第2話
電車に乗って二駅ほど。僕はダイレクトメールを寄越して来た女から指定された待ち合わせ場所であるコンビニに到着した。そのコンビニは店先にベンチが置かれており、そこには灰皿がある。そこで煙草を吹かしながら待った。
こちらの風貌は既に伝えてある。加えて、この場所で喫煙をして待つ旨も伝えた。あとは女が到着して声をかけてくるのを待つばかりだ。
ここは大通りから一本中に入っており、どちらかと言うと物静かな印象を受ける。そんな目立たないとも言える場所にありながら、このコンビニには人がひっきりなしに出入りする。周囲に住宅が多いせいだろう。近隣住民の利用が主なようだ。しかし屋外のこの喫煙コーナーだけは人が寄り付かない。
時刻は既に夜の九時を過ぎており、店の明かりに寄って来た種類もわからない虫が僕の周囲を飛び交う。僕はその虫を手で払いながら時々煙草を口に運んでいた。暗闇を舞う煙が建物の光で浮かび上がっている。
「こばんは。待ち合わせの方ですか?」
すると僕は声をかけられ、出会い系サイトの女が来たのだとすぐに理解して顔を上げた。
「……」
しかし僕は声を失う。目の前には少し腰を屈めて首を傾け、僕の顔を覗き込む少女が立っていた。そう、少女だ。どう見ても明らかに少女である。
彼女はデニムのショートパンツに体のラインがわかるTシャツ姿だ。細身で手足は細くすらっとしていて、胸は小さめだ。まだあか抜けない表情で笑みを浮かべている。髪は肩先まで伸びていてストレートで、黒だ。この黒髪がまだ学生であろう年代の少女だという印象を抱かせる。歳の頃は高校生だろうか? 中学生だと言われても疑わない。
そんな非合法だと確信できる彼女は、大きな瞳をコンビニからの光で浮かび上がらせ、真っ直ぐに僕を見据えていた。時間にしてどれくらいだろう? 僕は漸く声を発した。
「えっと、ララさん……?」
「はい、そうです。イチロウさんですよね?」
屈託なく笑う彼女は可愛らしい。手を後ろに組んで腰は曲げたままで、小さな肩掛けバッグが彼女の腹の前で揺れている。手荷物はこれだけのようだ。
「えっと、幾つ?」
「二十歳です」
絶対に嘘だ。今時二十歳の大学生は明るい髪の色をしているし、会社員ですら多少は黒から明るい茶髪に色を寄せる。偏見とは理解しつつも、黒髪は絶滅危惧種だと思っている。加えて髪の色を度外視しても明らかに顔が幼い。
「本当は幾つ?」
「えへへ」
笑って誤魔化しやがった。つまり非合法の認識があるのだろう。と言うことは十八歳未満で間違いない。
「あのさ、僕は割り切りの関係を望んでサイトを利用しているわけだよ」
「はい、そうですよね」
尚も悪びれた様子もなく笑うララ。コンビニに出入りする客がチラッと僕たちに視線を向ける。会話が聞こえるような声量ではないし、特に気にして見ているのではないのかもしれないが、その視線が居た堪れない。
そう、僕は出会い系サイトの中でもアダルトと呼ばれる部類の利用をしている。自分のプロフィールにも割り切り交際が目的であるとしっかり書いてある。それを見て彼女はダイレクトメールを送ってきたわけだ。つまりどこからどう見ても十八歳未満の彼女は利用規約違反で、もしこの後僕が彼女に手を出したら犯罪である。
「ごめん、帰るわ」
だから僕は断りを入れた。するとララが慌てた。灰皿にもみ消した煙草から手を離した瞬間、その手を掴まれたのだ。もしまだ煙草を持っていたら危なかった。
「待ってください」
「なに?」
「今日、泊まるところがないんです」
「は?」
またも唖然とする。しかしそんな中、一瞬で悟った。彼女は家出少女である。
「だから泊めてください。お金の減額の交渉も受けるから」
そしてララは食い下がる。しかし冗談じゃない。離婚を経験して既に人生に汚点がついた僕に、更には児童買春という犯罪を犯せと言っているのか? もしそれが公になったら職まで失ってしまう。
「ごめん。それは聞き入れられないし、そもそも僕はロリコンじゃない」
「お願いしますよぉ」
甘ったるい声色で尚も懇願するララ。僕はさっさとこの場を立ち去りたい。今すぐにこの手を離してほしい。
ぐぅ~。
すると腹の虫が鳴った。そう言えば、先の援助交際を終えてからまだ食事を済ませていない。ララからのダイレクトメールが一晩とのことだったので、一緒に食事もできたらと浮かれていたのだ。
「えへへ」
しかし苦笑いを浮かべたのはララだった。そして彼女はどこか力なく屈む。握った僕の手になんとかか弱い力をこめており、立っているのがやっとのようだ。そうか、腹の虫が鳴ったのは僕ではなく、ララの方か。
「家出なの?」
「えへへ。近からず遠からずです。正確に言うと夏休みだから家に帰ってないんです」
そこで思い至る。学生は今、夏休みであった。つまり大型連休に浮かれて遊び歩き、結果として家出の状態になっているのだろう。しかしこれは余計にマズい。それこそ保護者が捜索願を出したら、今やスマートフォンが普及しているネット社会で履歴社会の現代。僕に行きつく可能性は大いに高い。
「ごめん。やっぱり相手はできない」
「そんなぁ……」
僕は半ば強引に手を剥がすと、ララに対して踵を返した。
ガタン。
その瞬間だった。背後からあまり嬉しくない音を耳が捉える。僕は振り返った。するとなんと、ララが膝を地につき、僕が座っていたベンチに手をついていた。顔色は悪く、体に力が入っていないのは一目瞭然だ。演技の可能性も否定はできないが、僕にそれを見破る能力はない。
「はぁ、はぁ」
そしてララの呼吸は乱れている。コンビニで立ち読みしている青年が、週刊漫画越しに僕たちを見て眉を顰めた。かなり目立っていて、僕は面倒な少女に絡まれてしまったと、心の底から肩を落とした。
「体調悪いのか?」
「えへへ」
またも笑顔を浮かべるララだが、今回のその笑顔からは苦悶も見て取れる。そしてララは言った。
「昨日のお昼を最後に何も食べてなくて。飲み物もさっき無くなって、財布には百円玉も入ってないの」
呆れた。何が嬉しくてここまで徘徊をしているのか。ただ、だからこそ出会い系サイトで援助交際の相手を探していたのだろう。そして運悪く僕は出会ってしまったわけだ。
どこからどう見ても未成年である彼女を放っておくことができず、僕はこのコンビニで弁当や飲み物など数点の商品を買い、それをララに与えた。場所はコンビニの外の喫煙コーナーだ。周囲の目が突き刺さるように痛い。
例えばカラオケやファミレスに行こうにも、もうすぐ未成年が追い出される夜の十時だ。どう見ても中高生の容姿であるララを連れていたら悪目立ちしてしまう。出会ってしまった以上放っておくこともできず、最低限ララの食事の面倒を見てからお暇するつもりでいた。
「ん~、生き返る」
そのララはペットボトルのお茶を半分ほど一気に飲むと、満面の笑みで言った。弁当も既に半分ほどを平らげており、よほど腹が空いていたのか、華奢な体の割に食べるスピードが速い。どうやら脱力したのは演技では無かったようだ。
僕は食事の手を止めないララに問い掛けた。
「で? 幾つなの?」
「えへへ。十五歳、高一です」
やはりか。見た目年齢のとおりだ。餌付けをしたことでララは素直に答える気になったのだろう。ベンチで隣同士に座る僕は言葉を続けた。
「あと、これやるから今日は帰りな?」
「ん?」
咀嚼をしながら首を傾げたララは、僕が差し出した一枚の一万円札を見てから僕の目に視線を移した。そして食べ物を喉に通すと言った。
「帰れって、エッチもせずにお金と食べ物だけくれるんですか?」
「あぁ。て言うか、リスクの高い君とこれ以上一緒にいる気はない」
「ちぇ……。けど、エッチしないならお金は受け取れません」
ララがそんなことを言うので僕はララのショートパンツのポケットに、強引に札をねじ込んだ。
「え? ちょっ……」
箸と弁当で手が塞がっているララは困惑の様子を見せるが、こうすることでこの晩ララと出会ってしまったことの言い訳を、僕は自分の中で正当化していた。そんな自分から逃げるように、食事が終りかけのララを置いて僕はその場を離れた。
彼女がちゃんと家に帰ってくれればいいなんて、そんなことを願いながら僕は家路に就いた。
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