに限っても、すでに5台程度の注文が入っているが、3台の納車がなんとか7月中、4台目以降は正直いつになるか断言できないとの事。

 『そんな奇特な奴』が日本中に多数いたことに俺は驚かされ、また自分の元に廻って来るのは早くとも10月を過ぎるだろう、と言われて衝撃を受けたのだった。


 まさか、発売されたばかりのバイクが、入荷台数が足りなくて手に入らないとは……


 店長は、アドベンチャーではないストックのR1150GSならば即納だし、値引きや用品サービスも可能ですよ、と売り込んで来たが、俺に取ってはストックGSとアドベンチャーではまるで違うバイクである。

 

 丁重にお断りした上で、可能な限り早く確保してくれと頼み込んで手付をいくらか払い、半ば呆然としながらの帰宅途中。

 俺にアドベンチャーの情報をくれた友人が海外から帰国したとの連絡が入り、その週末に呑むこととなった。


 そして週末。東京・蒲田の小さな飲み屋で数年ぶりに再会した彼とのバイク談義にて、俺がアドベンチャーを発注した事を話すと。


「まあ、そうなると思ったよ」


  と笑って言われ。更には、


「俺も、アッチで知った直後に速攻で蒲田ここの近くのディーラーに電話して、日本で発売されたら必ず買うから確保しておいてくれ、って頼んであるんだ」


 とのたまった。

 その夜蒲田のホテルに宿泊した俺たちは、翌日連れだって彼がアドベンチャーを発注した大田区のディーラーへ行くと。


 ショールームには、彼の為に確保された、入荷したばかりのアドベンチャーが佇んでいた。


 初めて見るアドベンチャーの実車は、PVや画像で見て想像していたイメージよりも遥かに巨大で圧倒されてしまう。

 と言うか、その隣に飾られた素のGSであっても充分にデカいことを改めて思い知らされ、果たして俺はこんなデカいバイクに乗れるのか? と言う不安が湧いて来てしまった。そう、俺はこの時点でまだGSというバイクに乗ったことが無かったのだ。

 接客をしてくれていたディーラーのオーナー……と言うより親父さん、と呼びたくなる職人気質な主人にそのことを話すと、


「じゃあ、試乗してみますか」


 と軽く言われ、アドベンチャーの試乗車を用意されてしまう。


「もう、試乗車が有るんですか!?」


 と驚く俺に、


「昨日、登録して来たばかりです。まだアタリも付いてないけれど、とりあえず午前中に100キロほど走ってタイヤの皮を剥いて来たのでフィーリングを掴むには問題ないでしょう」


 そう言って親父さんが笑う。


 東京の道をいきなり走るなど怖い、とかなり腰が引ける俺だったが、


「大型バイクが初めてじゃないなら、なんてことは無いですよ」


 と親父さんに肩を叩かれ、また友人も試乗車のF650GSで走り易い道を先導してくれると言うので、試乗することを決心する。


 親父さんがエンジンを掛けると、シュココココ、と言う国産のそれとは全く違う乾いたセル・スタート音と共に、既に暖まっていたホワイト・アルミニウムの巨体が安定したアイドリングを始める。


「さあ、どうぞ」


 良い笑顔でそう言われた俺は、おっかなびっくりアドベンチャーに跨った。

 車体を引き起こし、サイドスタンドを跳ね上げる。が、まずはその引き起こしの重さに驚かされる。


「こんな重いバイク、初めてだ……」


 しかし、なんとか両足は踵まで接地し、足着きと保持に不安はあまりない。


「日本仕様はローシートになってますからね。あと、サスも柔らかくしてあるので、不安は少ないと思います。ただ、もし購入したならば、慣れた所でサスを標準セッティングにして、ハイシートに交換すればを味わえますよ」


 丁寧な説明の中に、気になるワードが織り込まれる。が、今はとにかく乗るしかない。


「じゃあ、気を付けて!」


 親父さんの声を受け、しっかりと安全確認をした上で先に出た知人に続き決して軽くは無いクラッチをそろそろと繋いで走り出す。と、シュコーン! とABSがリセットされる音が響き。


「うお……!」


 先ほどまでの威圧感など微塵も感じさせずに、フラット・ツインを抱いた巨体は軽快に加速した。


 左右に分かれた独特のウインカー・スイッチに戸惑いながらも、その乗りやすさに驚愕していると、知人がウインカーを出し、環七をUターンする。

 おいおい勘弁してくれよ! と思いつつもそれに続くと。


「なんだ、これ!?」


 かなりタイトなターンだったが、全く怖くない。コケる気が微塵もしない!

 その乗りやすさと軽快感、コーナリングの安定感はそれまでに乗って来たどのバイクとも比較にならない程だ。

 驚きが収まらないまま、環七を東へ下って城南島に入ると、トラックこそ多いものの道は格段に空いて幅も広くなる。そこで友人のF650GSが一気に加速したので、俺も続いてアクセルをワイド・オープンすると。

 

「うおっ!?」


 それまで、ゆったりとジェントルに廻っていたエンジンが声高く吠え、フロントを持ち上げそうになり慌ててアクセルを絞る。

 しかしその挙動にも全く不安感は無く、本当に転ぶ気が全くしないのだ。


「これが、最新のBMWか……」


 ゆったり走れば、心地よい鼓動と音を感じさせてくれ。

 しかし一度アクセルをハードに開ければ、スーパー・スポーツとは言わないまでも想像以上に元気な面も見せてくれる。


 良く動く前後の足……とくにフロント・サスペンションに採用された独創のテレレバー・システムは、ABSと相まってどんな悪条件下の路面でもフロントからのスリップダウンなど起こしそうも無く、その安心感と安定感は絶大だ。


「ははは……凄ぇや!」


 城南島と京浜島をしばらくぐるぐると廻った後、トンネルを抜けて羽田空港へと至る。

 視線を落とせば、BMWエムブレムと、左右のラインに沿って『GS』とレタリングされたグラマラスな30リットル入りのタンク――どこか、GSX1100Sカタナの面影を感じさせるラインを持つそれが鈍く輝く。


「ああ、これだ。俺の求めていたバイクは、まさにこれだったんだ!」


 この、世界の果てまで走り続けていけそうな程の懐の深さと安定感。

 退屈などとは無縁の、心踊らされる愉しみを提供する心臓エンジン

 そして、まだ体験はしていないが、膨大な荷物を呑み込むアルミ製パニア・ケースを始めとする優れたユーティリティ。


 まさに、キャッチコピー通り『駆け抜ける歓び』を体現している。


 俺は、恋い焦がれたアドベンチャーに実際に乗ってみて。

 僅かな時間で、それまで自分が追い求めていたバイクそのものだと確信した。


 羽田空港の外周部を廻り込み、穴守稲荷に2台のBMWを停め、缶コーヒーを飲みつつ眺める。


 多摩川と空港をバックにして銀色に輝くアドベンチャーはどこから見てもカッコいい。隣に停められたアイス・ブルーのF650GSもたおやかかつ端正なスタイリングで悪くは無いが、比較するとまるで大人と子供のような車格差があり、存在感は比較にならない。


 アドベンチャーに見惚れる俺に。


「どうだった?」


 などと、知人がニヤニヤしながら聞いて来たので。


「最高だ」


 俺は、一言で返した。


「君は乗らなくていいのか?」


 俺が尋ね返すと。


「俺は、あっちドイツで乗って来たからな。最高なのはもう知っているさ。ただ……」

「ただ?」

「親父さんも言っていたが、日本仕様は色々と替えられているからな。無論このままでも良いが、もし足つきが大丈夫なら本国仕様のハイシートにすると更に良い。あと、オフロードも走るならタイヤはコンチネンタルのTKC80にすれば完璧だ」


 この巨体でオフロード! いくら乗りやすいとは言っても、さすがに腰が引ける、だが……


「ああ、シートは慣れてからになるが、タイヤは替えたいな。俺はコイツで、北海道のオフロードを走りたい」


 そう、俺の目的は。

 どんなところでも快適に、楽しく走れるモーター・サイクルを手に入れる事で。



 コイツは――BMW R1150GSアドベンチャーは、その理想を具現化したモーター・サイクルそのものなのだから。





 その年の夏、8月半ば頃。


 俺は、フル装備のR1150GSアドベンチャーと共に、北海道・宗谷丘陵の海が見下せる丘に佇んでいた。

 そう、俺はアドベンチャーを入手し、既に5000キロ以上の距離を共にしていた。


 なぜ、そんなに早く入手できたのか、と言うと。


 試乗したBMWモトラッド・ディーラーの、親父さんやメカニックの真摯かつ誠意ある対応に感激した俺は、地元ディーラーにキャンセルを入れてここで買う事にしたのだが。

 親父さんが確保していた車両のうち、あまりの巨大さに恐れをなしてキャンセルされたものを廻してもらえ、8月初旬にオプション組み付けも終えて納車となったのだ。


 日本最北限の丘陵から見える青空と海。

 そして、泥に汚れた巨大な白銀のモーターサイクル。


 ここに来るまで泥ヌタを含むかなりの距離のダートを走行したが、良く動く脚廻りとTKC80ブロック・タイヤのおかげでほとんど不安は無かった。

 もちろん、250㏄クラスのオフロード・バイクのように軽快にかっ飛ばすという訳には行かないが、そこそこのペースで走り抜ける事は出来るし、ABSを切ってこの巨体をコントロールするのは結構楽しい。また、フラット・ダートならば3桁にちかい速度で、砂煙をミラーに映しつつ快走する事も余裕だ。

 荷物は全てアルミ・パニアケースに呑み込まれているので、雨に濡れる事も、盗難される心配もほとんどない。


 俺は、キン、キンと音を立ててフラット・ツインを冷やす相棒を眺める。


 オンロード・マシンが汚れていると余りカッコよく見えないが、泥だらけになった相棒は、ピカピカに磨き上げた時よりもずっとカッコよく、迫力を持って見える。


「さて、今日はどこまで行こうか」


 俺は相棒に語り掛ける。と。



 Bis ans Ende der Welt.どこまででも――



 相棒から、そんな声が返って来た気がした。


 俺は相棒に跨り、セルを廻す。

 乾いた音とともに、水平対向2気筒ボクサー・ツインエンジンが目覚め。



 そして俺たちは、どこまでも走り続けるのだった。









 Fin.


 

 

 

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