第54話 ▼その男は再び
後日、軍本部内の食堂――
「いっただきまーす!」
「いただきます」
テーブルに置かれたスープから柔らかな湯気が立ち上る。
レイズは同僚であるスタットと共に本部内にある食堂にて昼食を取っていた。
昼時ともなれば人数も多く、食堂内は混み合っている。普段の仕事とは違い、中は和気あいあいと雑談を交わす兵士達で溢れていた。
「それにしてもこの間捕まえたあの食い逃げ犯、ほんとおかしな奴だったよなー」
トレーに盛られた昼食を幸せそうに頬張りながら、スタットは唐突にそんな話を持ち出して来る。
「やたら逃げ足は早いし、なんか妙にへらへらしてるし。それに加えて逃げたと思ったらまさかゼイスの戦場のど真ん中にいるんだもんな」
「そうだな」
思い返すようにそう言ってスタットは手にしたスプーンをくるくると回す。
しかし、そんなスタットの話をレイズは軽く受け流した。その男の話を今は聞きたくなかったのである。
「例のおかしな食い逃げ犯の話?」
そこにレイズの同僚であり、また幼馴染でもあるリリ・ナインがやってきた。彼女は手にしたトレーを置いて、レイズの向かいの席へと腰を下ろす。
「怪我はもういいのか?」
「ええ、もう平気よ」
尋ねたレイズにリリはコクリと頷いてみせる。
ゼイスでの暴動鎮圧の際、リリは暴動部隊の襲撃を受け負傷したと話に聞いていた。
「ゼイスの暴動鎮圧はほんと酷かったよな……」
レイズの心配をよそに平然と答えたリリ。そんなリリの姿を見てスタットがぼそりと口を零す。
「元はワンスモール領とはいえ、今は同じ国民同士。それなのに殺し合うとか、ほんと嫌になるぜ……」
「嫌なら辞めれば?」
ため息を吐いたスタットにリリはぴしゃりと切り返す。
一見冷たい言い方だが、それは間違い無く正論である。
血を流し、人を殺める事を躊躇うのならば、それはきっと軍人には向かない。優しさは時として殺さなければ、何も守れはしないのだから。
「バカ言うな!辞めるなんて選択肢、俺にはないね!俺は国に忠誠を誓った勇猛果敢たる兵士!そして将来は栄光輝く“騎士”になる男だぞ!」
「はいはい、分かった分かった」
スタットはすぐさまリリに反論を呈した。そして、反論ついでに自身の輝かしい将来についても彼女に熱く語ってみせる。しかし、そんな夢見るスタットをリリは軽くあしらったのだった。
「おいっ大変だぞ!」
そんな時、食堂にバタバタと騒がしい足音が駆け込んで来た。
現れたのは慌てた様子のレイズ達の同僚。彼はレイズ達を見付けるなり、早口にまくし立てた。
「ランク・ナインが拘束された!」
「なんだって!?」
彼のその言葉を聞いてレイズは思わず席から立ち上がる。
「どういう事だ!?なんでランクが拘束されたんだ!?」
「何でもゼイスでの暴動鎮圧の際、ランクが敵の逃亡を補助したって……」
「敵の逃亡……」
それを聞いたレイズの頭にゼイスでのランクの姿が浮かぶ。まさかそれは、兵士に狙撃されようとしていた子供を助けた事を言っているのか?
「敵って……相手は子供だった筈だろ!?」
「お、俺はそう聞いたんだよっ」
戸惑いながら述べられた言葉にレイズはすぐさま反論を返す。そして同僚の兵士へと掴み掛からんばかりの剣幕で迫った。
「ランクは今どこにいるんだ!?」
「今は王都の収容所に収容されているらしいけど……」
レイズのあまりの剣幕にたじろぎながらも彼はそのまま話を続けた。
「戦場で子供を逃した事が罪に問われた……?そんな事あるのかよ……?」
突然の事態にスタットは動揺を隠し切れていない。
確かにゼイスから帰還してから一度もランクの姿を見ていない。不思議には思っていたが、まさか拘束されていただなんで。
「どうしてランクが……」
一連の話を聞いたリリが困惑した様子で立ち尽くしている。
「……とにかく収容所へ行ってみよう」
2人が愕然と立ち尽くす中、レイズはなんとか言葉を絞り出す。
しかし、冷静を装ったレイズもまた酷く困惑し動揺していたのだった。
***
「今は立ち入りが制限されている」
収容所の入り口に立つ兵はただ淡々とそれを繰り返した。
同僚の知らせを受けてからすぐにレイズ達はランクが収容されているという王都収容所へ向かった。しかし、足早に中へと入ろうとしたレイズ達を入り口に立つ兵士が制止する。
収容されているランク・ナインへの面会。
そう言って要件を伝えはしたが、兵士の答えは変わらなかった。
「今は立ち入りが制限されている。即刻この場から立ち去れ」
何度も食い下がってはみたものの、取りつく島すらない現状。
結局レイズ達は、ランクに面会する事は出来ず、収容所の入り口で門前払いを喰らってしまったのだった。
「リリ、大丈夫か?」
「ええ……」
俯くリリにそう言葉を掛ける。
僅かに顔を上げそれに答えた彼女だったが、とてもそうは見えなかった。
収容所を後にしたのち、復帰したばかりのリリの身体を気遣い、レイズとスタットは彼女を兵舎の前まで送った。そこでリリとは別れ、スタットもまた自身の仕事へと戻っていった。
一人兵舎の前で取り残されたレイズ。
ランクの拘束。その事実が重くのしかかって来る。
一体どうしてこんな事に……
繰り返されるその疑問に答えてくれる者など誰もいない。
どうする事も出来ない悔しさ前にグッと拳を握り締めた。
「可愛いコだな、彼女か?」
そんな折、背後から思いも寄らない声が響いた。聞き覚えのあるその声にレイズは驚き振り返る。
「よっ!また会ったな、ロイの息子」
「お前は……っどうしてこんな所に!?」
振り返った先にあったのは数日前、ゼイスで捕らえ確かに牢に入れた筈の例の食い逃げ犯の姿だった。
「どうやって牢から出た!?」
「どうって、そりゃあ正面の門から堂々とね」
「バカ言え、そんな事出来る筈ないだろ」
「なに、そんなに難しくはなかったよ。牢屋から出る事自体はな」
驚きを隠せないレイズを前にして男は得意げにそう答える。
「こんな所で一体何をしている?」
「何って、そんなの決まってるだろ?俺は今脱獄脱走の真っ最中。その途中でしょぼくれた金髪を見掛けたから、ついでにそのいじけた顔でも拝んでおこうと思ったんだよ」
「なんだとっ」
まるで嘲るような男の物言い。
レイズは腰に差した剣を掴み、その矛先を男へと向ける。
しかし、そんなレイズの行動にも男は全く動じる事はなかった。
この男は一体何なんだ。
本当に何がしたいのか分からない。
目的は一体何だ?
何故、何度となく自分の目の前に現れる?
「さて、良いものも見れたし、俺はこれで失礼させて貰うかな」
言って男はくるりと踵を返し走り出た。
「待て!」
レイズもまた再び目の前に現れたその男の後を追い走り出す。まさかの展開。三度目の逃走劇幕が上がった。
何度と無く振るう白刃は掠りすらせず交わされる。
三度目の逃亡を図った男はまるで嘲笑うかのような身軽な動作でレイズの追跡を翻弄し続けた。
やがて男は水路の入り口のような所へと吸い込まれるようにして走り込んでいく。
その跡を追い、レイズもまた暗い水路の入り口へと男を追って踏み込んだ。
傍で流れる水の音と異なる靴音が反響する中、長く入り組んだ通路を抜けて辿り着いたその先。
その場所でレイズは大きく目を見開く。
暗い水路を抜けた先は急に開けた空間になっていた。
無機質で異様なその空間。
その場所には、見た事もない何かの装置のような物が所狭しと置かれている。
「何なんだ、ここは……?」
突然目の前に現れたその光景を前にしてレイズは驚きを隠せない。
王都の地下にこんな施設があったとは……
あまりに唐突な展開にレイズはしばし呆気に取られた。
だが、すぐに彼は自身の目的を思い出す。辺りに警戒を払いながら、レイズは注意深く逃げた男の姿を探した。
チカチカと点滅する怪しい光の中、奥へ奥へと足を進める。
不気味な静けさに包まれたこの空間がなんとも気味の悪い場所に思えてならなかった。
歩みを進めたその先で、聞こえた音に足を止める。
向けた視線のその先には蠢く無数の人影があった。
レイズは物陰へと身を潜め、その様子を注意深く伺う。
そこにはいたのは白衣を纏った男女が数人。
彼らの中心には手枷に繋がれ拘束された短髪の男。服装からするに、どうやら彼は囚人であると思われた。その囚人の周りを取り囲み、白衣を纏った者達が口々に何かを話している。
「一体何をしているんだ……?」
レイズは息を潜めたままその様子を注視した。
重厚な音を立てて傍らに置かれた装置の一つが稼動を始めた。やがて周囲に置かれた装置類が一斉に稼働をし始める。それを合図にしたかのように白衣の者達は後ろへと下がり、もがく囚人から距離を取った。
刹那、床に描かれた魔法陣が突然赤い光を放ち始める。
それに連動するかのようにして、囚人の身体もまた悲鳴と共に赤い光に包まれていく。
途端、囚人の身体から炎が上がった。
彼は拘束されたまま炎に焼かれ、熱さにもがき苦しみ暴れ出す。
彼を取り囲む白衣の者達はただその様子を観察し、手にしたファイルに何かを黙々と書き込んでいる。
燃え盛る炎の中、囚人の身体は焼かれ続けやがてその悲鳴も聞こえなくなった。そのままその囚人は生き絶えたのだった。
「失敗か」
動かなくなった彼を見て白衣の者はため息を吐く。
「やはりこの研究に関してはまだまだ改良が必要ですね」
白衣の者は淡々とそう口にすると、まるで興味を無くしたかのように生き絶えた囚人を一瞥する。
「処分しておいてください。どうせ他の連中も使い物にはならないでしょう」
「他の方に回しておいてください」傍にいた者にそう指示を出すと、彼はすぐに踵を返しその場から立ち去ろうとした。
そんな一連の光景を目の当たりして。
レイズは堪らず物陰から飛び出した。
「止まれ!!」
立ち去ろうとする男に対し制止するよう叫ぶ。
突然物陰から現れたレイズを見て、白衣を纏った者達は一斉に驚いた顔をこちらへと向けた。レイズの制止に振り返った男もまた、驚いた表情をこちらに向ける。
「帝国軍人ですか、何故こんな所に?」
眼鏡を掛けたその男。
彼はレイズの姿を目の当たりにし、おおいに首を傾げている。
「さっきの囚人に一体何をした!?」
「まさか入り込んで来る者がいるとは。少々厄介な事になりましたね」
「質問に答えろ!お前らは一体なんだ!?」
声を荒げたレイズとはまるで対照的。眼鏡の男はまるでレイズの問いなど聞こえていないかのようにひたすらに首を傾げ続ける。
遠くから無数の足音が近付いて来た。
その音と共に複数の影がその空間へと駆け込んで来る。
そこに現れた者達を見て、レイズは我が目を疑った。
白銀に輝く高価な鎧。その身に纏うサーコート。
その群青色に刻まれた堂々たる獅子の紋章――国王軍の印。
その場に駆け付けたのは国王の側近、国王直属の騎士部隊だった。
「帝国騎士!?どうして陛下直属の部隊がここに!?」
彼らの姿を見たレイズは完全に動揺した。
その一瞬が命取りとなった。
ゴツッと鈍い音を立てて背中に重い衝撃が走る。駆け付け騎士に注意を取られ、一瞬気を散したレイズの背中に背後からの殴打が直撃した。レイズはそのまま床へと力なく崩れ落ちる。
歪む紋章をその目に焼き付け、レイズの意識はそこで途絶えた。
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