第9話 陰

 家族に時々心配されながらも冬休みを終えて、僕は学校が始まる二日ほど前に寮へ戻る。到着した時はまだビルキースさんは帰ってきておらず、その事実にやけにほっとした。ビルキースさんは僕の発言を気にしてないと言ってくれたけど、それでも結構顔を合わせづらかったから。

 早速荷物を片付けた僕は、友人に会いに行くことにする。話題はなんでもある。冬休みにどこ行ったとか何をしたとかそういうことでたくさん話が出来る。あの部屋にいたらビルキースさんと顔を合わせてしまうだろうから、学校が始まるまではあまりいたくなかったのだ。

 だが、そんなことを思っていても同室である以上鉢合わせはしてしまうものである。

 友人の元から帰った僕が扉の向こうに見たものは、今まさに荷物を片付けているビルキースさんだった。以前となにも変わらない綺麗な金髪に鋭い瞳。外の寒さのせいか褐色の頬はほんの少しだけ赤くなっていた。

 思わず扉を閉めたくなるほどに動揺するが、それはぐっと堪えて、『久しぶり』と笑ってくれた彼に挨拶をする。

 自分でも分かるほどに下手くそな笑顔で返す僕に、彼はどう思っただろうか。触れてこないことに感謝しながらお気に入りのコートをクローゼットに仕舞う。


「パーティー、来てくれてありがとな。うちの親も喜んでた」


 あの日の僕の失言に触れぬまま、ビルキースさんは僕に声をかける。でも今の僕は自然に言葉を返せなくて、返答は全てぎこちない相槌になる。


「またうちで催しがあるときは、遠慮なく来てくれよ」

「……はい」


 いつもと逆のような様子のやり取りは、自分でも滑稽だと思う。でも僕はおかしなことを言ったのだから、こうして距離を置くくらいで丁度いいのだ。今となっては彼にも友達はいる。僕じゃなくても話し相手くらいはいるんだから、下手に関わらない方がいいに決まってるし、彼が望むなら、部屋を変わるのもいいかもしれないな。

 そんなことを考えて、一週間程が経過した。学校が始まってからの僕はろくにビルキースさんと喋っていない。最低限のやり取りに最低限の話。避けているといえばそれが合うのだろうけど、仕方ない。だって、彼と話したら、また口を滑らせてしまいそうだから。

 だから、まさかビルキースさんの方からその事に言及されるとは思わなかった。


「待てよ」


 トレーニングに励むビルキースさんと鉢合わせした僕は、思わず出入口へと戻ろうと身を翻す。理由は勿論、あまり顔を合わせたくなかったからなのだけど、もうひとつ、彼が半裸でトレーニングをしていたことも大きな理由だ。

 ビルキースさんは憧れる程に体を鍛えている。腕も足も太くてがっちりしていて、胸筋も発達していて腹筋も結構しっかり割れている。僕や同級生と比べてもしっかり鍛えられているその体を直視なんて出来るはずもない。ビルキースさんとのやり取りの間、僕はずっと目を逸らしていた。

 その後、ビルキースさんに押し切られここ最近の対応について話し合うことになった。やっと服を着てくれたビルキースさんが、普段使っている椅子に腰掛ける。彼に倣って僕も自分の椅子に腰を下ろした。

 話し合うことにしたとはいえ、彼は中々話そうとしない。恐らく、なんと切り出すか迷っているのだろう。ならば、僕の方から率直に聞くのが一番だ。


「僕のこと、気持ち悪いとか思わないんですか」

「……随分率直だな。気持ち悪いなんて別に思わないけど」


 迷いのない答えが気持ちいいが、何故そんなふうに返せるのだろう。よく分からなくて、思わず嘘でしょうなんて呟いてしまう。

 自分は男で、ビルキースさんも男。友人としての好意ではなく恋愛としての好意。それはどう考えてもおかしいものだ。否定しないビルキースさんはとても優しいようだけど、なんでそう思えるのだろうと思うとよく分からない。だから、彼への気持ちとともに、疑問が口に出してしまう。


「僕は、貴方のことが……好きです。……だから、僕は少なくとも病気扱いされて当然です。なのに、なんで……変じゃないとか、そんなこと言うんですか」


 僕の言葉に、一瞬ビルキースさんは目を見開いた。僕がハッキリと好意を口にしたから驚いたのかもしれないが、もう隠す必要は無いと僕は考えた。

 ビルキースさんはその事に言及することなく、頭を捻る。疑問に対する答えを考えているのだろう、随分と熱心で、そんなふうに真剣に考えてくれるだけで、もうそれでいいと思いつつあった。

 そんな時だった。突然、顰めっ面だったビルキースさんの顔がかあっと赤くなって、彼は慌てて顔を覆った。


「どうしたんですか?」

「……ちょっと、頭を整理するから、少しだけ待ってくれ」

「あ、はい……」


 ビルキースさんはまた考え込む。赤い顔をして、口を覆って、目に見えて分かるほどに動揺している。沈黙が僕たちの間を支配して、凪いでいた筈の僕の気持ちが乱れていく。

 彼は何を考えているんだろうか、なんで顔を赤くしたのだろうか。もしかして、と一瞬期待してしまうが、それはありえない。そう考えてしまうと途端に不安になっていく。

 それから暫く間を置いて、ビルキースさんが何かを決心したような目付きでこちらを向く。何度も言葉を発することを躊躇って彼は真剣な声色で僕の名を口にした。


「……マスグレイヴ」

「はっ、はい……」

「なんで変だって思わないか、考えたんだけど、聞いてくれるか」

「……はい」


 答えを返される。その事が急に怖くなって体が強ばった。『変だと思わない理由』だから、まだ前向きな答えが返ってくる可能性はある。それでも、怖いものは怖いのだ。緊張で鼓動が早まり、手に汗が滲んでしまう程には。


「多分、なんだけど」

「……はい」


 また胸がドキリと鳴って、僕は反射的に膝の上に置いた拳に力を込めた。

 しかし、ビルキースさんから返された答えは僕の予想を覆すものだった。


「……俺も、お前のことが好きなんだと思う」

「…………はい?」


――ビルキースさんは、何を言っているんだろう。

 目を見開いて思わず素っ頓狂な言葉を返す。ビルキースさんは僕の反応にも納得した様子で頷いていて、また、どこか清々しげな様子にも見える。

 確かに一瞬期待した。だけど、これは、彼の勘違いだ。そうとしか思えない。

 ビルキースさんに『好き』と言われたことは嬉しい筈なのに、手放しで喜べない。

 僕はどうしたらいいんだろう。そう考えて、僕は彼の言葉を勘違いだと主張する。


「……勘違いじゃ、ないんですか」

「かもしれない。でも、今の俺は自分の気持ちを勘違いだって思いたくない」

「……っ、病気とか、言われますよ」

「他人に言わなきゃいいんじゃないか」

「……普通じゃ、ないですよ」

「今に始まったことじゃねぇな。つーかなんだよ、あんた、俺の気持ちを信じてくれないのか」

「っ、信じたい、ですけど、でも……」

「でも、なんだよ」

「……っ、わ、わかりません……」


 頭がぐちゃぐちゃになって真っ白になって、目から涙が止まらなくなる。眼鏡を外して涙を拭うと、突然ビルキースさんに腕を掴まれて、そのまま、太い腕に抱きしめられた。逞しい腕と胸に包まれて胸の鼓動も早くなる。さっきのような怖さではない、どうしようもない緊張と高揚に体温も上がりそうになって、頭がおかしくなりそうだった。

――温かい……。

 動揺する僕に、ビルキースさんは「ハグしたくなった」「嫌悪感はない」と素直な気持ちを伝えてくれた。続けて僕の気持ちも確かめられ、僕は恐る恐る言葉を返す。


「……嫌な、わけ、ないです……、嫌な訳……」


 力強く言えないが僕の気持ちを伝える。ビルキースさんがどんな表情をしていたのかは分からないけど、今は気にしなくてもいいかと思って、僕はゆっくりと彼の背中に手を回す。がっしりした彼の体はとても温かく安心できる心地良さで、徐々に僕は冷静さを取り戻していった。


 それから数分、漸く落ち着きを取り戻した僕は、ビルキースさんから離れる。混乱していた時はさほど感じなかったけれど、冷静になってから考えれば、僕はずっとビルキースさんにくっついていたわけで。それを自覚すると途端に申し訳ないような、嬉しいような、そんな気持ちになった。でもこれ以上取り乱すものではないと考えなんとか平静を保つ。


「……すみませんでした。みっともないところをお見せした上に、貴方の気持ちを否定するようなことを言ってしまって」

「いや、大丈夫。俺も信じてもらえないだろうなって思いながら喋ってたから。……というか、その、いきなり抱きしめて、悪かった」


 気恥ずかしそうなビルキースさんが詫びる。だけど僕はハグをされたことについては全く嫌ではない。寧ろ嬉しくて、本当に彼が僕に好意を持ってくれているなら、こんなに嬉しいことはないのだ。

 彼の好意は勘違いかもしれない。それでも、僕の気持ちが否定されないことも彼が好意を向けてくれているかもしれないことも、この上ない幸せというもので。だから、失礼な言い方と理解しつつ口を開く。


「僕、貴方に好いてもらえるなら、本当に嬉しいなって思ったんです。ですから、勘違いしている間だけでも、一緒にいてくれませんか?」


 その言葉に一瞬彼は目を瞠る。癇に障る言い方であろうが、それでも彼は静かに返す。


「――あぁ、もちろん。一緒にいてやるよ……ソロモン」


 普段口にしないファーストネームが、甘く胸に響いた。




 ビルキースさんの恋人になって何日か経ったが、彼は僕との接触を拒絶せず受け入れてくれていた。勿論人前ではそんな接触なんてできないので自室のみたが、手を繋ぐこともハグも嫌がらない。

 他にも僕のことをファーストネームで呼んでくれるようになった。些細な事だが、今までずっとファミリーネーム呼びだったのが変わるというのは、意外と距離の近づきを感じられて、心か熱くなる。

 彼の好意を確かに感じ取れていた僕は、やがて『勘違い』と思わなくなった。

 それは、それで、とてもいいのだけど、僕には大きな不安もあった。

 それは、家族に受け入れてもらえるのかということと、ビルキースさんが随分と僕の将来を気にしているということだった。

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