第55話 ▼現実
暗闇に落ちていた意識が浮上する。
「ここは……」
顔を上げてすぐに重厚な鉄格子が目に入った。
目の前には鈍い色をした堅固な格子。取り囲むのは古く寂れた石造りの壁。その様子から察するにどうやらここは城の地下牢のようだった。
レイズは酷く困惑し混乱していた。
またしても目の前に現れた食い逃げ犯の男を追い、地下の水路のような所へと入っていくと、その先には何かの研究施設のようなものが存在した。
そこでは囚人が拘束され、白衣を纏った者達が、囚人が炎に焼かれる様子を観察していた。
堪らずその場へと飛び出して、白衣の者達を問い詰めた所で、国王の紋章を携えた国王直属の騎士部隊がやって来て……レイズの意識はそこで途絶えた。
どうしてあんな場所に国王軍が……
ぐるぐると先程見た光景が頭の中で回り、疑問が更に疑問を生んでいく。
「あーあ、捕まってるのか」
そこにまたしても聞きたくもない声が響いた。
その声に地に落としていた視線を上げれば、そこにはやはりあの食い逃げ犯の姿があった。
「……何しに来た?」
「何って、そりゃあ負け犬の顔を拝みにだよ」
「……ほんといい趣味してるな、アンタ」
「それはどうも」
悪態を吐くレイズに対し、男は肩をすくめてみせる。
「そのざま、父親とは大違いだな」
「……俺はあの人とは違う」
男の言葉にレイズは深く項垂れた。
英雄と謳われた父親に憧れ、国に忠誠を誓って軍人になった。
しかし、いくら同じ舞台に立った所で所詮自分は彼の足元にすら及ばない。
そんな事など初めから分かっていた筈だった。
“期待外れ”
“負け犬”
“お前は本当に英雄の息子なのか”
そんな言葉は何度も聞いた。何度も何度も聞かされた。
その度に劣等感や罪悪感に苛まれて。
悔しさや惨めさを必死に必死に押し殺して。
“父親とは大違いだ”
この男の言葉もそう、まるで狙い済ましたかのようにいつも的を射ていたのだ。
まるで押し殺した心を見透かすかのように。
自分には誰かや何かを守る力なんて無い。
誇れるものすら何も無く、何一つ持ち得ない自分はずっと、ずっと弱いままで。
結局自分はあの頃から何一つ変わってなどいない。
両親を殺され、抜けないフレイを抱いたまま一人泣いていたあの頃と。
「そうやっていつまでもフレイから逃げた所でどうなる?」
静寂が満ちる空間に男の言葉が静かに響く。
「そうやって過去を引き摺って、いつまでもフレイと向き合えずにいるから、そんなしけた面が張り付いて取れなくなったんじゃないのかよ?」
「………」
「はぁー……」
男は盛大にため息を吐いた。
そして、目線を合わせるかのように両膝を折って語り掛ける。
「地下にあったあの場所、なんだと思う?」
投げ掛けられたその問いにレイズは僅かに地に落とした視線を上げた。
「あれは研究施設だよ」
「研究施設……?」
「そう。そしてあそこで研究してるのは、主に『覚醒』と『フレイ』に関しての研究だ」
「覚醒とフレイ……?何故そんな事を……?」
「そんなの決まってるだろ?」
それらに関する研究のその真の目的は――
「『フレイを扱えるようにする為』だ」
「…………は?」
この男は今、なんと言った?
“フレイを扱えるようにする為”……?
「どういう事だ?意味が分からない……」
「どういう事も何も、言葉の通りだよ」
男は平然とそう口にしたが、それではまるで答えになっていない。
それではまるで――陛下がフレイを使えないかのようではないか――
「数年前、フレイは国王を持ち主として選んだと言ったが、何故突然そんな事が起きたと思う?」
「それは……」
「おかしいとは思わないか?国がフレイを徴収したのはロイが死んだ直後の筈。その間ずっと持ち主を選ばず、誰にも抜けすらしなかった剣が、何故今になって急に国王を持ち主として選んだんだって」
「………」
男の問いに思わず言葉に詰まってしまう。
確かに……当時はそれ程疑問には思わなかったが、改めて指摘されてみれば確かに、おかしな点があると言える。
「まあ簡潔に結論から言ってしまえばだな」
そう一つ前置きを入れて。
次の瞬間、男は信じられない言葉を口にする。
「“フレイは国王を持ち主として選んだ訳じゃない”。“国王自身ががフレイを扱えるようになった”んだよ」
つまり――
「この国の国王は超ド級のチート野郎。あたかもフレイの所持者であるかのように振る舞うイカサマぺてん師って訳だ」
***
平然と告げられたその言葉。
頭が酷く混乱している。
“フレイは国王を持ち主として選んだ訳じゃない。国王自身がフレイを扱えるようになった”……?
一体、何を言って……まるで意味が分からない。
「……い、意味がわからねぇよ!?」
「分からないって何が?」
「全てだよ!だいたい研究も何も、現に陛下はフレイを扱えてるじゃないか!?」
レイズは堪らず声を荒げて反論した。
そんな事などとても信じられない。
こんな得体の知れない男の言葉など嘘偽りに決まっている。
「陛下はフレイに選ばれたんだ!」
「選ばれてねぇよ」
「何故そんな事がお前に分かる!?」
「そんなもん、見れば分かるさ」
そこまで淡々と口にして。
「あー……そうだったな」
男ははっとした顔をしてそれから困ったように頭を掻く。
「お前、ロイがフレイを振るう姿を実際には見た事がないんだったな」
「それが一体何だって言うんだ?」
「まあ確かに、俺も最初はまさかと思ったしな。けど、あの地下施設に迷い込んでそのまさかも確信に変わったよ」
男は一人そう口を零した。
けれども、そんな男とは裏腹にレイズにはまるで何一つ納得がいかない。
「一体どういう事なんだよ!?分かるように説明しろ!!」
「はぁー……だーかーらーっ」
あからさまなため息を盛大に吐いて。
男は大声でそれを叫ぶ。
「物凄ーく解り易く噛み砕いて言うとだな、国王はフレイの真の持ち主じゃない。国王があんな風にフレイを扱えるのは、高等魔法術による魔法の力なんだっての!そして、その魔法術に関する研究をやってるのが地下の研究所なんだっての!!」
つまり――
「魔法の発動によって国王は今フレイを抜けるし使ってんだよ!!」
「は……?魔法……?」
「ゼイスでの暴動鎮圧の時、国王がフレイを振るった瞬間『黒い円』が確かに見えた。あれは恐らく他の魔法の発動によるものだ。そしてそれと同時に『赤い光』が微かにだが併発していた」
――それが自分が考えるうる“前兆”であるとするならば、尚の事。
「本来ならば、フレイにはあんな光は現れない。あれは間違いなく、他の魔法の発動によるものだ」
しかしながら、その魔法に関していうならば。
「正直俺にもそれ自体の詳細は分からない。だが国王の様子とフレイの様子。そして地下に在った魔法陣の複雑奇怪な形状から推測するに、その魔法とは恐らく、強い『錯覚作用』を齎す高等な術である可能性が非常に高い」
男によって述べられた根拠。証拠。
陛下がフレイを扱えるのは魔法を使用した錯覚によるもの……?
「……そんな、馬鹿な」
あり得ない。そんな事、とても信じられない。
「まあとはいえだ、実際にそれをやってのけるには身体にも精神にも相当の負荷と負担が掛かる。それに“フレイを騙す”程の魔法ならばそれ相応、発動には相当な『魔力』が必要だ――さて、突然だがここでクエスチョン!」
言って男は楽し気に手を叩く。
「物凄く便利な魔法を使って、まったくその気の無いフレイを自在に使う事が出来るようになったとしよう。しかし、それには他の魔法による補助が必要でその発動には大量の魔力が必要だとする。そしてそれは国王一人ではとてもまかない切れない。
さてここで問題!ならばその必要不可欠である大量の魔力は一体どうしているのでしょーか?」
「そんな事、俺に分かる訳が……」
「その答えはズバリ!足りないのなら補えばいい!」
「補う?そんなの、どうやって……」
コホンと一つ咳払いをし、男はスッと居住まいを正す。
「そもそも『魔力』というものはだな、一見、魔法が使える人間にしか備わっていないかのように思われがちだが、だが実際はそうじゃない。魔力というものは誰にでも備わっていて、実は誰もが持っているものなんだよ」
それを踏まえた上で、だ。
「第2問。一体どこからならそんな大量の魔力を補う事が出来るでしょーか?」
必死に頭を働かせ必死に答えを考えてみる。
しかし、混乱し切った頭では全く答えを導き出せない。
「なに、簡単な話だろ?」
そんな様子を見兼ねてなのか、男は早々にほとんど答えともいえるヒントを口にする。
「最大ヒントは俺とお前がさっきまで居た場所のまさに真上。そして、地下でお前が目撃した『任意属性への強制的覚醒措置』の実験の対象」
「……!……まさか」
「その通り!」
「魔力の供給源はズバリ、“収監されてる囚人”だ」
***
「別にあり得なくはない話だろ?」
言って男は不敵な笑みを浮かべてみせる。
罪人が収監される収容所ならば外部からは完全に隔離され、たとえ中で何が行われていようとも外部の者には感知出来ない。
それに加え、法は代わり刑は引き上げられ、食い逃げから戦争捕虜に至るまで全ての罪人が王都の収容所に収監される。
事欠く心配など必要皆無。
実験の被験者、及び魔力の供給源である囚人は黙っていてもどんどんと補間されていく。
「これ以上ない理想的な空間だろ?」
「そんな……あり得ない……」
衝撃に打ちのめされ言葉が上手く出て来ない。
「まあ、信じられない信じたくないって気持ちも分からなくもないが、だが、地下にあれだけの研究所を作った挙句、そんなシステムを構築出来るのは相当金と権力が有る人物だ。それに加え、地下に駆け付けたのが国王直属の騎士部隊と来ればもうこれ以上ない」
もはや国王の関与は明白。疑いの余地はありはしない。
「これが真実であり、これがお前の言う――」
「“現実”だよ」
突き付けられた“現実”。
耳を疑わずにはいられなかった。
「地下でお前が目撃したのは、まあ簡単に言ってしまえば、“自分が望んだ属性に強制的に身体を覚醒させる実験”だ。フレイは炎の剣。扱う為には炎の属性が必要不可欠だと思ったんだろうな。……まあ分からなくはない推論だよ」
陛下がフレイを扱う為に囚人を使って実験を繰り返し、尚且つ足りない魔力を囚人を使って補っていた……?
「どうして……一体何故そこまでして……」
「そりゃ、あの剣にはそれだけの“価値”があるって事だよ」
愕然と崩れ落ちるレイズ。
もはや何を信じていいのか分からなかった。
しかし、“囚人”というそのワードに思わずはっと気付いてしまう。
「……ランク」
「ランク?」
「ランクは!?ランクはどうなるんだ!?」
「おいおい、急にどうしたんだよ?」
突然慌て始めるレイズを前にして男は訝しげに首を傾げる。
レイズは早口に彼が同僚であり、突然拘束された事実を告げた。
「ほう。罪状は?」
「敵に対する逃亡補助……けど、相手は確かに無抵抗の子供だったんだ」
「不当な拘束、か。……これはいよいよヤバいのかもしれないな」
そう静かに口にして。
男は改めてレイズの方へと視線を向ける。
「そのランクってのは恐らく炎属性を持つオレンジの髪の軍人だろ?」
「何故それを……」
「ゼイスで見掛けたんだよ。それにしても、これはほんとにいよいよだな。どうやらイカサマ国王陛下は余程余裕が無いとみえる」
「どういう事だ……?」
「『魔力』とは誰しもに備わっているものだとさっき説明したが、それには勿論個人差がある。そして、魔法を使える人間に関していえば、使えない人間と比べてその保持率が高いという傾向があるんだ」
つまり、魔法を使える人間は常人と比べ保有する魔力値が圧倒的に高いのである。
「だからそのランクって奴を不当に拘束したのだとしたら……」
「………っ」
「今頃はあの地下研究所。……だったりしてな」
「そんな……」
絶望が目の前を覆う。
しかし、事態はこれに留まりはしなかった。
「限界まで魔力を吸い付くされた人間がどうなるか知ってるか?」
「え……?」
「魔力=魔法を使う為の力。それでも勿論、捉え方としては間違っちゃいないが、けど実際はそんなに単純なものじゃないんだ」
魔法然り、覚醒や属性と並んで『魔力』という目に見えないその力もまた、人体に影響を与え神経と密接に関係し合っている。それであるが故に。
「全ての魔力を失った人間は死ぬ」
「死……ぬ……」
「まあそんな訳だから――そのランクって奴の命運も全ては陛下の気分次第。
運が良ければ生き延びられるし、運が悪ければ、恐らく――死ぬだろうな」
一瞬にして目の前が真っ暗になる。
男の言葉にレイズは完全に言葉を失った。
***
現実とは時に残酷なものである。
重い静寂に支配された地下牢。
突き付けられた現実を前にレイズは愕然と項垂れた。
無理も無い話である。
今まで見ていた物の全てが、信じていた物の全てがまやかし、錯覚によるうそ偽りだったのだ。その結末が同僚の死とあってはあまりに酷としか言いようがない。
力なく崩れ落ちたロイの息子、レイズ・ローゼル。
彼の様子を前にしてさすがに同情の念が湧く。
やはり真実を告げるべきではなかったのかもしれない。
ある程度予想はしていた筈だったが、この様子ではとても現実を受け止める事は出来そうにはない。
やはり、ここは素直に『プランD』に移行するのが懸命か。
静かに様子を見守っていた男だったが、自身の中で判断を下しその場を立ち去ろうとした。
「……おい、食い逃げ犯」
唐突に声が掛けられる。
突然発せられたその一言に思わず浮かせた掛けた足を止めた。
そういえば、すっかり名乗りそびれていた事を今更ながらに思い出す。
しかし、そうは言ってもいくらなんでも。正直その呼び方はどうなのかと思うのだが。
あれは逃げたくて逃げたのではない。
たまたま持ち合わせが少なかった……いや、この国の相場がそもそも近隣諸国に比べて明らかにおかしいのである。
「あのなー……その人の事を食い逃げ犯って呼ぶのは正直どうかと思わないのか?」
「俺を此処から出せ」
「は?」
思いも寄らないその言葉に男はきょとんとして聞き返す。
「聞こえただろ。俺を此処から出せって言ってるんだ」
「此処から出てどうする気だ?」
「決まってるだろ」
言ってレイズは顔を上げた。
その瞬間、男は思わず目を見張る。
僅かな灯りに照らされた深々とした碧い瞳。
その碧眼に懐かしい日の面影を見る。
覚悟を映したロイと同じ眼。
今までくすんでいたその瞳に決意のようなものが宿ったのを確かに感じた。
『ランクを助ける』
レイズの口から告げられた言葉。
微塵の迷いも感じさせない揺るぎない覚悟をその眼に見た。
やはりな。
望んだ通りのその答え。
やはりそう来なくては。
「分かってるのか?脱獄は重罪だろ?おまけに俺のような卑しい食い逃げ犯の手を借りたとあっちゃ、本当に処刑も免れないぞ?」
「どのみち此処にいたって秘密を知った俺を生かしては置かないさ。それに……ランクを見殺しには出来ない」
「そうか」
レイズのその言葉を聞いて男はにっと口端を吊り上げる。
「俺はアレン・ヴァンドール。もう食い逃げ犯と呼ぶなよ?」
アレン・ヴァンドール。
奇妙な男はそう名乗り、そしてこう口にした。
「手を貸そう、レイズ・ローゼル。ただし、これは貸しだぞ?」
深海を思わせる静寂の中、アレンは固く閉ざされた牢を開ける。
プランの移行には時期尚早。
魅せて貰おうか。
英雄の息子のその覚悟を――
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