3: SUZUKI GN50E 上
「ようやく登り切った……」
午前10時を少し廻った頃。
「しっかし、マジでヤバかったな……碓氷峠旧道は」
内紀は、たった今登って来た九十九折れどろではない大難路を思い返し、ウンザリとした。
「やっぱ、山梨側から来るべきだったか。でもなあ、せっかくだから軽井沢にも来てみたかったし」
そう呟きながら、この時間だと言うのに喧騒に包まれた軽井沢駅前を見廻す。
そこに居るのは、どこから溢れ出して来たのか、と思うほどの若者の群れ。
内紀と同じようなライダーたちもたくさんウロウロしており、その車種もさまざまである。
駅前でも一番目立つ位置には、ハーレー・デヴィッドソン・FLHサイドカーがドン、と停められ、いかにも金持ちそうな中年オヤジがイケイケ・ギャルの肩を抱いて笑っている。
その近くには、シルバーのCB750-Fを始め、Z750FXやらXJ750Eやらの750軍団が鎮座し、
少し離れて250~400㏄のスポーツバイクやアメリカンがズラッと並び。
更に離れて、駅前でも隅の方にゼロハン・ライダーが固まっている。
とはいえ、ゼロハン・ミッション車はごく少数であり、そのほとんどはスクーターであった。
あちらこちらに停められた車はトヨタ・ソアラやホンダ・プレリュードを始め、マークⅡやローレルなど。流行りのハイソカーがほとんどだ。
クラウン・セドリックなどの国産高級車や、シティ、マーチと言ったリッター・カーの姿もチラホラと見える。
中には、何故か屋根にサーフ・ボードを積んだ赤いマツダ・ファミリアまでいる。
「この山の中で、いったんどんな波に乗るつもりなんだ……山津波か?」
旧碓氷峠の疲れも手伝って、内紀はそんな毒を吐いてみる。
実際、意味不明な事は確かだが。
「とりあえず、休憩するか」
内紀は愛車であるスズキ・GN50Eを駅前から少し離れた場所に停めると、近くに設置された案内板を見て、店の位置などを確認し出した。
スズキ・GN50E――
7馬力を誇る強力な2ストローク・エンジンを積んだスズキのゼロハン・アメリカンである。
前身でもあるマメタン・OR50Eが小柄で可愛らしいファニー感溢れるライト・アメリカンだったのに対し、GNのスタイルはかなりの本格派に仕上がっている。
フロントには油圧ディスク・ブレーキを持ち、ティアドロップタンクに段付き風シート、ホースバック・ライディングを可能にするアップハンドル。
スズキ独自の星形キャスト・ホイールを前後に履いたその姿は、とても50㏄とは思えない迫力と雰囲気を漲らせていた。
1970年代後期に巻き起こったアメリカン・バイク・ブームは瞬く間に日本全土を席巻した。ブームはアメリカンの頂点であるハーレー・デヴィッドソンを神聖不可侵・至高の存在としたが、その目の玉の飛び出る様な高価格と、何よりも最高難度の国家資格試験であった大型二輪免許、通称『限定解除』の高き壁により、晴れてハーレー・オーナーに至れるのはほんの一握りの選ばれし者だけ。
国産初のメーカーメイド・アメリカンとして誕生したのは先にも述べたマメタンだが、それなりの大人気を博せど所詮は原付。自動二輪ライダーからの要望は日に日に高まり、とうとうヤマハからリリースされたXS650スペシャルを皮切りに、国内4メーカーからあっと言う間にジャパニーズメイド・アメリカン、後の世の人呼ぶところの『ジャパリカン』が矢継ぎ早にリリースされ始めたのだった。
そして、自動二輪クラスを席巻した後、アメリカン・ブームはゼロハン・クラスにも回帰する。
ホンダからはレジャー・バイクとアメリカンを合せて2で割ったような『ラクーン MM50』や明後日方向に振り切った未来感覚あふれる『MCX50』が、同じく
業界1位と4位のゼロハン・アメリカンが軒並み死体と化すのを横目に、ヤマハからいち早くリリースされたのは均整のとれた端正なデザインを持つゼロハン・アメリカン『RX50スペシャル』。
このモデルは、GKダイナミクスによるその美しいスタイリングと7馬力のハイ・パワーによりスマッシュ・ヒットを飛ばす。
そして、国産(ゼロハン)アメリカンモデルの始祖であるスズキは、マメタンより大柄に、より本格的にアメリカンナイズされた『GN50E』と言う姉貴分をリリースし、これもスマッシュヒットとなった。
ただ、RX50スペシャルの洗練されたスタイルに比すと、多少の
しかし、RX・GNの2強と比べれば爆死したと言えども。
ラクーンやMCX、はたまたアメリカンダックスなどホンダのゼロハン・アメリカンモデルですら、ブームに乗ってかなりの販売台数を残す事に成功したのだった。
カワサキのAV50が本当の意味で爆死したのはご愛嬌である。
内紀が選んだのは、RXではなくGN。
これには、ちょっとしたワケがある。
この当時、ナウなヤングの
その
彼の描き出す特徴的かつ繊細な線によるキャラクターが織りなし、綴る青春群像劇。
たがみ氏自身がバイクや車に対して造詣が深く、また単調に見えて実に味わい深くディフォルメされたそれらは、主人公たちの活躍を豊かに彩り、サポートした。
押しも押されぬ氏の代表作『軽井沢シンドローム』の名は、もはや伝説とも言えるだろう。
そして、代表作『軽シン』と比べ、よりマニアックかつカルトな人気を誇るのが同時代に描かれた名作、『我が名は
主人公である『犬神内記』、通称『
しかし後腐れなく、恨まれも(ほとんど)しないと言う美味しい所総取りな、現在でいうところの最強系主人公なのだが、これが実に上手く描かれているのだ。
内紀もそれらのたがみ作品に傾倒し、また自分と読み名が同じことも有り、狼に憧れてスタイルや言動などのマネをしている。今でいうところのコスプレ、それもかなり
GN50Eは、狼が物語の1話で乗り、物語の舞台である
登場するのは僅かに数コマだが、この後長きに渡り狼の愛車として活躍するヤマハ・RZ350と同じくらいに、内紀の心に刺さったのである。
「ん、と。この辺りに喫茶店とか多そうだな」
内紀はだいたいのアタリを付けると、GNのハンドル・ロックを掛け、デイパックを背負い直して歩き出す。
荷物はリア・シート風小物入れに入れたものと後付シーシー・バーに括りつけたデカいアーミー・ザック、そして背負っているデイパックだけなので意外と身軽である。
内紀のGNは適度にカスタムされており、シーシー・バーの他にも足を投げ出して乗るためのフォワード・ステップ、ノーマルよりも高く、手前に引かれたアップ・ハンドル、ヘッドライトの下に追加されたシビエのイエロー・フォグランプなど、通好みなスタイルに仕上がっている。ただし、エンジンやマフラーはノーマルである。
内紀の服装はと言うと、
腰まで伸ばした長い髪をポニー・テール風に括った髪も併せ、現代の東京や有名観光地などで見掛けたらある意味噴飯もののスタイルであるが、この当時の軽井沢駅前においてはそれほど違和感も覚えず。
それどころか、内紀はそこそこ背も高く、また細身かつボクシング・ジムに通って肉体を鍛えているので、無国籍風雰囲気な服装と相まって、周囲のギャルから意外と好意的な視線を集めているのだった。
ちなみに、ヘルメットは被らない。
この当時、原付はノーヘルが許されていたのだ。
「さすがにら・くかは無いよな」
内紀はそんなことを呟きつつ、アタリを付けた喫茶店の中で、最も女の子が多くいそうな店を選んで入店した。
からんころん、とベルが鳴り、40代くらいのパイプを咥えた渋いマスターが内紀に顔を向ける。そして、ピンク色のエプロンを着けたマブいウェイトレスが微笑みつつ
「いらっしゃいませ」
と、可愛らしい声で迎えてくれた。
(おお、こりゃ当たりかな?)
マスターとウェイトレスに一礼した内紀は、内心でガッツポーズを決める。
マスターの渋さとウェイトレスの可愛さも然ることながら、店内にはハクいギャルがわんさかといて、キャピキャピと騒いでいたのだ。
「ご注文が決まったら、声を掛けて下さいね」
ウェイトレスがお冷とメニューを持って来てくれたので、
「ありがとう」
内紀は恰好付けつつ礼を言った。
(ウェイトレスの
内紀は、メニューを見つつ内心で考える。
(ま、とりあえず注文するか……お! アレが有るじゃないか! よーし……)
「オーダーお願い!」
「はーい!」
内紀が声を上げると、ウェイトレスが注文票を片手に元気よくやって来る。
「何にしますか?」
そう、訪ねて来たウェイトレスに向かい、内紀は気取った声でこう言った。
「パンプキン・パイとシナモン・ティー」
内紀のオーダーに、マスターが人知れずフフッと渋く微笑んだ事を知る者は居なかった。
パイとティーをゆっくりと楽しんだ後、一時間ほど軽井沢駅周辺をブラついた内紀は、駅前に戻り愛車GNのシートに腰掛けて地図を見ていた。
「さて、どうするかな」
今日の目的地は、南佐久郡小海町の松原湖。
湖畔のペンションに予約を入れてあるのだ。
軽井沢からは約60キロほど、ゼロハンとはいえ3時間見れば充分な距離だろう。
時刻はちょうど昼の12時。
たった今、高崎方面からの電車が到着したこともあり、観光シーズンの軽井沢駅前には若い男女が溢れている。
内紀は、そんな喧騒の中で奇妙な孤独感を覚え、ふっとシニカルに
「これが、バイク乗りの醍醐味、ってヤツか……」
ここでおもむろにタバコでも咥えてカッコつけたいところだが、残念ながら内紀はタバコを吸えない。男性喫煙率が80%近いこの時代であったが、有川家で喫煙する人間は皆無であり、また内紀自身もタバコの煙が大の苦手であったため、これまでの人生で一度たりとも咥えたことがなかったのだ。
「マイナーゆえの悲哀、か」
内紀は独りごちつつも、悪い気はしていない。
道行く男の多くが歩きタバコをキメる中、むしろ吸わない自分の方がカッコいいのではないか、と考えたのだ。
この時、内紀は40年後を先取りしていたのだった。
観光客が溢れる観光地の駅前、愛車にもたれて黄昏る……
内紀は、何とも言えない不可思議なロマンチシズムに浸り切り、まるで真っ白に燃え尽きたボクサーのような表情で瞳を閉じていた。
そのまま数分程、己に浸り切っていた内紀に。
「あの、すみません」
と、鈴の鳴るような声が掛かった。
「え?」
我に返った内紀が、声の主を振り返ると。
「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが……旧三笠ホテルって、どう行けばいいかご存知ですか?」
そこには、物憂げな瞳を内紀に向けた、可憐なる美少女が佇んでいた。
午前と午後の合間の、絶妙な光加減の日差しを受けて輝く
白皙のように白い頬には、わずかにそばかすが振られ。
つん、と尖った形の良い鼻に、小振りながら肉厚の艶やかな桃色の唇。
そしてなにより、アーモンドめいた形状の勝気な瞳は、美しき
そう、それはまさに
内紀は一目でその少女に心を奪われた。
そして、こんな美少女に声を掛けられた事を、深く神に感謝した。
(ありがとうございます……! 天にまします我らが神よ!!)
ちなみに、有川家は関東地方のとある神社の宮司である。
こんな不埒な事を他所様の神に祈ったと実家の姉たちに知れたら、恐らくただでは済まないだろう。
「あの……?」
金髪の美少女が、再び戸惑いがちに声を掛けてくる。
いつの間にかガッツポーズをしながら内なる
「きゅきゅきゅ旧三笠ホテルね、
内紀は噛んだ。
カッコよく答えようと思い、力み過ぎて噛んだ。
これでもかと言うほどに噛んだ。
きゅきゅきゅきゅう、の所などラップもかくやと言わんばかりに噛んだ。
この時代、まだラップなど日本ではほとんど知られていないし、『噛んだ』などと言う言葉は無かった(はず)だがそれはさておき。
これ以上ないほどに思いっきり噛んでしまった内紀は、内心では盛大に地面に倒れ伏しつつも、何事も無かったように少女を見詰めた。
「……っ!」
だがしかし。
残念ながら吐き出した言葉は消すことは出来ない。吐いたつばを飲み込む事が不可能なように。
内紀の絶妙な噛み具合を聞いてしまった金色の天使は、我慢出来すに噴き出し掛かり、その場にしゃがみ込んで小刻みに震え出した。
「ご、ごめんなさい! でもあの……っ!!」
「……ウケを取れたなら、何よりだよ」
忍び笑いを押し殺し、涙目になっている少女が必死に謝る。が、おかげで内紀の気取りは取れ、肩の力は抜けていた。
少女の笑いが収まるのを待つ間、内紀は手近な自販機で紅茶を駆って来て、少女に手渡す。
少女は恐縮したが、遠慮することなく礼を言って受け取り、プシュ、とプルタブを開けて美味そうに紅茶を飲んだ。
「俺、有川内紀。内紀って呼んでくれ」
「ナイキ、さん。私はマリアンヌ・フォン・リヒトフォーフェンです」
落ち着いた後、二人は自己紹介を交す。
金髪碧眼の外国人で美しいマリアンヌは良く目立ち、周囲の、特に男どもから刺す様な視線が内紀に降り注ぐ。
内紀は心の中で得意げに鼻の穴を広げたが、そんなそぶりは露とも見せずにポーカー・フェイスでマリアンヌに微笑みかけた。
「で、旧三笠ホテルに行きたいんだっけ」
「あ、はい。私の想い出の場所なんです」
しっとりとした、可憐な声で答えるマリアンヌ。
めちゃくちゃ日本語がうまい娘だな、と内紀は思いつつもそんな余計な事は言わない。
「三笠ホテルなら解るよ。俺も行こうと思っていたところだから、一緒にどうだい?」
前もって
何が『前もって』なのかと言うと、この旅に出る前に、旅先でマブい娘に出逢った時の為に用意しておいたナンパ・テクである。
これは、内紀の通う大学で最もモテる友人から伝授されたテクニック集の中の一つなのだ。そのテクニック集は大学ノート丸一冊分にも及ぶアンチョコであり、その代価は焼肉食べ放題の奢りであった。
「良いんですか!? でも、ナイキさんバイクですよね……」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと待っててくれ」
内紀はそう言うと、駅のコインロッカーの空きを確認する。
「うん、問題ない!」
戻って来た内紀はGNからアーミー・ザックを降ろすと、コインロッカーに放り込んだ。
ちなみに、これもテクニック集に載っていた、『バイクでナンパ成功した時の対処法』の一つである。
そして、シートのような形をしているが、実はシートではなくプラスチック製の小物入れであるGNのリアシート部に小物入れから取り出したクッションを敷く。
幸いにも、少女の荷物は肩掛けタイプのバッグ一つだったので、それはそのままで問題ないだろう。内紀のデイパックは、体の前に廻せば大丈夫である。
GNに跨った内紀は、少女に向かい。
「さ、乗って」
とウインクしたのだった。
そして1時間後。
軽井沢駅前派出所から、涙目になり青切符を握りしめた内紀がまろび出て来た。
「くそっ! 何が違反だ! 反則金だ!!」
そう、内紀が
まあ、当たり前と言えば当たり前の体たらくなのだが。
戸惑うマリアンヌは、若いハンサムな警察官に旧三笠ホテル行きのバス停を教わり。
「俺は大丈夫だから、キミの想い出を見つけに行ってくれ」
と、年配の警察官に肩を掴まれつつニヒルに笑う内紀に背を押され、何度も振り返りつつバス停へと向かったのだった。
「くそくそくそっ!!」
滅多に無い、値千金の大チャンスを見事に空ぶった内紀は軽井沢駅を後にし、半泣きになりつつ国道18号を佐久方面に向かって爆走した。
これから旧三笠ホテルに向かえばマリアンヌと会えるかもしれないが、さすがの内紀でもそれは気まずく思え、行く事を躊躇した。
「俺が
ノーヘルでアクセル全開、スピードメーターの針は80km/hを指しており。
顔からは涙や鼻水、唾など様々な液体が流れ出ている。
しかし、狼であればむしろこの状況を利用して、マリアンヌと
まあ、それ以前に派出所に連行されると言う愚を犯さないに違いないが。
御代田辺りで国道から離れ、雄大な浅間山を眺めつつ青々とした田んぼの間をゆったりと50km/hほどで走っていると、沈んでいた心が少しずつ上向いて来るのを内紀は感じた。
「……まあ、今回は運が悪かった。交番から離れてから、二人乗りすれば良かったんだよな」
そう言う問題ではないのだが、内紀の
「旅は道連れ世は情け、ってか。縁が有れば、あの子……マリアンヌにもまた逢えるだろ」
いつまでもくよくよしていても仕方がない、と割り切った内紀は前を向く。
「よっし、今度は馬流あたりで休憩してみるか!!」
内紀は気合いを入れ直し、愛車GNのアクセルを再びワイド・オープンし、白煙とともに加速したのだった。
To be continued……
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