第2話 交流

 俺とソロモンが同部屋に数週間が経過した。感想としては、彼との生活は存外悪くないといったものだった。今までと何が違うのかと聞かれれば、真っ先に思いつくのが初対面でのやり取りだが、普段の生活においても『外人のくせに』なんてことを言われないだけでここまで変わるのかと驚いた。

 ソロモンは俺を見下さないだけでなく、非常に真面目ないい奴だということも徐々に分かった。礼儀正しくて穏やかで、俺みたいな奴とは真逆の優等生。そんな彼は色々なタイプの友人が多い。だから彼は放課後は様々な友人のところに遊びに行くし、なんと俺を連れていったこともあった。


 ある休みの日のこと、俺はソロモンに友達皆でゲームをやるから一緒に行こうと誘われた。なんでこいつこんな楽しそうなんだ、と思うほどに笑みを湛える彼に対し、俺の心境は全く乗り気ではなかった。


「ボードゲーム? まぁ嫌いじゃないけど……外人の俺なんかが行ったって邪魔だろ」


 興味がない訳では無いが、どうせ俺か行ったところで空気が悪くなるだけだ。そんなことを思ってぶっきらぼうに突っぱねた俺に対しソロモンは躊躇いなく言う。


「そんなこと言ってるから他人と上手くいかないじゃないですか」

「うっ」


 普段の優しげな垂れ目がその時ばかりは鋭く真剣に感じられ、俺は思わずたじろぐ。きっと彼は俺が動揺することを分かった上でそんなことを言ったのだろう。ソロモンは更に言葉を続ける。


「失礼なことを言ってすみません。ですが、外人だからって変な理由つけてると、そのうち本当になんにもできなくなりますよ」


 大真面目に言われたその言葉がグサリと胸に刺さってしまった俺は、渋々ながらもソロモンに着いて行くことにする。

 向かった先はソロモンの友人達の部屋。自分たちの部屋とは何も変わらない白い壁に薄いマットが敷かれた床だが、置かれている日用品等が変わるだけで雰囲気は結構変わるものだ。

 部屋の中央に置かれた四角いテーブルと二脚の椅子。そしてボードゲームとトランプ。そしてソロモンの友人らしい白い肌の同級生達。

 彼等と目が合った瞬間向けられた目の色に、やはり場違いなのだと肌で感じる。困惑だけではない色。冷たいというのか余分なものを見る目の色合いというか、そういうのが俺に刺さる。確かに昔から頻繁に目にする冷たい色ではあるがどうしても好きになれそうにないものだ。

 やはり俺が来るのはやめた方が良かったんじゃないか。決して暑くない温度なのに薄らと汗を感じながら反射的に一歩後ずさったそんな時。


「今日はビルキースさんも一緒にやりたいんだけどいいでしょうか?」

「えっ……」

「あっ、うん、別にいいよ」


 逃げないように俺の腕を掴んだソロモンは同級生達に屈託のない笑顔を向ける。驚き焦る同級生達から返ってくるのは当然反論かと思いきや、隠しきれない困惑が見える了承だった。本当は突き放したいだろうに、ソロモンがあまりにも純粋に笑うものだからか、皆なんだかんだ受け入れる道をとる。実際に皆が本当に快く俺を受け入れてくれたかは別だ。

――俺は参加して良かったのか本当に……。

 そんな不安はあったし周りの態度も多少気になったが、ソロモンが随分と楽しそうにしているので、諦めてそのまま参加することにした。


 そこから俺たちはボードゲームしたりカードをしたり適当な話題で雑談したりして、たっぷり数時間戯れた後、少しの疲労感の中解散となった。

 率直な感想は思ったよりは悪くないといったところか。ゲーム自体は楽しかったし、勝手に悪いイメージを抱いていた相手が意外と普通の奴だと分かったり、収穫もあった。

 他の同級生達も、最初は俺を冷たい目で見ていたが途中からは少し目の色が変わった気がする。それは少し不気味なようにも感じられたが、決して悪いことではないのだろう。

 上機嫌なソロモンと共に自室に戻った後、俺は『楽しかった』という気持ちに重点を置き考えた結果、ソロモンにひとまず礼を言っておくことにした。


「……マスグレイヴ」

「なんですか?」

「……誘ってくれてありがとな。ちょっと疲れたが、まぁ、悪くなかったよ」


 自分の机の傍らに立って少し目線を逸らしながら言う。ただ一言礼を言うだけなのにちょっと体がむず痒い感じがして落ち着かない。

 そんな俺を見て、ソロモンは大層驚いて声を上げる。


「そっ、そんな、こちらこそありがとうございます! いや、すみません!」


 ちらりと目線をソロモンへ向ければ、彼は目を丸くして、どこか困ったような笑みを浮かべていた。


「少しでも楽しんでいただけたならよかったです。でも、すみません、僕結構強引に連れてきたので、恨まれてたらどうしようかと……」

「あぁ、腕掴まれた時は驚いた」

「ですよね! いやほんとすみません」


 追撃のような俺のひと言に、申し訳なさそうに眉を下げて話を続けた。

 どうやら、こいつは周りからの印象を理由に一人でいる俺が心配だったらしい。数週間共に過ごしてきて、俺は決して怖い相手ではないのだと思った。そして、『ひとりが好きそう』にも見えなかったのだという。


「……そこ、僕の主観なので、ビルキースさんが好きで一人なのだと言うなら、もうあんな無理に連れ出したりはしません。思えばほんと、確認もせずすみませんでした」

「……いや、正直そこはいい。結果的に良かったんだからよ」

「……あの、実際はどうなのですか。ビルキースさんは、一人でいるのは好きですか?」


 恐る恐るといった様子で訊ねるソロモンを見て、俺は改めて考える。

 思えば、俺は好き好んでひとりになっているわけではないような気がする。いや、ひとりも悪くないが、たまに寂しさは感じるのだ。だが奇異の目に晒されるくらいならひとりの方が気楽というもので、その感覚をそのまま口に出す。


「……俺は、ひとりが好きとか嫌いとかはあまり考えたことは無いし、よく分からんな。けど、大人数の中に行くのは少し苦手だから、ひとりの方がいいのかもしれん」

「そう、ですか……」


 少し申し訳なさげにするソロモンを見つめながら、今の素直な感覚を追加する。それは、現時点のソロモンに対する真っ当な感情だ。


「ああ、でもマスグレイヴがいるなら話は別かもな。あんたと喋ってるのは悪くないし、あんたがいたから多分今回も楽しかったんだろうな」

「えっ……!?」

「えっ」


 その瞬間、何故かやけにソロモンの顔が赤くなったような気がした。

 確かに今ちょっと小っ恥ずかしいことを言った気はする。思うままに任せて妙なことは言った。だが、なんだその反応は。さっきまでの困ったような雰囲気から一転、妙な空気が部屋を包んだ気がする。

 ソロモンは、茶化すでもなんでもなく顔を赤くしたままに礼を言って、忘れ物をしたなんて言ってそそくさと部屋を出て行った。


「何赤くなってんだよ……変なやつ」


 取り残された部屋のなか、俺はさっきの様子を思い出して小さく笑っていた。



 その日以降、ちょくちょく俺はソロモンを経由して同級生と関わる頻度が増えた。あの日共にゲームをしたメンバーのうち、一人は好きな作家という共通の話題が見つかったことによりソロモンがいなくても話せるようになった。漸く、俺にも友達らしい友達が出来つつあり、非常に単純ではあるが、ソロモンには結構感謝している。

 真面目で良い奴で、勉強も教えてくれて、俺にも他人と交流しようという気持ちにさせてくれた。なんであれ、現状俺にとっては一番の友。

――ソロモンは、良い奴だ。

 だが、それとは別に変わったところもある。それは、俺が部屋でトレーニングなんかをしている時のこと。

 冬が近付きつつあるが体を動かせば暑くもなる。俺は体を鍛えることが好きだから、部屋の片隅で筋トレをすることもあり、そんな時には結構半裸でいることが多い。他にもジョギングから帰ってきた時なんかは暑くて堪らないので裸になる。……そうしていると、だいたいソロモンは頬を赤らめたり、戸惑ったように目を逸らしたりするのだ。

 最初は何も思わなかったがいざ気づくと妙に引っかかる。例えばどちらかが異性であればこの反応も理解できるが、どちらも男だ。それなのにそんな反応をするのだろうか。

 ただ好きではないだけではない他の理由がありそうな気がしたが俺にはよく分からない。ただ、ソロモンはやっぱり変わっているが面白いやつだと少し思った。



 それからまた日は経ち、本格的な冬になる12月。街中はとっくにクリスマスに向けた雰囲気が出来上がっており、寮内でもツリーが置かれるようになる。冬学期が始まるが、半月もすればやがて冬休みだ。学生の中には浮き足立っているもの達もいるだろう。だが冬休みまでにこなして置かなければならない課題なんかは当然あるわけで。窓の外が薄暗くなってきた頃の小さな暖房器が置かれた部屋の中、俺とソロモンはそれぞれ冬休み前の課題に向かっていた。

 部屋に響くのは英文やら数式やらを書く鉛筆の音。俺の目の前にも長ったらしい英文と数式、図形が踊っている。


「っ、あー……終わった……」


 そんな時聞こえたのは脱力したソロモンの声。頭もいいやつは課題をこなすのも早いらしい。羨ましいものだと思いながらも俺は手を止めない。


「ビルキースさんは……まだみたいですね」

「おう」

「コーヒーでも飲みますか?」

「……ありがと」

「砂糖とかミルクとかいくつにします?」

「……ひとつずつ」


 話しかけてくるソロモンに言葉を返しながら、俺は一旦手を止めてテキストのページを捲り、新たに解きはじめる。まだまだ量は多いことを考えると、甘めのコーヒーでも飲みながらやる方がやるほうが気分的にいいものだ。ただ、向こうから言い出したとはいえ、ルームメイトに作らせたことになるのはちょっと複雑な気持ちになった。

 暫くして、部屋にある簡易的なキッチンでコーヒーを拵えたソロモンが、俺の机にカップを置いた。

 ミルクと砂糖が入った濃い色合いのコーヒーは、思ったより甘く体を温める。


「ありがとな」

「いえいえ、気にしないでください」


 振り返って見れば、再度椅子に腰掛けたソロモンがいて、彼は自分用のカップを片手に穏やかに言っていた。それを確認して俺も改めて向き直る。

 その一方でぽつりとソロモンが言葉を零した。


「もうすぐクリスマスですねぇ」

「そうだな」

「冬休みに入ったら、僕は直ぐに実家に帰りますけど、ビルキースさんはどうするんです?」

「俺も実家に帰るよ」


 短いながらも返答しながら数式を綴る。


「ヒスパニアに行くとかはないんですか?」

「金がねぇから無理だな」

「あっ……すみません」

「いや、別にいい」


 少し申し訳なさそうな声色に、適当に返した。それ以降暫くはソロモンも空気を読んだのか一人書物に向かい始めた。


 それから数十分後、窓の外もすっかり暗くなった頃俺は漸く解き終えたテキストを閉じ、大きく背伸びをした。さっきのソロモンと同じく、変な声をあげて、再度コーヒーブレイクとなる。


 2杯目の温かいコーヒーを飲んで、話は再び冬休みの話題を聞いてみることにした。

 一般家庭寄りの我が家と違い正真正銘の富裕層であるソロモンの家は、恐らくパーティーも豪華なものだろう。

 聞けば食事も普段より豪勢なものを料理人が作ってくれたり、プレゼントも高価なものをもらえたりするらしい。


「うち、きょうだい多いんです。なので、きょうだい皆でプレゼント渡し合ったりするんですよ」

「へぇ、いいじゃねぇか。全部で何人いるんだよ」

「10人ですね」

「10人!? それは、多いな……」


 世の中、多人数きょうだいというのは結構いると思うが、それでも10人は多い気がする。金持ちの家って凄いなあなんて思いながら、豪勢なクリスマスの話を聞いているとその話題が俺にも向けられる。


「ビルキースさんのところは、どういうクリスマスなんですか?」

「あー……こっちにいる親族と友人達で長いクリスマスかね」

「長い?」


 不思議そうにきょとんとするソロモンに、俺は説明する。出身地であるヒスパニアでは、他の国と比べるとクリスマスの期間が長い。大体2週間程で、24日が家族でご馳走を食べて過ごしたり教会に行く日、25日にプレゼントを貰う日。他にも年末にぶどうを食べたり最終日の朝に特別なパンを食べたり。そんなふうに色々と長期間に渡って行事がある。ヒスパニアに住んでいる訳でもないのに何故こんなことをするのかというと、多少生まれ故郷の文化に沿ったことをしたいと主張した親のせいだ。

 ざっくりとした説明にソロモンは異文化に触れた驚きで目を丸くし「長いですね……」とか「大変そうですね」とか細く零すソロモンの言葉を肯定する。


「そうなんだよ、結構大変。途中から早く終われって思うぞ」


 苦笑いでボヤいた俺に対し、ソロモンは暫し考え込んだ後、口元に手を当ててぽつりと呟いた。


「でも、ちょっと興味ありますね」

「えっ」

「あの、良ければ、どこかでお邪魔してもいいでしょうか?」

「はぁっ!?」


 おずおずといった様子で口にしたソロモンに、俺は思わず目を見開いた。まさかそんなことを言われるとは夢にも思わず、あからさまに裏返った声をあげた。


「あ、やっぱり急ですし、ダメですよね……」

「いや、待て、ちょっと待ってくれ」


 俺の大仰な声に慌てて提案をとりさげようとしたソロモンだが、それを急いで引き止める。今までの長すぎるクリスマスを思い返す。忙しい時もあれば途中からかなり暇になり疲れてくる。親族の相手をしているのもかったるくなってくるが、その中で友人が1人でもいれば多少楽しめるのではないだろうか――そんなことを思った。


「……なら、25日以降の、どこかでどうだろうか」


 俺の返答にソロモンは分かりやすく目を輝かせた。


「ほんとに!? いいんですか!?」

「あぁ。ほかの兄弟も友達連れてくるし、いいだろ」

「ありがとうございます! では、プレゼント持っていきますね!」

「あ、おぉ、待ってる」


 白い手で俺の手を握り目の前で嬉しそうに笑った彼に、一瞬妙に胸が高鳴った気がした。なんだこの感覚は、と混乱しながらもクリスマスが少し楽しみになったのだ。

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