第112話 賢者は巨人に立ち向かう
黒い魔人と戦ううえで、
作戦行動を開始したバリエラは、竜の勇者に掴まれて飛翔した。眼下ではノルソンたちも移動を始めている。二手に分かれることで狙いを分散させ、攻撃の手を少しでも弱めさせる。緩んだ攻撃ならば、身体能力の高い勇者二人によって処理できると考えた。
(それにしても、本当に通用するのかしら)
ノルソンは核の位置をあらかた予測できたと口にしていた。胸から上側、特に首元のあたりにある可能性が高い、と。そこで二手の片側が陽動役となって
立てた作戦を振り返りつつ、バリエラは表情を曇らせる。この戦法にはいくつも穴がある。陽動役というのは、肝心の攻撃部隊が敵から見えない位置にいるのが、そもそもの前提だった。身を隠した攻撃部隊による奇襲だからこそ効果がある。だが、今回はどちらも姿を見せており、どちらがどの分担するかも明確に決められていない。
「アカ、正直言って成功すると思う?」
竜の勇者に問うと、攻撃的な人格が表に出ている彼は鼻で一笑して首を横に振る。
「成功も何もない。あれは作戦ではなく戦術だ。多少の策を
「………………」
「だが、あれでよい。作戦と呼べるものが立てられぬからこそ、
相も変わらず竜の勇者は、少年姿にもかかわらず不敵な笑みを表情に貼りつけていた。その翼が勢いよく風を切る。敵との距離が一気に詰まるにつれて、アカからの並々ならぬ戦意がバリエラに伝わってきた。
無限に再生し続ける巨人に、今から数人で挑まなければならないというのに、揺るぐことのない豪胆さ。賢者も少し勇気をもらって、絶望感を跳ね除けた。
一方、天に届くかというくらい巨大な魔人は、山のごとく動かなかった。代わりに堂々とした声音で、バリエラたちに不快な言葉を届かせる。
『先ほどの爆発は惜しかったですねぇ。私としたことがヒヤッとなりましたよ。いやぁ、この肉体でなければ、私もやられていたかもしれませんねぇ』
やや大げさな手振りを交えながら、魔人の口からは皮肉や煽りが飛び出してくる。ひたすらに
『実のところ、私自身も驚いてるのですよ。まさか、ここまですぐ再生できるとはねぇ。やっぱり直前で一人、取り込めたのが勝因でしょうか? あの少女を呑みこんだのは我ながら好判断でしたねぇ。いや、やっぱり偶然ですかねぇ、どう思います? 賢者たち』
「――あいつっ」
「ふん、ただの挑発だ」
即座にアカに
「
地上の二人の様子を察して、さらに竜の勇者は翼に風を帯びさせる。自らの奇跡で風の流れを爆発させて、音速に近い飛行を体現する。一瞬、呼吸ができないほどの超加速をアカは平然とやってのけた。
生身であれば肌を切り裂く疾風が、
一方、その場で待ち受ける黒い魔人は、複数の腕を揺らしながら、自分の感覚を確かめていた。地上と空中から高速で接近してくる粒のような力の波動を感じ、大きく嘲笑を漏らす。
『さてさて、私もいい加減に、このお遊びを終わらせねばなりませんかねぇ』
分かたれていない黒い右腕が天へと掲げられる。ここまでの戦いで少し気づいたことが魔人にはあった。今にして思えば、あまりにも当然のことで、なぜ最初からしなかったのかと疑問が浮かぶほどだった。
今の魔人には強烈な再生能力がある。どれだけ苛烈な攻撃を喰らおうが、すぐに肉体は元に戻せた。もはや自らの核を塔に隠し置いたり、分身を生み出したりして保険をかけておく必要もない。
ならば、自分を巻き込むくらいの規模で攻撃を降らせても、別に問題ないのではないだろうか?
『それでは、全力で撃ってみることにしましょうか』
この瞬間、ノルソンの義眼は超上空に特大の熱源を確認した。空にいるバリエラとアカも強烈な力の波動を感じて、思わず視線を上へと泳がせる。
灰を降らせる赤雲の隙間から、異様な光が零れ落ちていた。蒼白くて細い稲光が蛇の足跡を辿るかの如く
「――っ!?」
蒼い光の柱が落ちてくる瞬間、バリエラは回避ができないことを悟った。空が丸ごと落ちてきたと錯覚してもおかしくないほどの範囲。王都ですら丸ごと呑みこめてしまえるほどの巨大な光の天盤が落ちてきては、最初から逃げ場など存在しない。
『これが本当の火力というものですよ? 勇者たち』
その正体はただの雷撃の塊。しかし、今の魔人ならば、ただの雷撃であっても、広域殲滅を可能にする火力を出すくらいは容易だった。まだまだ魔力は底を見せない。魔人からすれば、多めに魔力を注ぎこんだだけにすぎなかった。
空から直下した閃光は、灰白い大地を深く
雷撃の余波は黒い魔人をも巻き込む。だが、腕や脚が吹き飛び、肩や腹が裂けたところで、今の魔人にはたいした支障ではない。事実、破壊された肉体は、すでに再生を開始していた。
『やられてしまいましたか? いやいや、まだまだしぶといですよねぇ』
焼き焦がした灰の海を、さらなる死の大地へと変えるべく魔人は、再び天に腕を掲げる。地上には、まだ結界で身を守っている賢者たちがいることに気が付いていた。確実に殲滅するべく、再び魔人は天に稲妻を駆けめぐらせる。
一度目の雷撃を、辛うじて防いだバリエラたちは、再び光り出した暗雲に冷や汗を
一度目で倒せないのなら、二度目は更に火力を上げてくるはず。それを防ぎきれる保証はない。
「……私に乗るのである、バリエラ殿」
瞳の色を深緑へと変えた竜の勇者に肩を叩かれ、賢者はハッと気づく。既にミドは翼を広げ出していた。
「おそらくであるが、まだ発動には時間がかかる。この隙に少しでも威力が弱まる場所まで退避するのである」
「退避できる場所なんてないわ。できるとすれば……」
バリエラは黒い魔人のほうに視線を向けた。余波こそ浴びているが、魔人は自らに直撃はさせていない。安全圏とは言い難いが、ここで雷撃を耐えるよりは、まだ可能性はあった。
竜の勇者の瞳が蒼く染まる。今度は高速機動を得意とする彼に交代したらしい。バリエラの肩を掴むや否や、アオは瞬時に翼で大気を叩き、低空を飛び上がる。
しかし、黒い空に大量の光が駆け巡るのを見て、賢者たちの予想は覆される。明らかに先ほどよりも範囲が広い。広すぎた。遠くに見える火山地帯の周辺の雲にまで雷光の筋は届いていた。
『単純に威力を上げようとすると、範囲も広くなってしまうみたいですねぇ。これでは、私も直撃に巻き込まれてしまいます。……が、別にいいでしょう。どのみち再生できますから』
今度こそ逃げ場は存在しない。死刑を宣告するかのように、黒い魔人はゆっくりと掲げた腕を振り下ろす。一面の空が蒼白さで染まり尽くす。蒼い空がそのまま崩れ落ちてくる勢いで、雷光は賢者たちを襲うかのように思われた。
事実、黒い魔人の右腕が吹き飛ばされなければ、本当にそのようになっていただろう。
『何です?』
通り抜けていった何かが、魔人の片腕を肩から先を奪い去る。遥か上空に展開された魔法陣が消えたのか、暗雲を駆けめぐっていた光は同時に消失した。
欠損した箇所から黒い皮膚が増殖させて、すでに魔人の巨腕は再生を始めている。しかし、当の魔人は唐突に出現した純白に輝く少女に、完全に注意を捉われていた。
遠目から見て、バリエラたちはそれが誰であるのか気づく。魔導人形の勇者であるメキ。ただ一つ普段と違うのは全身が眩しいくらい輝いていた。空中で落下しかけた少女は、そのまま大気を破壊して宙を舞う。
純白の流星が駆け抜けていったかと思えば、魔人の肉体の一部が消し飛ばされている。それからの彼女は破壊の化身とでもいうかのような凄まじさで、黒い魔人の巨体に次々と風穴を開けていった。
『なるほど、触れるだけでも破壊されてしまう。とてつもない切り札を出してきましたねぇ』
さっそく捕まえようとして、左の多腕を根こそぎ
魔導人形の勇者に与えられた強制破壊の奇跡。触れたもの全てを壊せる
だが、勇者に対して、魔人も即座に適応する。壊されるならば無限に増えればいい。一部を消失しても、肉体を即座に再生しきれば五分に戻せる。黒い魔人もまた比類ない耐久力だけで、魔導人形の勇者に対等に渡り合っていた。
『これほど強力な力をここまで温存するのは、おかしいですよねぇ? 長くは持たないのでしょう? それ』
「…………」
答えの代わりに、メキは魔人の複数ある足元を一気に破壊する。一瞬、巨体がぐらついたが、再生させた魔人はすぐに持ち直した。そして、不快な
肥大することで機動性は失われたが、その再生力のために、簡単には消し飛ばせなくなっている。
「――アオ、今ならいける。メキは時間稼ぎをしてくれてるわ」
戦況を見て、バリエラは竜の勇者に接近するように伝える。魔人は明らかにメキにだけ注意を割いていた。最初に提案されたノルソンの作戦を思い出す。
「うむ、しっかり掴まってるのだ! 一気に背後へ回り込むのだっ!」
両翼で向かい来る風を引き裂いて、バリエラを乗せたまま、蒼い瞳の勇者は更に速度を上げる。大地を覆う灰までもが舞い上がり、一筋の灰埃の道ができるほどの急加速を見せつけた。
迂回して魔人の背中側に移動したアオは、そのまま黒い巨体に沿って上昇する。頭部まで突き抜けて、完全に巨体の上を取った。
ここで竜の勇者は、瞳の色を紅に戻した。攻撃的な手段を得意とするアカに交代した竜の勇者は、一瞬にして上空を業火に染め上げる。
「――
核がある可能性があるのは胸より上側、特に首元のあたり。がら空きとなっていた
「うおおおおおおおおおおおおお」
次の瞬間、竜の勇者が出現させた炎の大槍が突き刺さる。胸の先まで貫通した大槍は更に体内で爆裂して、黒い肉塊たちを一気に外へ放出させた。真っ黒な首筋と背中に巨大な風穴が開いている。唐突に魔人は微動だにしなくなった。
『……………………』
一切の言葉すら発さず、メキの攻撃にすら反応しない。魔人は巨像と化したかのように動かなかった。
(もしかして、本当に核を破壊できたの……?)
完全に硬直した魔人を前に、思わずそのような考えが頭の中をよぎる。しかし、しばらく経ってから、黒い巨体が再びゆっくりと動き出したのを見て、楽観を振り払う。
『なるほど、私の核の存在に気づいていたのは褒めてあげましょう。――ですが、惜しかったですねぇ。私、自分で位置を動かせちゃうんです』
そのときバリエラは気付いた。周囲がとてつもない魔力の気配が帯びていることに。あの不自然すぎるくらいの硬直時間は、何かを仕組んでいたからだった。悟ったときには、もう遅かった。
灰の大地から黒色の
地平線まで広がるんじゃないかと思える光景に、バリエラは息を呑んだ。葉脈のように巡らされていく黒い紋様は、復魔兵が生み出された部屋で見たものと、ひどく酷似している。
『さぁ、今度は、こちらの手番といきましょう。貴方たちに耐えられますかねぇ?』
大地に刻まれた漆黒の紋様が輝いて、賢者たちのいる世界を書き換える。気が付いたときには、賢者たちは魔人が創り上げた空間に囚われていた。
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