第111話 賢者は戦線に合流する

 ぶくりと膨れ上がった黒い腕が変化した大蛇の口、それが一瞬でカナリナを丸呑みにした。直後に放った消滅魔法も届かなかった。元の形に戻って他の多腕に紛れてしまった大蛇の腕を、バリエラはにらみつけるくらいしかできなかった。


「……っ」


 口元をぎゅっと強く結ぶ。怒りやら後悔やらが一気に押し寄せてきて、感情がぐちゃぐちゃになりそうだった。


 どうして、こうなるのよ……。声には出さずにバリエラは小さくうめく。


 あの子は巻き込まれただけだった。あの子だけじゃない。拉致されて魔物に変えられた人々もほとんどは、巻き込まれただけの人たちだった。魔力が少しばかり多かったという理由だけで連れ去られ、残酷な姿に変えられた。そして、命を落とすしかなくなった人たち。


「なんで、こんなに理不尽なのよ……」


 意図せず言葉が声になっていた。何もできなかった自分自身への怒りが、抑えきれないほどにあふれかえる。どうしようもなく悔しくて、ひたすらみじめだった。


「意味分からないんだけど……っ! あの子が何したって言うのよ! 私が何したって言うのよ! いくらなんでも酷すぎるでしょ!」


 口にしたところで現実が変わるわけではないとは理解していても、荒れた感情を吐き散らさずにはいられなかった。どす黒い感情が渦を巻く。絶対に許さないという激しい敵意が思考の中を染め上げる。


 ――あいつだけは、絶対に滅ぼす。たとえ、この身を犠牲にしたとしても。


 ちょうど、暴れ続ける超弩級爬虫類型マキノスクスの上に居続けるのも難しくなってきた頃合いだった。牙を食いこませようとする鋼の巨獣は、咬みつきながら魔人の黒い長脚をよじ登ろうと、後ろ足で姿勢を立てている。そのせいで、バリエラは背中に乗り続けられなくなっていた。


 だが、今の賢者には些末なことでしかない。どうでもいいことだった。身の危険を顧みることなく、超弩級爬虫類型マキノスクスの足元に飛び降りた賢者は、さっと結界を展開する。身を守るにしては過剰に巨大で、ひたすら分厚いだけの障壁が極彩色の輝きを放っていた。


 それは切り札である選別の結界が放つ色彩。だが、いつにも増して輝きは激しかった。防壁としてではなく、敵を焼き尽くすエネルギーを凝縮させてできた攻撃的な虹色の閃光。そのためか、色は普段よりもやや赤みを帯びている。


 人と魔物を区別する機能すらも不要と切り捨てて、ただ死をもたらすために力を凝縮させられた破滅の輝き。ひとたび解放すれば、敵味方問わず、周囲を焼き尽くすだろう。


「――待て、それは危険すぎる!」


 遠くからの叫び声をバリエラは無視する。目の前の魔人を倒すには、まだまだ足りていなかった。今の大きさでは、無駄に本数がある脚を全部吹き飛ばせるかも怪しい。


(壊れろ。壊れろ。壊す力を私に……)


 複数の色が入り混じった光の障壁は、次第に規模を拡張していく。破滅の力を内包した巨壁は、ついに超弩級爬虫類型マキノスクスの背にすら届きそうになっている。しかし、これを魔人が気づかないはずがない。


『また、小細工ですか。というか、今度は賢者なんですねぇ。姿が見えないと思ってましたが、こんなところで何をしてるのですかねぇ?』


 黒い巨体を屈曲させ、賢者を握りつぶそうと腕を伸ばそうとする。周囲で引きつけてくれていたはずのアカやメキを差し置いてでも、先に潰そうと大量の五指を送り込ませる。


(……逆に好都合ね)


 迫りくる黒い触腕たちをバリエラは冷ややかに見つめた。近いほうがより多くを巻き込める。十分に引きつけてから一気に炸裂させればいい、と。だが、事態に気づいたらしい竜の勇者が急降下してくるのが見えて考えを改める。


(――やるなら今ね)


 流石にアカは巻き込めなかった。閉じ込めていた破壊の光を、バリエラは早めに解き放つ。これで自分自身も滅びてしまうのは仕方ない。もう覚悟は済ませていた。


「――行きなさい!」


 そして、賢者は虹色の障壁を自ら形を崩させる。その瞬間に、滅却の光が周囲全体に飛び散った。巨大な半円状に広がっていき、七色の炎のような閃光が、敵味方を無差別なく巻き込んでいく。近くにあった魔人の長い脚部や、暴れていた超弩級爬虫類型マキノスクスも含めて、ことごとくを呑みこみつくす。


 マズいと判断した竜の勇者が、途中で旋回して引き返す。魔導人形の勇者も、相棒である青年を助けるために飛び込もうとしたが、竜の勇者に止められた。


 下半身を消された魔人は、あと一歩で破壊の閃光に引きずり込まれるところを、残った腕を遠くへ伸ばすことで、自らの上半身を移動させた。その後、その再生力で自らを回復させる。


 そして、最も近くにいたバリエラは――。


 炸裂した閃光が収まって、その跡には更地となった地表が顔を出す。爆心地の中央には何も残っていなかったが、端のほうでは辛うじて消滅を耐え抜いた瓦礫や鋼色の残骸が横たわっていた。


「……っ、生きてる?」


 よろよろとバリエラは起き上がる。未だ景色を眺められている現実に驚いた。あれだけの規模で破壊を引き起こしたのに、五体満足だった。


「ああ、生かしたからな。――そのせいで、こっちは切り札を一枚失った」


 そう言ったノルソンは鋼色の残骸に視線を向けている。それらは全て超弩級爬虫類型マキノスクスであったモノ。虹の閃光が炸裂する直前に、機械の巨獣は青年からの指示を実行したのだった。


「すまない。だが、よくやった。超弩級爬虫類型マキノスクス


 光の直撃から賢者を守るように命令を受けた超弩級爬虫類型マキノスクスは、自らの尻尾を閃光の前に滑りこませて、バリエラの盾になっていた。そこから生まれた五秒にも満たない僅かな時間が無ければ、全身強化をかけたノルソンでも賢者を救い出すことができなかった。


「……なんで!」


「少しは落ち着いてくれ。君は冷静さを失っている。自暴自棄になったところで奴は倒せないし、カナリナも戻ってこない」


「………………」


 声こそは落ち着いていたものの、ノルソンの瞳は確かな怒りでにじんでいた。感情を理性で殺そうとしたうえで、それでも送ってくる目線は厳しいものだった。


 もうどうなってもいい、と思っていただけに、冷や水を掛けられたかのような気分になる。言っていることは正論だった。もはや暴走としか言えない行動をしていた、とバリエラは自覚して反省する。


「貴方の仲間を壊してしまったことは、ごめんなさい。でも、今はあいつを」


「まだ安易な敵討ちに走る気か? それは迷惑だ」


「――っ、それとこれとは話が別でしょ!」


 こちらが思わず睨みつけると、ノルソンは静かに首を横に振って一方向を視線で示す。こちらへ向かってくる二つの影があった。竜の勇者と魔導人形の勇者が合流しようと向かってきている。


「力押しで勝てる相手なら構わないが、奴はそうじゃない。一旦、あの二人とも策を練ったほうがいい」


「…………。それもそうね」


 怒りの衝動に身を任せて、頭に血がのぼりすぎていた。バリエラが身勝手に飛び出せば、アカたちも行動を変えなければならない。迷惑は掛けられなかった。


 回復に力を注ぐ魔人を尻目に、今すぐにでも追い討ちをかけたいという焦りに駆られたが、我慢するしかない。悔しさを紛らわすようにバリエラは手を強く握りしめる。


「私が気絶なんてしなければ、カナリナを止められたのに……」


「それについては俺に非がある。同行させたのは俺だ。あの子が付いてくるのを俺は止めなかった」


「なんで止めなかったのよ……」


 無意識のうちに声が震える。再び湧きだした荒い感情で胸が満たされて、気持ちの整理がまた必要になってくる。


「あの子が魔物の力が使えるようになったのは私だって理解してる。それでも、まだ戦えたわけじゃない。こんな危険な戦いに巻き込んで、生きて帰れるわけ……」


「…………言い訳はしない。もっと俺が強く止めていれば、こんな事態にならなかったかもしれないのは事実だ。すまない」


 淡々と放たれた回答の間で、一瞬だけノルソンは表情を歪ませた。この人とカナリナの間で、どういうことがあったのかは分からない。だが、非を完全に認められると、こっちからは何も言えなかった。


「あの子がやってくれたことを俺は無駄にできない。それに、やっと奴に対する勝算も見えてきた。だから、次の作戦で完全に奴を潰す」


「……本当に倒せるのでしょうね、あの魔人を」


「ああ、必ずそうする」


「その言葉、嘘じゃないと信じるわよ」


 間違いないとノルソンは断言した。だから、バリエラは賭けてみることにした。彼が見出した勝算が、どれほどのものなのか分からないが、話に乗ってみる価値はある。


 遠くでは魔人がそろそろ回復を終えたのか、巨体を動かし始めている。あまり悠長にはできなさそうだった。合流してくるアカとメキに対して手招きしながら、青年と賢者は敵の攻略法を練り出した。

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