第6話 不安、転落

 あれから一夜が明け、俺は少し蒸し暑い部屋で目を覚ます。見慣れぬ天井に見慣れぬベッド。ここはどこだったかと眠い目を瞬かせて体を起こし、漸く思い出す。そうだ、ここはソロモンの部屋だったのだと。首を動かして周りを見回して、隣で眠るソロモンを見つめる。綺麗な瞳は閉じられていて、周りを長い睫毛が縁どっている。髪はいつも以上にくしゃくしゃで口元には涎の痕があるが、なんだろう、それはそれで可愛いなと思ってしまう。落ち着かない心持ちでベッドから降りると、背後で呻き声が聞こえた。どうやらソロモンが起きたらしい。


「……ん」

「あ、おはよう、ソロモン……」

「……ん、おはよう、ビルキース……ん……っ!」


 寝ぼけ眼を瞬かせたソロモンは、突然ガバッと顔を上げて俺を見つめる。何かあったのだろうかと考えていると、ソロモンは徐々に顔を赤くして布団を被る。昨夜のことを思い出しているのだとしたら、とても可愛いと思う。

 内心で可愛さに身悶えながらソロモンを見ていると、徐にぴょこ、と布団から彼が顔を出した。


「あ、あの、おはようございます……」

「うん、おはよう」

「……昨日は、その、すみません……」

「なんで謝るんだ。俺は、その……嬉しかったよ」


 俺の言葉に彼の顔が更に赤くなる。その様子を可愛らしく思いながら口元を綻ばせ、俺は身支度のために体を起こした。


 それからのソロモンは、随分と積極的になった気がする。休みが終わり寮に戻っても、部屋にいる時のソロモンは俺によくくっつくようになった。キスだって沢山してくれるようになって、愛されているんだと実感出来る。もちろんそういうことをする時は、誰にも見られないようカーテンを閉めて鍵をかけてるわけだが、二重の意味でドキドキして仕方ない状況だ。


 その後の俺は、長期休みの度にソロモンの家を訪れるようになり、彼の家のクリスマスパーティーにも参加するようになった。いつも賑やかで楽しくて、いい家族だと漠然と思った。

 特にウォルターくんとは交流を深めていた。訪れる度にウォルターくんと遊んでいたら随分と懐かれた。ソロモンとウォルターくんと俺で遊ぶ機会も増えた上に、ウォルターくんと二人きりで出かけたこともある。その際のソロモンはかなり気を揉んでいたらしく、俺達が帰ってきた途端目に見えて分かりやすく安心しきっていた。俺のこともそうだが、弟のことも相応に心配だったのだろう、優しい兄貴なんだと改めて思った。


 そんなふうに弟くんとの交友を進める傍ら、俺とソロモンの関係も進んでいく。

 中学三年最後の冬休み。クリスマスパーティを楽しんだ後に泊まったときのこと。俺はその夜、ソロモンとの一線を超えた。とても緊張したし恥ずかしかったし、良いとかなんだとかよく分からないことだらけだったが嫌ではなかった。寧ろ心象としては嬉しかった。

 俺の前に晒されたソロモンの体は、こうして目の当たりにすると細身で綺麗だった。確かに彼の兄弟や俺に比べ筋肉はないが、とても綺麗な肌をしていてそれはそれで素敵だと思った。それに、俺を見下ろすソロモンの目がすごくギラギラしていて別人のようで、俺も思った以上にドキドキしたものだった。

 そして翌日の、耳まで顔を赤くして申し訳なさそうにしていたソロモンがとてもとても可愛らしくて、面白いと思うと同時に、満たされていると確かに実感していた。


 ソロモンと共に中学最後の年を過ごし、無事卒業した初夏の頃。進学し慌ただしいであろう中でも、俺は愛しい恋人に自宅に誘われてしまえば、簡単に乗ってしまう故に、もうすっかり御家族とも馴染みとなっていた。ソロモンの兄姉の結婚により共に暮らすことになった配偶者や、新たに誕生した子供たちとも程々の交流をしながらの幸せな時。その時を享受しながら、俺はこのままソロモンといていいのか、ずっとずっと悩んでいた。



 すっかり居心地がよくなったソロモンの部屋。そこにあるベッドで共寝をする回数も増えたなと思いながら、俺ははっきりしない頭で天井を見上げる。

 じんわりと痛む自分の腰を軽く擦りながら、俺は喉の具合を確かめる。……少し掠れているが、大丈夫そうだと安堵して自らの体を布団に沈める。これなら風邪ということで誤魔化せそうだ。俺は溜息を吐いて、呆然とソロモンが戻るのを待っていると、部屋の扉が開き彼がベッドの方へとやってくる。


「お待たせしました。あの、大丈夫ですか?」


 盆の上に置かれた二人分の飲み水を手に戻ってきたソロモンは、ベッドに腰掛けると俺に片方のグラスを手渡した。体を起こし小さく礼を言って冷水を流し込めば、喉の枯れが多少マシになったような気もする。

 冬に一線を超えてから、こういうことをする頻度が増えたが、未だ慣れない。なんだかんだ気持ち良さは得ているとはいえ、頭は変な感じだし腰は痛いし正直大変だが、ソロモンの反応を見ていると悪くないかという気持ちも湧いてくるのである。


「……疲れた」

「すみません、無理させたみたいで……」

「ほんとにな……まだ慣れてねぇんだぞこっちは。まぁ、悪くは無いからいいけどよ」

「……すみません」


 悪態つく俺に対しソロモンは再度謝罪した。しかしまぁなんであれ合意の上でやってるんだし、別に本当に嫌がってるわけでも怒ってる訳でもないので、あまり気にしないでもいいのだが。しかしそんなことを言って調子に乗られては困るので、俺は口を閉ざす。

 一方、大人しく水を飲んでいるソロモンはそれ以上行為に関しては何も言わなかったが、ふと思い出したように口を開いた。


「あぁ、そういえばビルキースに伝えておきたいことがあるんです」

「お、おう、なんだ。しかしその……こんな時に言っていい話か? タイミング悪くないか?」

「うーん……タイミングは悪いけど、思ったときに言っておこうと」

「……結構真面目な話だったりするか?」

「……はい、それなりに」

「じゃあこんなことした後にすんのはやめようぜ。明日だ明日」


 口にした際の様子から、一瞬軽いものかと感じたが、真面目な話だというならこんな時にするものじゃない。俺の問いを肯定した時の彼の表情が真剣みを帯びたのがその証拠じゃないだろか。ともなれば、頭がぼんやりしている現状でするものじゃないだろうと、翌日話すことになった。


 翌日、ソロモンの隣で目を覚ました俺は、痛む体を摩って身支度をする。朝食をいただいて、ウォルターくんと少し遊んだ後は、帰宅予定までソロモンと話をすることにした。

 コーヒーと何枚かのクッキーをローテーブルにおいて、隣同士ソファに腰掛ける。


「やっぱりこうして話す方がいいですね」

「当たり前だろ」


 詫びるソロモンにそう返して、昨日の話の続きを聞くと、彼は少し頭を悩ませた後、ゆっくりと口を開く。


「……実は、その、ラトヴィッジ兄さんがこの前事故に遭いまして」

「……え?」

――、事故?


 予想外だにしていなかった話に俺は耳を疑った。確かに今日は彼を見かけなかったが、まさか事故に遭っていたとは思わなかった。慌てて安否を確認するがどうやら彼は無事らしい。手足を負傷し長期の療養をせざるを得ない状態になったが、本人は至って元気だそう。それを知ってほっと胸を撫で下ろしたが、なにかおかしいとふと考える。

 事故に遭ったことでも無事だった事でもない。ということだ。

 実は彼の家族が事故に遭った今回が初ではない。以前はここ一年の間に4回か5回は聞いている気がする。誰が危険な目に遭うかは一定していないが、幾らなんでも多すぎるのではないかというのが俺の意見だ。

 確かに俺だって車に轢かれそうになったことはあるが、本当に事故に遭ったのは一度もない。ソロモンの家族がやけに不運だとしても違和感が拭えない。おれは眉根を寄せ、加害者について問う。


「お兄さんが元気なのは本当に良かったけど、加害者とはどうなってるんだ?」

「……それが、まったく足取りが掴めないのです」

「……なんか、そのパターン、多くね?」

「そうなんですよね……。ラトヴィッジ兄さんって昔から不運な目に遭いがちなんですが、それでもその、多すぎると思うんですよね……」


 俺の感想にソロモンは頷いた。さっきも述べたようにこういう出来事は初めてではなく何度もある。特にラトヴィッジさんはかなりの不運体質故に他の兄弟姉妹よりも事故等の回数が多い。しかしそのすべてにおいて、加害者は不明のままだ。世の中では、加害者が分からないまま迷宮入りする事件も多い。しかし、こうも同じ家族で何度も事件や事故が起こって、すべて等しく加害者が不明となると、なにか意図的なものを感じる。

 頭を捻る俺に、ソロモンがぽつりと続けた。


「……兄さんも姉さんも妹たちも、こういうの、頻発してるんです」

「……恐ろしい話だ」

「えぇ。本当、今回は兄さん無事でしたけど、またこういうことが起こったらと思うと……気が気でなくて」

「……だよな」

「それに、もしかしたら僕も被害に遭うかもしれないんですよね。今は、ひとまず無事ですが」

「考えたくないけど、可能性はあるな」

「……だがら、僕、あなたに頼みたいことがあるんです」

「なんだ、何でも言ってくれ。俺にできることなら、何でもしよう」


 潔く言い切った俺に、ソロモンは安堵したように表情を解す。そうして真剣な眼差しで口にした頼みというのは、意外にも、ソロモン自身のことではなかったのだ。




 ソロモンから重大な頼みを任されてから月日は経過し、俺は父の知り合いの服飾系職人の元で日々働いていた。『せっかくいい学校を出たのにもったいない』と言われることもゼロではなかったが、特に目的もなく進学し、親の金を消費するくらいなら、弟に回した方がいいに決まってる。仕事をして金を稼いで親に少しでも金を返す。俺はそんなつもりで日々親方に叱られながらも修行を積んでいた。

 一方ソロモンはそのままなんの障害もなく進学した。中学生の頃から将来は弁護士になるのだと言っていた彼は、今頃新天地で勉学に励んでいるはずだ。

 夢のために努力する彼を素晴らしいと思う傍ら、俺の中では『このままでいいのか』という疑問が中学時代から渦巻いている。

 要は、法に関わる仕事をするソロモンが、『病気』『犯罪』と思われるようなことをしているのはまずいのではないかということ。ソロモンが俺を愛してくれることは嬉しいし、俺もソロモンを愛してるが、もし他者に露呈した時のことを考えると、とても怖くなる。

 率直に言えば、ソロモンのためにも俺は彼から離れるべきではないかと考えている。

 進学等を機に、いっそ疎遠になればここまで悩まずともよかったが、彼は律儀に休みの度に会いに来る。俺に対する愛情表現は変わらずで嬉しいが、少し複雑な気持ちになる。

 その事についてソロモンと話した際には、あいつは気にしないと言っていた。今まで通り隠しながら、交際を続けようということだった。勿論お互い不安はある。だけど、別れたくないということも事実だから。


『僕はあなたと一緒に居たいので、そこだけは疑わないでください』

『あぁ、そうか、ありがとな』


 中学時代も、進学時も変わらずソロモンはそう言ってくれたし、それを信じたいが、ソロモンはこのまま俺といていいんだろうかという不安は、拭えなかった。


 それから数か月後の16歳の冬のある日。未だに解消されない不安を抱えながら、俺はソロモンと二人、クリスマスに向けて派手な飾りつけがされた街中を歩く。

 途中、顔色が良くないと不安にさせたこともあったが、大丈夫だと取り繕う。折角二人で出かけているのに余計なことを考えるのはやめよう。自らに言い聞かせて、買い物を楽しんだ。

 その最中、やたら顔色の悪い全身真っ黒な服を着た奇妙な青年が、光のない瞳でじっとこちらを見つめていたることに気づいた。道の端に座り込んで、何かぶつぶつと呟いている。まさか男二人で歩いているだけでそんな風に見られるわけでもなかろう。物乞いか何かだろうその相手は、非常に不気味でゾッとしたがそれだけだ。直ぐに忘れて、俺たちは足を進める。

 雑貨屋を後にした俺たちは歩きながら、紙袋を抱えつつクリスマス用に買ったものを確認し合う。


「買い忘れはないですか?」

「あぁ。あとはまた今度でいいだろ」

「そうですね。では、買い物も終わりましたし、どこ行きましょう?」

「そうだな……」


 一通りの用事を済ませた俺たちは、次の目的地を探す。食事にしようかと思ったが、二人とも大して腹も減っていない。どこかに行こうにも冬休みとも重なるこの時期はどこも人でいっぱいだろう。

 悩みますねえ、なんて話していたその時。ソロモンが前方から来た大柄な人にぶつかった。


「あっ、ごめんなさい」

「大丈夫か?」

「えぇ、はい」


 あっちからぶつかっておいて謝りもしない無礼な相手が少し気に食わないが、ソロモンは特に怪我をしたわけでもない。気にせず歩き始めたその時。


「――っ、あ」


 そんな短い言葉と共に、ソロモンの動きが止まった。


「ソロモン? どうし――」


 少し先に足が出ていた俺は、その声に振りかえる。すると、そこにいたソロモンは青白い顔で苦し気に顔を歪ませており、その背後には、さっきぶつかった大柄な人がいた。

 一瞬何が起こっているのか分からなくて呆然と目を見開く俺の前で、ソロモンの体はぐらりと揺れ、地面に倒れ込む。同時に持っていた紙袋が叩き落され、中身が散らばった。

 後ろにいた人が手袋をはめた手に持っていたのは、赤い色が着いた長い刃物。そこで漸く俺は、ソロモンが刺されたのだと気づいた。


「っ、うわぁあああああ!!! ソロモン! ソロモン!!」


 理解した瞬間体が信じられないくらいに震えて、俺は思わず叫んだ。その悲鳴に周りの通行人も気づいたのか、様々な悲鳴が飛び交う。

 そんな中、ソロモンを刺したその人は、大した動揺も見せず、まだ微かに体が動かし呻き声をあげるソロモンの上に乗り、そのまま長い刃物を振り下ろす。

 何度も何度も、酷い恨みでもあるのかというようにソロモンを刺すものだから、俺は、体が震えているにも関わらず、叫んで、思わず近づいた。


「ソロモンに、なに、すんだ!」

「……ビ、ル……」


 しかし自分よりはるかに大きな体と、刃物という凶器を持つ相手に敵うはずもない。俺はその相手に殴られ、いとも簡単に地面に転がされた。

 顔面を殴られ、その拍子に転げ頭を打った俺の頭は異様にくらくらする。意識をしっかりと保ってられないほどには。


「ソ、ロ、モン……」


 薄れゆく意識の中俺が見ていたのは、ぐったりと横たわるソロモンと、ものすごい形相でソロモンを刺す、冷たい金の瞳をした男だった。



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