託されたもの。

不知火白夜

Bill Keyes

第1話 回想:新たなルームメイト

 俺の一日は、まだ薄暗い早朝から始まる。夏の蒸れた暑い空気を味わいながら、立派な屋敷の一室で目を覚ます。夏の暑さで少し蒸し暑い部屋の中、汗を拭いながらベッドからおりてカーテンと窓を開ける。部屋に明るい日差しが差し込んで、ふわりと吹いた風が篭もりきった部屋の空気を入れ替える。

 今日も暑くなりそうだと考えながら、顔を洗い髪を整え、汗を拭いてやたら綺麗に仕立てられた背広に袖を通す。身支度を終えたら俺の一日の仕事が始まる。


「おはようございます、ビルキースさん」

「はい、おはようございます」


 ビルキース、というのが俺のことだ。丁寧に挨拶してきた仕事仲間に、俺も挨拶を返して廊下を歩く。


 玄関にある大きな靴箱には、この家に住むご家族の靴がいくつも並んでいる。その中で、俺がいつも最初に磨いているのは、俺が保護者として付き添う少年のもの。通学用の革靴と使いこまれた運動用の靴を磨いて綺麗に整える。元々こういうことは得意な俺には決して嫌な仕事ではない。靴磨きが終われば、次は中々起きない少年を起こし行くのがいつものことだ。

 廊下でも仕事仲間と挨拶を交わしつつ綺麗に清掃された通路を往き、目的の部屋の前に立つ。シンプルな木目の戸だが、割と大柄な俺でも余裕で通れる程には大きく立派な戸を、手袋を嵌めた手で叩く。


「ウォルター様。起きてますか」


 ドンドン、と大きな音が鳴り響くが、部屋の中は無音だ。続けて強めに叩いてみるが依然反応はないが、別にそれは異様なことではない。少年、ウォルター様が中々起きようとしないのはいつもの事だ。だから俺は、特に何も思うことなく部屋に足を踏み入れて――少しばかり目を見開く。

 何故なら昨日の夜に多少片付けた筈のその部屋は、随分と物が散乱していたからである。学校で使うはずの教科書に筆記用具、はたまた本に服など様々な物が床に落ちていた。

 確かにウォルター様は非常に片付けが苦手だ。例えば、本を読んだら棚に戻すといった簡単なことすら苦手だが、ここまで散らかす例は少なく、流石にこれは驚きだ。

 やれやれ、と呆れながら簡単に片付ける。本を棚に戻して、教科書や筆記用具は机に置いておく。

――こんなにも散らかすなんて、なにかあったんだろうか。

 乱雑に置かれたワイシャツを広げながら漠然と考えて、数日前のことを思い出す。何故か突然夜中に起きだしたウォルター様は、うろうろと屋敷中を動き回っていたことがある。確か夢遊病だったか。今回もたまそれが発症してしまったのろうと考えた。

 ならばウォルター様を起こすついでに怪我がないか等を確認せねばなるまい。見たところ大丈夫そうでも、何が起こるか分からない危険な行為だ。手にしていた服をクローゼットにしまい、ウォルター様が眠るベッド脇に立つ。

 そこでは、暑さのせいで薄い布団を蹴り飛ばし、なにも掛けていない状態になったウォルター様が、褐色の肌に汗を浮かべぐうぐうと眠っている。一見怪我はなさそうで少しだけ安堵しつつ声をかける。


「おはようございます、ウォルター様」


 とりあえず声をかけてみるが返事はない。もう一度大きめに声をかけるが起きない。仕方ないので揺さぶったり大きく声を上げたりしていると、漸く呻き声が返り薄く目が開いた。鮮やかな桃色の目がこちらを見つめる。


「……んー……? ビルにい……?」

「そうです、ビルキースです。おはようございます、ウォルター様。調子はいかがですか」

「……んー? げんき、だよ? なんで……?」

「部屋が散らかっていたので。また夜中に起きていたのかと」

「…………しらなぁい」


 眠たそうに目を瞬かせる彼に、夜中の記憶はないらしい。とりあえず彼の腕や足を確認すると、汗が少々滲み出ているだけで大した怪我はなかった。ひとまず安心して、俺は彼の身支度を手伝うことにする。

 行動を促す俺の言葉に、ぼうっとしながら体を起こした彼が、俺が保護者代わりを務める相手、ウォルター・マスグレイヴ様。名家であるマスグレイヴ家の末っ子で、現在は13歳の中学生。その体はとても大柄で逞しく、大人と見紛う程の体でありながら、中身は年齢よりも随分と幼いという、なんともアンバランスな方だ。彼の父上の体格を思うに遺伝だろうが、とうに成人している俺と大して変わらない身長してるのは、流石に驚く。

 体格の話は置いとこう。ベッドの上で、とりあえず体を起こしたウォルター様は気を抜くと大欠伸をし眠ろうとしてしまう。彼が眠りにつくのをなんとか引き止め、俺は寝ぼけ眼の彼の着替えを手伝った。



「それじゃあ、いってきます!」

「行ってくるよ」

「はい。お二人共お気をつけて」


 その後、俺はお祖父様と朝のジョギングに向かうウォルター様を見送った。ついさっきまでの眠そうな顔はどこへやら、とても元気そうに走り去る彼に思わず小さくぼやく。


「子供って元気だなあ……」


 そんなことを思いながら、俺は他の仕事へと向かう。朝食の準備だの部屋の片付けだのなんだの、やることは沢山あるのだ。今となっては慣れたものだが、数年前この屋敷に勤めることになったときは、自分から言い出したとは言えやれるものかと非常に不安だった。だけど、人間やればできるものだとも思う。


 改めて、遅ればせながらきちんと自己紹介でもしておこう。俺の名前はウィリアム・キース。通称はビルキース。

 さっきも言ったように、俺は数年前からこの屋敷に勤めるようになった。そのきっかけとなったのが、ウォルター様の四兄であり、俺のいちばん大切な人でもあるソロモン。――俺は、彼との約束を果たすために、この屋敷に勤めることにしたのだから。



 俺がそのソロモンと出会ったのは今から10年前。当時俺はまだ学生で、紆余曲折ありつつ全寮生の有名男子校に入学したばかり。

 普通なら新生活に不安ながらも期待するものだろうが、俺は特にそういう期待を抱く人間じゃなかった。それは何故かというと、入学前の準備のために寮に入ったその頃から、俺はめちゃくちゃ浮いていたのだ。

 同年代より多少大柄な体はともかく、少々厳つい風貌や『外人』であることも理由になったのだろう。世間では外国人や肌の色が異なる人間に対する風当たりが非常に強い。だからこそ俺が外人だとある同級生に知られた時は彼の態度も一変し、そのことはあっという間に多くの生徒に知られることになった、まったく、人の噂が広まるのは早いものだ。

 しかし俺は取り乱すことも傷つくこともない。あの同級生が他者にばらしたことに対する不満はあれど、『外人』といって差別を受けるのも、怖いと言われて避けられるのも、今に始まったものではない。孤独な学校生活も今更のこと。例え正式に外国人にも受験資格が与えられていようが、所詮はそんなものである。

 勿論、単なる捻くれもある。何をしても結局『外人のくせに』などと言われ差別されてきたのだから、活力だって失われる。もしかしたら己の態度次第でもう少し違った学校生活も送れたのだろうが、俺は、そんなふうに深く考える頭は持ち合わせていなかった。



 学校生活が始まってから数ヶ月、徐々に秋から冬に向けて景色が変わり始める頃、俺にとっては何度目かになるルームメイトの変更が実施された。外国人なうえに、終始冷たい態度をとり歩み寄ろうとする気配も見せず突き放してばかりいたのだから当然だ。

 そんなこともあり、何度目かの変更が行われると決まっても、態度を改める気は一切なかった。新たな相手もどうせ直ぐに変わる相手なんだと構えていたのだ。



 新しく来た奴は、いかにも優等生といった雰囲気の高身長の眼鏡の少年だった。優しげな金色の垂れ目、昔見たクロッカスに似た色合いの綺麗な癖のある髪、白く細い体で俺より少しだけ高い背丈。俺とは真逆の雰囲気をもつ少年がそこにいた。彼はゆっくりと荷物を置き、緊張した様子で自己紹介をする。


「……あ、えっと、初めまして。この度一緒の部屋になった、ソロモンといいます。フルネームは、ソロモン・マスグレイヴです……」


 古代の王様由来の大層な名前に、名家として有名な有名な苗字を口にした相手は、なにも返事をしない俺に戸惑っている様子だった。眉を下げて、えっと、あの、なんて動揺している。そりゃそうだろう、自己紹介をして無反応ともなれば、不安にもなるものだ。しかしそれがなんだかとても滑稽で、もっと困らせてやろうかと擦れたことを俺は考えた。


「あ、あの……」

「…………“Mucho gusto初めまして.”」

「えっ」

「…………“Soy Guillermo俺はギリェルモだ.”」


 俺の言葉にソロモンは目を丸くした。俺が返した言葉は、この国で日常的に使われる言語じゃない。普段あまり触れないであろう別の国の言語だ。大抵の奴はこんなふうに返せば、困って何も言えなくなるし、怒ることもある。そんなことをしているから友達ができないのだと分かりつつも、向こうが外人扱いをしてくるならそれに乗ったっていいだろう。

 そんなことを思っていた俺だが、返ってきた反応は、思っていたものと違っていた。


「……ヒスパニアの方なんですか?」


 その反応に俺は大層驚いた。なんでって、一言二言話しただけで俺の故郷を当てて来るやつなんて、今までいなかったんだから。

――こいつ、ヒスパニア語が分かるのか?

 相手を動揺させるつもりが逆にこっちが動揺している。そんな気持ちの俺に対し、ソロモンは嫌な顔ひとつせず、俺に合わせてヒスパニア語で言葉を返す。


「なら、ヒスパニア語で話さないといけませんね。えっと……『改めまして、僕はソロモンといいます。よろしくお願いしますね』」

「……あ、あぁ、よろしく……」


 それがあまりにも自然で流暢なものだから、俺は驚いてつい普段のように返してしまったのだ。それに気づいたがもう遅い。ソロモンは不思議そうにしながらそれを指摘してきた。


「あれ、ヒスパニアの方じゃ、なかったんですか?」

「……いや、一応そうだけど……、一応ブリタニア語もできるというか……」

「……もしかして僕のこと困らせようなんて思いました?」


 図星を突かれ思わず肩が跳ねた。確かに彼の言う通りだ。戸惑う反応が見たくてヒスパニア語で返したがどうやらこの相手には通じないらしい。ならいっそ無視を続行した方が面白かったのでは? そんなことを考えた己がかっこ悪いと思えてきて、少しだけ目を逸らす。

 そんなこちらの胸中など知らず、ソロモンは俺を窘めるように続けた。


「人を困らせるようなことしたらダメですよ」

「……はいよ」

「では、ギリェルモさん、これからよろしくお願いします」

「……おうよ」


 目の前まで距離を詰めたソロモンが白い手を差し出す。仕方なくそれを握ると、思った以上に冷たい手で内心少々驚いた。それに気づいたらしいソロモンが「僕、体温低いんです」なんて言うのに適当に相槌を打って、そういえばと口を開く。


「名前、ギリェルモじゃないから」

「えっ、そうなんですか!?」

「あぁ」


 一瞬顔を青くするソロモンに、俺は説明を続ける。ギリェルモは確かに俺の名前ではあるが、普段学校で使っているのはウィリアム・キースというブリタニア名だ。こいつがいくらヒスパニア語ができるといっても、呼びやすい名の方がいいだろう。


「……ギリェルモも確かに俺の名前だけど、こっちでの名前はウィリアム・キースっつーんだ」

「ウィリアムさん、ですか」

「あぁ。でも、ウィリアムもビルもそこらじゅうにいるし、ビルキースって呼ばれることもあるから、それでいいぞ」

「ビルキースですか……なんだかフルネームみたいですね」

「だろ」


 彼の言うようにフルネームみたいなこの呼ばれ方は、小学校の時、周囲にやたらとウィリアムやビルが多かったことに由来する。教師が呼び分けのために呼んでいたのだが、個人的には結構気に入っていた。


「なら、ビルキースさんって呼びますね」

「おう」


 特にトラブルもなく無事最初の挨拶を終えた俺は、少しだけ温かな気持ちになっていた気がする。どう見ても俺の態度が問題だったとはいえ、こんなふうに誰かと穏やかに話したのは、果たしていつぶりだったろうか。

――こいつなら、まぁ、話すのも嫌じゃないかもな。

 漠然とそんなことを思ったのだった。

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