After

第13話 それから

 じめじめとした暑さと日差しが痛い夏の日。いつものように学校へ向かうウォルター様を見送った俺は、部屋の窓を全開にして彼の部屋の掃除をしていた。

 俺は主のウォルター様の保護者としてサポートをするのが主な仕事ではある。そのため彼がいない間の数時間は自由時間を貰えることもある。勿論屋敷での仕事は忙しいし例外はあるので、ハッキリとしたことは言えないのだが。

 カーペットのゴミを取りながら、壁にかけられた時計をちらりと見る。ウォルター様を送り出してから30分ほど経ったろうか、掃除が一区切りついた頃、部屋にノックの音が響く。

 俺の返事の後に開け放してあった扉から顔を覗かせたのは、ウォルター様のお祖父様であるハーヴェイ様だった。町一番の長寿の割には若々しく年齢の割に背もまっすぐで、丈夫そうな体つきのハーヴェイ様は、杖をつきながらゆっくり部屋の中に入る。


「ビルキースくんおつかれさま。いつもありがとうね」

「ありがとうございます。ハーヴェイ様も、お疲れ様です」


 俺の返答にニコニコと目を細めたハーヴェイ様は、世間話もそこそこに本題に入る。曰く、今日は昼間一時的に帰宅をしてもいいという連絡だった。


「今日は使用人さんも何人かいるからね、お昼くらいは御家族とゆっくりしてきたらどうかな」

「……はい、ありがとうございます。では、掃除終わったら、そうさせてもらいますね」

「うん、うん」


 再び目を細めたハーヴェイ様は、用事は終わったと部屋を後にする。俺も部屋の掃除をさっさと終わらせて、自宅に戻る準備に取り掛かることにした。


 時計の針が何度かまわった昼前。当初の予定通り掃除を終わらせ屋敷を後にした俺は、近くのバス停からバスに乗り込み自宅へと向かう。そこは、嘗て住んでいた実家とは全く違う場所。そう、俺は数年前に言わば独り立ちをし、他者と暮らすようになっていた。

 そこそこキレイなアパートの一室の前に立ち鍵を差し込む。手応えの無さから同居人がいることが分かり、鍵をしまって家に入る。意外と静かな家の中、短い通路を歩いてリビングに足を踏み入れると、そこにいたのは豊かな金髪を太い三つ編みに結った女性。テーブルに向かう彼女の目の前には、裁縫道具と裏返した衣服、それに合わせるための幾つかの薄い布。自身の服の修繕を行っているらしい彼女は、小さな唸り声を上げながら突っ伏していた。

 予想外の光景に、俺は呆然と彼女を見つめて、おそるおそる声をかけた。


「…………ジェシカさん」

「……あぁ、おかえりなさい、ビルキース。昼休み?」

「ただいま、です。確かに休み時間ですけど……突っ伏してどうしたんです」


 少し動揺する俺に対し、金髪の女性ジェシカは、アメジストを思わせる垂れた瞳をこちらに向けて、やけくそ気味に零す。


「破れた服を直してたの。でも全然上手くいかないから嫌になっちゃって、疲れてきたから休憩してたの」

「そうなん、ですか」

「そう。そうなんです」


 ジェシカの言葉に、俺はテーブルに置かれた衣服に目を向ける。裏地に穴が広がっていたり裾がほつれたりしているワンピースと、それをカバーするための布。他にも何かしらの修繕が必要らしい服が何着かある。俺からすれば簡単に直せるものだが、裁縫が苦手な彼女にとってはそうもいかないらしい。


「どうせなら俺がやりましょうか? その方が早いですよ」

「それはありがたいけど、いいわ。貴方にやってもらってばっかりじゃ悪いし、私の練習にならないじゃない」

「そうですか。では、頑張ってください。俺は昼食の準備をしてますね」

「そうしてくれる? ごめんなさいね」


 小さく決心した彼女を邪魔するわけにはいかない。なにか分からないことがあれば言ってください、と添えて、俺は被っていた帽子やコート、手にしていた荷物を定位置に置くと、厨房に行き使えそうな食材を確認する。


 俺がさっきから話している女性の名はジェシカ。彼女は、俺やソロモンの姉妹ではない。ならば誰なのかと言うと……元々俺の友人であり、現在は形式的には『妻』となっている女性だった。

 そう、俺は昨年彼女と結婚した。こういうと、まるで俺がソロモンを裏切ったかのように見えるが、俺が一番愛しているのは間違いなくソロモンである。男であれ女であれ、他の相手に現を抜かしたことはない。彼以上に誰かを愛したことはなく、今でも彼に貰った指輪は欠かさず右の薬指に収まっている。それだけでなく、相手にも心に決めた相手というものが存在する。

 ならば何故こんなことになっているかというと、それは、お互いの利害の一致が理由だった。


 遡ること凡そ二年前。マスグレイヴ家の三女・アイリーンさんと、その交際相手であるジェシカ・ウェズリーさんが俺にこんな提案をしてきた。


「突然なんだけど、あなた、ジェシーと偽装結婚する気はない?」

「…………はい?」


 恋人の妹カップルという思ってもみなかった相手からの、意外な提案に、俺はそれだけしか言えなかった。俺には偽装結婚の提案をされたように聞こえたが、聞き間違いだろうか。言っていることは分かるが、何故突然そんなことを言うのか。

 あまりのことに目を白黒させる俺を見て、少し太めの眉を下げたアイリーンさんが冷静に続きを話す。


「もちろん、あなたにソール兄さんを裏切れって言ってるわけじゃない。偽装だから、周りから見てジェシーとあなたが夫婦ということにできればいいの。つまり似た者同士協力しない? ってこと!」

「なるほど、言いたいことは大体わかりました」


 アイリーンさんの言葉を受けて、俺は小さく頷いた。

 彼女たちは女性同士で交際しており、俺は男性であるソロモンと交際していた。『性別関係なく、誰かを好きになるのは素晴らしいことだ』というのは、ソロモンのお母さまが言っていたことらしいが、世間一般はそうもいかない。この家の方々が優しすぎるだけで、実際はいつまでも独り身であるというだけでやたらと心配され、はたまた同性愛者なのかと疑われることもある。例え実際にそうであっても、これを肯定することはなかなか難しいことであると思えば、事情を理解する者同士で結婚するというのはいい手段だろう。

 その前にアイリーンさんはいいのかと問えば、彼女は『ありがたいことに、お父さんは寛容だから、まだいいかなって』とのこと。そのため身内からの圧が大きいジェシカさんにしたらしい。

 事情や理由は納得したが、安易に受け入れられないのも事実である。何故なら一応は俺と夫婦ということになるのだから。


「周りからの重圧は、あなたもひしひし感じてるんじゃないかしら」

「……はい。確かにここ数年周りからの結婚しろっていう話は多くあります。でも、その、ジェシカさんは、よろしいのですか。形だけとはいえ、俺と、夫婦になるんですよ」


 ちらりと瞳を向けた先では、澄ました表情のジェシカさんが、桃色の口紅が塗られた唇を薄く開く。淡々とした静かな声が耳に届いた。


「ろくに知りもしない相手と結婚させられて子供産まされるよりは圧倒的にマシ」

「……なるほど」

「さっきも言ったけど、最近親が結婚しろってうるさくて仕方ないの。頼んでもないのに縁談持ってくるし。だからさっさと解放されたいっていうのもあるのよ」

「同じですね」

「でしょう? あなたなら同居人として嫌じゃないからね。だめかしら」


 真摯なアメジスト色の瞳が俺をすっと見抜く。その居心地の悪さに思わず目を逸らしたが、決してダメではない。ただ、俺の中で葛藤もあるため回答するには時間が必要であり、決まったらアイリーンさんに伝えることを約束し、一旦この話は区切りとなる。

 数日の間、俺の頭はこの件でいっぱいになっていた。もちろんウォルター様に何かあっては一大事のため、仕事中にそんなことは考えない。だから自由時間に休憩所や自宅で結婚の是非について思考するだけなのだが、どうにも決断できずにいた。

 一人で生活しているアパートの一室。温めたコーヒーを飲みながら椅子に腰掛けて、アイリーンさんやジェシカさんとの話を思い出す。

 彼女たちの提案はメリットが多いだろう。独り身であるからと、勘ぐられるということは無くなり重圧から解放される。誰かと暮らすことで寂しくなくなるということもあるかもしれない。だが、これは本当にいいのだろうかと悩みもする。

 異性と結婚することが世間の常識であり、偽装結婚には相手も了承している。だが、やっぱりソロモンを裏切るようで妙な抵抗感があり、はっきり言ってとても複雑な気持ちだ。メリットは多くあるのに素直に飲み込むことが出来ず、胸の内がもやもやとしている。


「……俺は、どうしたらいいんだろうな、ソロモン」


 右手の薬指に嵌めた指輪や棚の上に置いた二人で撮った写真を見つめ、俺は深く溜息を吐いた。



 あれから数日、俺は彼女との結婚について色々と考えた。メリットとデメリットを考え、ソロモンに対する裏切りと思う理由も考えて、最終的にひとつの結論を出し、結局提案を受け入れた。

 これでいいのかという気持ちはまだあるが、幾つかのメリットを考えた結果、やはり彼女との結婚はやはり悪いものでは無いのだ。

 そうして最初に偽の恋人という関係を得た俺達は、数週間後に互いの親に会い簡単な挨拶をした。その際の親の反応は寧ろ笑えてくるほどだったことを覚えている。何故って、俺に異性の恋人がいたこと、結婚を考えていることを知って安堵のあまり泣き出した程なんだから。

『あぁよかった、これであなたも漸く一人前になれそうね』

『本当によかった、これでもう心配事はないな』

 そんなふうに口々に言い合う両親の姿に、適当に返しながら、俺は心冷めた心持ちで二人を見つめていた。独り身であるというだけで半人前という判断は、致し方ないと分かっていても、俺がソロモンと交際していたことが間違いだったと言われている感覚にもなる。冷たいものが心臓に突き刺さるような感じだった。


「あなたの親も、私の親と一緒ね」

「そうか、一緒ですか」

「うん。だから、あなたも嫌な思いをしたんだろうなって想像つくもの」

「……そちらも、苦労したようで」

「まぁね」


 そこから話はトントン拍子に進んだ。届出も提出しジェシカさんは俺のアパートに引越しをし、二人での生活がも始まった。夫婦のようなことは一切しない本当に単なる同居人だが、ジェシカさんとの生活は結構いいものだった。今まであった重圧からも解放されたし、単純に寂しくない。当然他人と生活するため噛み合わないこともあるが、お互いルールを決めた上でそれなりにうまく生活をしていた。

 ソロモンはもうこの世にはいないが、彼との関係をやたらひた隠す必要がないだけでも意外と楽なものであるし、ジェシカさんがアイリーンさんとのことを楽しそうに話す様子を見ているのも案外楽しいものだった。


 しかしそれから一年後、1915年の夏。突然悲劇が起こる。アイリーンさんが何者かに殺害され、この世を去ったのだ。

 日中、ジェシカと出かけてる最中に刃物で刺されたアイリーンさんは、目も当てられないほどに滅多刺しにされていたという。ソロモンの事件と似ていることから同一犯と考えられ必死の捜査が行われたが、またしても犯人の手掛かりはなく時間だけが過ぎていく。遺族の悲しみも、恋人の悲しみもよそに、いつの間にかあっという間に一年が経過していた。



 俺はここ数年のことを思い出しながら、サンドイッチ用の卵を準備する。手は順調に手際よく動かしながらも、頭では別のことを考えていた。

 何故ソロモンの家族が苦しい思いをしなければならないのか。犯人が本当に同一犯だというなら、何の目的があってこんなことをしているのか、いくら考えても今の状態ではなにも分からず、気持ちを正して調理に集中する。

 それからしばらくして、適当に作ったサンドイッチとスープを準備し終えた頃。集中力が切れたのか椅子に凭れかかっていたジェシカさんが体を起こす。


「いい匂いね」

「適当に軽食作ったから休憩したらどうです」

「有難う、そうするわ」


 微笑んだジェシカさんは、テーブルの上に置かれた服や裁縫道具を片付けて、配膳を手伝う。彼女は疲れた様子で卵のサンドイッチを食べて、ほう、と息をつく。


「いつも思うけど、あなた、私より料理上手いわよね」

「そんなことない。それに、誰でも作れるサンドイッチです。うまいも何もありませんよ」

「何言ってるの。こういう誰でもできるものだから言ってるのよ」

「……ありがとうございます」


 短く礼を言って、俺はスープを口にする。コンソメスープの味わいが野菜に染みてなかなかの塩梅ではないかと思う。

 静かに食事を続けていると、サンドイッチを食べきったジェシカさんがふと口にする。


「こういうの、ソロモンくんにも作ったりしたの?」

「あー、そういやあんまり作ったことないですね」

「そうなの? となると、私、恋人より手料理いただいてることになってるわね。ソロモンくんに悪いわ」

「大丈夫ですよ。ソロモン優しいので」


 少し驚いた様子のジェシカさんと会話をしながら、俺はソロモンがこれを食べたらなんと言ったのだろうかなんて考えてみる。ソロモンは美味しいと言ってくれるのか、それとも、舌が肥えてるからイマイチな反応なのか。そのどちらの反応も分からないことが少し寂しく思った。

 それはジェシカさんだってそうなのだ。彼女だって結構料理上手で、得意料理だっていくつもありどれも美味しい。そんな手料理を俺はちょくちょく口にできているが、アイリーンさんはもう口にすることはできない。

 そもそも俺もジェシカさんも、本当に愛した人に会うことも話すこともなにもできないのだ。些細なことでお互いその事を実感して、とても哀しく、寂しくなる。ソロモンが死んだあの日から、ずっとずっと胸に大きな穴があいているようで、ジェシカさんだって同じような思いを味わっているのだろう。アイリーンさんが亡くなってすぐの彼女の気落ちっぷりは相当なもので、今もそれを引きずっていたところで、なにもおかしくないのだから。

 棚にある2つの写真立てに目を向ける。俺とソロモン、ジェシカさんとアイリーンさんで撮った写真。写真では、ソロモンもアイリーンさんも柔らかな笑みを浮かべて写っているのに、そんな表情をこの目で見る日はもう二度と来ない。

 果たしてこの穴が埋まる日は俺達に訪れるのか。それは、今の俺には全く分からない。

 それでも、なんとかこの想いを引きずったまま生きていこうと考えた。


(完)

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