第6話 不吉の予兆

 紺色に染まった海。冴えた月の白い光がゆらゆらと波間を照らしている。

 日が落ちて迎えた夜。クロート号は目的地に到着した。

 名前はペア。小さな孤島。その島にある唯一の小さな港町である。寄港の目的は航海用の物資の調達だ。

 船が停泊すると、乗組員達は下船の準備に取り掛かった。

 この船では船がどこかに寄港した際、乗降は各々自由らしい。ラックは船が寄港の際は大抵は陸地に降りるらしいのだが、この日は船から降りなかった。

 そんなラックの様子を見て。また今朝の彼の言葉が妙に気に掛かっている事もあって。

 好奇心は勿論あったものの、私もまたラックに習い陸地を目の前にして上陸を断念。ラックと共に船に残る事を決めた。

 暗い夜の町並みに灯された淡い光が揺れている。私は船に残ったラックと共に、港へと降りて行くアレン達を甲板から見送った。

 


 それから小一時間ほど経った頃――

 


 早々に乗組員達は船へと戻って来た。降りてからまだそれ程時間は経っていない。

 随分と早いな。

 そんな事を思いながら戻って来た彼らを見れば、乗組員達は皆一様に肩を落とした様子で甲板へと上がって来る。

 揺れる茶髪が目に止まった。

 疲れた様子の乗組員達の中にやたらと目立つ長髪を携えたアレン船長の姿を見つける。

 


(あれ?なんか怒ってる?)

 


 見れば、港から戻って来たアレンは何故だかかなりご立腹の様子。

 不機嫌丸出しで船で待機していた船員達に向かい何やら怒鳴り散らしている。一体何事だろうか?

 


「どうかしたの?」

 


 さっきまで隣で話していたラックがアレンと共に港から戻って来た乗組員を捕まえて尋ねる。

 


「どうしたもこうしたもない。

 食料は調達出来たんだが“また”酒が売り切れだったんだよ」

 


 尋ねたラックに対し、彼はうんざりしたように口を零した。

 


「やれやれ、またか……」

「また?」

 


 不審に思い尋ねればラックは深くため息を吐く。

 


「最近どういう訳がずっとこんな調子なんだよね。“ついてない”というか、なんというか……」

「そうなんだ?」

 


 そうこうしているうちに号令が掛り、船はゆっくりと沖へと滑り出す。

 到着してから約一時間弱。クロート号は早々にペアの港を出港した。

 


 


 ***

 


 


『最近ついてない事ばかり起こる』

 


 それがラックの言っていた言葉の真意だった。

 聞けばここ最近、何故だか行く先々で運に恵まれずに、所謂ついてない事ばかりが起こるのだというのだ。

“物資の調達が上手くいかない”。

 というより、大人にとっての嗜好品。そして彼らにとっての必需品である“酒”が“何故だか手に入らならい”というのがそのついてない事に当たるらしい。

 未成年である為飲めない私からすれば、そんな事が?と思わずにはいられないのだが、アレンが不機嫌だったのはそのせいであるとラックに聞かされた。

 


「だだの偶然なんじゃないのかな?」

「……だといいんだけどね」

 


 一連の話を聞いた私がそう尋ねれば、ラックは複雑な顔をして言葉を濁した。

 不安げなラックの言葉。

 確かについてない事ばかりが連続して起これば誰だって気が滅入ってしまうだろうが、そこまで深刻な事なのだろうか?……と正直思ってしまう。

 悪い事は重なるものだとよくいうし、今回の事だってきっとそう、たまたま偶然が重なっただけなのではないのだろうか?

 


「けどまあ、次の港では船長は何やら野暮用があるらしいからね。きっとハルも降りられると思うよ」

「ほんと!」

「うん」

 


 深く思案しかけたが、その言葉に目の前がぱっと明るくなる。

 次は港に降りられる。今度こそ、この異世界の情報収集を。もとい元の世界に帰る方法を、その為の手掛かりを探そう!

 


「その時は俺も手伝うよ。

 ハル一人じゃ分からない事も色々とあると思うしね」

「ほんとに!?」

「勿論だよ」

「ラック……」

 


 なんて……どこまで良い人なんだ。

 人柄の滲んだその笑顔に思わず感極まってしまう。ラックの笑顔が一際輝いて見えた。やばい、なんか泣きそうだ。

 


「それに色々と心配な事もあるしね」

「心配な事?」

 


 聞き返せばラックは頷く。

 


「嫌な予感がするんだよね」

 


 そう口にしたラックの表情は再び険しいものに戻っていた。

“嫌な予感”とは時として恐いくらいに当たるものである。

 不吉な予感。不吉の予兆。

 この時、事態は静かに、しかし確実に動き始めていたのだった。

 


 


 ***

 


(※アレン視点)

 


 青白い月の光が差し込む室内。

 燈されたランプの淡い光に照らし出されたのは一枚の古ぼけた地図。

 その地図の置かれた机に向かい海賊船クロート号の船長であるアレン・ヴァンドールは複雑な表情を浮かべていた。

 


 この地図は先日ある所から苦労して拝借して来た代物である。

 これをこうして眺めるのは一体何度目になるだろうか。

 何度も何度も開いては見返した。

 だが、たとえ何度見返したところで一向に解決の糸口は見えない。

 


「全く、厄介だな……」

 


 ぼやいた口に手にした酒をひたすら運ぶ。

 


「なんて厄介な代物なんだ」

 


 本来ならば、ある一つの場所を示す筈の物が全くその役割を果たしていない。

 古い物のせいか、今の地図とは随分と異なった部分があり、正確には読み取れない事も勿論あるのだが。だが、それ以前にこの地図は妙だ。奇怪としか言いようがない。

 地図の上下には見たこともない文字のような物と中心に花のような紋章が描かれている。

 恐らくはこれが解読の鍵となるのだろう。

 形状からして失われた文字の類なのだろうとまでは推測が付くが、それが一体どういった意味を成すのかまでは現状ではさっぱり分からなかった。

 


「どうしたものかな……」

 


 ある貴重な物の場所を示すとして苦労して手に入れた念願の古地図。

 しかし、肝心のそれが読めないのでは全くもって話にならない。

 本当にこれは“アレ”の場所を示す地図なのだろうか。そんな疑問さえ頭を過ぎり出す。

 


「さて、どうしたものか……」

 


 しばしの間考えて。そして導き出した最善の策。

 


(……仕方がない)

 


 あれこれと考えを巡らせてはみたが、結局、解決策は一つしか思い浮かばなかった。

 久しぶりに行くとするか。

 そう、アレンは訪ねてみる事にしたのだ。古い古い馴染みのある人物を。

 


「……ん?」

 


 無意識のうちに口にしていた酒瓶から零れたのは僅かな雫。

 調度良い。酒も切れたところだし、今日はすかしをくらったが、酒の調達も兼ねて“あいつ”に会いに行くとしよう。

 そう結論付け、アレンは空になった酒瓶を置き、広げていた地図を懐へとしまった。

 


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