第96話 賢者たちは地下で交戦する

 塔の奥底へと近づくルーイッドたちを発見して、黒い怪物の頭が赤く変色する。物凄い勢いで加熱されているのか、その付近の空気が揺れ動いていた。赤白く凝縮された強い輝きは間違いなく賢者たちを狙っている。


「アオ、攻撃が来る!」


「分かってるのだ」


 その直後に、赤白い熱線がルーイッドたちに向けて放射される。それも一本だけではない。束ねた糸を拡散するかのように数十もの熱線が一斉に放たれていた。


「――ぬぅ!?」


 予想を大きく上回る光の束を前にアオがうめく。直接に撃ちこまれてきた熱線をかわしても、今度は近くで残ったままの別の熱線が、こちらを追い詰めるように寄ってきた。


 拡げられた光の包囲網の、その内の一本の熱線だけでも傍を通るだけで身を焦がしてくる。とてつもない熱を込められた光の筋たちは、あたかも降下する竜の勇者たちを取り囲むように放たれていた。


「――ぬぅ!」


 当然、アオに衝突は許されない。全ての熱線を掻い潜るとなれば、いくら竜の力を有していても、無茶な軌道を描くしかなかったようだ。ゆっくりと近づく赤白い光の合間を縫って、ときに旋回を挟みながら、アオは光の線と線の間を抜けていく。彼に振り落とされぬようにルーイッドも必死で掴まっていた。


 時間が経つにつれて、光の筋の間隔は狭まってくる。それより早くわずかに開いた隙間を狙ってアオは急加速した。


「そこなのだっ!」


 背中に乗るルーイッドの眼前まで熱線が近づいたが、アオは強引に光の包囲を突き破る。そこから先は、がら空きになった黒い化け物の胴体が見えていた。ここからは自分の出番だとルーイッドは、竜の勇者から手を離す。


「アオっ! カナリナを頼むよ」


「うむ!」


 瞬時に言葉を交わして、ルーイッドは空中で置き去りになる。一人になった賢者はそのまま剣を抜いて、黒い魔物の巨体へ斬撃を放つ。刺さった赤い剣身が燃える傷痕を敵の胴体に刻み入れつつ、ルーイッドに迫る落下の衝撃を抑えていく。


 そして更に、傷痕は時間が経過すると、遅れて爆発の連鎖を引き起こした。剣に込められた爆炎の奇跡が、黒い魔物へ致命的な損傷を叩きこんでいく。ルーイッドが地面に降り立った時には既に、敵は炎の渦に呑みこまれていた。


 焼却されていく黒い怪物を眺める賢者の傍に、先に降りていた竜の勇者たちが近付く。二人とも無事であった。


「こいつ、エベラネクトを襲った魔物たちを生み出していた黒い魔物に似てるのだ」


「私が来た時に……、この場所に魔物なんかいなかったのに……」


 厳しい視線でアオが炎上する魔物のことを見つめていた。一方で、カナリナは表情に疲れを滲ませていた。かなり激しく揺らされたらしい。


「まだ安心するのは早いよ。あいつ、燃えながら動いている」


 完全に炎の中に包まれた巨大な魔物は、地に降り立ったルーイッドたちに向けて頭部の先を垂れる。眼球など無いはずなのに、こちらをずっと見据えていた。


「魔法を封じられてるから僕からの追撃は正直、難しい」


「それならば、私が仕留めよう。たいした相手でないのは瞭然であるからな」


 様子を見たアオが少し低い声を出した。ルーイッドが異変に気づくと同時に、彼の翼が緑炎へと変化していく。瞳の色も蒼から翡翠へ変わっていた。


 アオでは繊細さに欠け、アカでは火力が強すぎて建物そのものを破壊しすぎてしまうと判断したのか、最も能力を器用に使えるらしいミドが意識に浮上していた。


 燃える黒い怪物を見上げたミドは、敵を無視して一旦、真上へと飛翔する。緑の光が赤い火柱の隣で小さく光った。それから付近の風が動き始めるのを、ルーイッドは肌で感じとる。


 現象操作の奇跡。普段こそ炎の制御にしか使用されていないが、その力の実態は、あらゆる自然現象を意図的に発生させ、強引に操作できるというもの。使い方次第では、本来なら起こりえない事象すらも引き起こすことができる。そして今回、ミドは大気の力を利用するつもりらしかった。


「……カナリナ、できるだけ端に寄ろう」


「えっ……、でもそこらへんは瓦礫で……」


「いいから早くっ!」


 巻き込まれる前にルーイッドたちは壁際ギリギリまで走った。燃える怪物が陣取る中央へ向けて、吹くはずもない強風が荒れるのは直後のことだった。


 目を丸くしたカナリナが、慌てて壁につるを生やして自らを縛る。ルーイッドも急いで重そうな瓦礫に捕まった。壊れた壁や階段の破片が怪物のほうへと吸い寄せられていく。操作を受けた気流に乗って、大気を含めたあらゆる物が集められていった。そして火柱は巨大な竜巻となった。


 渦巻く暴風の柱が、黒い怪物そのものを擦り潰す。やがて、その線は細くなっていき、燃えていた炎も完全に消えて、怪物の姿は完全に消失した。危うげなく勝利したミドに、流石だなとルーイッドは思う。


「処理は完了したのである。せっかくの松明を消してしまって申し訳ない」


 声と共に、再び降りてきたミドが照明代わりの炎を浮かべる。先ほどよりも大きい光のおかげで、視界はずいぶんと広くなった。


 塔の奥底は円形状の広間となっており、黒い怪物が陣取っていた中央には階段らしきものがあったらしい。先ほどの風の渦で崩壊してしまったようだが。


 他を見渡したところ、ルーイッドたちに進めそうな道は一つしかない。通路と思しきトンネルが口を開いて待っている。


「おぉぉぉいぃぃぃぃ!」


 真上から間延びした声が降ってきた。浮かんだ緑炎を追ってきたのか、ずっと遅れていたアルエッタが賢者たちの正面に姿を現す。露骨そうに疲れを見せた彼女は、やれやれと小さく首を横に振る。


「ひゃぁ……、さっきは死ぬかと思ったぁー、いきなり遠くからビュンって攻撃が来たんだよー! 私じゃなかったら絶対に当たっていたよー、絶対に! どこの誰がぶっ放したのかなー? 絶対に見つけ出して私が退治してやるぅぅ!」


「……アルエッタ。その魔物なら、とっくにミドが倒したよ」


 力の差を省みない大胆な発言に呆れつつも、もう終わったことだと伝えると妖精はキョトンとした顔を見せた。それから態度を即座に変えて、上機嫌な笑みを見せる。


「ふふん。そっかそっかぁー! 私が出る幕でもなかったってわけねー。ミドぉー、アオに代わって褒めて遣わすぅー」


「久しぶりの出番ではあるが、もう疲れたのである。アルエッタの相手は」


「ちょっとっ! 疲れるって何ぃぃ!?」


 騒ぐアルエッタと適当に受け答えする一方で、ミドはくりくりと関節を動かしている。少年の身体に馴染むのに時間がかかっているらしかった。


 そして、ミドの様子を状況が分からなさそうに見つめているのが一人いる。妖精のアルエッタの時でも驚いていたらしいカナリナが、今度は呆然と立ち尽くしていた。一つの身体に入ったアオ、ミド、アカの三つの人格の説明については、彼女にも説明しておかないといけないが、今はバリエラの捜索のほうが優先だった。


「悪いけどカナリナちゃん。バリエラの反応が今どこからするか分かる?」


「え? あっ、はい……。バリエラさんの気配は……」


 我に返った様子の彼女は、自分の役割を思い出したように意識を集中させ始める。かなり地下深い場所まで来ている。そろそろ彼女の居場所まで近付いていそうなものだが、カナリナは少し眉を曇らせていた。


「どうかしたのかい?」


「ここは、多分なんですけど……、私やバリエラさんがいた……、地下牢があるはずの階層なんです……。だけど気配は」


 カナリナは真下を指差す。それも、まだまだ深い場所から感じるとカナリナは伝えてきた。それに応じて、ミドがさっそく床の壁を破壊する。しかし、下からは土の表面が顔を出しただけだった。


「……ふむ、地面しかないのである。掘ることもできなくもないが、人工物は出てこないであろうな」


「えぇー、これほんとに穴掘りする感じのやつってことー? めちゃくちゃ時間かかるじゃん」


「はい……。だけど、バリエラさんの気配は、間違いなく下のほうからします……」


「――正解ですねぇ。結界の賢者は地下にいます」


「「「「――っ!?」」」」


 唐突に響いた第三者の言葉に、ルーイッドたちは目を丸くする。浮遊する緑の炎よりも、更に高い場所から声は発されていた。だが、少なくとも光の届く範囲に、声の主の姿は見えない。


「貴方がたの戦いは観察させてもらいました。実に良い能力をお持ちのようで。どうです? 全部まとめて私に頂けないですかね」


 暗闇から姿を探していると、ルーイッドたちが何もしていないにもかかわらず、勝手に天井から順に光が灯っていく。一部の壁石たちが、急に光を放って照明と化していた。それまでの暗闇が除かれ、明瞭となった空間には、一体の黒い影が何も無い場所で浮遊している。


 とんがった魔法帽とローブのような服装が、魔法士の姿を思わせる。だが、顔には不釣り合いな鉄色の仮面があった。仮面以外は全身を黒で統一され、その手の先に小さな杖を持っている。


「はじめまして皆様方、私の居城をずいぶんと荒らしてくれましたね」


 言葉の割には敵意に乏しく、むしろ喜色を含ませたような若々しい青年の声で、真っ黒な魔法士は、賢者たちを見下ろしている。


「……君が魔人なんだね。バリエラをどこに連れて行ったのか、教えてもらえると助かるんだけど」


「そちらの魔物の少女が、口にしていませんでしたか? はるか下にいますよ。なにせ歪んだ空間まで通らせて、はるか地下に部屋を作っておきましたので。ですが、今更助けに来ても間に合いますかねぇ? そろそろ、自我を失ってもいい頃合いですから」


「――っ! ……バリエラにいったい何をしたのかな?」


「ご自分の目で確かめたらいいでしょう。……もっとも、ここを抜け出せたらの話ですが」


 そのとき突如、黒い魔人の足元に展開された数十の魔法陣に、ルーイッドは絶句する。それら全ては見世物でなく、正しく魔力が込められて展開されていた。


(しょ、消滅魔法っ!? 魔法が封じられた空間じゃないのか!?)


「言っておきますが、貴方がたは魔法を使えませんよ? 私は奪う側だから利用できるのです」


 そして一斉に、空中の魔法陣たちが白銀に輝きだす。魔力充填の終えた円陣から次々と、滝のように消滅の光が降り注ぐ。真下にいる者全てを巻き込むように放たれた純白の光が、徹底した破壊を塔の最下層にもたらさんとする。


「――っ!」


 直撃を受けた地面には大穴が生じ、余波を受けた壁が派手に崩壊を開始する。全ての魔法陣が放出を終えた後に、元と同じ場所は残されなかった。砕かれた大地の残骸だけが、その場に静かに佇んでいた。


 眼下に動く者がなにもないと確認した黒い魔人は、少しだけ口惜しそうに小さく呟く。


「少しやり過ぎましたかね」


「――それは、どうなのかなっ!」


 間隙を突くかのように出現した炎の斬撃が、黒い魔人を背後から強襲した。

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