第9話 ▼奇怪な地図(アレン視点①)

(05.異地上陸のバックグラウンド。アレン視点の話)


 ギイィと軋む音を立ててその扉は開かれた。

 日当たりが良くないのか、室内は昼間だというのに薄暗い。

 部屋は木造。至ってシンプルな作りであり、余計な物などは一切置かれていない様子からは質素な生活ぶりが伺えた。

 人里離れた場所にぽつりと建てられた一軒の家。その家に断りも、それどころかノックすらせずに足を踏み入れる。


「――誰が来たかと思えばお前だったか。アレン・ヴァンドール」


 部屋の奥から低い声が響いた。


「久しぶりだな、クラック」


 部屋の奥にある椅子に腰掛けたクラックと呼ばれたその人物。

 男の名はクラック・ロイス。

 ヘーゼル色の切れ長の瞳。貫禄のある髭を携え、肩程まである白髪を無造作にかき上げたような髪型をした初老の男である。


「ノックくらいしたらどうなんだ?それじゃあ泥棒と変わらんぞ」

「人聞きの悪い。ノックはしたさ」


 呆れたように吐き出した彼にすぐさまそう切り返す。

 ワンパターンのこのやりとり。これもある意味挨拶であり、これもいわゆるいつもの事である。


「久しいな、こうしてお前さんに会うのは何年ぶりの事か」


 まるで昔を懐かしむかのような口ぶりのクラック。しかし、そんな彼には構わずにアレンはズカズカと歩みを進め、どかっとクラックの向かいの席へと腰を下ろした。


「相変わらず青臭い奴だな」

「放っておけ」


 腰を下ろしたアレンの顔を見て、彼は一言。

 クラックのその物言いに対し、アレンは特に気を害したふうもなく、僅かに肩を竦めてみせた。


「それで、一体ここへ何しに来た?」

「なに、近くに寄ったものだからちょっとな。久しぶりに古い友人の顔を拝みに来たんだよ」

「嘘を吐け。お前さんが儂を尋ねて来る時は、たいてい面倒な厄介事を抱えている時だろうが」

「さすがはクラック。察しがいいな」


 やはり全てお見通しか。と、久方ぶりの再会にも関わらず、挨拶もそこそこにアレンは早速懐から例の物を取り出した。


「ちょっと見て貰いたい物があってな」


 アレンはそれを彼の目の前に広げてみせる。

 例の物、解読困難と判断した例の“古地図”だった。

 クラックとは古くからの付き合いであり、アレンは彼の事をよく知っている。賢く聡明。クラックは昔からよく頭が切れる。

 今回、アレンが彼の元を訪れたのは言うまでもない。彼の元へ行けばこの難解な地図について何か分かる事があるかも知れないと踏んだのだった。


 机上に広げられた古びた地図。

 それを見た瞬間、クラックの目の色が変わった。


「アレン、お前……こんな物を一体何処で手に入れた?」

「ある所に厳重に保管してあったんだ」


 それを拝借して来たのだとアレンは誇らしげに語ってみせる。しかし、そんなアレンとは対照的にクラックは困惑の表情を浮かべた。


「……お前、これが何なのか分かっているのか?」


 勿論、分かっている。

 明らかに動揺の色を浮かべるクラックに対しアレンは平然と言ってのける。


「勿論、見れば分かるさ」

「また厄介な事に首を突っ込もうとしてるのか……全く呆れた奴だ」

「褒め言葉として受け取っておくとしようか」


 しれっと応えたアレン。

 そんなアレンの態度を見てクラックはほとほと呆れた。やはりこの男はまた、自分から厄介ごとに首を突っ込もうとしているらしい。何とかに付ける薬は無いというが、本当に何年経っても変わらない。


「それで、こんな大層なもんをぶら下げて見せびらかしに来てくれた理由は?」

「これを手に入れたまでは良かったんだが、生憎解読が出来なくてね」

「ほう。それで地図の読み方を聞きにわざわざこんな所にまで来たという訳か」


 アレン・ヴァンドールでも苦戦する地図。

 それが興味を引いたのか、クラックは身を乗り出すようにして例の地図を覗き込んだ。


 奇妙な地図だ、とクラックは感じた。

 見た所、この地図はとても古い物のようだ。当然今の物とは縮尺も表記もだいぶ違っている。

 地図の上下には見た事のない文字の様な物が書き込まれており、その中心には花のような形の上に十字架を模した紋章らしき物が描かれていた。そして、その紋章は地図が示す場所を記すかの様にある一点に描き込まれている。

 しかし、その紋章が記されているのは何もない筈の海の上。これは一体どういう事なのか。


「これはまた随分と古い代物のようだな」

「ああ」

「地図の上下には古い文字のようなもの、そして十字に花を模したような紋章……恐らくはこれが解読の手掛かりになるんだろうが、しかし肝心の文字が読めない事にはな」


 そこまで言ってクラックは黙り込む。

 ここまでの見解は自身と同じ。アレンはじっとクラックの答えを待つ。


 一見しただけではどこを示した地図なのかまるで分からない。

 これは一体何なのか。一体こんな物をどこから手に入れて来たというのか。

 尋ねれば、『ある希少な物の場所を示した地図』だと、『ある場所に厳重に保管されいた』のだとアレンは言う。

 希少な物。アレンが言う希少な物とはつまりお宝の事だ。

 しかし、お宝と言っても決して金銀財宝などではない。

 この男が欲しがる物は、男いわくそんな隠された財宝などよりもずっと希少で価値のある物。いわゆる失われた何とかとか、古えの何とかといったいかなりの年代物、というか伝説上の代物の事をいうのだ。

 全くこの男は。まだ飽きもせずに未だに稼業とやらを続け、未だ伝説とやらを追い求めているのか。ロマンを追い求めるのも結構な事だが、よくもまあ続けられるものだ。まあ、この男はそういう奴なのだから仕方がない。

 それはそれとして、アレンの持って来たこの地図。これは一体どこを差し示している?この地図に隠されている秘密とはなんだ?


 しばらくの間、クラックは例の地図を食い入るように見詰めていた。だが、やがて溜め息と共に渋い声を漏らした。


「どうやらこれは随分と難しい代物のようだ。悪いが儂には解読は出来ん」


 こういった物には詳しい方である筈のクラックですらお手上げというのこの古地図。

 やはりこれは相当難解な代物のようだ。


「本物だと思うか?」

「恐らくは、な」

「そうか」


 それだけ聞ければ十分だと言ってアレンは地図を懐へと戻した。

 もとよりそのつもりではいたが、やはりそう容易くはいかないらしい。


「しかしまあ、何かしらの解読方はあるだろうよ」


 だがアレン、とクラックは続ける。


「一体どこからこんな物を手に入れたかは知らんが、これは相当厄介な代物だ。

 そして、お前さんはその厄介事に自分から首を突っ込もうとしている。用心する事だ」

「ああ」


 勿論、そのつもりである。

 再度クラックに頷いてアレンは席から立ち上がった。

 久方ぶりの友との再会。野暮用と称した古き友人のひと時はこれにて終了の筈だった。

 しかし、どこへ行っても不運は続く。

 それとほぼ同時、奥の扉がゆっくりと開いた。



 ***



「あんた……」


 部屋に懐かしい声が響いた。

 その瞬間、思わず肩が跳ね上がる。

 声のした方に目を向ければ、部屋の奥の扉の前に一人の女が立っていた。

 栗色の髪をした小柄な女性。

 彼女の名はティルト・ロイス。

 彼女もまたアレンの古い馴染みであり、とてもよく知る人物である。

 そして今回、アレンが最も会いたくなかった人物でもあった。


「……ティ、ティルト。久しぶりだな」


 若干吃りながらも声をかければ彼女はわなわなと肩を震わせた。


 まずい。


 今回、クラックの元を訪れるにあたり、アレンが最も注意を払ったのが彼女、ティルトに遭遇する事。

 彼女に会う事を避ける為にわざわざ彼女が居ないであろう隙を伺い、それを狙って訪ねたというのに。まさかこんなタイミングで鉢合わせる事になってしまうとは。


「ティルト、しばらく会わないうちにますます綺麗になったんじゃないか?」


 ここはとにかく何とか穏便に済ませたいと、月並みの言葉を並べてはみる。だが、どうやら全く相手の耳には入っていない様子で。肩の震えはますます激しさを増していく。


 まずいまずいまずい。


「……アレン、ヴァンドールッッ!!一体どの面下げて来きやがったぁあッ!!?」


 突如、家を揺らす程の怒声が響いた。

 それと同時に顔のすぐ傍を何かが高速で掠めていき、奥の壁にぐしゃりと音を立てて突き刺さる。

 恐る恐る振り返って確認すると、それはみずみずしい橙色をした果物だった。

 いや、正確には果物だった物。

 それは目にも止まらぬ速さでアレンの顔面に向かって投げら付けられ、僅かに的を外れたそれは無残にも壁にぶち当たり果汁を撒いて潰れていた。


 あの剛速球、とても女性の力とは思えない。

 というか、あんな物がもし僅かでも軌道を逸れ自分の顔に当たっていたとしたら……


 さすがのアレンも身の危険を感じ慌てて視線を彼女の方へと戻す。

 ティルトの方に向き直った瞬間、ゾッとした。彼女は美しい漆黒の瞳を吊り上げ完全に臨戦体制をとっていた。


「……あんたのせいで……あんたのせいでっ」

「ティルト、ちょっと待っ……」

「あんたのせいで私達がどんな一体目に遭ったと思ってやがるんだぁあッッ!!!!」


 叫びながら再び、彼女の手から剛速球の果物が放たれる。


「ティルトっ落ち着……っ!?」


 再び顔面に向かい一直線に突っ込んでくるそれを交わして、落ち着くようにと彼女に促す。だが、ティルトは全く聞く耳など持ってはくれない。


「ま、待ってくれティルト!俺はただクラックと話をしにだな……っ」

「黙れっこの人で無し!!」


 ティルトの手にしている籠の中から次々に放たれる果物をアレンはとにかく必死に避けまくる。

 どうやら彼女を説得するのは無理のようだ。もはやどうあっても彼女の怒りは収まりそうにない。

 そう判断したアレンはティルトの説得を諦め早急に踵を返す。


「邪魔したなクラック!ティルトと幸せになっ!」


 早口にそうまくし立て頭を庇って体制を低くしつつ、一目散に外へと繋がる扉へと駆けた。


「出ていけ!この疫病神がっ!!!!」


 逃げる背に向かい放たれた渾身の一撃を交わして、入って来た扉を一気に開け放つ。


「せいぜい長生きしろよー」


 未だ響くティルトの怒声と哀れみの篭ったクラックの台詞を背に聞いて。アレンは外へと飛び出して一目散に退散を図った。


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