第2話 まさか、そんな物理的に

逆巻さかまきか? 羽田も。どうしたんだ? 随分早いな?」


 教室を出ると、担任の久田ひさだ先生に声をかけられた。身体がでかくて、筋肉は引き締まっている。担当科目は歴史。最初はたいてい、体育教師だと間違われるような人だ。


「あー、いや」


 彼から見れば、僕たちは朝早くに学校に来る変わった生徒に映ることだろう。まさか、良からぬことを企んでいるとは夢にも思うまい。


 頭ではそうわかっているが、どうしても羽田が言った「ぶっ壊そう」とか「反乱」とか「学校を占拠」とか、そんな言葉が脳裏によぎる。

 僕はわかりやすく慌てていた。口をパクパクさせるけれど、声は言葉になっていない。


 そんな僕を横目に、羽田がクスリと笑った。


「シズマ!」


 唐突に羽田が叫ぶ。その名称には聞き覚えがあった。「シズマ」はこのゲームのナビゲーター。初回ログインの際にいろいろと説明してくれるが、それっきりで後は関わることのないキャラクターだ。


 そのシズマが僕の目の前に現れた。シズマはプレイヤーともNPCとも異なって、言うなればアンドロイドみたいな見た目をしている。黒色のボディに白い仮面を被っていて、全体に青いラインが光っている。下半身はなく、空中で浮いているのも特徴的だ。


「シズマ! 先生を足止めしておいて!」


「了解」


 シズマの無機質な声が届くのと同時に、僕は再び羽田に腕を引っ張られた。


「お、おい! いったいなんだコレは! ちょっと! 待ちなさい君たち!」


 久田先生が叫ぶのを尻目に、僕たちは全力で廊下を走る。まだ人の少ない校舎を走るのは何だか背徳的だった。


 僕はあまり体力がある方ではない。羽田は陸上部の部員なので、そのペースに付いて行くのは無理があった。すぐに息が荒くなり、走っているのか歩いているのかわからないようなスピードになってしまう。


「あはは、ごめんごめん。飛ばし過ぎた」


 羽田が爽やかに笑う。それを見て許しても良いと思えてしまうことにうんざりする。


「先生は……」


 息を整えながら言うと、羽田が後ろを振り返った。


「さすがに先生も、私たちがどこにいるかもうわからないでしょ」


「そう……だよね」


 大きく深呼吸。……うん、だいぶ落ち着いてきた。ゲームのくせにこういうところまでリアル仕様なのは勘弁願いたい。


「大丈夫? 歩ける?」


「ああ、うん。もう大丈夫」


 そう言うと、羽田は笑ってまた僕の手を引いた。


「こっち来て」


 羽田に連れられたのは上に続く階段だった。今いるのは三階で、この上には教室はない。


「え、どこに行くの?」


「そんなの決まってるでしょ?」


 薄々勘づいてはいた。今のは抗議のつもりだったのだ。三階の上にあるのは、無論屋上だけだ。


「でも、屋上には鍵が」


 生徒に屋上への侵入を許してしまえば、事故が起きかねない。ゲームだが現実を再現したこの世界でも当然、屋上には鍵がかかっている。


「ふっふっふ」


 羽田はわざとらしく笑い声を口にする。そして、


「シズマ!」


 ナビゲーターを呼び出した。階段を上る彼女を追う。

 せっかくだから、と僕は口を開いた。


「ねえ、聞いても良いかな?」


「何? 先生ならもう十分に足止めできたと思うけど」


 いや、そんな心配をしたわけではなくて。


「何で羽田は、シズマを味方に付けられてるの?」


 僕にだってそんなことは無理だ。しかし羽田はケロッとした顔で言う。


「うーん、ちょっとシステムにお邪魔してね」


 まさか、システムに介入してデータの改ざんを行ったとでも言うのか? そんなの僕だって出来やしない。


「嘘だよね?」


「まさか」


 嘘と言ってくれ。

 彼女にそんなことができるなんて信じがたいが、そうだと仮定すると色々と納得はできる。例えばログにない会話をしたり、かけられている制限を無視した行動をしたり。システムに介入したのなら、可能ではある。


「まあ私程度にできるのは、制限を取っ払うことくらいだけどね」


 なるほど。だからNPCでもこの場所まで来れるし、アクセス権限のないシズマも呼び出せると。無茶苦茶だな。


「でも、シズマを呼んでどうする気? 確かシズマにはナビゲーターとしての役割しかないはずだけど」


「あれ? 逆巻くん知らない? シズマはね、とっても力が強いの」


 ……え?


 嫌な予感が浮かぶ。いやまさか。さすがの羽田雫も、そんな無茶なやり方をするわけがない。うん、そうだ。あり得ない。


「シズマ! そこの扉をぶっ壊しちゃって!」


 本当にやりやがった!


「羽田、ストップ。考え直そう。別に屋上に行けなくても――」


 言い終わる前に、シズマの拳が炸裂した。爆音がしたと思えば、外れた扉が屋上を滑走して柵にぶつかる。


 ドン! と鈍い音が響いた。


「あっはは! シズマすごーい!」


 無邪気に笑う羽田雫。悪魔のような笑い声だ。これで見た目は天使なのだから救いがない。


「これはひどい」


 扉の接合部を見て呟く。強引にねじ切られたそれがシズマのパワーを物語っていた。金属の悲鳴が聞こえるようである。


「いざ! 屋上へ!」


 羽田がぴょんと屋上のタイルに飛ぶ。


「逆巻くんも早く!」


「ああ、うん」


 一歩を踏み出すと、日差しが強く当たるのを感じた。


「うーん! 良い天気だ!」


 羽田はルンルンと屋上を駆け回る。さっき走っていたくせに、本当に元気だ。


「いやー、一度だけで良いから屋上に来たかったんだよね!」


 ……まさか。


「ねえ羽田。もしかしてそれだけの理由で扉を壊したの?」


「む」


 羽田が立ち止まり、ほおを膨らませる。


「そんなわけないでしょ? そんな風に思われたなんて心外だよ」


「じゃあ、どんな理由が?」


「学生が悪だくみするなら、屋上が鉄板でしょ?」


 ……オー、クレイジーガール。


 僕が呆れてモノも言えないでいると、羽田は何か思い出したように笑った。


「そう言えば、あの朝もこれくらいの晴れだったよね?」


「あの朝?」


「君が遠足と勘違いした日の」


 ああ、と納得する。高校一年生のある日のことを思い出した。


「まあ、うん」


「ビックリしたよ。いつも朝早くに来るのは私しかいなかったのに」


 羽田雫は変わり者で、誰もいない朝に教室に来るのが好きだったらしい。僕はある日、高校生になって初めての遠足にワクワクして早起きしてしまった。そして早朝の教室で、僕らは出会ったのだ。しかし。


「僕もビックリだったよ。まさか遠足が次の日だったとは」


 そう。僕は勘違いしていた。勘違いで早起きして、教室に向かい、羽田と出会った。


「ふふっ」


 羽田が思い出し笑いをするのを、苦笑して眺める。あまり恥ずかしい過去の話をされたくはない。


 そんなことを思っていると、耳をつんざくような警戒音が辺りに響いた。

 思わず耳をふさぐと、僕たちの目の前にゴミ箱大のロボットが五機現れる。


「あちゃー。忘れてた」


「……僕、初めて見たよ」


 そのロボットたちは、警備プログラムだった。この世界で不正を働いたときに現れる、警察みたいな存在だ。


「『ログ』ニナイ破壊ヲ確認。対象ヲ処分シマス」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る