第113話 賢者に黒い巨人は逆襲する

 大地を暗いかすみが覆っていた。揺れながら立ち昇ってくる黒い霧は、視界を惑わせるように薄布のように広がっていく。まるで、大空に立ち込めた暗雲と一つになろうと手を伸ばしているようで、なんとなく気味が悪く感じられた。


(……どうなったの? ……っ?)


 なぜか、顔に細かい灰塵や砂粒がぶつかってくる。まだ飛行しているはずなのにと、バリエラは違和感を覚えた。風ではない。高い空にまで細かな粒が、無造作に浮かんでは沈んでいた。自然の摂理に反逆したような、明らかに異常な重力場。

 それから……


「…………大丈夫だ」


「そんなわけないでしょ? この霧、魔力を吸ってるんだから」


 魔力を視認できるバリエラには、周辺を漂っていた天然の魔力が消失していくのが、はっきりと目に映っていた。その影響で、明らかに飛行中のアカの速度が鈍っている。


 万全でない翼のままで、本来の加速力を再現するために、風魔法を補助に使っているのが仇になったらしい。飛行能力は維持できているが、機動力は奪われたも同然だった。


『――さてさて、こんなものはただの予兆に過ぎませんよぉ!』


 どこかから魔人の声がする。その言葉と重なって、上空を埋める暗雲と地上を覆う黒霧から雷鳴がとどろいた。空から地へ、地から空へ、時には曲線や弧すらも描き、数えられないほどの蒼い稲妻が、バリエラたちの周囲を通過していく。


 躱すどころか身動きすら難しいバリエラたちは、全方位に張った結界でどうにかしのごうとした。だが、それすらも上手く機能してくれない。


 原因は天と地で向き合うように渦を巻いている二つの暗闇。その中央に開いた穴は、狭間にある全ての力を吸い込んでいるようだった。魔力だけでなく、光や熱といった自然の力、賢者や勇者が行使する奇跡の力にいたるまで、見境なしに奪いとっている。


(マズい……体から力が……)


 有り得ないはずの疲労感や倦怠感だった。生命力すら奪われるのか、ハッキリしていた視界すらくらみだす。この空間に居続けるのは危険だとバリエラは感じた。しかし、脱出する方法は分からない。


 大気の熱が奪われて、肌に触れる空気が冷たくなっていく。そもそも大気の動きすら感じ取れなくなっており、空中に留まっているはずなのに無風だった。もはや、無重力になってしまっているかもしれなかった。


(――あれ?)


 いつの間にか、目の前から竜の勇者の姿が消えていた。見渡してみても、そこには黒い霧しか存在しない。マズい、とバリエラは焦燥を募らせる。だんだんとよどみはじめている意識に負けずに、アカの姿を探してみるが、やはり見つからなかった。


「…………えるか」


(――?)


 一瞬、何かの音が耳に入ってきたような気がした。しかし、寝ぼけてきた意識では、まともに音を捉えることすら難しい。


「…………、反応しろ……、聞こえているか?」


「――!?」


 急に鮮明に誰かの声が入り込んでくる。掠れて聞き取りにくいのは変わらずだが、バリエラは音を、はっきりと誰かの声だと認識した。


「応答し……、こ、……ノルソンだ。…………ジャミングが……クソっ……」


 こつんと何かが頭の側面にぶつかってくる。なんとなしに触れてみると、金属製の鳥が目を光らせて、バリエラのことをつついてきていた。


(…………なにこれ?)


 見るからに、まともな飛行ができていない。代わりに、無重力を泳いできたとでも言うように翼をバタバタさせている。あらぬところを行ったり来たりしていたのかもしれなかった。


 とりあえず、なぜか鳥から響いてくるノルソンの音声に応えてみる。


「聞こえているわよ、というか、どうして貴方の声が鳴っているのよ?」


「やっと応答したか、…………には、通信機能が備え付けられて……。とはいえ、この状況……やはり、厳しいな」


「――――???」


 話の途中で、ぶつんぶつんと奇妙な音が入り込む。おかげで、肝心の内容が大半も入ってこなかった。


「もう一度、説明して! 変な音のせいで、話がちゃんと分からないんだけど!」


「……の状況だけ説明する。俺たちは無事だ。……はメキの力で相殺でき……だ。……………するから結界を展開しろ、……べく最大で、……目印にする」


「……????? うまく聞き取れないんだけど、結界? とにかく目立つように展開すればいいってことね」


 こちらの声がうまく届かなかったのか、ノルソンは一方的に喋るだけで、まったく返事をしてこない。ただ、辛うじて聞き取れた内容からして、とにかく自分たちには目立つように結界を張って欲しいらしい。


 窮地を脱する算段でも立ててくれたのだろうか。ひとまず、指示には従ったほうが良さそうだと判断する。結界の力を練ろうとして、バリエラは力を込めようとした。だが、指先から展開されかけた障壁は形を成す前に消失する。


(……っ!? なるほど、普通の結界だと途中で破綻しちゃうのね)


 あの黒い水の中にいたときと同じように、浄化の奇跡を混ぜ込んだ結界でなければ、そもそもの展開すらできないらしい。それ以外の結界は根こそぎ力を持っていかれてしまうようだった。


 正直、今の時点で気力を振り絞るのも限界に近い。意識を保ったままでいられるかも分からなかった。


(いったい何回、限界を超えさせれば気が済むのよ……、ほんとに)


 朦朧とした意識を束ねて、結界を練ることだけに集中力を高める。浄化の奇跡も発動させたことで、気力がごっそりと削られるのが感じとれた。だが、まだ眠るわけにはいかない。


『無駄ですよぉ? その結界の解析は、元々ある程度、進んでいましたからねぇ』


 バリエラは光り輝く結界を展開する。しかし同時に、どこからか黒い触手が伸びてきて結界に貼りついてきた。直接、力が吸い取られていると気が付いて、応戦するようにバリエラも、もう一つ結界の力を練り始めた。


 選別の結界で大槍を生成する。何度も練習したことで、今まで以上に作るのは早かった。魔を焼く力を宿した鋭利な槍で、バリエラは容赦なく黒い触腕を斬りつける。障壁を通過した光の槍は、結界の力を吸い取る指先に真正面から裂いていく。


 だが、魔人はわらい声を響かせるだけで、むしろ伸ばす手の量を増やして対抗してきた。


(――さすがに、きついっ! きつすぎるんだけど、もうっ!)


 意志の力は枯渇寸前だった。正直、一人で相手できる量ではない。ノルソンの声に従って、結界を展開したせいで、とんでもない貧乏くじを引かされたことに気づく。


 いったい、あの二人は何してるのよ、とバリエラは心の中で叫ぶ。窮地を乗り越えるどころか、絶体絶命のピンチじゃないかと文句を言った。


 目立つように結界を展開したせいで、バリエラ一人が攻撃を惹きつける状況になってしまっている。これでは誰が救援に来てくれたとしても脱出は難しい。いや、救出してくれるなら、なんで目立つようなことをさせたんだ、とバリエラは後から気づく。


(……というより、そもそも最初から救助とか救援とか言ってなかった気がする)


 勝手にこっちが誤解しただけなんじゃ、という認識の違いにバリエラは気づき、その通りであるといわんばかりに、上空の黒い渦に変化が起きた。


『――なに!?』


 黒い天が引き裂かれる。現れたのは白銀を思わせるような激しい光。純白の光が重なってできた巨大槌を手にした少女が、上空に現れて、勢いよく振りかぶる。


「そこを動くな。君たちが範……入らないように、調整している……」


 白銀の鳥が言葉を伝えてきた。その直後に、純白の少女が振り下ろした光の鉄槌が、天地を貫いて、巨大な光の柱を立てた。


 怒涛のような光の波に呑まれて、魔人が形成していた闇の空間が崩壊する。余波はバリエラの結界にも当たっていたが、予め調整したという言葉のとおりに、強制破壊の奇跡が賢者たちを巻き込むことはなかった。


「これでメキの全開も打ち止めだ。すまないが、後は任せる。支援したいのは山々だが、流石に消耗しすぎた」


 再び風を取り戻したことで、金属の鳥が飛び去っていく。いろいろと釈然としない部分もあったが、ノルソンたちは魔人の空間を破ってくれたようだった。


 ここからはバリエラたちの番になる。近付いてくる影に、賢者は手招いて合図する。


「行くぞ、賢者」


 復活した機動力を得た勇者が、賢者の背中を捕まえた。バリエラも衝撃緩和のための結界を張って、本気を出したアカの超加速に備える。


「頼むわよ!」


 大気の壁を壊すように二人の姿は、残像を置いて移動した。瞬間的に魔人の胸元にまで接近し、撹乱かくらんするように飛び回る。一箇所に留まっていれば、伸びてくる腕に捕縛される。不規則な軌道を描けば描くほど、バリエラたちの身体への負担も増すが、勝機を掴むには、それしかない。


 メキの一撃を受けた魔人だが、あれほどの規模の破壊攻撃も受けても、未だに余力は残している。それでも今ならば、厄介だった左腕や多脚の一部が消失している。攻め時は回復中の今しかない。


『また羽虫みたいな真似を……。ですが、何度やっても無駄なんですよねぇ。私の核を狙ったところで、それを動かしてしまえば……!?』


 唐突に、慌てたように魔人が言葉を切る。同時にバリエラも違和感を覚えているところであった。竜の勇者と共に空中を飛行している間に、なにか不自然なものが目に映ったような気がしていた。


「アカ、悪いけど、さっきと同じところを飛んで」


「少し危険だが、構わんぞ」


 即座にアカが反転して、先ほど通った場所をもう一度辿り直す。魔人の腹から再生中の脚部へ、そこから背面を通って巨大な首筋へ。


(……?)


 再び何か違和感がした。今までの戦いで何度も目にしてきた魔人の背中が、いつもと少し違って見える。欠損しているから、という理由もなくはないが、そう断じてはならないという胸騒ぎがバリエラの心の奥でしていた。


「何か見えたのか?」


「――いや、特に………?」


 言いかけたところで、バリエラは違和感の正体に気づく。目でばかり探していたが、これは肉眼で見えるはずがない。巨大な魔人の背中で、点のように発生した不自然な魔力が、バリエラに違和感を与えていた。賢者であるバリエラでなければ、気づけないほどの非常に小さな魔力の痕跡。


 黒い魔人の後ろ首のやや右下。そこから不自然に魔力が流出している。目を凝らしてみると表面に何かある。動いていると小さすぎて、よく見えなかった。


「……アカ」


「いいだろう」


 旋回した竜の勇者は、通過した場所を戻り、バリエラが指差した方向へ接近する。魔力が漏れ出ている位置を確認すると、魔人の黒い体表面を突き破って、何故か小さな幼木が枝を伸ばしていた。


 魔人の力を吸って育ったかのような漆黒の幹と枝。どこかで見覚えがあった。


(黒い植物……、黒い魔物……、カナリナ……)


 魔物化したカナリナの姿が脳裏をよぎる。何かを伝えようとしている彼女の姿を、バリエラは思わず幻視した。


「アカ、……あの植物の根元を狙って攻撃できる?」


「……我を誰だと思っている?」


 身を守ってろと言われ、バリエラは自身に結界を張り巡らせる。一方のアカは暗雲が晴れた空に向けて片手を掲げた。


 その指先に光と熱が結集し、巨大な極炎が出現する。それらをアカは更に変化させて、巨大な矢とも槍とも形容できる炎の武器が生じていった。


 自分の身長の五倍以上はある武器を、勇者は苦も無く手で掴む。その場で放射される熱線ですら、結界越しのバリエラが痛いと感じるくらいに強い。


「――行くぞっ」


 一度大きく旋回しつつ、竜の勇者は超加速する。燃えたぎる鋭利な炎の槍先が、残像のまま、暗い空に輝く赤線を刻み付けた。


 十分な助走距離をつけ、それから一気に距離を縮める。誰にも止められぬ紅の閃光となった勇者は、そのまま魔人の分厚い装甲を、炎の槍で突き破った。黒い小枝の根元めがけて槍の穂先が滑りこみ、埋まりこんだ先で燃焼と爆発を引き起こす。


 大きな断崖から岩が剥がれ落ちるかのように、巨大な泥の黒塊が、魔人の背中から弾き飛ぶ。中に巨大な空洞が出来上がる。


『――くそ、動け、動いてくれぇぇ』


 魔人の悲痛な叫びが響き渡る。一方のバリエラたちも、空洞の先にある物を見て、息を呑んでいた。魔人の核があったのは間違いない。魔人の命と言ってもいい弱点が、そこにはある。


 見覚えのある茨に絡めとられて、身動きのできなくなった魔人の核の姿が、そこにあった。


 人の身長ほどの大きさはある黒い核。それが今も動こうと暴れるのを、大量のつたや茨、無数の枝や根が巻きつきあって、強引に引き止めている。


『待て待て待て、私の核を攻撃しても意味などないのですよ!? そんなことしてる暇があると思ってるのですか!?』


 滅裂なことを口走る魔人は完全に無視する。再生したばかりの黒い腕たちが襲いかかってきていたが、巨大な炎を剣のように振り回すアカによって、全て対処されていた。


 この魔人との戦いに終止符を打つべく、ゆっくりとバリエラは核のほうに歩み寄っていく。


「……カナリナ、貴方も戦ってくれていたのね」


 未だに逃げ出そうとし続ける黒い核を、カナリナの植物たちがきつく拘束する。もう終わらせてほしい。そんな意思をバリエラは感じ取った。賢者は選別の結界で生み出した槍の矛先を核に向ける。


『やめろぉぉおおおおおおおおおおおお』


「……これで、本当に終わりよっ!」


 輝きを宿した必殺の槍を、バリエラは全力で突き放つ。鋭い刺突が漆黒に染まった核を、綺麗に無慈悲に容赦なく貫き壊す。同時に上がった魔人の絶叫は、もはやバリエラの耳には入らなかった。

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