2: YAMAHA ベルーガ CV50E

「これが、あたしのベルーガちゃんだに!」


 とある初夏の金曜日、午後4時頃。授業は終わり、吹奏楽部の練習する音色や、運動部の掛け声などが響く校舎の片隅。

 この4月から通い始めた下伊奈農業高等学校の自転車置き場にて、三枝さえぐさ亜紀あきは友人である永山ながやま洋子ようこの前でフンス! と鼻息荒く胸を張った。

 亜紀の前には、真っ赤なスクーターが鎮座している。


 ヤマハ・ベルーガ CV50E――


 ヤマハ・パッソルに端を発する第二次スクーター・ブームの中、満を持して発売された『本格派』スクーターである。

 名前の由来は、北極海などに生息しているシロイルカであり、優雅な白いボディにちなんでつけられたものだ。

 もっとも、亜紀のベルーガのカラーリングは、先述の通り鮮やかな赤なのだが。


 一か月ほど前に提出していた『バイク通学許可願い』がようやく受理され、本日からバイク通学が解禁となったのだ。

 

「へえー、おっきいなー」


 洋子は、ベルーガの周囲をくるくると廻って眺めながら、感心したように呟いた。


「私のパセッタと比べると、倍くらいありそうだなん」


 ちなみに、語尾に『に』や『な』や『ら』や『なん』『だに』などと付くのは、この地方の方言である。


 パセッタとは、パッソルのバリエーション・モデルであり、パッソルともどもかなり小柄なスクーターだ。

 さすがに『倍』は言い過ぎだが、軽量コンパクトなパセッタと並べると、本当に同じ50㏄かと首をひねってしまうほどにベルーガは立派な車格を持っているのだ。


「シート長いなー。二人乗りも余裕で出来そうだなん」

「うん、こないだ弟の彰浩あきひろと二人乗りで畑まで走ったけど余裕だったに!」

「へー、すっごいな!」


 エヘン、と無駄に偉そうな亜紀の言葉に、洋子は感心する。

 パッソーラに二人乗りしたら、きっと前輪が持ち上がる、いわゆるウイリー状態になってひっくり返ってしまうだろう。


 もちろん、50㏄の二人乗りは道路交通法違反である。が、亜紀の家がある守村かみむらは、ここ伊井田いいだ市から山を二つほど越えた、南アルプスの懐に抱かれた山深い僻地である。

 村には駐在所が一つあるだけであり、当然おまわりさんも小さい頃から顔見知りなので、余程の事が無い限りは捕まったりしないのだ。

 学校も小・中学校が一緒になって同じ敷地内にあるだけで、進学するには山を越えて伊井田市内か、その近辺の高校に通うしかない。


 守村から距離的にもっとも近い高校は、亜紀たちが通う『下伊那農業高等学校』、略して『下農』と呼ばれるこの学校なのであるが、それでも上村からの距離は40キロを余裕で超えてしまう。

 また、伊井田市と守村を繋ぐ道も片道1.5車線程度の狭い峠道が2~3本有るだけで、そこを通るバスも日に数本しかなく、その時間帯は朝と夕方の通学時間帯に集中している。そう言った事情により、毎日の通学はなかなかに至難の業である。


 1990年代の後半に入る頃には、伊井田市との間の山をぶち抜いたトンネルや、南北に走る国道152号線もかなり整備されて来て、街へ出る為の山越えもかなり楽になるのだが、この当時は本当に山奥深く閉ざされた村落であり、街に出るのも一苦労。

 冬季になって大雪に見舞われれば、まさに陸の孤島となってしまうほどだ。


 そんな地域なので、守村を始めその近隣の南信野村・多鹿村などの高校生は、通う高校の近所に下宿するのが常であったが、亜紀は学校から許可を取った上で原付免許を取得し、守村の自宅から通学することを選んだのだ。


 入学してから免許を取得して通学許可を得るまでの間は、守村役場前を朝5時に出る始発のバスに乗って学校へ向かい。放課後もまたバスに乗り、家に帰り着くのは夜9時と言う強行軍で凌いでいた。


 そこまでして、家から通う理由――


 それは、体調が悪い母親のそばに付いていて上げていたい、という事だった。


 亜紀の父親の俊樹としきは守村出身であり、かなり大きな農家の一人っ子長男である。

 そうなると当然、家を継ぐ必要が有るのだが、俊樹は学業の成績が非常に良く、本人の強い希望により高校も下伊奈農業高校には通わず、伊井田・下伊奈地方で最も学力の高い伊井田高校に進学した。

 そして高校を卒業した後、本来ならば東大に挑戦したかったのだが、親との妥協案として東京農大を受験して見事合格し、上京したのだった。

 そして、東京で出会った女性――亜紀の母親である菜実なみを連れて、大学卒業後に守村へと帰って来たのだ。


 幸いにも俊樹の両親は、嫁イジメなど良く言われる農家の悪習にそれほど染まっておらず、また都会的で線が細い美人である茉実にメロメロとなり、蝶よ花よと下にも置かないお姫様扱いをした。

 そんな義両親に対し、茉実も都会ぶる事も無く誠実に接し、可能な限り農作業も手伝ったので、嫁姑の争いとはほぼ無縁であった。

 菜実は結婚後すぐに亜紀を懐妊し、続いて3つ下の弟である彰浩を生んだ。

 そしてつい一年前、ずいぶんと齢の離れた妹である亜耶あやが生まれたのだが、菜実の産後の肥立ちが悪く、ちょくちょく寝込むようになってしまったのだ、


 俊樹と菜実の長女である亜紀は子供の頃から男勝りの腕白であったが、祖父母によく懐き、農作業を面白がって手伝ったので、祖父母は目の中に入れても痛くない程に可愛がった。


 亜紀も農作業に遣り甲斐を強く感じていたので、農家を継ぎたく無さそうな弟の彰浩に代わり、高校卒業後には婿を取って三枝家を継ぎ、ガッツリ農家をやるつもりであった。


 

「これで、バスや電車の待ち時間を無駄にせずに済むから、朝も帰りも楽になるに!」

「でも、それだって片道1時間半くらいは掛かるんだら?」

「そうだに。でも、自分の時間で動けるんで、めちゃくちゃ楽になったんな」


 下農の始業時間は午前8時15分。

 なので、午前8時に自転車置き場へ辿り着けば、ギリギリで授業開始に間に合う計算だ。

 部活には入らず、終業後すぐに帰れば、夕方6時から7時の間には十分帰り着ける。


 亜紀の両親も祖父母も、最初は下宿を勧めて来た。だが、亜紀の固い決意を翻させる事は出来ず、仕方なしとバイク通学を認めたのだ。


「ベルーガはおじいちゃが買ってくれたんな。あたし、小学校の頃から田んぼとか畑とか手伝ってたから、これまでのバイト代替わりって言ってな!」


 もちろん、亜紀が可愛くて仕方のない祖父母は、農作業を手伝うたびになんだかんだとお小遣いやお駄賃をくれてはいた。が、それとは別にして、可愛い孫娘の通学のため、バイクを買い与える事にしたのだった。


「まあ、11月からの冬場は下宿するか、おとうちゃに送ってもらう事になるけどな!」


 ここ、下伊奈地方は長野県南部にあるので、中部や北部のような雪国並みほどの降雪はめったにない。とはいえ、雪が降るのは間違いないし、山道の日陰などには春まで消えない根雪が着くのも珍しくはないのだ。


「11月からは雪降るかもしらんしなー。なんなら、冬の間はウチに下宿する?」

「えー、良いの!?」

「パパもママも亜紀の事気に入ってるし、今年ちい兄ちゃんが名古屋で就職したから、部屋は空いてるんな」

「本当!? じゃあ、今日帰ったらおとうちゃに聞いてみる!」

「私もパパとママに言っとくでな。詳しい事は、また今度親と一緒に話しまいか」

「うん!」


 洋子の家は、下農から十キロほどの距離にある下久方町である。

 天竜川西岸の山懐に位置する小さな町だが、通学に山を越える必要は無く、冬場でも比較的雪が少ない。

 また、運行されるバスの便数は守村とは比較にならない程多いので、通学難易度はかなり易しい。

 洋子は、まだバイクでの通学許可を取っていないのでバスと自転車で通っているが、夏休み明けには許可が下りるはずである。


「じゃあ、また明日な!」


 亜紀はベルーガに颯爽と跨り、キーを『始動』の位置に廻してからセルボタンを押す。と、元気よく廻ったセルモーターによりエンジンが始動し、軽快な2ストサウンドが排気煙と共にマフラーから吐き出され始めた。


「気を付けて帰りなんよ!」


 そう言う洋子に微笑みかけた亜紀は、キーをもう一段捻り『走行』にしてからアクセルを開ける。スーッと、スムーズに走り出すベルーガのシートの上で、亜紀は洋子に向かって手を振った。


 ゆっくりと校門を抜け、県道を走り出す。梨畑や田んぼに覆われた高台の上にある下農付近の道からは、谷を挟んで北側の、同じく高台に位置する伊井田市街地が良く見える。


「やっぱ、バイクってたーのしー!!」


 自転車のようにひいこらと漕がなくてもスーッと進み、どこにでも連れて行ってくれそうなバイクに乗る事は、亜紀にとっても大きな楽しみとなっていた。


「今度、洋子のパッソーラと一緒に走ってみたいなー」


 間もなく訪れる夏休み。

 むろん農作業の手伝いも頑張りつもりだが、何日かは友達と遊ぶ日も作れるだろう。

 同じ中学だった子や、近所の幼馴染たちと川や学校のプールで泳いだり、山で虫取りをしたりするのも良いのだが。


「せっかくバイクに乗ってるんだから、つうりんぐっていうのもやってみたいな!」


 実は、亜紀の両親である俊樹と菜実もバイク乗りである。

 というか、二人が出逢った切っ掛けは、俊樹が所属していた東京農大二輪車部と、同じく菜実が所属していた早稲田大学二輪車部の合同遠乗り会だったのだ。


 ちなみに父・俊樹の愛車はホンダ・CB400D-R。紅白に彩られた派手なカラーリングのモデルで、ペットネームは『スーパー・ホークⅢ-R』。

 母・菜実の愛車は濃紺のホンダ・CB400FⅡ……いわゆる『ヨンフォア』の中免バージョンである。

 もっとも、最近の菜実は体調が悪いことが多くてヨンフォアにはほとんど乗れず、俊樹がスーパー・ホークⅢ-Rとヨンフォアを交互に乗って調子を維持している。


 亜紀が通学用のバイク選びに悩んでいる時、大のホンダ党である二人はホンダのスクーターであるタクトを強く推して来た。

 だが、亜紀はどうもタクトのスタイルが好きになれず、結局デザインにほれ込んだベルーガを祖父に買ってもらったのだった。


「えーと、今は4時半だから……6時には家に着けるら!」


 亜紀は、高校入学祝いに母親の菜実から贈られた腕時計に目を落とし、時間を確認する。今夜のおかずはなんだろうか? と料理上手な母や祖母の夕飯を考えると急激にお腹が空いて来て、時速50キロで快走するベルーガが遅く感じてしまうのであった。


 下農が有る高台から降りた後、松川沿いの道を走って天竜川との合流点に掛かった橋を越え。天竜川西岸の県道をちょっと北上すると、『右折 守村 30キロ』の標識が見えてくる。


「さー、気合い入れて行くに!」


 亜紀はベルーガに向かって声を掛けると、ウインカーを出して右折した。


 排ガス規制も何もない、ハイパワーな2スト50㏄エンジンを積んでいるベルーガだが、暑くなってきたこの時期に九十九折れの山道を飛ばしていると多少の熱ダレが起こり始める。


「えーと、坂道で40キロ以上出なくなったら、ちょっと休む、と」


 亜紀は、ベルーガを購入したお店―― 守村唯一の自動車修理工場のおっちゃんに言われた通り、山道を登り切るちょっと手前に設置されたHi-Cの自販機前で停止し、エンジンを切ってスタンドを掛けた。


「な・に・を・の・も・う・か・な~♪」


 亜紀は自販機の前で散々悩んだ後、Hi-Cアップルを購入する。

 

「明日はオレンジにしようかな♪」


 そんな、詮無い事を呟きつつ、250ml缶のプルタブを開けて爽やかなリンゴ味のジュースを喉に流し込む。


「うーん、おいっしー!」


 そして、自販機横に置かれた赤いコカ・コーラのベンチに座ると、静かに佇む愛車・ベルーガに視線を向けた。


「……」


 さっきまでは強い夏の光を落としていた太陽は沈み始め、段々と橙色に色づいた光に変わり始めている。

 夕焼けが近付く中、カナカナカナ……と鳴くヒグラシの声を聴くと、亜紀の心は何故だか切なくなって来てしまうのだ。


 そんな、ちょっとした瞬間。

 何と表現していいのか解らない、胸のざわめき。


「……こうやって、バイクを止めて休んでいる時って、すごく好きかも」


 ただ、楽しいだけではない。少しだけ、寂しい気分も湧き起こってくる。

 言葉では表現できないこの感じ。


 亜紀は、不思議な充実感と、僅かな寂寥感に包まれながら、じっとベルーガを見詰めた。


「やっぱ、あたしのベルーガって最高にカッコいいら」


 亜紀が通学用バイクを選ぶとき。

 実は、男の子が乗るようなスポーツ・バイクも検討した。

 その理由としては、スクーターよりもパワフルで、山道も楽に走れるのではないか、と父からアドバイスされた事が大きい。


 修理工場のおっちゃんからもらった各社のカタログを見て悩んだ車種は、ホンダ・MB-5、ヤマハ・GT50、スズキ・マメタンOR50Eなどだ。


 中でもスズキのマメタンは新鮮なアメリカン・スタイルのモデルで、非常に心惹かれるモノがあった。だが、やはりスカートで乗るのは難しいし、通学カバンなどの荷物を積むことを考慮すれば、スクーターの利便性に軍配が上がる。


 そして何より、亜紀の琴線に触れたそのデザイン。


 そう、亜紀にとって、ベルーガ以上に煌めくバイクをカタログから見つける事は出来なかったのだ。


「スクーター、かぁ……」


 一年ほど前にパッソルが登場してから、雨後の竹の子のように車種を増やしていくステップ・スルーのスクーターモデル。


 それまでの不遇の時代が嘘のように、原付市場を席巻し始めている。 


 だが、第一次スクーターブームが1960年代に収束してから、日本国内でスクーターが顧みられたのは1970年代も末期に近くなってからである。


 日本におけるスクーターの歴史が始まったのは、第二次大戦後から少しして、怒涛の戦後復興が始まったころ。


 富士重工業(現スバル)のラビットスクーターを始祖とし、国産スクーター界は三菱重工のシルバー・ピジョン、ホンダのジュノオ、ヤマハのSC-1など、百花繚乱の態を見せていた。


 この時代ときが、第一次スクーター・ブームである。


 この頃は、まだ四輪自動車を手に入れるなど一般的な国民にとって夢のまた夢。

 その代替需要として、スクーターはコンスタントに販売台数を稼ぎ出していた。

 が、時代の要求に応えて大型・高級化を辿った結果、それに応じて価格も上昇し。

 ホンダからかの名車、スーパー・カブシリーズがリリースされると、その利便性・経済性・そして小排気量ながら軽量かつハイパワーを誇る高性能振りに、スクーターからビジネス用途は奪われてしまった。


 では、レジャーやツーリングなど、家族や友人、恋人などとのトラベル・コミュニケーション・アイテムとしての生き残りを図ろうとするも。


 国産スクーター・メーカーの始祖にして元祖たる富士重工スバルより発売されたニッポンの国民車、スバル360によってトドメを刺され。


 肥大・高級化したスクーターたちに生き残る術は与えられず、あれよあれよと駆逐され、あっという間に市場から姿を消したのだ。


 その時の、あまりの凋落ぶりがトラウマとなり、日本のバイク・メーカーはスクーターを一切造らなくなってしまった。

 少数のスクーター・マニアたちは、イタリアのベスパやランブレッタなど本家本元のスクーター・モデルたちを国産400㏄並みの値段で買い求めて伊達を気取っていはしたが、『市場』と呼ばれるものを形成するほどには至らず。


 消え去ったスクーターの市場はスーパー・カブを筆頭とするビジネス・モデルやオートマティック・エンジンを積んだファミリー・バイクなどに取って代わられたのだった。


 そして時は流れ。


 1970年代後期に爆発的ヒットを飛ばしたホンダ・ロードパルシリーズやそのフォロワーたちである『新型ソフトバイク』に対抗して、ヤマハが久しぶりにステップスルーのスクーター・タイプとして発売したパッソルでさえ、最初は『ソフトバイク』の括りに入れられていたほどである。


 しかし、ステップスルーの使い勝手の良さと意外に高い動力性能によってパッソルが大ヒットを飛ばすと、後に続けとばかりにおとこカワサキを除く国内バイクメーカーは我先にとスクーター市場に参入したのだ。


 だが、ほとんどのモデルは軽量・コンパクトを基本とし、その外装はプラスチックで囲われていた。


 そんな中、ヤマハがリリースした『大人のスクーター』ベルーガ・シリーズはほぼ全身に金属製の外装を持ち、またそのデザインも洗練されたものであった。

 『ヘッドライトを四角くしただけ』と言われたほぼベスパコピーに近いデザインのスズキ・ジェンマと共に、ベルーガは異彩を放っていたのだ。


 ……などと言う小難しい話を、亜紀が知るワケも無く。


「さー、そろそろ行きまいか!」


 亜紀はHi-Cアップルをグイッと飲み干して空き缶入れにシュートすると、元気よくベルーガに跨った。


「もう少し登れば頂上のトンネルだし、あとは下るだけだから頑張ってな!」


 エンジンを掛けつつベルーガを励まし、再び山道を走り出す。

 そのままの勢いで1キロも登ると、真っ暗な素掘りのトンネルが見えて来た。


「このトンネルはいつ来ても怖いなー……」


 亜紀はベルーガのヘッドライトを点灯させ、スピードを緩めてトンネルへと入って行く。

 途中、何か所かで壁から水がでていて、水たまりになっているので気を付けないといけないのだ。

 

 ベルーガのヘッドライトは12ボルト仕様なので、35ワットとはいえ結構明るく地面を照らしてくれる。


 深そうな水たまりを避けつつ、おっかなびっくり数分走ってトンネルを抜けると、目の前がパアッと明るく開けて、眼下には遠山川沿いに広がる集落が見え始めた。


「今日のごはんは何だろー!」


 とたんに空腹を思い出した亜紀は一刻でも早く家に帰りたくなり、アクセルをぐいっとワイドに開ける。


 亜紀を乗せた、赤いシロイルカはそれに応え、下り坂を元気に加速し始めたのだった。








Fin.

 


 

 

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