第11話 感情

「将来について? そりゃ確かに大事なことだが……。とりあえず、何をどんなふうに考えてるんだ」


 再度ソファに座ったお父さんは、話の流れが予想つかないのか、一瞬だけ眉を寄せた。

 確かに話が飛躍している気はする。なんたって交際相手の話から、いきなり将来の話だ。結婚するという訳でもなし予想がつかないと思う。でも、さっきの僕の話を真剣に聞いてくれたお父さんなら、きっと聞いてくれるだろうと信じて口を開く。


「お父さんには、僕の将来の夢って、伝えたことありますよね」

「あぁ。弁護士になりたいっていって、学校の相談もしてきたし、勉強も頑張ってるって父さんから聞いてるけど……もしかして成績が下がったのか」

「いえ、そういう訳ではありません。ただ、その……僕の進路をビルキースさんは知ってて、それを、随分と気にしているようなんですけど……」

「……ソロモン。質問や相談は極力簡潔に分かりやすく言いな。大丈夫、一方的に突っぱねる気はねぇから」

「あ、はい、すみません」


 目線を少し落として言ったその言葉に、お父さんは意図を測りかねているようで、僕は慌てて説明し直した。


「ビルキースさんは、法に関する職を目指す僕に、同性の交際相手がいるのはどうなのかということを気にしているようなんです」

「あぁなるほどな」


 今度は伝わったようであぁ、とお父さんは言葉を零す。

 明確にビルキースさんに将来の夢を伝えた覚えはないが、寮では同室なのだから、僕の持つ書籍などから進路の見当をつけたとしてもおかしくはない。そして、目指す先を知ったことにより、同性と交際することの是非をそれまで以上に考えているようだ。

『名家の生まれで立派な職に就くソロモンが、俺と交際するのは、リスクがありすぎる』――以前、そのようなことを言っていたが、正直僕は気にしなくていいと思っている。それとこれは無関係と個人的には思うのだが、どうしても顔を不安げに顔を曇らせる彼の姿が忘れられない。その表情を見ていると、どう言えばいいのか分からなくなってくる。だから僕は、なにか意見を貰えないかと思っているわけである。……親にこういう話をするものではないかもしれないが、お父さんは信頼できる相手だ。

 僕の話に、お父さんは少し頭を悩ませて、まず前提を口にする。


「……まず、前提としてお前やビルキースくんの職業がなんであれ、交際を辞める必要は無いからな」

「……はい」

「でも、世間からの目は厳しい。もし何かしらのきっかけで他者に知られることを恐れることや、罪悪感に怯えることは仕方ないことだ」

「……はい」

「しかし、なんでこう世間は厳しいんだろうなぁ」


 口惜しそうに頭を抱えるお父さんは、僕以上に真剣に考えているようにも見える。この人に話してよかったと思いながら、僕はお父さんの話に耳を傾けた。

 眉間に皺を刻み腕を組んで暫く悩んでいたお父さんが、短い溜息の後顔を上げる。その顔色は良とも悪とも取れなくて判断に悩むが、こちらを見る時にその表情はぱっと良側に切り替わる。


「ソロモン」

「はっ、はい!」

「なんと言うべきか悩んだが、やはりお互い想い合ってるなら、交際を辞める必要は無い」

「そう、ですね……」 


 小さく言葉を零した僕を見つめて、お父さんは真面目に続ける。


「だけど、気の済むまでビルキースくんと話し合うというのもひとつの手だ。不安を抱えたままというのはいいもんじゃない。簡単に結論が出る問題じゃないが、意見交換は大事だからな。……まぁ、俺が言えるのはこんくらいかね」

「はい、いえ、ありがとうございます。……本当に、真剣に聞いてくれてありがとうございます」

「大事な息子に信頼されて相談受けてんだ、真剣に聞くのは親として当たり前だろ」


 ソファから徐に立ち上がったお父さんは、元気づけるように軽く僕の肩を叩いた。

「また何かあればいつでも言ってくれよ。お父さんにやれることがあれば、なんでもするからな」――口元を緩ませながら言ってくれるお父さんは、とても頼もしく感じられた。だけど一瞬だけ口元が下がり、その瞬間はどこか何か後ろめたいものがあるようにも見えた。

――なにか、思うところでもあるのでしょうか。

 そんなことも思ったけど、僕は、僕の話をしっかりと聞いてくれたお父さんを信じることにした。

 だって、ビルキースさんとの関係をお父さんは受け入れてくれて、背中を押してくれた。話してよかった、僕の家族は優しい人だと改めて思った。



 それから数日後、久しぶりに僕の部屋を訪れたビルキースさんに、話をすることにした。部屋にあるソファに腰掛けたビルキースさんにコーヒーを出して、隣に座る。

 彼に少し密着しながら彼の夏休みの出来事を聞いていた。


「……えっと、ソロモン。なんでそんなにひっついてくんの?」

「嫌だった?」

「いや、別に、嫌じゃ、ねぇけど……なんかあったんかなって」

「……なんとなく、くっついていたくて」


 そう言うと、ビルキースさんの褐色の頬が赤く染まった。僕の方を見ていた金色の目がふい、と背けられる。彼の反応の可愛らしさに胸をきゅんとさせながら、僕はいつ話を切り出そうかと頭の片隅で考えていた。

 話も区切りがついた頃、僕は徐に体を離しソファに座り直した。


「少し大事な話が、あるんですけど」

「え、おぉ、なんだ」


 少し驚いたらしいビルキースさんは、少し動揺し目を丸くした。あまりいい反応でないことは予想できるけど、いきなり大事な話が……なんて言い出されたら動揺するのも致し方ない。だけどこういう時に話をしないと機会はないだろうと、話を続ける。


「ビルキースさんは、僕の進路ご存知でしたっけ」

「あぁ、法学系の学校に行くんだろ。立派じゃねぇか。……何かあったのか?」

「……僕達が交際していることと、僕の進路は無関係ですからね」

「……いや……それは……」


 話の意図が読めず困惑していたビルキースさんは、僕のその言葉で理解したらしい。やはり思うところはあったのだろう、否定すら言い淀ませて目線を泳がせる。

 だけど目を逸らされるのは嫌なものだから、その顔を無理矢理こちらに向かせて、僕は彼の美しい金の瞳を凝視する。彼の顔が更に赤くなった。それに構わず、前髪が分けられ顕になっている額に、軽く口付けをした。


「お、お前っ――」

「僕は貴方のことを愛しています。だから、僕の進路のことを深く考えず、僕の傍にいてください」


 熟れた果実のように顔を赤くして、ビルキースさんは暫し黙り込む。何かを言おうとして唇を開きかけ、また閉じる。それを何度か繰り返して、彼は怖々声を発した。


「……お前の気持ちも分かる。でも、深く考えるなという方が無理だ。だって、俺はお前の夢の邪魔をしたくない」

「邪魔じゃありません。邪魔と思ったことは一度もありません。それに、もし、僕が貴方を邪魔だと思っていたら、あんなふうに気持ちを伝えると思いますか?」

「……ねぇだろうな」

「でしょう? だから、気にしないでほしいんです」

「ソロモン……」

「僕は貴方と一緒にいたいので、そこだけは疑わないでください」


 ビルキースさんをじっと見つめながら、僕は自分の気持ちを伝える。これは嘘ではない、紛うことなき真実だ。仮に納得がいかずとも、ある程度の理解だけはしてほしい。

 いつの間にか僕は彼の手をとっていた。居心地の悪そうに彼の手が動いて、僕の手を掴む。そうして、彼は短く返事をした。


「……あぁ、ありがとう、悪かった」


 ぱっと僕の手を落としてビルキースさんは言った。


「俺だってお前のことは……好きだが、後々のことを思うと、俺なんかより普通の女といる方がいいだろと、思ってよ」

「僕は、女性にそういう興味はありませんよ」

「だとしてもだよ。世の中は甘くないからな」

「…………そう、ですね」

「でも、そうだな、変に気にしすぎたのは、悪かった。ごめんな、ソロモン」

「いえ、いいんです」


 きっと、これで僕が考えていることは理解してもらえたと思う。ビルキースさんだって、少しスッキリしたような顔つきをしているし、この話合いは無駄ではなかったのだと感じた。

 と言っても、彼はまだ不安を抱えているだろう。でも、これからの付き合いでそれらも含めてゆっくりと理解してもらえたらいいなと思っている。



 それから僕は、大なり小なりの様々な出来事をビルキースと共に体験した。 学校生活でも、家でも良いことと嫌なことはあったし、家族関係では特に悲しいことも多かった。それでも好きな人と過ごせる日はとても幸せで、楽しかった。

 夏は二人で出かけることもあり、冬はどちらかのクリスマスパーティーに参加することがお決まりとなった。いつの間にか呼び方も変化し、些細なことだが少し嬉しい。

 そしてある年の冬には、遂にビルキースと一線を越えてしまった。僕の気持ちを伝えた際の彼の動揺は相当だったから、そういうことは出来ないのかと思っていたのだけど、意外と彼も乗り気のようで驚いし、彼は、普段と違いとても可愛くて、有り体に言えば、とても興奮した。ただ、正確なことは僕の胸の内に秘めることにする。


 それからまた季節も変わり、僕は希望どおりの学校へと進学し、ビルキースは知人の服飾職人の元に就いた。元々手先は器用な彼のことだ、こういうことはきっと合うのだろう。ただ、彼は仕事があるため学生の時のように簡単に会うことは出来なくなったが、休みの度に手紙とか電話とか、やりようはいくらでもあるし、その分久々の逢瀬は楽しく感じられて、僕は思った以上に楽しんでいたようだ。



 また季節も巡り僕は歳をとる。空の色も街の様子も変わって寒い風が吹き付けるある冬の日のこと。僕は一人、街にある宝飾品店に足を運んでいた。

――さぁて、なんて説明するかなあ。

 一抹の不安を胸に、意外と煌びやかな店内へ足を踏み入れる。直ぐに『いらっしゃいませ』と落ち着いた声が響く。店員に小さく挨拶をしながら棚に目を向けると、そこにあるのはやはり、女性向けのものが多いように見受けられた。

――これじゃないんだよなあ。

 考えるように口元に手を当て、隅の方にある男性向けの商品に目を向ける。キラキラ光るシルバーの指輪に首飾り。腕輪もある。果たして彼に似合うのはどれなんだろう。

 そんなことを考えていると、男性の声が耳に届く。慌てて顔を上げると、そこには壮年の男性が人好きのする笑みを浮かべていた。


「なにかお探しですか?」

「あ、えぇ、えっと……知人への、クリスマス用のプレゼントなんですけど――」


 ある程度考えていた建前を口にすると、男性はニコニコと笑みを浮かべながら、こちらの具体的な商品イメージや問う。どうやら怪しまれなかったらしい。その事に安堵して、僕は黄色だの金色だのをメインカラーとして上げながら、宝飾品を選ぶ。

 口頭では知人と言いながらも、実際は恋人へのプレゼントだ。向こうは知らない緊張感を胸に抱えながら、提示されたそれらに目を向けた。

 そうして選んだのは、ひとつの指輪。太くしっかりとしたシルバーに、アクセントとして黄水晶がひとつ嵌め込まれたもの。提示されたものの中では高いものではないし、そもそも指輪なんてと思われそうだけど、僕がプレゼントしたくなったんだから、仕方ないということにしておこう。

 不安がない訳ではないけれど、彼に喜んで貰えるだろうかと考えて、僕は渡せる日をとても楽しみにしていた。

 だからまさか、あんなことになるとは、全く、これっぽっちも、思っていなかったのだ。

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