どうせ、偽物の夏だから

本木蝙蝠

第1話 どうせ、偽物の世界だから

「私と一緒に、世界をぶっ壊そう」


 早朝の教室。せみの鳴き声がうるさい七月。羽田雫はねだしずくはいたって真剣にそう言った。


「……世界を?」


「ぶっ壊そう」


「いやいや」


 僕は顔を下げ、両手を前に出して「少し待ってくれ」と訴える。


 これはおかしい。いや確かに「世界をぶっ壊そう」なんてセリフを高校二年生が言うのはある意味おかしいかもしれないが、それとは違った方向で、おかしかった。   

 こんなことは起こり得ないはずだった。そう、言うなら彼女の言葉は「台本」にないのだ。


 。フルダイブ型過去再現VR世界「リアルファンタズム」。それがこのゲームのタイトルである。このゲームでは、とある一年だけが再現されている。数多くのプレイヤーの記憶を参照して再現されたこの世界は過去そのものに等しく、その一年の中であればいつのことでも体験できる。


「どうしたの?」


 羽田が心配そうに僕の顔をのぞき込んだ。僕はまだ状況がみ込めなくて「いや、なんでも」とだけ口にする。僕は慌てやすい人間なのだ。


 この世界はある程度決まった台本がある。再現する一年のすべての記録を「ログ」としてまとめているのだ。プレイヤーもNPCもそれをなぞる。過去をなぞる。それがこの世界のルールだ。

 それなのにどうして羽田雫はこんな発言をした? 「世界をぶっ壊そう」なんて発言はログにない。言ってはいけないセリフだ。


 僕は顔をあげて羽田の顔を見る。

 綺麗だ、と脈絡もなくそう思った。今まで何度も見た顔だったけれど、やはりいつ見ても綺麗なものは色せない。


「何よ?」


 クスクスと羽田が照れ臭そうに笑う。笑った顔も綺麗だった。彼女が笑うと長い黒髪が揺れる。きめ細かな肌がきらめく。胸元のネックレスがキラリと光る。……ん? 

 あることに気付く。このネックレスを僕は見たことがない。


「もう、あんまりジロジロ見ないで? 照れるじゃない……」


 あ、と思う。これはログにあるセリフだ。もしかしたらさっきのは聞き間違いかもしれない。


「ところで、良いかな? 逆巻くん」


「ん? 何が?」


「一緒に世界をぶっ壊してくれる?」


 あちゃー。聞き間違いじゃなかった。


 一応、NPCはアドリブがきくようにできている。と言うのも、NPCも記憶を基に再現された人間であり、その人格を受け継いでいるのだ。プレイヤーがログにない言動をとった場合「この人物ならこの時こういう行動をとる」と判断して動ける。言ってしまえば、別の可能性を再現することだって可能なのだ。


 しかしこれはあくまで過去を忠実に再現するためのゲーム。だからプレイヤーはログにない行動を制限されているし、NPCもそれは同じだ。


「ごめん。ちょっと大袈裟おおげさだったね」


 羽田が穏やかな笑みを浮かべる。


「大袈裟?」


「うん。世界をぶっ壊そうなんて物騒だよね。でも、ちょっとそんな感じのセリフを言ってみたかったの」


 まあ、羽田雫がそういう人間なのは事実だ。


「そうなんだ」


「だからちゃんと言うね。……私と一緒に反乱を起こそう」


「……だいたい同じ気がするよ、僕は」


 ゆっくりとうなだれる。

 なんで羽田雫はこんな言動ができるんだ? 制限がかかっていないのか?


「具体的に言うとね、私はこの学校を占拠したいと思ってるんだ」


「選挙? 生徒会の?」


 ジトリとした視線を羽田が向ける。


「君の冗談はつまらないね。占拠だよ、占拠。めるり所と書いて占拠」


「いやあ、占拠と言われても」


「方法はまた後で話すとしよう。ほら、もうあまり時間もない」


 羽田が黒板の上にある時計を指さした。午前七時二十分。あと三十分もすれば朝のホームルームが始まる。


 僕と羽田はこの時期、正確に言えば中学二年生の一年間、朝一番に誰もいない教室に来て二人で話をしていた。秘密の逢瀬おうせみたいに聞こえるかもしれないけれど、別に付き合っていたとか、そういうわけではない。ただ何となく一緒にいて、とりとめもない話をしていただけだ。


 この時間が、ずいぶんと好きだったらしい。


「時間がないって、どういう意味?」


「みんなが来たら、計画が実行できないじゃない。計画は秘密裏にしなきゃね」


「計画って……」


 僕は少し呆れていた。


「何よ」


 羽田が不満げに言う。僕はそれを見て、思っていることを言葉にしようとした。


 ――だって、この世界はゲームじゃないか。


 ゲームだから何をしたって現実は変わらない。ゲームはあくまで娯楽であり、ただ一時の非現実を楽しむものだ。そこで何をしたって、無意味じゃないか。


 壊れたゲーム機がフラッシュバックする。小学生の頃、宿題もせずにゲームをしていたら母に壊されたゲーム機だ。あの時の母も似たようなことを言っていた。


 ねえ、羽田。これはゲームなんだ。何をしたって無駄なんだ。そう言いたかった。

 でも、言えなかった。どういうわけか言ってはいけないことなんじゃないかと、そんな風に思った。


「どうしたの?」


 羽田が再び僕の顔を覗き込む。僕はため息を吐いて、

「別に」

 と答えた。


 僕の言葉をどのように捉えたのかはわからないが、羽田は嬉々として立ち上がる。そして席に座る僕に向かって右手を差し出した。


「さあ、行こう」


 季節は夏。今日は夏休み前、最後の登校日。そういう設定だった。この夏さえ、偽物だ。先程まで鮮明に聞こえていたセミの鳴き声が、今は何だか遠くに聞こえる。


 ……息を飲む。


 気付くと僕は彼女の手を取っていた。


「さあ! 早く!」


 羽田雫に引っ張られて教室を出る。

 僕はきっと羽田雫には逆らえない。どうしても彼女を追いかけてしまう。何度も何度もこうしてゲームの世界で話をすることに、嬉しさを覚える。

 僕という人間はきっとそういう風にできている。


 

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