第10話 相談

 季節は巡り、夏。長い長い夏休みのため、僕は実家に帰ってきた。久しぶりの実家は、あまりなにも変わっていない。一般的のものよりは大きいらしい邸宅も庭も、相変わらず綺麗だった。それも勿論お手伝いさん達のおかげで、ありがたいものだなと思う。

 実家では、今まで以上にのんびりしたり、兄弟と共にトレーニングに励んだり。他にも家族と旅行に行ったりビルキースさんと何度か遠出したりと満喫していた。

 それでも胸に燻るのは、やはり家族にどう言うかと言う話。――そう、僕は未だに家族の誰にもビルキースさんとの関係を打ち明けていなかった。

 その理由としては、やはりなかなか帰省や連絡の機会がなかったことが大きいが、大多数を占めるのは恐怖だ。異様な目で見られること必至のものを打ち明けて、穏やかな反応を期待する方が妙だ。お母さんは受け入れてくれたけど、それは珍しい反応だ。お母さんがそうだったからと言って、他の家族も受け入れてくれる保証なんてどこにもない。

 ならば話さなければいい、となるのが当たり前の感想だろうが、僕はそれもなんだか抵抗があった。それは、僕が元々家族になんでも話すタイプだからか、話さないということが、隠し事をしているようで胸が痛い。……いや、当たり前だけど、家族に話してないことなんて沢山あるのだから、隠し事を全くしていないわけではない。それでも、なんだか酷く心が重くなるのだ。

 そのため結局、僕の家族なら大丈夫という根拠の無い自信と、そんなわけないという冷静な感情が混ざりあっていて、全く行動に移せていないのだ。



「どうしたものかなあ……。……というか、あっつ……」


 実家に帰ってきて何週間か経った七月の終わり頃、相も変わらず暑さが堪えるある日。早朝の雷雨の影響でぐちゃぐちゃになった庭で遊ぶウォルトやお祖父さんの姿をぼんやりと見ながら、庭の片隅の日陰の下で僕はひとり溜息をついた。

――あの子はほんと元気だなあ……。お祖父さんもよく付き合いしてるよ、大丈夫かな?

 幼い弟のパワフルさに感心しながらぼうっとしていると、僕の足にふわふわしたものが当たった。目を向けると、そこに居たのは自宅で飼っている犬のだった。金色の体毛が特徴の大型犬で、彼の名を零しながら求められるままにふわふわの毛並みを堪能していると、ボールドウィン兄さんが犬用の大きめの櫛を手にやってきた。


「こーら、まだ終わってないぞ……、なんだ、ソロモンに撫でてもらってたのか」

「兄さん、ブラッシングの途中だったんですね」

「そうそう。この前毛が絡まって大変だったろ。そうならないようにな」


 長い毛や髪って絡まるんだよ、なんて零しながら、兄さんは犬の傍らにしゃがみこんでキラキラとした毛に櫛の歯を通す。比較的長めの毛。この暑い時期にはちゃんと手入れしなくてはならない。ならば僕もやろうと櫛を借りて彼の体を櫛で撫でる。気持ちよさに目を細める彼に心癒されていると、唐突に兄さんが話を切り出した。


「そういやさあ、ソロモン」

「はい?」

「最近ずっと暗い顔してるけど、何かあったか?」

「えっ」


 兄さんの言葉に、胸がドキリと高鳴った。バレていたのか、と焦るが、それも頷ける。ここ最近の僕は、お手伝いさんにも心配されるほどに悩みで頭を埋めつくしていたのだから。

 僅かに狼狽し言葉に迷う僕の表情はどうなっているのか。なんでもない様子を保てているのか。わからないけれど、つい、と目を逸らした時点で『何かあった』ことはバレてしまっている気がする。

 そんな僕に兄さんは気遣うように続けた。


「別に言いたくないなら言わなくてもいいぞ。ちょっと気になっただけだから」

「あ、はい……」

「悪いな」


 小さく謝罪して、兄さんはブラッシングを終えた。尻尾を振り甘える犬をわしわしと撫でて、彼はたくさんの抜け毛を丸めてボールのようなものをつくる。


「ほら、お前の抜け毛ボールだぞ」

「わんっ」

「小さすぎるから、これじゃ取ってこいはできねえけどな」

「わうっ」


 まるで返事をするように吠える犬は、楽しそうに兄さんに絡んでいたが、唐突にその場を離れ駆け出していく。その先にいたのはウォルトとお祖父さんで、今度はウォルトが犬の遊び相手になったようだ。

 そんな微笑ましい光景を見ながら僕は、兄さんになら話してみてもいいんじゃないかと考えた。

 兄さんは、十人兄弟姉妹の長男ということもあってかしっかり者で、頼もしい人だ。僕だけじゃなく、他のきょうだいの相談にも真面目に乗ってくれるし、茶化したことはないと記憶している。弟妹の様子をよく見ているし、ならば、あくまでたとえ話としてでも相談してみるのは、どうだろうか。

――例え話なら、きっと大丈夫なはず……。

 そう信じて、自分の髪についた犬毛を取っていた兄さんに、意を決して話を切り出す。


「あ、あの、兄さん。ちょっと聞きたいんですけど」

「何?」

「た、例えばの話なんですけど、兄さんの友達に、同性と付き合ってる人がいたら、どうします?」


 兄さんは一瞬、へ? と戸惑ったような声を上げた後、不思議そうに続けた。


「別に……いいんじゃないか?」

「……え?」


 一瞬、僕はその回答に耳を疑った。『いいんじゃないか』――兄の性格からして、それは裏のない回答であることは間違いないだろう。そう思うとホッと息をつきたくなるが、まだ安心してはいけない。そもそも何故そんなふうに思えるかも理解し難いし、例え彼の持論を聞いて納得できたとしても、それがあっさり変わる可能性もある。そう、『友人ならいいけど家族にいたら嫌だ』という場合もあるのだ。ここは、気づかれるのは覚悟の上で聞いてみるべきだろう。

――でも、それはもっと言いづらいな……。

 暑さのせいだけでは無い汗を浮かべながら不安げに口を開きかけたその時、僕が言うよりも早く兄さんが言葉の続きを発する。


「別に友達でも家族でも、その相手が誰と付き合ってようが、よっぽどのことがない限りなにも言わないよ」


 先に言われてしまったその言葉に、思わず聞き返す。なんで? と無意識に聞いていただろう僕に、兄さんは平然と返す。


「いや、別に友人が同性と付き合ってても、こっちに影響はないだろ?」

「…………それは、その……」


 答えに迷う僕に、兄さんは緩く口角を上げた。


「恋愛ってのはまぁ、本来は自由だ。お互い想い合ってるなら交際しててもおかしくない。病気とか犯罪とかいって弾圧するもんじゃないと思うんだよな」

「……どうして、そう思えるのですか……。やめておけなんて、思わないのですか」


 目を丸くする僕の問に、兄さんは首を捻り言葉を続ける。


「うーん、誰かを好きだと思うこと自体は悪いことじゃない、から、かな……。それに、『やめておけなんて思わないのか』だったか。好きな物は簡単に止められないから言わないな。例えは悪いけど、酒好きの人間に酒をやめろと言ったって簡単にできやしないのと同じだ」

「……うん」

「同性が好きってことは、やめた方がいいと言われるだろうな。でも、好きでいること自体は、悪いことでもなんでもない」

「……うん」


 兄さんの話に耳を傾けながら、僕は静かに相槌を打ちながら、僕は幸せ者なのだと気づく。

 お母さんも兄さんも、僕の話を真面目に聞き受け入れてくれた。決して茶化さなかった。それが有難くて幸せで、胸が暖かくなって、涙が滲みそうになるけれど、泣き虫は良くないなと自分を戒めた。

 その後兄さんは色んなことを話してくれた。

 例えば、犯罪か否かは国によっても結構違うこと。厳しいところは死刑や懲役刑があるがそうでないところは合法化しているらしい。それでも病気と判断されることは多いのだろうけど、ヨーロッパのある国では、精神病ではないと断定しているところもあるんだとか。

 どうやら、自分が知らないだけで意外と世界には色々な国があるらしい。

 感慨深く『知らなかった』と言葉を吐いた僕に、兄さんはゆっくりと視線を向けて静かに問う。


「……こんな風に話してくれたということは、交際してる男の子がいるのかな」

「……うん」


 たとえ話のつもりだったけど、ここまで肯定的に言ってくれる兄さんにならいいだろうと頷いた。すると兄さんはそうか、と呟く。


「その子といるのは幸せか?」

「……うん、楽しい」

「そうか! そりゃ最高だ!」


 朧気な僕の声に、兄さんは嬉しそうに声をあげて僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。てっきり誰だとかどんな人だとか聞かれると思っていたけど、それには触れずに兄さんは祝福してくれた。その理由を聞いたら『あんたが選んだ人なら大丈夫だ』って笑っていて、そうやって信じてくれている事にもまたもや涙腺が緩む。温かな人が家族にいて、本当によかったと心底思った。


「……それにしても、例え話から言ったとはいえよく話してくれたな。なんて言われるか分からないし、怖かったろ」

「……はい。でも、ボールドウィン兄さんなら、真面目に聞いてくれるかと思って。……ロジャー兄さんとかラトヴィジ兄さんはちょっと、言いづらいなあと」


 ぼんやりと呟いた僕に、兄さんは納得したように言葉を返す。ロジャー兄さんは警察志望故に頑固で大真面目な性格であり、逆にラトヴィジ兄さんはどこか軽率なところがある。うっかり話してしまえば軽蔑されるか他に言いふらされるか、何が起こるか分かったものではない。実の兄にどうかとは思うが昔そういうことがあったのだから警戒もする。しかし、兄さんは苦い笑みを浮かべつつも僕の予想をやんわりと否定した。


「確かにロジャーなら……。でも、あいつも変化しつつあるからなあ」

「変化?」

「おう。お前ら、昔からなんでも僕に相談するだろ。そのせいかロジャーもあんたみたいに相談してくれたことがあるんだ。その時にわかったことがあるんだ」


 ロジャー兄さんもボールドウィン兄さんに相談することもあるのか――意外な言葉に目を丸くする僕に、兄さんは続ける。

 曰く、今ロジャー兄さんは黒人の女性に恋をしているようなのだ。その言葉に僕は更に驚く。だって世の中には人種差別が当然のように蔓延っており、ロジャー兄さんも世の中の普通に則り、異なる人種の人を軽蔑していた。

 ロジャー兄さんは良くも悪くも真面目で『普通』の男性だ。非常に正義感溢れる好青年ではあるものの、世間では差別されることが当たり前のものを差別する。それなのに、なにがどうあってそうなったのか。青天の霹靂といっても過言では無いかもしれない。

 それに加えて今は、外国に行ってしまった彼女を追いかけているのだとか。もうこれは誰の話なんだと疑わしくなってくるレベルだ。


「ロジャーも色んな見方を身につけてる。ならあんたのことも、病気と断定しないかもしれないだろう」

「……そう、ですね」

「ただ、僕が何を言っても話すかどうか決めるのはお前だ。大丈夫じゃないかというのも僕の意見だから、無理に言う必要は無いぞ。そこはあんたの好きにすればいい」

「……はい」


 そう言ってくれて助かった。ロジャー兄さんの新たな一面が知れたのは良かったけど、まだ彼に打ち明ける勇気はない。だって変化が起きていても、僕にも優しくしてくれる可能性は低いのだから。



 それから数日後、僕は意を決してお父さんにビルキースさんと交際していることを伝えた。大層立派なお父さんの部屋に行って、大事な話があると伝えると、お父さんは不思議そうにしながらも聞いてくれた。

ソファに座って、その向かいに僕も座るよう促す。それに従って、僕もソファに腰を下ろす。革が張られた高級感あるソファは、お手伝いさん達のおかげでとても綺麗だ。


「――で、話ってなんだ?」

「実は、お父さんに言っておきたいことがありまして」


 緊張しながらも、僕はなんとかお父さんにビルキースさんとの話を伝える。やはり怖かったけど、お父さんが真剣に聞いてくれたから、ちゃんと話すことができた。

 そうか、と一言零したお父さんは流石に少し驚いていたようだけど、思ったよりあっさりと受け入れてくれた。


「誰かを好きになるのは、いいことだからな」


笑顔で言ってくれたその言葉は、嘗てお母さんが僕に言ってくれたことと同じこと。ボールドウィン兄さんも似たようなことを言ってくれた。それを思い出してとても安心しし、また涙腺が緩みそうで眼鏡を外して目元を押さえる。

 それに気づいたお父さんは、涙脆い僕を慰めてくれた。僕の隣にしゃがみこんで、頭を撫でてくれた。だけど途中でふと真剣な目を向けて、僕にこんなことを聞く。


「……なぁ、変なことを聞くようだが、その相手とは本当に好き合ってるんだよな」

「……うん、僕の勘違いじゃないなら、そのはず。そうじゃなかったら、同性で、恋人なんて、多分、ならないと思うし……」


 なんでそんなことを聞くんだろうと疑問に思った僕の言葉に、お父さんは直ぐに表情を改める。その顔は、僕を慰めてくれていた時と似た穏やかな表情だった。


「そうだよな、そりゃ悪かった! まぁ、お前がビルキースくんと愛し合ってるならそれでいいんだ。相手のこと、大事にしろよ」

「はい!」

「あと、あれだ、なんかするにしてもお互い合意を得た上でな。片方が良くても片方が嫌なら、それはやっちゃ駄目だからな。よく言う『自分が嫌なことを相手にするな』は、合ってるようで間違ってるからな」

「は、はい……」

「わかってるなら、よし」


 他人と関わる上で大事なことを確認して、お父さんは僕の頭を乱雑に撫でた。兄さんといい僕の髪をくしゃくしゃにするのはなんなんだろう。

 どうでもいい疑問を抱きながら、僕はまた別のことを思う。もうひとつの悩みも、お父さんになら話してもいいかもしれないと。

 ここまで受け入れてくれたのだから、少しくらい僕の話も聞いてくれるかもしれない。

 さっきとは違う意味で、また緊張してきたけど、ゆっくりと僕は声を出す。


「あの、お父さん」

「なんだ?」

「他にも、話したいことがあるのですが、いいですか」

「あぁもちろん。存分に話してくれ」


 任せろと言うように胸を軽く叩いたお父さんに安心する。

 僕が話そうとしていたこと、それは、将来についてだった。

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