‘’力”無き祈りの‘’力”

 少年はそこまでの話を静かに聞いていた。


 思うところはある。

 目の前にいる男が本当に自分なのか、とか。

 少年の目にいる中年は本当に疲弊しているのだろう、とか。

 彼なりの正義があって、祈りがあって、決断をしてきたのだ、とか。


 それまでの話を少年は静かに聞いていた。

 ただ、勘違いしてはいけない。少年はその言い分に押されたわけでも、恐れたわけでも、ましてや畏れたわけではない。


 そして、下した結論を辿々しくも口にした。


「ーーなんだと?」


 ーーそう言ったからなのか、二度目ははっきりと口にできた。

 少年にとって、たとえ自分を名乗っていようとも、大人の不機嫌さと言うやつは多少恐ろしくあるが、言ってやった。


「いやだ」


 努めてはっきりと相手に聞こえるように。確かに力強い声でそう言ったのだ。


「僕が祈ることは、そんなことのためじゃない」


「……祈り続けることで君自身が不幸になる。それが自分自身の言葉でもそうすると言うのかい?」

その言葉にゆっくりと首を振る。

「あなたは勘違いしてるかもしれないけど、先生から言われたからじゃない。イヤイヤじゃない。

 僕はただ、祈りたいから祈ってる。

 本当に貴方は分からないのか?

 


 その言葉を耳にしたとき、男の頭に‘’‘何か”が一瞬よぎる。

 少年はそのことに気づかない。

 今までほとんど喋らなかったことが嘘のように、堰を切ったように言葉が漏れる。


「僕が許せないのはそこなんだよ。

 勝手に僕がイヤイヤ祈ってるなんて決めつけて、ちょっと脅せば言うこと聞くだろう、なんて意図が見え見えなんだ。

 そして、僕がいつかそんな簡単なことを忘れてしまうなんてことがすごくいやなんだ」


「黙れよ、私」


「黙って聞いていればベラベラと。私が大切なことを忘れただと?

 なんの覚悟も持たないガキが。

 あぁ、そうだろうよ。

 その祈りは純粋だ。

 そうでなくちゃ奇跡なんて起こせるはずもない」

 でも、だからこそ許せないのだ。

 その祈りが歪められ、ついに届かなかったことが。


 しかし、

「僕が祈るのをやめたらどうなるのさ?」

 その言葉に男は顔を上げる。

「僕はーー、あなたは‘’いつか”誰かを助けるんでしょ。じゃあ僕は祈るのをやめたらその誰かはどうなるの?」

 うまい返答が出てこずに、答えをためらったとき、「なぜこうなった」という疑問が脳裏をよぎる。

 もっと簡単に、自分は世の不条理を覆そうとして、過ちを正そうとしただけだというのに。


 その逡巡を見て少年は安堵したように微笑む。

「大丈夫。そのあなたは優しい人だよ」

「え?」

「その亡くなった一人のために、自分の全てを許せなくなる人だよ。

 その祈りは間違いじゃない。

 僕の祈りがどうとか関係ない。

 祈ると言う行為そのものが持つ本当の力は、きっとまだ残ってるはずだよ」

「祈りが持つ力?」

 その言葉に「知らないの?」と言いたげに、呆れたような目を向ける。

「祈るって言うのは、本当に誰かのこと思ったときにするものなんだよ。

 だから、本当に祈っているときは何かの‘’不思議”が起こるんだって先生が言ってた」


 振り返ってみれば思い出す。

 最初に先生に会ったときにそんなことを言っていたのだ。


「だから、祈りたくなくなったのならすぐにやめな」


 本当に寄宿舎の寮長とは思えないような不敬な言葉。

(嗚呼、そうか……)

 それでもやめずに続けた少年なのだ。

 あんなにも怖いシスターに言われてやめなかったと言うのに、今更自分自身に言われた程度で辞めるはずがないではないか。


 そして、気づく。

 いま、ここで祈るのをやめた程度で、果たして本当に彼の祈りは力を失わずに済むのだろうか。

 祈りという結果ではなく、その心を尊重しているというのであれば、きっと……


「教えるつもりが教えられたか……」


 その言葉を耳にして、少年の前から男は消えた。



 ※


 数十年後のことである。

 地下牢に幽閉され、四肢は鎖で繋がれ、食事すら制限されるという徹底ぶり。

 かつては公高名な魔導師として名を馳せた彼だったが、男はをその手にかけようとして幽閉されている。


「帰ってきましたか」

「お前か、聖人。に刺された傷はいいのか?」

「少し、どこかへ言っているように思えたので」

「ちょっと昔にな」

 彼は罪人と堕ちたといえどその腕は健在である。いかに身体を拘束されて、衰弱していようとも、自分の意識を過去に飛ばす程度の魔法は朝飯前だ。

「歴史はうまく変えられなかったようですね」

「全く、お前は手強かったよ」

 彼が少年に話した言葉は概ね間違えてない。

 彼の祈りが多くの人々を救い、結果として世を乱し、それを憂いた一人の男が何とかしようとして、囚われることになった。

 しかし、少年の目の前に現れた男は「未来の自分」などではなかった。


「これから死ぬ、私を笑いに来たのか?」

「まさか、私も尽力したが君の極刑はどうしても回避できそうにない。

 君が言った通りだったよ」

「だか、そこまでは予言出来ていたのに、結局何もできなかった。

 あぁ、いや一つ言付けがあったな」

 興味深そうに「ほう」と身を乗り出す。

「お前の祈りは間違えていないそうだ」

「それは光栄だな」

 そう、最初から最後まで間違えていたのは男だけだった。


「だか、君だって間違えてはいない」

「世を憂いて、できるだけ少ない犠牲で済むようにくれたのではないのかな。

 だって、本当に殺すつもりだったなら、刃物なんかで刺すよりも、もっと適した魔法があったのではないかね」

 そう、男に目の前の聖人を殺すつもりなど端からなかった。

 無自覚に目の前の聖人に頼りきっていた民衆に衝撃を与えるための行動のみであった。

 その後に、世が修正された兆しが見えなかったために、意識を過去に飛ばす魔法に頼ったのだ。


「君の行動は褒められたものではないのだろう。

 だがしかし、誰が君のことを間違いだと叫んでも、私だけは正しいんだと叫ぼう。

 君という人間の勇気ある行動が糾弾されることなどあってならならないのだ」

 そう言って、身に纏った豪奢な天鵞絨で織られた装束を引きちぎるようにして脱ぎ捨てた。

「言ったはずだ。私はそんなことのために祈ったのではない」

 そう言って見せたニカリとした笑顔は、とても聖人のそれには見えなかった。

「お前……」

「友を守れない身分に、友の見捨て守る称号に、友を犠牲にする祈りに何の意味がある。

 祈りとは、そんなことのためのものではないのだ。

 そうは思わんかな


 祈りとは、ほんと相手をことを想った時にするものである。

 故に、その願いが届くのは神様ではなく、きっと誰かなのだろう。


「さて、逃げようかね。友よ」

「仕方がないな。友よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祈りの価値 あらゆらい @martha810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ