第5話 夢見心地
俺がソロモンの恋人というポジションに落ち着いてから何日か経過した。最初は本当に自分の気持ちが勘違いなのかとも思ったが、ソロモンといる時間は楽しかった。それだけでなく手を繋いでもハグをしても嫌悪感もないどころか、どことなく嬉しささえあったことから、やはり勘違いではないと確信する。
ソロモンは、恋人という立場になれても素直に触れていいのかどうか等を気にしていたようだが、俺としては二人きりの時であればどんどん触れてもらっても構わない気持ちだった。まぁ、ソロモンもまだ抵抗感や恥じらう気持ちがあったりするのだろう。そういうところも可愛いと思う。それに、ソロモンにくっついたらドキドキするし、なんだか不思議な気持ちになる。なるほど、これが他人を好きになるという感覚なのだろうか。だとしたら、結構いいものだと思った。
だが、俺がそんなことを考えてソロモンの恋人ポジションに収まっていても、易々と口にできるものではない。学校ではこれまで通り友達として接し、恋人として振る舞うのは部屋のみだ。部屋でなら、ソロモンも受け入れてくれるから、結構自由にできるのかもしれない。
そんな気持ちを胸に過ごしていたある日のこと。非常に唐突ではあるが、俺は未だにソロモンのことをファミリーネームで呼んでいることに気がついた。友達同士で平然とファーストネームや愛称で呼んでいる者が多いのに、一応恋人という立ち位置の俺がいつまでもファミリーネーム呼び。これは、どうなんだろう。せっかくだしソロモンと呼んでもいいのではないか。そんなことを思って提案すれば、ソロモンは照れくさそうに笑いながらもあっさりと受け入れる。
『名前で呼ぶくらいなら、外でも平気ですよ』
『えっと、なら……ソロモン……』
試しにと『ソロモン』と呼んだその時のあいつのはにかんだ感じの表情は、なんだかとても可愛いなと思った。
ただ、俺が少し前に無意識のうちにファーストネームで呼んでいたことを指摘されたのは、俺は少し恥ずかしかったのだが。
それからゆっくりと交際を続けていくにつれ、いつしかソロモンも俺の気持ちを勘違いなんて恐れることはなくなったように見える。もちろん俺もソロモンに対する愛情は変わらず、本当に彼のことを愛してるんだと子供ながらに理解するようになった。このままずっとソロモンと一緒にいたい。大人になっても大好きな彼と一緒にいたい。好きな人相手に抱く気持ちとしては至極真っ当なものだと思うが、俺は、ただそれだけのこともきっと叶わないんだろうなと考えていた。何故かというと、ソロモンが持つ書物に司法関係のものが多くあったことから何となく推測しただけなのだけど。
少々重い気持ちも抱えながらソロモンや同級生と共に学校生活を謳歌し、いつの間にか誕生日を過ぎ歳をとり、夏休みの期間になる。夏休みというものは当たり前ではあるが冬休みよりもずっとずっと長い。期間は州や学校にもよりけりだが、俺達のところは初夏から八月の半ばか終わりあたりまである。その間に我が家では一度ヒスパニアに帰ろうという話が出てており、ソロモンや友人に暫く会えなくなることを踏まえての予定の確認を行うことになった。
少しだけじめじめとしたある夏の日。開放された窓から入り込む緩やかな風を感じながら、手帳にあるカレンダーの七月終わり頃から八月の頭頃を指さした。
「ここからここの間は、ヒスパニアに行ってる予定だからこっちにいないよ」
「分かりました。船旅大変でしょうけど、お気をつけて」
「ありがと」
せっかくの夏休みだ。二人で過ごせる時間があるなら満喫したいと確認し合って行く場所も決める。子供二人となれば行く場所も限られるが例え近場で遊ぶだけでも思い出つくりには最適だ。
遊ぶ予定を2、3件決め、後半頃にソロモンの家に泊まらせて貰うことにもなった。俺には縁がないと思っていた立派な邸宅、そういうところに行けると思うだけでも、なんだか楽しみだ。不相応にならないよう格好など色々気をつけないと――そんなことを考えて、俺は夏休みを迎えることになった。
長い長い船旅に故郷での生活。大事な友人や恋人との遠出なんかも体験して、ついに街の名家であるマスグレイヴ家を訪れる日がやってきた。
はっきりいって俺はとても緊張していた。最初は妙にドキドキしているという程度だったのだが、家にソロモンの所からの迎えが来た時点から、なんかもう別世界に行くようで緊張が増したのだ。
有名校に通ってはいるが、あくまでもうちは一般寄りの家庭だ。別に裕福なわけでもなく、何故こんな学校にいるのかと問われれば『分からん』と答えてしまうほどには。
そんな家の前に、俺でも分かるような立派な車が停まって高級感漂う背広を着たソロモンが迎え来れば、流石にびっくりするし、緊張感も高まる。更にはソロモンが普段学校で会うよりかっこよく見えてしまうため少し胸が高鳴ったりするものだ。きっと服のせいだったりするんだろうけど、ただ単に凄い。
ソロモンは運転手の人と共に俺の親にも挨拶して、俺を連れ出す。向かった先は非常に大きな屋敷で、そびえ立つ門扉ととても広い敷地を通って玄関口に降りれば、見大きな扉が俺達を迎えてくれた。
「やっ……ぱり、豪邸だな……凄いな……」
「えっ、そうですか?」
「今の返事で俺との感覚の差がわかるわ」
俺の渇いた笑い声に困惑するソロモンを横目に、俺は大きな扉を通って中に足を踏み入れる。家の中は広い玄関とか高級そうな絨毯とか、照明なんかも綺麗なものがさげられていて、率直に金持ちって凄いな、という漠然とした感想を抱く。
使用人も男女共に居ることから金持ちであることは間違いないんだろう。まさに別世界のようで、ここにいていいのかという気持ちにもなる。緊張で体が少し強ばるような、そんな感覚さえあった。
「えっと……大丈夫ですか?」
「うん、別世界過ぎてビビってるだけ……大丈夫」
「そう、ですか……。とりあえず少し家族に顔見せてから僕の部屋行きましょう!」
「お、おう」
ソロモンに案内されて、俺は落ち着かない気持ちで屋敷を歩き何人かの御家族に会う。綺麗に整えられた庭で運動をしていた祖父のハーヴェイさんと、弟のウォルターくん。部屋で仲良く絵を描いていた妹のステラちゃんとアガサちゃん。そしてその二人の面倒を見ていた長兄のボールドウィンさん。
他にもお兄さんが二人、お姉さんも二人で、あと外出中の妹がもう一人いるらしいが、不在だったりなんだったりで会うことはできなかった。
その後、やたらと広くて片付いているソロモンの部屋で少しだけのんびりさせてもらい、豪勢な夕食もいただいた。
その頃にはお父さんのヴィクターさんもいて、随分と元気な方だなという印象を受けた。
賑やかな家族だな、と思いながら夕食も終えて、そろそろ就寝の時刻になりつつある頃。そういえば俺はどの部屋で寝させてもらえばいいのか聞いてないことを思い出して、ヴィクターさんに聞いてみることにした。
寝巻きに身を包んだ彼を見上げ、事情を話していると、ヴィクターさんと一緒にいたウォルターくんが不思議そうに俺を見上げる。褐色の肌に映える丸く可愛らしい桃色の瞳がじいっとこちらを向いているものだから、なにかあったのだろうかと膝を曲げた。
「どうしたのかな」
相手は子供だ。極力怖がらせないように笑みを浮かべ優しく聞く。すると彼は不思議そうに可愛らしい声を発した。
「いっしょに、ねないの?」
「ん? だ、だれが?」
一瞬戸惑った俺にウォルターくんは更に純粋な眼差しで続けた。その言葉が割ととんでもない意味であると知らずに。
「ビルくんって、ソールにいのこいびと、なんでしょ? おとーさんとおかーさんみたいに、いっしょにねないの?」
「……えっ」
「ちょっとウォルト!?」
――ソロモンって弟からそんなふうに呼ばれてるのか、可愛いな。
などと、一瞬抱いた感想は吹っ飛び、何を言われているのか理解が追いつかず俺は硬直した。
この幼い子はなんと言ったのか。俺をソロモンの恋人と言ったのか。こんな子供にも認識されていたなんて、驚きではあるのだがろもしかして相当恐ろしいことなのでは? そんなにも、バレバレだったのだろうか。それを踏まえると、他の御家族にバレていないわけがない。なんだか、恐ろしくなってしまった。
ふと、交際前のソロモンの怯えっぷりを思い出す。もしかして、彼は家族に異常扱いされていたから、あんなにも怯えていたのでは?
自分に突き刺さるかもしれない冷たい視線なんかはどうでもいい。ソロモンはどんな反応をしているんだろう、冷えた背筋でちらりとソロモンを見遣れば……あろうことか、彼は顔を赤くしてウォルターくんの発言を戒めているだけだった。予想外の光景にまたも一瞬理解が遅れてしまう。
「も、もう! あまり恥ずかしいこと言わないでください!」
「なんで? ソールにいは、ビルにいとねないの? おとーさんとおかーさん、いつも一緒に寝てるよ? ねぇおとーさん」
「あのな、ウォルト。あまり誰と誰が恋人とか言っちゃダメだぞ。あと、別に一緒に寝なきゃならんことはないんだよ」
「そーなの?」
「そうなんだよ」
ヴィクターさんも特になにかに引いていることも無く気づけばそんな穏やかな会話がウォルターくんを中心に展開されており俺は更に困惑する。なんだろうこの反応は。穏やかすぎではないか?
ついおろおろしてしまっていた俺に気づいたソロモンが、未だに赤い顔をポリポリと掻きながら俺の傍に寄って、真相を明かす。……実は、ヴィクターさんやハーヴェイさんは俺達の関係性を知っていたのだと。
「……えっ」
「ビルキースさんが驚くのも分かります。でも、家族の内何人かは僕達の関係を知ってるんです」
「な、なんで!?」
「僕が以前お付き合いしてる男性がいるって、言ったので……」
「よく言おうと思ったな!?」
困ったように笑うソロモン曰く、好きな男性がいることについてお兄さんに話したことがあったそうだ。そのお兄さんは結構驚いたがそれもありだと受け入れてくれた。その際に『うちの家族は結構そういうの寛容だと思う』との助言を受けそれを信じておじいさんやお父さんにも話したらしい。結果、二人はソロモンのその感情を受け入れ、決して蔑むことも拒絶することもなかったという。
ただ、ウォルターくんに知られていたことはどうやら予想外だったらしいが。
「ウォルト、どこで知ったんですか?」
「んーとね、ソールにいがおとーさんにはなしてるのきいたの!」
「あぁ……」
「他の誰かには言ったか?」
「ないしょ!」
「そうかー……」
太陽のように明るい笑顔に押されたが、恐らく不用意に広まることはないだろうと区切りをつけ、話は元に戻る。つまり寝る場所をどうするかということだが……結局ソロモンと同じベッドで眠ることになってしまった。
そう、同じ部屋というだけでなく、同じベッドで。俺は別にその辺のソファでもいいのに。
「……本当に、大丈夫か?」
「大丈夫です……」
俺は今、ソロモンの部屋にある大きなベッドの傍らに立っていた。綺麗に整理整頓された部屋、様々な本が並ぶ本棚、見栄えのいいクローゼット。そんなのが並ぶ中でちょっと大きめのベッドが変に際立って見えた。
別にベッドに来たからといっていかがわしいことをする訳では無い。ただ明日の朝まで眠らせてもらうだけだ。なのに、やはりどうしようもなく緊張して、胸が激しく高鳴っていた。
多分俺の顔は赤いんだろう。だってそうだ。好きで好きで仕方ない恋人のところにお泊まりだけでなく、同じベッドだ。……まだ14歳の俺には刺激が強すぎる。
ソロモンはどう思っているんだろうか。ちらりと目を向ければ彼もやはり赤くなっていた。
僅かな灯りの中、沈黙が二人の間を支配する。ベッド脇に置いてある時計の秒針の音が何度も響いていた。
果たしてベッド脇に立ってからどれだけ経ったか。目を伏せて頬を染めたソロモンが、漸くぽつりと口にする。
「あの、とりあえず……座りませんか」
「お、おう……」
ソロモンに促され、柔らかな布団を少し捲ってベッドに腰を下ろす。少し固さのあるマットレスが眠りやすそうでいいなと思った。
その隣にソロモンも黙って腰を下ろし再び沈黙が漂っていたが、申し訳なさそうな彼の声が耳に届く。
「あの、すみません、ビルキースさん。父と、弟のせいで……」
「いや、大丈夫、嫌じゃないから……」
「ほんとですか?」
「うん、それにその、俺、特に何もするつもりないから、安心して……」
「えっ、あ、そう、ですか……」
なんだろう、今のソロモンの反応が少し残念そうに聞こえた気がしたが恐らく気のせいだ。ただ俺はここで寝させてもらうだけ、その筈だと淡い期待を封じ込めた。
だけどその直後、突然ソロモンが俺の方に距離を詰める。膝に置いていた俺の手をとって、いきなりその手にキスをしたのだ。
「!? ソロモン!?」
驚きのあまりに裏返った声をあげる俺に、ソロモンは顔を赤くしながら俺の手を握る。
「……あの、なにもしないのは、ちょっと、寂しいというか……」
「え?」
「……せっかく、こうしてビルキースさんに来てもらってて、二人きりなんですから、少しくらい何かあってもいいんじゃないかと思いまして」
「そ、そう、なの、か」
「はい」
耳まで赤くなったソロモンにつられて俺まで赤くなる。顔が熱くてにやけているようで変な感じがしている。
俺の今の状態はともかく、ソロモンは何がしたいんだろうか。ただ話をしたいというようなものではないだろう。そうなれば俺に触れたいのかキスがしたいのか、もしかしてもっと先のことがしたいのか。ソロモンの考えが分からなくて体が強ばる。
すると、俺の心境を察したのかそれとも握られた手から緊張が伝わったのか、慌ててソロモンが取り繕う。
「あっ、その、怖がらないでください! ただ、その、ビルキースさんに触れたり、……キスとか、してみたいなって、思っただけですから……」
ジェスチャーを交えて慌てるソロモンの素直な気持ちに、こっちも更に恥ずかしくなる。ソロモンが言ったことは全部予想していたことだ。だが直に言われると変な気持ちになる。胸がきゅうっとなる感覚を抱きながらそんなことを考えた。
でもソロモンの気持ちを変だとは思わない。俺だって、そんなことしたくないかと言われたら嘘だ。もっとソロモンに触ってみたいしキスだってしてみたい。その先……はよく分からないけど、ソロモンとなら、どれも嫌じゃないと思った。
だから、大丈夫だという意思表示のつもりでソロモンの白い手に、俺の手を重ねる。
「別に、しても、いいけど」
「えっ、あ、ほんとですか……?」
丸くなった目がこちらを向く。少しだけ潤んでいるようにも見えて、可愛いなと感じながら、俺は覚悟を決めてきゅっと目を閉じる。
「大丈夫だから、するんだったら、そっちから、きて」
「っ、は、はい、」
ソロモンの驚いた声と戸惑う様な声が聞こえたその後に、俺の頬に手が添えられた。思わず肩が跳ねてしまったものだからソロモンに心配そうに問われるが、大丈夫だと伝えて、待つ。
まず、手が添えられた方と反対側に柔らかい感覚があった。頬にキスをされたのだろう。彼のしたいキスはもしかしてそっちだったのかなと思ったが、続けて額にもされる。柔らかい感覚に、頬や額にされるのもドキドキするものだな。……そう思っていたら、くい、と顎が上げられて唇に柔らかく妙な感覚があった。
――あぁ、これがキスってやつか。嫌じゃない、恥ずかしいけど、嬉しいな……。
それはすぐに離されて、俺はゆっくり目を開ける。目の前には、耳までりんごみたいに赤く染めたソロモンが、おろおろした様子でこちらを見ていた。
「……なに」
「あの、嫌じゃ、なかったですか」
「……大丈夫。ドキドキしすぎてちょっと変な感じだけど」
きっと俺の顔もソロモンと比にならないくらい赤いのだろう。それを見られるのが恥ずかしくてぷい、と顔を背けたらそれをソロモンに制されてしまった。そっと手が添えられる。
「顔、背けないでくれませんか」――ソロモンにうながされて顔を向けると、続けて彼は俺のことを抱きしめた。温かさが俺に伝わっていき、微睡んでしまいそうになる。
「……もう、寝ますか?」
「……ん」
「あの、最後に、もう一回、キスしたいです」
「……ん、いいよ」
もう一度顔を上げて待ち、ソロモンはゆっくりと俺にキスをする。柔らかくてなんだか気持ちいいなとすら感じた。
だが、今回のキスはなんだかさっきより長い気がして頭がくらくらとする。さっきみたいな触れるだけというより、息継ぎをするように口を離してはもう一度塞がれる。それが何度も繰り返されて俺の気持ちはふわふわくらくらとしていた。
「……ソロモン……」
「っ、すみません、僕……」
「……なにが? 大丈夫、嫌じゃないよ」
名前を読んだ時の声が、俺にしては優しすぎるような変な声で変な気持ちになる。頭の中身ががぐるぐるしているようで落ち着かなかった。
そんな俺に対しソロモンは困ったように見える顔つきで謝罪した。何に対して謝っているんだろう、そう思いながら、俺は、夢見心地で布団に潜る。
しかし布団に潜っても直ぐに眠れるわけもなく、まだ起きているらしいソロモンの名を呼んだ。
「……ソロモン」
「なんです?」
目を合わせないままだからこそ、俺はソロモンにさっきの気持ちを伝えることにした。
「キスするの、嬉しかったし結構気持ちよかった。……またしような」
「…………っ、は、い」
ぎこちない返事をして、ソロモンは慌てて布団に入る。俺もそれに従って布団の中に潜ることにした。ふわふわで質の良さそうな布団と、ソロモンのにおいにドキドキする。
この日俺は、不思議な感覚でソロモンと眠ることになったのだ。
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